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にゃむらい菊千代  作者: 深水千世
マリアの引き出し
20/38

荒ぶる想い

『な、なにが起こったの?』

 戸惑いながら目を開けたとき、聞き慣れた声が飛んできた。

「マリア! しっかり!」

「この声は菊千代?」

 気がつくと、マリアは『たきのや』に戻っていた。床にへたり込み、菊千代とロッキーが心配そうに自分を見下ろしている。

「わ、私」

「大事ないか? 祓おうとしたけど、跳ね返されて倒れたでござるよ」

 ずいぶん長くミサヲの過去を垣間見た気がしたが、こちらでは一瞬の出来事だったらしい。マリアは慌てて起き上がったが、すぐに身をこわばらせた。

 彼女の琥珀色の目に飛び込んできたのは、薬箪笥の向こうに立つミサヲの姿だった。だが、それは先ほどまでの顔つきではない。真っ赤に充血した目をらんらんとさせている。そして、どこからともなく闇が沸き起こり、彼女の周りに集まっていくのだ。

「そうよ、思い出したわ。ひどい人。私の気持ちを知っていたのに、結婚式で見せつけようとしたのよ」

 ぶつぶつと呟くミサヲが髪をかきむしると、まとった闇がぶわりと膨らんでいく。

「私のたったひとつの願いは、自分のことじゃなかった。『自分が死んでも善七さんが幸せであること』だった。なんてお人好しなの? 彼が他の女を見ているとも知らないで馬鹿みたい」

 菊千代が「カカカ」と狩りの鳴き声を漏らした。

「あの子、様子が変でござる」

 時雨が「ふん」と鼻を鳴らす。

「霊というのは不安定なものだと相場が決まっている。生前、分別のなかった若い霊は特に脆く移ろいやすい。マリアが記憶を刺激したことで忘れていた何かを思い出したんだろう。それともあえて蓋をしていたものがあふれ出したか」

「それって、拙者が黒電話の記憶を見たときみたいにマリアも何かを見たってことでござるか?」

「あぁ、そうだ」

 黒い闇が取り巻く姿は、黒電話の霊を思い出させた。湿った空気が巻き起こり、辺りの空気がよどんで見える。そうするうちに、ミサヲの口調がどんどん荒くなっていった。

「みんな黙っていたけど、私の命が長くないことはなんとなくわかっていたわ。生きている間に善七さんを笑わせることができても、死んだら何もしてあげられない。だから、あんな願いごとを流れ星にきいてもらおうとしたのよ」

 屈辱に満ちた顔が歪んでいく。

「だけど、あんな形を望んでいたわけじゃない。誰かと一緒に幸せになる姿を見せつけられることじゃない。馬鹿みたいだわ、一人残された哀しみを味わったのは、彼じゃなくて私だけ!」

 時雨の鋭い声が飛ぶ。

「くるぞ!」

 その瞬間、闇をまとったミサヲが奇声をあげて襲いかかってきた。驚き戸惑うマリアの首元を時雨が咄嗟にくわえて飛び退く。ミサヲの手はすんでのところでマリアを逃し、床を強か打った。

「油断するな。闇にとらわれるぞ」

 叫ぶ秋野に、菊千代が耳をぴくりとさせる。

「とらわれるって?」

「霊というのは、負に墜ちるとたちの悪いものになる。あれに捕まれば巻き添えをくって戻れなくなるぞ」

 ミサヲが「おのれ」と唸り声をあげ、今度は菊千代に狙いを定めて襲いかかった。

「おっと!」

 菊千代が咄嗟に避けると、ミサヲは勢いあまって無様に倒れ込む。それを見ながら、時雨が短く舌打ちをした。

「あの娘は抱え込んだ闇が思った以上に深かったようだ。マリアのギターだけでは力不足だったか」

 じりじりと間合いをとりながら、ロッキーが「どうすればいい?」と、問う。

「祓えるまで祓うしかなかろう。見ろ、お前の得物を」

 菊千代とロッキーは自分たちの手元を見てハッとする。刀とグローブがいつの間にか光を帯びていたのだ。

「女の子に刀を向けるのもしのびないでござるが」

 ぎりっと歯を食いしばる菊千代に、ロッキーが「しょうがないな」と肩をすくめる。

「俺だってそうだが、女っていうのは底知れぬ恐ろしさを秘めているからな。遠慮はいらないかもしれないぞ」

 マリアがギターを構えて顔をしかめた。

「ロッキー、そんなこと言ってると世界中の女を敵にまわすわよ。『イタリアの種馬』のくせに。ただでさえもてないんだから気をつけなさい」

「映画のロッキーと違って俺はイタリア系移民じゃないし、去勢済みのおっさん猫に種馬もくそもあるか」

「まったく笑えないわ」

 さっきまでミサヲの過去と同化していたせいか、マリアには彼女の闇からひしひしと伝わるものがあった。

「あの子、善七さんを責めてるけど、口だけね」

「誰だって? 善七? お前、あの子の何を見た?」

「説明はあとよ。あれは子どもの癇癪と一緒なんだわ」

 善七を責める言葉とは裏腹に、ミサヲの中に渦巻いているのは、善七が好いていてくれると勘違いしていた滑稽な自分への羞恥と、美彌子への嫉妬だった。

 善七の愛情を得た彼女の美しさ、そして病を知らない健やかさへの嫉みは、生きている間からミサヲの奥底に渦巻いていたものだ。

 だが、それでも美彌子を好きな気持ちは本当だった。だからこそ嫉妬に蓋をして見ない振りをしてきた。

 なのに、善七に寄り添う姿を見たことで、その抑圧がねじれて爆発してしまった。結局は自分など選ばれないという僻みと劣等感がない交ぜになっている。

「いつもみんな美彌子お姉様ばかりちやほやするのよ! どうせ私なんて選ばれるわけがないんだわ。どうしてこんなに惨めなのよ。いつだって欲しいものは手に入らない!」

 泣き喚くミサヲが、目をぎらつかせた。その唇は血のように赤く、長い髪が影を絡めるようにして、ゆらゆらと踊り出す。マリアにはその姿が恐ろしいというより、哀れに映った。

「一気に溢れる感情を持てあまして処理し切れてないんだわ」

 マリアが睨めつける。

「いい加減にしなさいよ! 善七さんは少なくともあんたを大切にしてくれたじゃないの」

 すると、ミサヲが甲高い笑い声を上げた。

「何を言うの。それこそが残酷だわ。結局は選ばれず、一人残される」

「あんた、何年そうやっていじけてるつもり? しつこいわねぇ。さっさと成仏なさいな」

「うるさい!」

 一瞬の出来事だった。ミサヲの髪がもの凄い勢いで触手のように伸び、マリアを弾いた。短い悲鳴が上がり、小さな体が壁に叩きつけられる。どさりと音をたてて床に落ちた。

「マリア!」

 駆け寄ろうとしたロッキーと菊千代を、怒り狂った蛇のように幾つもの髪の束が襲う。ロッキーは飛び退いたところを、間髪入れずに飛んできた別の髪に弾かれ、床を滑るように転がっていった。

 マリアに髪が巻きつき、空中に吊り上げる。

「離しなさいよ!」

 マリアの尻尾が膨らみ、牙を剥く。だが、ミサヲはせせら笑うばかりだった。

「生意気な猫。お前も同じ穴の狢のくせに偉そうに」

「私の何を知っているっていうのよ」

「お前はさっき、私の過去を見たでしょう? その間に私にはお前の過去が見えたもの」

「なんですって?」

「いつまでもいじけて素直になれないのは同じでしょう」

「うるさい! 私はあんたと同じじゃない!」

 その声には図星をさされたゆえの怒りが滲んでいた。

「私とあの人は、どうしようもなかったのよ! でも、私は」

 マリアの毛が逆立った。鋭い爪がむき出しになり、目が爛々と光っていく。

「あんたみたいに引き出しでいつまでもいじけてるのはごめんだわ!」

 菊千代が驚いてマリアを見つめる。彼女の声は震え、今まで聞いたことがないほど悲痛なものがあった。

 ミサヲがにたりと血のように赤い唇を吊り上げた。

「見ているだけじゃ、私と同じだわ。結局、あなたは臆病風に吹かれて一歩も踏み出していない。引き出しにうずくまる私と同じ。惨めよね。私たちは捨てられたんですもの」

 そう言って「くっ」と、嘲笑を漏らす。

「怖いんでしょ? だから、赤ん坊が来るのも素直に喜べなかったし、守るって言えなかったのよね? あのときの二の舞になるんじゃないかって怖いんでしょ?」

 逆立っていたマリアの尻尾が垂れる。

「そうよ、怖いわ」

「それじゃあ、私と同じところへいらっしゃいよ」

 ミサヲがにたりと唇を吊り上げた。

「一緒に眠りましょう。引き出しの中で胎児のように丸くなるの。そうすると、何も苦しみや哀しみなんて知らず、お母様のお腹の中で守られていた頃に戻れるのよ。誰もお前を傷つけないし、誰もお前を見捨てない」

 そのとき、マリアの目の前に白い人影が浮かび上がった。

「まさか、あなたは?」

 マリアの目が見開き、その胸が締めつけられる。そこに現れたのは、一人の老婦人だった。白い髪を上品にまとめ、皺だらけの顔に穏やかな笑みを浮かべている。老婦人がそっと腕を広げ、自分のもとへ来るよう、無言で促している。

「どうしてここにいるの?」

 わななく声でマリアが問う。だが、菊千代とロッキーは互いに顔を見合わせた。

「マリアは何を言っているでござるか? ただの白い靄にしか見えないでござる」

「きっと、あいつには何か見えているんだろう。物憑きの霊に見せられているんだな」

「どうしてマリアだけに?」

「さぁな。何かあの霊と相通ずるものがあるのかもしれないな」

「マリア!」

 菊千代が慌てて名前を呼ぶが、マリアは白い靄に映った老婦人から目を離せずにいる。その傍らでミサヲが囁いた。

「お前はこの人のもとへ帰りたいんでしょう? さぁ、おいで」

 その途端、自分に巻き付いた髪から懐かしい匂いが漂ってくる気がした。それを嗅ぐと、頭の奥がじんと疼き、意識が遠くなりかけた。

 秋野が苦々しく呟く。

「悪霊の類は心のひだに隠れた弱さや悔いを目ざとく利用する。詐欺師のようなものだな」

 菊千代が不安げにマリアを見守る。そのとき、ロッキーが突然、大声を張り上げた。

「おいおい、マリア! しっかり者のお前はどこに行った? いつもはふてぶてしいくらい我を通すくせに、こんな大事なところで何を迷っているんだ!」

 ぴくりとマリアの耳が動き、そのヒゲが張った。ロッキーがにたりと口の端を吊り上げて煽る。

「お前はなんのために毎晩出かけていたんだ? もう答えは見つかっているんじゃないのか? じゃなかったら、とっくにここにいないもんな」

 マリアの口から「お節介なおっさん」と、小さな笑みが漏れた。

「ふてぶてしいは余計なのよ」

 彼女は顔を上げ、ミサヲを睨めつけた。

「そりゃあ、帰りたいわ。でもね、私の帰るところはもうその人のところじゃないの。あの人は悪くないけれど、それを認めたら、責められなくなったら、気持ちが溢れそうで怖かった」

 ぴくん、とマリアの尻尾が跳ねた。

「あんたの記憶を見て、気づいたわ。声に出さなきゃ何も変わらないことだってある」

 琥珀色の瞳に、光が宿り始めた。声に凜とした強さが宿っていく。

「私は菊千代に『考えるより感じるもの』だって言ったけど、それには続きがあるのよ。大事なのは感じたら足を踏み出して、手を伸ばして、動くべきってことなの」

 マリアが牙をむき、絡まった髪をほどこうともがきだした。

「馬鹿を見てもいい。また見捨てられてもいい。赤ん坊を守ってやろうじゃないの。だって、私がいるべき場所はカンさんの膝の上で、ダイキは彼の大事な子だから。他に理由はいらないし、それが私のためだもの」

 菊千代は顔を輝かせる。

「マリア、よく言った! 助太刀いたす!」

 刀を振りかざした菊千代が飛んだ。巻き付く髪が断ち切られ床に落ちるとともに、マリアがくるりと宙返りをして着地した。

「いくわよ!」

「いざ!」

 マリアと菊千代が同時に地を蹴った。菊千代は刀を振りかざし、マリアが高らかに弦を弾く。

「祓え給え清め給え、守り給え幸え給え!」

 二匹の声が響く中、ミサヲの甲高い悲鳴が聞こえた。白い光が満ち、闇を引き連れ消えていく。そしてそこに残ったのは、箪笥にもたれて息を切らすミサヲの姿だった。

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