第2節【辺境都市ラジェド】
「みっともないところ見せちゃった……ヴァリス、ありがとう」
「気にするな」
エリーの目は少し腫れていたが、瞳の色もあの綺麗な青色に戻っている。まだ顔が少し赤いが、まあ大丈夫だろう。しかし、なんだこの脱力感? 血を吸われるというのはこれほど力を奪われるのか?
「前回は隷属化させる為に力を使ったから疲れたけど、今日はなんか妙に元気になったわ。……普段、血を摂取してもこんな感じじゃないんだけど……」
見れば、なんだかエリーの顔がこころなしかツヤツヤしているように見える。それに、なぜだろう彼女から微かに魔力を感じる……これは俺の血のせいか……?
疑問に思っていると、後方から足音。見ると狩りにいった二体の竜がそれぞれ鳥とうさぎを前足に持って、帰ってきていた。緑竜の背には薪になりそうな枝が積まれており、器用に蔦で固定されている。こいつら気が利くな。
彼等は、妙に誇らしげな顔をしており、エリーに獲った得物を差し出した。
少し戸惑った表情のエリーだったが、少しはにかみながらそれを受け取った。
「あ、ありがとう」
「さて、辺りも暗くなったし闇を張って、焚き火だ」
魔法を使い辺りを闇で覆う。エリーが枝を地面に並べて、焚き火を作っている間に、俺は鳥とうさぎを捌くことにした。どうやら、野宿は一応想定していたらしいエリーから塩とハーブを借りた。
俺は【闇創想】の魔法で、小ぶりの黒曜石の鈍い光を放つナイフを作成。そのナイフを使って、昔魔法で覗き見した猟師のやり方を思い出しながら、捌いていく。ふむ、案外出来るものだな。人の手先の器用さと道具の作成能力は大したものだ。
「あんた器用ね……そういうの出来なさそうだと思ってたけど」
エリーが枝を組んで赤竜のブレスで火を付けた。どうやら焚き火は問題なさそうだ。彼女は作業を終えると俺のすぐ横に座った。
俺はうさぎの皮を剥ぎ、内蔵を取る。ピンク色の肉に塩とハーブを揉み込む。
「見様見真似だがな。よし、じゃあこれを串……代わりの枝に刺して焚き火で焼いてくれ」
「ま、任せて」
そう言って俺は肉をエリーに手渡した。
慣れない手付きで肉を枝に刺していく彼女の姿が微笑ましい。気丈に振る舞ってはいるが彼女は姫として育てられた少女だ。多少手間取るのは仕方がない。
エリーが不格好ながらも串に刺した肉を焚き火に当てている。
小さな背中だ。一体何をそんなに背負い込んでいるのだろうか。
鳥も同じ要領で捌き、串に刺した。
焚き火に当てると何とも言えない匂いが漂ってくる。星空が見えないのが残念だが、焚き火の明かりとゆらゆらと踊る影のコントラストが綺麗だった。
エリーの両隣に竜が寝そべっている。どうやら、自分たちの食事は森で済ませてきたそうで、肉を分けようと提案したが断られた。ああそういえばこいつらの名前、決めないとな。
「名前?」
「ああ。我ら上位竜と違い、彼ら下位竜には名前がない。君が決めてやれば良い」
まあ緑竜については俺が名付けるが。そう言うと緑竜が嫌そうな顔をした。
「名前か……そうね……」
エリーが赤竜の頭を撫でながら、真剣に考えていた。
「アカダマ……なんてどうかしら」
赤竜が驚いて目を剥き首をブンブンと振っている。俺は思わず吹き出しそうになるのを必死にこらえた。中々に斬新な名前だ。
「良い名前ではないか…なあアカダマ」
キョトンとしたエリーの横でアカダマがこちらに何かを必死に訴えている。ふむ急に竜言語が分からなくなってしまったな。これは一大事だ。
「え、ダメ?」
「いや駄目ではないが、竜は名前に誇りを持つ者が多いからな。もう少し考えてやったほうが良い」
「長い方が良かったんだっけ……アカメリタコナスズとかどう」
アカダマ……もといアカメリタコナスズが前足を顔に当てて天を仰いでいる。あいつ……泣いているのか? 随分と感情豊かな竜だ。
「長ければ良いというわけではないぞ?」
「もう! 難しいわね。その子はあんたが決めるんでしょ? 先にそっちが決めなさい!」
エリーがぷいっとそっぽを向いた。ようやく少女らしい表情に戻っている。
視線を感じたので見ると、緑竜がこちらをじっと見つめている。懇願しているようにも見える。何、心配するな。
「そうだな……」
俺はその緑色の鱗で、今日駆け抜けてきた森を連想した。あの草木の匂いと風。
「バルトヴィンドはどうだ? 森の風という意味合いだが」
俺の案に緑竜バルトヴィンドがうんうんと頷いていた。悪くないセンスだと言いたげである。全く……相変わらず偉そうな竜である。もう少し謙虚さを俺から学ぶべきだろう。
まあ名前が長いので今後はバルトと呼ぼう。
「んーじゃあ短いけど、ロシュ、とかどう? 私の国の古い言葉で赤、という意味なんだけど」
赤竜、もといロシュは喜びの表現としてエリーの顔に頬ずりをしていた。無事決まって何よりである。
名前も決まったので俺とエリーは、丁度程よく焼けた肉を頬張りながら今後について話し合った。
その後エリーと俺、その間にロシュとバルトが挟まりながら寝転がった。【闇創想】を使えばある程度何でも作れるのだが効果時間が短いので、寝具などには向いていない。今着ている衣服については、マメに魔法を掛け直しているのだが、些か面倒なので街に行ったら服を購入したいところだ。
焚き火が消え、炭が仄かな明かりを放っている。
「随分と長い一日だったな」
「予想外が多すぎたわ……」
「明日も長くなりそうだ」
「そうね。さあ寝ましょ……明日は早……い……すぅ……すぅ」
エリーの寝息が聞こえる。少女には中々堪える一日だったに違いない。
俺は、心地よい疲労と誰かが横にいる安心感を味わいながら、眠りについた。
☆☆☆
翌朝。まだ日が登らない内に起床すると、昨日の肉の残りを平らげ俺とエリーはそれぞれの竜に乗り出発した。
明朝の街道には誰も通っておらず、俺とエリーだけが朝もやの中を駆け抜けていく。
「それで、ラジェドに着いたらどうする?」
「まずは、無事入れるかどうかね。最近は門での取り調べが厳しいらしいから。こっそり忍び込むのは多分難しい」
「ならば力ずくか?」
「それは最終手段。大丈夫、手はあるの」
しばらく進み、日が登ってくる頃になると右側の様子が変わってきた。平原が荒野になっており、崩れた石垣が不均等に並んでいる。ここは昔、ぶどう畑だったはずだが……。
「戦争と、戦闘訓練のせいよ。ほら見えてきたわ」
エリーが指差す先。
そこには、砦が立ちはだかっていた。その砦には大きな門があり、その左右から石壁がぐるりと囲うように奥に続いていた。あんなものは昔なかったはずだ。砦も壁も比較的新しいように見えた。
「あれが、ラジェドの城塞よ」
「随分といかつくなったな」
「フォンセ王国辺境軍の拠点になったからよ。あの城塞も後から作られたもの」
エリーの話では、境界域で捕獲した下位竜をこの街で隷属化させているそうだ。同時に竜騎兵の訓練も行っているとか。最近は竜を求めてか、結構な数の人が訪れるそうだが、今の所我ら以外の通行人はいない。
「辺境軍の拠点になってから、検問が厳しくなったそうよ。不審者はそう簡単に通さないでしょうね」
エリーがそう言いながら、先を指差す。
その先にある門が次第に大きく見えてきた。
門には二人の兵士がいた。
一人は背が高く槍を持っており、もう一人は対照的に背が低く、ボウガンを右手に持ち腰には矢が何本も入った矢筒を付けていた。
上を見れば、城塞の壁の上を同じようにボウガンを装備した兵士が巡回している。
「エリー、本当にこのまま真正面から行くのか?」
「ええ。大丈夫の……はず。堂々としていて、昨日話した通りにいくわ」
門の前のボウガン兵がこちらに気付き、武器を構えた。壁の上の兵士もこちらに気付き、ボウガンの矢先をこちらに合わせている。
それを見たエリーが慌てる事なく門の兵士に手を振って、ロシュから降りた。そしてそのまま徒歩で門に向かった。俺も同じように降りて、エリーの半歩後ろをついていく。
それを見たボウガン兵は、構えていた武器を下ろした。槍の兵士が、門の内側に入っていく。しばらくすると、壁の上の兵士達も武器を下ろし、また巡回をし始めた。
声が届く距離まで近付くとボウガン兵が声を上げた。
「おーいお前ら何処の所属だ? なんだよく見れば子供じゃないか……」
なるほど、竜を連れている時点で敵ではないと思っているのだろう。エリーが堂々とその兵士に答えた。
「【黒竜騎士団】のエリーゼだ。領主に所用があって参った。通すが良い。この男は護衛だ」
「黒竜騎士団? 少々お待ち下さい。おいダラス、そんな伝達あったか?」
エリーの偉そうな態度で、一応口調を改めたボウガン兵がダラスと呼ばれた槍兵に声をかけた。
「いや、俺は聞いていない……引き継ぎもなかったし。ログダ、そう言うお前は聞いていないのか?」
訝しげな顔でダラスが門の内側にある机の上の書類を見ながらボウガン兵のログダに問い返す。そりゃあまあそんな伝達ないだろうな。なんせ黒竜騎士団なんてのは全部嘘だからだ。
「くどいぞ、貴様ら。あまりモタモタするようなら我が業火竜ロシュの餌にしてやっても良いのだぞ?」
エリーが悪い顔を浮かべている。ロシュも横でチロチロと火を口から漏らしている。どこでそんな芸を覚えた?
「ひぃ! で、ですが! 何か証拠となるものを見せていただかないと……」
「このまま通すわけには」
ログダとダラスが揃って後ずさりをしながらも意外と粘る。なんだか息が合った二人である。
とりあえず俺も会話に参加してみる。確か俺は護衛についてきた部下の設定のはずだ。
「おいおい、やめといたほうがいいぜ兄ちゃん達。うちの団長は、見た目と違ってこわーいお方でな。団長に逆らった奴は竜に生きながら食われるんだ……。あんまり怒らせないほうがいいぜ〜なんなら俺っちが相手してやろうかあ? ああ?」
猫背気味になり、こっそり魔法で出したナイフを舌で舐め、小物感を演出。我ながら名演のはずなのだが、エリーが割と本気でこちらを睨んでくる。
軽く咳払いしたエリーが俺を制止した。
「やめよ。確かに証拠が必要だろう。これを見るがよい」
そういうとエリーは腰のポーチから何やら紙切れを取り出して、目の前の二人に見えるように掲げた。それは、誰かの直筆の手紙のように見えた。
「領主ガルディン殿から送られてきた親書である。我が名と黒竜騎士団の名が載っておろう?」
見るとそれにはびっしりと文字が書かれており、エリーの名とその領主の名、そして黒竜騎士団という文字が確かに記載されていた。名前の部分を見せて、エリーはすぐにその手紙をしまった。
「確かに名前が記載されていますね……分かりました。門を開けましょう」
それを見た、ログダとダラスが納得し門を開いた。エリーがこちらへ向けて小さく笑顔を浮かべた。
「そ、それでは、良い滞在を!」
「ようこそ、竜騎兵の街ラジェドへ」
二人の声を背に受けながら、俺とエリーは門をくぐった。
竜騎兵の街ラジェドか……。
一見すると普通の街だ。門から街まで少し距離がありそこを抜けると、石畳の道に木製の家が連なる街並み。大通りには屋台や店が並んでいる。まだ朝早いが、それなりに人は出歩いているようだ。よく見れば、竜を引き連れている者もおり、武装した竜騎兵が見回りをしている。
昔見た面影は残っているが、あの時に比べて街並みにはかなりの数の煙突が立っており、黒い煙をあげていた。
牧歌的な雰囲気の街だったはずだがなんだが妙に物々しい。よく見れば、店も武器や鎧などといった物が並んでいる。
さらに奥の方を見ると一際大きな館が見えた。あれが領主の館だろう
「しかし、無事通れたな」
「まあちょっと焦ったけどね」
俺にはいくつか疑問があった。
「しかし、顔も名前も出して大丈夫なのか? この国の姫なのだろ?」
「大丈夫よ。私の存在は、秘匿されていたから。この国には、姫はいないことになっていたの」
「それは……」
「私の存在を知っているのはこの国でもわずかな者だけよ。イゼスは父の直属だから例外なの。まあ配下はどうも雇われみたいだったけど……だから名前を出しても、顔を出しても平気よ。まあ今だけだろうけど」
隠された姫。そして使われた隷属の力。どうやら、この王国の闇は深そうだ。闇竜の俺が言うのもなんだが。
「それにここの領主のガルディンは数少ない私の知人なの。だから、この街では安心していいわ」
「なるほど。入りさえすればとりあえずは安全か」
「そういうこと。ふう、それにしても昔、私宛に送られてきた手紙を持ってきていてよかった」
だからすぐにしまったのか。じっくり読まれると嘘がばれる。
「貴方の隷属化がどうなっていようと、この街には来るつもりだったの。その時に使えるかもしれないと思って」
「用意が良いな」
「まあ、私だけの力ではないのだけど……あれそういえば、私、誰にあの寝床まで連れていってもらったのだっけ……」
言葉の後半が小さな呟きとなり、首を傾げるエリー。
誰か? エリー以外に誰かいたのか? いやあの場にはエリーしかいなかったはずだ。もしいれば俺はともかくウェネが気付かないはずがない。そもそも、俺の寝床は人間には到底辿り着けない場所にある。少し気になるな。
しかし、すぐに気を取り直したエリーが会話を続けた。
「さってここからが、勝負よ。まずは、宿を探しましょう。流石に昨日は野宿したから水浴びしたい……服も買わないと」
「ふむ、そういう物なのか」
「領主に汚い格好では会えないでしょ?」
「なるほど。まあいずれにせよ宿屋だ! 酒場を兼業しているところが良いらしいぞ!」
「だからあんたのそのよく分からない知識はどっから来ているのよ……」
エリーと俺が、石畳の道を進む。
エリーの国崩しへの第一歩。
空は快晴。しかし、なぜか俺は嫌な予感がしたのだった。
まあただの気の所為だろう。俺は先を行くエリーの後を追った。