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第1節【血によって姫は生まれ、血によって竜となる】

 


 森の中を疾走する俺とエリー。

 頭上から差し込む木漏れ日の下、土の香り、草の香りを乗せた初夏の風を切り裂いていく。


 森の中を走るというのは初めての経験だった。これはこれで気持ち良い。

 

 俺とエリーは一直線に東へと進んだ。

 目指すは、街道。そしてそこを北上すればラジェドの街のはずだ。


「流石騎士団の騎竜だけあって速いわね!」


 エリーが、風で髪が煽られるのを片手で抑えながらにこやかにそう叫んだ。

 その声は、少女らしい成分を多分に含んだ年相応の声だった。


「しかし人が竜に乗るなど俺のいた時代には考えれない事だ」

「それは……そうね」


 俺の言葉を受け、エリーの声がトーンダウンする。む、しまった。


「エリーが悪いとは思っていない。気にするな」

「大丈夫。ありがとう」

「構わん」

「……あんた一応下僕って事忘れてない?」

「……そうだった」


 とはいえ下僕の作法なぞ知らぬ。まあ少し言葉は控えようと思う俺だった。


 なんて会話しているうちに、後方からウェネの魔力波長が届く。そして聞こえる微かな悲鳴。やはりというか、狙い通りなのだがどうやらウェネが追いついたようだ。あいつの事だから俺の事よりも先に、見付けた人間を排除することを優先するに違いない。


 早いところ俺が人間になった事をウェネに伝えておかないと、後々ややこしくなる事は目に見えている。


「? ……今何か聞こえたような」

「ウェネが追いついたようだ」

「やっぱり! なんでまた呼ぶのよ!」


 エリーが怒ったような泣きそうな顔でこちらを非難してくる。よほどウェネが嫌いになったのだろう。


「さっきは、誤解を解く暇がなかったが次に会えば分かるはずだ。誤解されたまま追われて、ラジェドの街を廃墟にしたくはないだろ?」

「まあ確かに……でもやだなあ……」

「よく見れば可愛いぞ?」

「竜だった時のあんたより大きいじゃない! あんたを初めて見た時は、あんた寝てたしそれに一人じゃなかったから怖くなかったけど」

「まあ、竜は本来雌の方が強く、大きくなるからな。俺と雷の七曜龍は例外中の例外だ」


 なんてエリーと話していると、おぞましいほどの魔力を感知した。森が、一瞬闇に包まれたような錯覚。

 これは……なんだ? ウェネの魔法には違いないが、これほどの魔力量を使う魔法をあいつが行使できるとは知らなかった。


 一体、何の魔法を使ったのだ?


「!! ……何今の!?」


 人であるエリーですら感じるほどの魔力。なんだか、凄く嫌な予感がする。たかが人間の集団を殲滅させるのに使う魔力量ではない。だとすれば何に使っている?


「何かは分からんが、とにかく、まずは街道に出よう。もしかしたら何かの巻き添えを喰らうかもしれない」

「あんたでも分からないって絶対ヤバそうな奴でしょ!」


 下の竜達も騒いでいる。やばいぜ、旦那! といった感じである。

 二匹の竜が更にスピードを上げたのは言うまでもない。



 ☆☆☆



 しかし、結局何事もなく、俺とエリーは無事に街道に合流できた。太陽も傾き、夜の帳が降りはじめている。街道は、人の姿になったせいもあるが随分と広く感じた。道は石畳で舗装されており、立派な街道だった。


「結局何も起こらなかったけど……」

「ああ。てっきり追いついてくるものと思ったが」


 ウェネの翼であれば我々に簡単に追いつくはずだ。なのに、あの巨大な魔力を放出したっきり、沈黙のままだ。


「来ないなら来ないで恐ろしいわね……。さて、騎竜のおかげでこのまま行けば明日の朝までにはラジェドに着きそうだけど……今日はここで休みましょう」

「そうだな。ウェネの様子も気になる。下手に街に近付かない方がよい」

「そうね。となると野宿か……」


 そう言ったっきりエリーは無言で、街道から少し東に外れた平野に着くと、騎竜から降りた。

 街道の西側は森に覆われているが、東側は平原になっている。短い草に覆われており、ところどころ岩が露出している。遠くに微かに見える銀嶺はエルザス山脈だろう。


「この辺りでいいかしら。ほどよく街道からも離れてるし」

「野宿か……あれだな、テントとか張るやつだな!?」


 俺は知っているぞ、テントを貼り、そして焚き火を付けるのだ。

 肉を串に刺して食べて、酒を飲み、語らう。憧れの奴だ!


「テントなんてないわよ? 焚き火は目立つからダメ」

「そんな……馬鹿な……焚き火がない……なんて……」

「当たり前でしょ……。イゼスの口ぶりからすると私は国に追われているのよ? イゼスが殺されたと分かればすぐにまた別の追手が来るわ」


 ん? 見つからなければ良いのか?


「良いだろう。それならば【日蝕(エクリプス・ナウ)】」


 俺が魔法を使うと、夕暮れに染まるこの一帯が闇に包まれた。


「なに!? ちょっとヴァリス!」


 どうやらこちらが見えないようでキョロキョロと慌てだすエリー。

 この魔法は辺り一帯を闇に包む魔法だ。竜だった時は一国丸ごと闇に包めるほどの範囲。これを使えば、焚き火をしてもバレまい。


「ふむ……しかしどうもこの身体のせいかイマイチ範囲が狭いな……精々半径1キロメルトル程度か」

「馬鹿! 遠目から見たらめちゃくちゃ目立つでしょ!」


 おお、確かに。遠くから見れば、ここら一体がドーム状の闇に包まれているように見えるだろう。


「夜になれば目立たぬだろう」

「んーそれもそうか……というかあんたどんだけ焚き火したいのよ」

「焚き火は……男の浪漫だと聞いたぞ」

「誰よそんなこと教えたの……」


 俺は一旦魔法を解除した。辺りに夕暮れの赤い光が戻る。


「確かに夜間はその魔法が使ったほうが安全そうね」

「では、焚き火は夜にやるとしよう。して、肉はあるのか?」

「ないわよ……そもそも帰りはあんたの背にでも乗ってとか考えてたのだから……」


 なるほど、本当に俺が人間になったのは予定外だったのか。しかし肉がないのは寂しいな。

 そこで、俺は手持ち無沙汰になって座ってのんびりしている二匹の竜に声をかけた。


「貴様ら、うさぎか鳥か何かを狩ってこい」

「きゅいきゅい! きゅきゅい!」


 何? お前がやれだと? ほお俺に向ってその口とは良い度胸だ……どうやら一度上下関係を叩き込まないといけないようだな!


「何喋ってるの?」

「ああ、肉でも取ってこさせようと思ったらこいつらーー」


 そう俺が言った途端、エリーの腹から盛大に音が鳴った。どうやら腹が減っているようだ。


「なんだ腹が減っーーうおやめろ!」


 顔を真っ赤にしたエリーが動くなと俺に命令しながら頭をバシバシと叩いてくる。


「減ってない!」

「分かった! 分かったから叩くな!」


 しかし、どうやら主が腹を空かしていることを察知したあの竜共は素早く立ち上がると、森の方へと駆けていった。あいつら……。


「どうやら何かしら取ってきてくれるそうだ」

「……恥ずかしい……」


 不貞腐れて地面に座るエリー。その横へと俺は座った。

 さて、あいつらが帰ってくるまでまだしばらく時間はあるだろう。


「なあ、エリー。なぜ国から離れて俺を隷属しようとしたのだ? なぜ自らの国を崩す? 父への反発か?」

「私は……そうね黙っててもしょうがないか……あのね私は竜と人との混血なの」

「混血だと?」


 あり得ない話ではない。人間に姿を変え、人間との間に子を設けた竜は確かにいたはずだ。しかしそれは竜人戦争が起こる前の話だ。戦争が始まると竜と人はいがみ合い憎しみあった。


 もちろんもう戦争は終わっている。またそういう混血児が増えても不思議ではない。不思議ではないが……。


「そう。父が竜で母が人間だった。だから私には、両方の血が流れているの。そして……私にはある力が宿った」

「竜の隷属か」


 その力は初めて聞く力だ。七曜龍まで隷属出来るなど、常軌を逸している。


「そう。父はその力とそして私自身を【竜血姫(ドラクル)】と呼んでいたわ。二つの意味でね」

「二つ?」

「そう。単純に私が竜の血を引く姫だから。そして、もう一つ。私はーー竜の血を飲まないと死んでしまう身体なの。竜血を啜ってこれまで生きてきたのよーーそしてそれにより竜を隷属化する力を……いえ、呪いを手に入れた。ねえ、おぞましいでしょ? 私は、鬼なのよ。竜の血を吸う鬼……【竜血鬼】」


 エリーが力なく笑った。竜の血を飲まなければ死ぬ。そんな生物……聞いたことがない。

 いや、確か、遥か昔にそういう話を聞いた記憶が……。しかし俺はその霞のような記憶を思い出せない。


「俺は、別に否定はしない。我ら上位竜は、基本的に体内の魔力循環だけで生きていけるのだが、他の生物が違う事ぐらいは知っている。他を喰らい、生きる事は自然だ」

「でも竜よ!? 幼い頃、私は父から貰った小さな竜を飼っていたの……でも日に日に私は奇妙な乾きを覚えたわ。そんな物はそれまで感じた事なかった。水をいくら飲んでもその乾きは満たされなかった。幼い私はそれが血への欲求だと気付かなかったわ。気付いたらどうなってたと思う? 私は、食事用のナイフをその飼ってた小さな竜に突き立てて、溢れ出る血を啜っていたの。それ以来私は竜の血なしでは生きられない身体になった。」


 エリーの独白が薄暗闇に溶けた。俺は無言で話を聞いていた。そこに、俺は彼女の地獄を見た。何も、言葉は出なかった。


「それから、父は私の力に気付いた。私には竜を御せる力があると。それから国は変わったの。私の力と、多分、お母さんの死のせいで。そしてラジェドの街は、竜息地に近いせいもあって一番に変わったわ。境界域で下位竜を捕らえ、調教し、軍竜化させる街に。私の力で逆らえず、隷属された竜達がたくさんいる。そしてそれを求める人間達が」

「……」

「私は、今でも覚えているの。あの小さな竜の、驚きと悲しみを表情を浮かべ、そして死を受け入れた顔を」

「竜の死生観は人間とは少し違う。俺が言えるのはそれだけだ」

「うん……ありがとう」


 なるほど、どうやらラジェドの街は俺が知っていた時とはかなり変わっているようだ。

 しかし、竜の血がないと生きれない身体か。随分と難儀な運命を背負った子だ。


「それで、どれぐらい飲まないでいると死ぬのだ?」

「……二日ぐらいは平気。三日以上になると、倒れるわ。それ以上になると……」

「それで、前回飲んでからどれぐらい経つ?」

「……多分二日前ぐらい」

「多分?」


 エリーが随分と複雑そうな表情を浮かべてこちらを見つめている。


「ヴァリス……貴方の血を吸って、そして隷属化に力を使い過ぎて眠ってしまったからよ。だから多分、二日ぐらい」


 なるほど。ようやく、首元に出来た傷の謎が解けた。俺が隷属化したのもその吸血行為の影響なのか?


「分からない……貴方については本当に例外的なの」

「そうか。分かった。ほら」


 俺はそう言うと、首元をはだけて、エリーへと差し出した。


「な……! 馬鹿じゃないのあんた!」

「もしかしたら二日以上経っているかもしれぬぞ? これから街に向かうのに倒れられては困る。ほれ飲むが良い」

「いや、でも、ほら、えっと……別にあんたの血じゃなくても大丈夫だし! 今いないけど、あの子達が帰ってきたら少し分けてもらえば……」

「とはいえ、今後も補給が必要ならば常に近くにいる俺が適役だろう。なんせ下僕なわけだからな。あいつらが今後も付いてくるとは限らん」


 これまでどのように血を補給していたかは知らないが、俺がいる以上適任だろう。どうせ一度飲まれている。

 しかしエリーがもじもじしている。なんだ?


「どうした? 存分に飲むが良い」

「いや……だってあんたその見た目がほら……前は竜だったけど今は人間だし……」


 まだエリーが躊躇っている。ふむ、人間というのは思ったよりも難しい生き物のようだ。


 俺はまどろっこしくなり、エリーの腰にある短剣を抜いた。これで手を切って血を飲ませようとすればすぐに傷が塞がってしまう。だが幸い俺には心当たりがあった。


 すぐに傷が治り、痕も残らない俺の身体に未だに残る傷。

 俺は右側の首と肩の境い目にある傷跡に、短剣を当てた。


「あんた何を!?」

「古傷だ。ここだけ痕が残っているからな。おそらくすぐには治らないだろう」


 俺はその傷口に薄く短剣で切り傷を作る。痛みは多少あるがまあ問題はないだろう。


「待って!……私……怖い……嫌なの……そんな事したくないのに!」

「だが、飲まねば死ぬのだろ?」

「分かってる! 嫌なのに……でも身体が求めてるの! 血を! あんたの血を見て、変わる自分が怖い! 匂いでわかるの……私は……もう一度あんたの血を飲んだら、後戻りできなくなる気がする」

「ならばこれからも俺の血を飲めばいい。幸い、人間になっても生命力は竜の時と同じようだ。多少血液が減ったところですぐに魔力で補充される」 

「だけど……私は……」

「国を、崩すのだろう? 君の覚悟はその程度なのか? 竜でも何でも利用する。そう思って俺を下僕にしたのだろ?」

「私は……!」


 エリーが俺の血を見たせいか、感情を昂ぶらせていた。そしてそれに合わせるようにその瞳が徐々に青から紅へと変わっていく。どうやら感情が昂ぶると色が変わるようだ。


 その瞳の中に葛藤が見えた。血を吸いたい衝動と、それを嫌悪する心。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 謝るエリーのその目には涙が浮かんでいた。なぜ、泣くのだろう、謝るのだろう。 一体彼女は、何に罪を感じ、何を想っているのだろうか?

 俺には分からなかった。それが少し悔しかった。


「……うううう」


 俺は泣くエリーの正面に回り、首の傷口を彼女の口元に近づけるように彼女を恐る恐る抱き締めた。

 その細い身体は震えている。綺麗な赤髪からは甘い香りがふわりと漂った。


 彼女の吐息が首にかかり、ちくりと痛みが走る。傷が塞がることはなく、生暖かい感触がくすぐったかった。

 だがそれも束の間、俺を今まで感じた事のない脱力感に襲われた。力が、魔力が吸われていくような感覚。


 どれぐらい経っただろうか。吸血行為が終わった後もエリーは俺から離れず、泣いていた。

 俺はただ薄暗闇の中、ずっと彼女を抱き締めていた。


 世界に君臨する最強の竜である自分が、それぐらいしか出来ないのがひどく滑稽に思えた。



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