幕間【病妹リンカーネーション】
崩れる天井。
瓦礫の合間に見たあの闇属性魔法は兄の放った物だとウェネは確信した。
魔法を使う為の魔力にはそれぞれ波長があり、あの魔法は威力は無かったものの間違いなく兄の魔力の波長だとウェネには分かった。しかし、彼女の脳裏に疑問が浮かんでは消える。
もしあれが兄の魔法だとすれば、なぜ兄は人の姿だったのか。兄は形態変化できないはずである。それは自分も一緒だ。だがあの寝ぼけたような顔は、確かに兄の面影があった。竜の時のが千億倍、格好良いが。
ーー何より。あの赤毛の小女は何者だ?
あいつは尊き兄に庇われ、あまつさえ抱いてもらっていたのだ。
あたしですらそんな事されたことないのに、それは許されない行為だ。許さない……許さない許さない許さない許さない許さない!
ウェネの歯ぎしりが洞穴の崩壊音に混ざる。
「あああああああああああああああああああああああ!!」
ウェネの内に起きた種火が業火になり、怒りとなって吹き荒れる。一度弛めた翼を再び全力で広げた。その勢いだけでウェネの周りの瓦礫は吹き飛び、天井が抜けた。
ウェネはそのまま翼を羽ばたかせ、寝床の抜けた天井へと飛ぶ。もう一度兄を探さなければ。とりあえず、あの赤毛の女は殺してからどうするか考えよう。
ウェネは思考が怒りで塗りつぶされていくのが分かった。だが、それは初めての事ではない。ある種の恍惚感を抱きながら、おそらく兄が逃げた方向へと洞窟内を進む。進路を塞がれば、無理やり崩して進んだ。壁があれば破り、厚い岩盤であれば、爪で破壊した。
視界が赤い、胸が熱い。
ウェネは勢いのまま進むと、大きな空洞に突き当たった。上部を見れば、微かに光が差し込んでいる。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」
まるで、光を乞うように上を見つめるウェネだが、ぶつぶつと呟きながらその翼をはためかせた。一瞬で上部に届き、そのまま突進。あっけなく吹き飛ぶ天井の破片を撒き散らしながら彼女は青空へと躍り出た。
「お兄ちゃん!」
ウェネが外界を見下ろす。彼方に城壁に囲まれた人界の都市が見える。
「お兄ちゃん……どこ? なんで……なんであたしから逃げるの……!」
ウェネの慟哭が空に響く。
すると、応えるように微かな魔力の波長がウェネに届いた。それは確かに彼女の兄であるヴァリスの波長だった。その方角に目を凝らすと闇色の渦が見える。あれは間違いなく兄の魔法だ!
歓喜するウェネが歓喜と嫉妬の入り混じった感情のまま叫んだ。
「お兄ちゃん!!」
ウェネが方角を定め、翼を畳んだ。
急降下し空を切り裂いていく。かなり遠いが、彼女の全速力であればさほどの距離ではなかった。
近付いてくると、ウェネの目に川と森、そしてその中を逃げ惑う人間達が映った。川べりには大規模な魔法を行使した跡と死体が二つ残っている。しかし肝心のヴァリスはいないようだった。
「なんで人間がこんなとこに?……まさか……さっきの魔法、お兄ちゃんがこいつらに襲われて……? ああああああああああああああああ!! 我が兄の領域で、何たる愚行……許さぬぞ猿共があああああ!!」
地面が近付く。
ウェネは畳んだ翼を再び広げ、森の上で停止。その動作だけで真下にあった木々が風圧で倒れた。
彼女は森の上から睥睨し、悲鳴を上げつつ逃げ惑う人間の数を一人一人丁寧に数えた。
既にウェネは冷静さを取り戻していた。殺戮は彼女にとっては、深呼吸する事と同義なのだ。
「十八人ね……。我が兄の領域を荒らす猿共よ!! 苦しみ悶え、そして死ぬがよい! 【毒と影は紙一重】」
ウェネの全身から魔力が放出され、それはやがて黒緑の沸騰した液体となり森へと落ちた。
その液体は地面に落ちると意志をもったかのように十七個に分裂した。それぞれが、逃げ惑う十七人に酷似した姿になり自分と同じ姿の人間へと尋常ではない速度で走っていく。
それらが鎧を着込んだ騎士達に追いつくのは時間の問題であり運悪くウェネの近くにいた者は、
「ひぃ! 来るな! ぎゃあああああああああああ」
自らに酷似した毒液に抱かれ、絶叫を上げた。鎧の隙間から侵入した毒液で全身が爛れ、皮膚が溶けていく。これまで味わった事のない痛みが気絶する暇も与えず死へと導いていく。
森から響く絶叫の十七奏を聞きながらウェネは、一番近くにいてかつあえて魔法の対象にしなかった騎士の前へと降り立った。
「ああああああああ! なんで! 【死蠍竜】が!」
「こんにちはお猿さん。少し、お喋りしよっか」
「ひぃぃぃぃ」
逃げようとする騎士にウェネは羽のような軽いタッチで、騎士の足を撫でた。
「ぎゃあああああ!! 痛でえええええええ!!」
それだけで騎士の脚は装甲ごとひしゃげ、血と肉と鉄が混じり合った肉塊になっていた。
「さてお話してくれる? お前達が襲ったお兄ちゃんとあの赤毛の少女はどこ?」
「知らない! やめてくれ! 命だけは! 俺は騎士じゃねえんだ! ただの雇われなんだ! だから!」
「どこ?」
ウェネが顔を騎士に近づけた。
その紅い瞳に魅せられ、もはや気絶も許されない騎士が辿々しく声を出す。
「ハア……ハア……赤毛は……フォンセ王国の……姫だ……男は知らん……あいつらはラジェドに向かうと話して……いた……くそぅ痛え……死にたくねえ……死にたくねえ……」
「姫?」
「あの男は、下僕だった……あの姫に……仕えているんじゃないか……くそぅ誰か治してくれぇ……あの姫は……竜を隷属……させる力を……なんで、なんで俺だけが……こんな目に……ああああああああああ!」
「竜を隷属?」
「ああそうだ! ハハハハハ! お前もいつかあの姫の! 人間の! 奴隷になるんだよ!」
「そう」
恐怖と痛みで発狂し笑い続ける騎士。
ウェネが顎を広げ、その笑い声ごと閉じた。
辺りに、咀嚼音が響く。
騎士の言葉はウェネには、にわかに信じがたい事だった。
お兄ちゃんが、あの闇帝龍が、あの七曜龍の中でも最強の竜が、たかが人間の小娘にやられるとは思えない。あり得ないのだそんな事は。もしそれが可能であれば、それは人の力を越えている。
だから、ウェネの至った答えはシンプルだった。
「姫に……隷属……まさかお兄ちゃん……人間の少女が性的対象だった?……しかも下僕願望?」
ウェネがヴァリスが聞けば憤りそうな事を口走った。
「そっか……お兄ちゃん…あたしになびかないと思ったら……そんな特殊性癖だったなんて」
ウェネは、川べりまで戻ると、水面に映る自身を見つめ直した。竜だったヴァリスより一回り大きい体躯。筋肉が束になったような手足。厳しい顔。今までは疑問には思わなかったが、途端にその姿にウェネは恥ずかしさを覚えた。
「ダメ……このままじゃお兄ちゃんはあたしの物にならない……」
闇竜が形態変化出来ない事をウェネは分かっていた。
だが、幸いにしてウェネは死霊魔法のエキスパートだった。
それは禁忌の魔法と言われる死霊魔法の中でも、禁忌中の禁忌、秘術といっても差し支えない。
おそらくこの世界でそれを正しく使えるのはウェネだけだろう。
「待っててね、お兄ちゃん……」
膨大な魔力がウェネの身体から発せられた。それだけで周囲一帯の草木が枯れてしまうほどの濃度を持った、見える死の吐息。
そして、辺りは闇に包まれた。