第3節【二人で始める国崩し】
湖の穴に吸い込まれた俺とエリーはその激流のまま外へと、飛び出た。そして滝となった水と共に滝壺へと落ちたのだった。おそらく途中にあった水脈に合流したのだろう。
深い滝壺に落ち、俺は水を蹴った。
元々あった滝と滝壺のおかげで、なんとか怪我なく脱出できた。
我ながら見事な脱出だった。
俺はそのまま滝壺近くの岸へと泳いだ。
「ゲホッゲホッ……ヴァリス! ちゃんと説明しなさい!」
途中で意識を取り戻した、エリーが岸に上がると水を吐きながら怒りの形相でこちらを睨んでくる。
ウェネと比べると随分と微笑ましい怒りの表現だ。
俺は上を見上げた。そこは、いつものあの暗い天井ではない。青空が広がり、太陽が燦々と照っておりこの分なら服もすぐに乾くだろう。
岸のすぐ側は森になっており、心地よい緑の香りが風に乗ってこちらに届く。
おっと、そうだった。説明だ。
「ウェネから逃げる為に湖に穴を開けた。まあ上手く逃げ切れただろう。流石のウェネもすぐにあそこから出てこられるとは思わないしな」
「そこじゃなくて! そこもだけど! なんで【死蠍竜】がいるのよ! あんた知ってるの!? あの竜の恐ろしさを!?」
「よーく知っているぞ」
「国死竜、禁忌龍、死毒竜、色んな忌名があるけど、あの竜は過去に単体で国を一つ滅亡させたのよ! しかもたった一晩で! かの国は今ではアンデットと狂信者共の巣窟で誰も近寄らない死の土地になっているのよ」
ん? それは初耳だ。まあウェネはすぐに怒るからな。大方誰かが怒らせたのだろう。困った奴だ。
「あいつの怖さは知っている」
「なんで」
「そりゃあ俺の妹だからな」
「妹!?」
エリーが表情を怒りから驚愕へと変えた。表情豊かな子だ。見てて飽きぬ。
「うむ。可愛い妹だ。時々勘違いして俺や周りを殺そうとするが、良い奴だぞ?」
「その説明のどこに可愛さと良い奴さを見い出せば良いのよ……」
呆れたエリーがゆっくりと立ち上がった。身体をあちこち触って、怪我がないか確認している。
ある程度岩肌や鍾乳洞からは身を守ってやったので怪我はないはずだ。
「さて、これからどうする。俺は是非、【螺鈿城】を見たいのだが……」
俺も立ち上がり、エリーへと今後の方針を問うた。生で見たことある人界はほとんどなく、唯一見たことがあるのは過去の戦争時に見たあの美しい城、【螺鈿城】だけだった。あの時は遠目だったが今度は近くで見てみたいし中も気になる。
「……【螺鈿城】ね……そういえば、話の途中だったわね。いいわ。まだ服も乾かなさそうだし、教えて上げる」
そういうと、エリーは近くにある石に座った。俺はその前の地面に座る。胡座というやつだ。
いやあ一度やってみたかった座り方だ。竜の身体だと上手く出来ず危うく骨折しかけたのは良い思い出だ。
「私はね、とある国を崩したいの」
「崩す? 潰すでも、乗っ取るでも、支配するでもなくか?」
「そう、崩す。潰さなくていいの、乗っ取りたいわけじゃないの、支配なんてどうでもいい、ただ、今のままを見るのは耐えられない……それは私の罪の形だから……」
エリーの顔に悲痛が広がる。
ふむ。しかし人間とは何とも興味深い思考をするものだ。エリーの事情はさっぱり分からないが、どうやらその目的の為に俺を下僕にしたようだ。
「まあ、エリーが命じれば俺に拒否権はないからな。何をしても、何に使ってくれても構わないが、犬扱いだけはやめてくれ」
「分かってるわよ。というかさ、その、あの」
急にもじもじし始めるエリー。顔が少し赤いのは、あれか、風邪というやつか? 水に濡れて冷えてしまったのかもしれないな。
「えっと。その……【死蠍竜】から守ってくれてありがとう。私気絶しちゃったけど、あんたが私を逃してくれたんでしょ」
「ん? ああ、そうだが」
お礼が言えるとは中々良い子じゃないか。てっきりもっと傲慢ちきに上から来るかと思ったが。根が素直なのかもしれない。
「なんで放っておかなかったの? 私が死ねば、隷属の呪いは消えるかもしれないのに」
「ふむ。エリー、貴様は俺が初めてちゃんと会って喋った人間だ。もし貴様が死ねば、また俺は闇の中で独りだ。まあウェネもいるが…だがもうそれには飽きてな。退屈は、下僕になるより耐え難い事だ」
俺は、生まれてからずっと闇の中だった。そして、魔法で覗き見する人界としょっちゅうそこへ行くウェネの話だけが俺の生き甲斐だった。
もちろん、俺は別に誰かに人界を行く事を止められていたわけではない。しかし、自分と肩を並べる他の七曜龍の暴れっぷりを見るに、俺は人界にとって災いにしかならないと気付いていた。
それに俺は他の奴らと違い、破壊と死しか振り撒けない。だから俺は人界には行かないと決めた。
それが破られたのは、一度だけだ。
あの戦争の時。
あの時仕方なく人界に降りた時の、感動は今でも覚えている。
俺は、もう一度あの城を見たい。今度は、破壊者としてではなく。
「ヴァリス、私は貴方の生殺与奪権を握っているのよ? 自殺をしろって言うかもしれない」
「いや、しない。少なくとも目的を達成するまでは。そして目的を達成しても、力を手放すとは思えない。人間とはそういうものだ」
俺が、今まで見てきた限りそうだった。そのせいで、あの愚かな戦争が起こったのだ。
「それでも無茶をさせるかもしれないわ、死地に向かわせるかもしれない」
「そうだな。まあ丁度良い枷になるだろう。さきほど初級闇属性魔法を脱出の際に使ったのだが、最大出力で放った割には随分と控えめな威力だった。どうやら人の身では、竜の時ほどの力は出せないようだ」
あの魔法は、竜体なら山を一つ吹き飛ばせるほどの威力になるはずだったが、結果は穴を開けた程度にすぎない。まあ、何となく内包する魔力量で察しはついたのであの場面では想定内だったが。
俺の言葉に、エリーが黙りこくった。アテが外れた……そんな顔をしているようにも見えた。でも、もしかしたら違うかもしれない。
どうやら俺が思っているより人は、色々な気持ちを抱いているように思える。
「だがまあ、それでも俺を完封できる存在は少ないだろう。七曜龍やウェネは別としてだ」
「当たり前でしょ……そんなもんに喧嘩売る程私は馬鹿じゃないわ」
「なるほど、一人で国を崩そうとする奴が言うと説得力があるな」
これは、皮肉というやつだ。
「今は、二人よ」
エリーが少し拗ねたような顔をしてそう答えた。
これは何とも可愛らしい言葉を返されてしまった。