第6節【煙と記憶】
「顔に疲れが出ているぞ。今日はもう寝たほうが良い」
ヴァリスの言葉にエリーはようやく大人しく寝る事に納得した。
話すべき事、やるべきことは山程あった。
舘に着き、気合いを入れ直してガルディンとダンリのところへ向かったエリーだったが、今日は寝ろと一蹴されてしまった。
「じゃあおやすみヴァリス」
「ああ、おやすみ」
就寝の挨拶をするヴァリスを見て、相変わらずの無表情のままだなとエリーは思っていた。
普段は無表情の癖に、変な時に妙に表情豊かになるヴァリスが面白くて、エリーでは自分でも驚くほど気を許していた。
エリーはドアを閉めて、ベッドに座りながら隣室の壁を見つめていた。
隣でこれから寝るだろうヴァリスの顔が浮かぶ。あんな顔でちょっと変な奴なのに、祖国で恐れられている伝説の竜なのだから不思議だなと思う。
「ふぅ……ああ疲れた。もう何も考えたくないや」
そう言いながらエリーはベッドに身体を倒した。
身体も脳も疲労しているのが分かる。だけど、妙に目が冴えて眠れそうな気配を感じなかった。
緊張しているのが分かる。今更身体が震えてくる。
分かっているのだ。自分で。
「私にはまだ、覚悟なんてない」
エリーの呟き。
自分のせいで、人がたくさん死ぬ。しかも自らの手ではなく、他者の手を使って。
私はどこに向かっているのだろうか……なぜこんな事を始めたのだろうか
エリーが思い出すのは、母の顔だった。
白い白い顔。毒を盛られ、綺麗なまま死んだ母。母の死以降、父が益々おかしくなっていくのをエリーは間近に見た。だけど、記憶はそこで止まる。
何かを忘れている。何かを見逃している。
エリーは思い出そうとする。
だけどそれは霞みを掬うような作業で、残るのは確かな喪失感。
「私は……何か忘れている……?」
だけど、それは思い出そうとするほどに、消えていく記憶。
「そういえばヴァリスも同じ事を言っていたような」
エリーは決意すると寝間着の上から薄手のカーディガンを羽織り、部屋から出た。
疑問点をそのままにしておくと後で後悔する。だから今聞くのだ。
そうエリーは自分に言い聞かせ、部屋を出て、隣室へと向かった。
ヴァリスのいる部屋のドアをノックをしようとした時、中から声が聞こえてきた。
どうやらウェネが帰ってきているようだった。
エリーはノックしようとした手を止めた。
「……明日の朝でいいか」
エリーはそう言い、ドアから離れた。
ふと、廊下の反対側に目を向けると、反対側の窓から中庭を挟んだ向こう側に人影と小さな光点が見えた。
その人影もエリーに気付いたのか、手を上げた。その動きでその人影の辺りを漂う煙が動く。
「ミーシャ……かしら」
かつかつと廊下を歩く音がこちらに向かってくる。
廊下の角から現れたのは、エリーの予想通り、汚れた白衣を来たミーシャだった。
「よお【竜血姫】。寝れないのか? それとも夜這いか?」
ニヤニヤと笑うミーシャにエリーが反論する。
「少し相談事があっただけよ。寝られないのはそうだけど」
「冗談だ。なら少しわたしに付き合え」
エリーの返事を待たずに来た道を戻るミーシャ。
少し思案した後、どうせ寝られないのならとエリーもその背についていく。
「ようやく論文も書き終わってな。そして久々に地上に出てみればクーデターだ。おかげで王都に帰れそうにない」
エリーがミーシャに追い付くと、ミーシャが語りだした。そのままミーシャは階段を降りていく。
「まあどうせもう、わたしの居場所はないんだろうけどね。ガルディンが反乱に加わったおかげで親類のわたしも巻き添えだ」
エリーは無言でそれを聞いていた。
「あんたに言うまでもないだろうが、この国は変わった。わたしとしちゃあ研究が捗るから不満はない。いくらでも人も竜も死ねばいいと思ってるよ」
ミーシャは階段を降りると、中庭へと向かった。
「ここが戦場になるってならそれはそれで研究材料が増える。次に中位竜を殺す機会があるなら出来るだけ身体が残るように殺して欲しいね。例の【亡風竜】は見事にバラバラで全く参考にならん。採取しようにも脆すぎてな」
中庭には色とりどりの花が咲いており、その合間に小さなベンチがあった。
「まあ座れよ。あんたとはゆっくりと喋りたかった」
ミーシャが座り、にやりと笑いながらエリーを座るように促した。
エリーは無言のままその横に座った。
「いやあしかし、ただの小娘だと思ったが中々大したもんだ。ガルディンと聖狼教会を焚き付けて反乱なんざ思い付いても実行はしないさ」
「ミーシャ。貴女はこの戦いどうなると思う?」
「そうだなあ……」
ミーシャはポケットから煙草を取り出すと、魔法で火を付けた。
紫煙がくゆる。
「ガルディンはああいう熱血バカだが、この国では歴戦の勇士としてかなり人気だ。聖狼教会の影響力は言うに及ばず。そこを巻きこんでクーデターってのは悪くない。悪くはないが……相手が悪い」
「父上にはもう昔の力はないわ」
「はっ! あんな老人なんざ最早わたしでも殺せるだろうね。そこじゃねえよ。あんたが一番良く知っている奴の事だよ」
「王直属騎士? でも今回攻めて来るのは辺境軍よ。こちらも隠し札はあるから、負けはしない」
「あんまり断定はしない方が良いぞ。何が起こるか分からない事を想定しておけ。だがな、話はそこじゃねえ」
ミーシャが真剣な眼差しでエリーを見つめた。
「いいか。あんたが恐れるべきは、あの老王でも、その直属騎士でも王都軍でもない。あんたが真に警戒すべき相手はーー」
ミーシャが大きく息を吐いた。
「竜狩りの魔女だ」
エリーはその言葉に聞き覚えがあった。
だが、その程度だった。
「聞いた事あるわ。大層な名前だけど何者なの?」
「は? あんた何を言っているんだ?」
顔をしかめたミーシャに困惑するエリー。
「何者だって? 何者も何もーーあんたの育ての親だろうが」
ミーシャの声がエリーにはやけに大きく響いて聞こえたのだった。




