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第3節【夜と人とあたし】



 エリーの言葉を受けて、ウェネは居てもたってもいられず、ヴァリスとエリーのもとから離れた。


 夜に紛れ、金髪が空を舞う。


 ウェネに、後悔はなかった。兄が望むならどんな姿になろうと構わなかった。

 だが、エリーの言葉はいやに強くウェネの心に刺さったのだった。


 「あいつが死ねばお兄ちゃんは竜に戻る……あたしは……」


 ウェネの脳を思考がぐるぐると回っていた。

 兄は、果たして竜に戻ってからも人間である私を愛してくれるのだろうか?

 そもそも兄はなぜ人の姿になったのだろうか?

 それは、竜の姿では不都合があったからではないか。

 不都合? 何に?

 相手が、あのエリーとかいうやつが人間だから?

 

 じゃあ兄が竜が戻ったら、あたしは……不都合?


 ウェネは気付けばラジェドの端、城塞から続く壁の上にまで来ていた。壁上歩廊と呼ばれる場所で、ラジェドでは常に見回りの兵が巡回している場所である。


「……」


 ウェネはただ壁の縁に座って、街の外を見つめていた。思考はまとまらず、気まぐれに空を飛んで手頃な人間の街を滅ぼすといった気晴らしも出来ないこの身体を恨んだ。


 少しだけ、人になった事を後悔しはじめた。自分は竜なのだろうか、人なのだろうか……。


「誰だ! こんなところで何をしている!?」


 鋭い声がウェネに届く。

 それは巡回しているであろう篝火を持った兵士だった。

 兵士は、まだ若そうだった。


 ウェネは興味なさそうに兵士を見ると、すぐにまた街の外の方を見始めた。


 兵士が篝火を掲げる。そしてようやく見えた人影が、少女であると認識した。


「子供……? 君こんなところで何をしているの?」


 兵士の口調が柔らかくなった。ウェネの目線に合わせるようにしゃがむ。


「そこは危ないよ。落ちたら大変だ。さあ、街まで連れていってあげよう。家はどこか分かるかい?」

「うるさい、ほっといて」

「そういうわけにはいかないよ。もうすぐ怖い人達がいっぱい来るらしいからね。お父さんお母さんと一緒にいないと」


 兵士の声が耳に障ったウェネが密かに魔法を行使しようとする。

 簡単な即死魔法。魔力耐性の低いこの兵士なら一瞬で死に至る魔法。


「なるほど……仕方ない、これをあげよう」


 兵士は自分の生命が危ない事もつゆ知らずに、腰に付けていた袋から、サンドイッチを取り出した。炙ったベーコンと葉野菜が挟まれただけのシンプルな物。


「お腹空いているんだろ? 俺にも君ぐらいの歳の妹がいてね。妹もお腹が減ると機嫌が悪くなるんだよ。これは先程作ったばかりだからまだ冷めていないよ」

「なにこれ」


 即死魔法を発動させようとウェネだが、そのサンドイッチから香る炙りベーコンの匂いにつられて、魔法を寸前で停止した。


「これか? ベーコンと野菜を挟んだサンドイッチだ。夜食にと思ったのだが、君にあげよう。自慢じゃないが美味いぞ」


 兵士がニコリと笑い、サンドイッチを差し出した。

 

 ウェネは黙ってそれを受け取ると、恐る恐る齧り付いた。


 「……!」


 まだ暖かいベーコンの旨味と野菜のシャキシャキ感。少し堅めのパンだが、逆にその歯応えが良く、噛めば噛むほど旨味が増していく。


 ウェネが夢中になってぱくついているのを兵士はニコニコと笑ってみていた。


「妹もこれが大好物なんだ」

「……そう」


 あっという間に食べ終わったウェネを見て満足気に頷くと兵士は立ち上がった。


「さあ、街に戻ろう。見回りは、他の兵士に任せるから大丈夫。今日は静かだろうし」


 そう街を背にした兵士が言った瞬間に、ウェネは右手で兵士の腕を掴むと思い切り床へと引いた。


「えっ!?」


 兵士はウェネの力に負け、地面に倒れた。そして兵士が立っていた時の丁度心臓辺りに向けてナイフが高速で飛来。ウェネは跳躍し、左手でそれを掴む。人では決して出来ない芸当だが、ウェネには造作もない。


 街の方から一つの人影が飛んでくる。


「はい、返す」


 ウェネは飛んできた人影に向かい、ナイフを投げ返した。

 高速で飛ぶナイフに人影は持っていた刃で弾き、軽やかに無音で壁上歩廊に着地。


 黒い布を全身にまとったその影は、ひどく猫背で、腕や腰など至るところにナイフを装着していた。両手に黒色に染まったナイフを持っている。まるで暗殺者のような姿で、布の隙間から見える目の瞳孔が怪しく光る。


「何者だ!?」


 後ろで兵士が立ち上がろうとしているのを察知したウェネがめんどくさそうに魔法を発動した。


「【睡欲(スレプト)】」


「君はさが……」


 兵士は昏睡するように床に倒れた。

 それと同時に暗殺者が床を蹴る。人とは思えないほどの速度で迫る暗殺者の黒いナイフをステップでウェネは避けた。


 一閃、返して二閃、的確に人体の急所を狙った凶刃をウェネは避けきると、無造作に右足で蹴りを繰り出す。しかし、読まれていたのか暗殺者はそれを右足を上げて防御。


「ばーか」


 ウェネの嘲りと共に、骨が折れる鈍い音が響く。ウェネの蹴りによって暗殺者の右足があらぬ方向に曲がる。そしてその勢いのまま後方へと吹き飛ぶ。


 暗殺者は猫のように空中で身体を捻り、着地。


「あれ?」


 着地した時には既に折れたはずの右足が治っていた。


 暗殺者が疾走。無防備に立つウェネに肉薄すると、暗殺者はナイフを閃かせた。


「お前なに? なんでもう治ってるの?」


 暗殺者の攻撃を器用に避けながら喋るウェネだが、だんだんその攻撃の速度が上がっている事に気付く。


 およそ常人では出せぬ速度で振るわれるナイフ。

 この攻防の最中、両者の目が一瞬合った。


「お前まさか」


 ウェネは相手が同じ縦長の瞳孔を持っている事に気付いた。それはつまりこいつは……。そのウェネの一瞬の隙をついて、暗殺者が左手のナイフをウェネの首へと突き刺す。


 ウェネの首から血が吹き出す。


 しかし、ウェネはニヤリと獰猛な笑みを浮かべたまま、その小さな右手で暗殺者の顔を掴んだ。


「同種かなんか知らないけど死ね。【毒創竜の右手(ウィルムズクラッチ)】」


 ウェネが魔法を発動。右手から毒液でできた爪が伸びる。


 そしてそのまま暗殺者の顔を握り潰した。


「あれ?」


 暗殺者は、頭が毒爪で潰されながら、バックステップ。頭部が毒液で(ただ)れ、蒸気を上げながらも、まだ倒れない暗殺者の異常さにウェネが嫌悪感のある目線を向けた。


 ウェネは首に刺さったナイフを抜いて床に捨てた。ウェネの持つ異常な魔力により、首に出来た傷はすぐに塞がれていく


「なんで頭潰されて死なないの? きもすぎ」


 暗殺者は歪つな姿で両手にナイフを構えながら疾走。


「あっそ。もういいや。じゃあね。【死線に絡まる糸(デスストラグル)】」


 ウェネが魔法を発動。蜘蛛の巣状の白い糸を暗殺者に向けて射出。良く見れば、それは糸でなく、細く長く引き伸ばされた死霊だった。


 何十という死霊によって紡がれた蜘蛛の巣に絡まれた者を待つのは揺るぎない死。


 しかし、暗殺者はそのまま真っ直ぐ向かってきた。そして死の巣が絡まった瞬間に、それは溶けるように消えた。


「なんで!」


 良く見れば、暗殺者は薄い半透明の膜に覆われていた。それは、竜種が使う竜障壁によく似ていた。


 暗殺者が両手のナイフを振るう。踊るように閃めかせたナイフをウェネが避ける。


 刃と共に踊る頭部のない化物と少女。

 それは、まるで出来の悪いおとぎ話のような光景だった。


 ウェネが大きくバックステップする。


「あーそっか。あんたが竜の力を得た兵士ってやつね。竜障壁まで使えるなんてうざすぎ」

「オレは……リュウケツヘイは……ヒトをコエそしてリュウをもコエルソンザイにナルノダ!」


  暗殺者はかろうじて原型をとどめている口でそう叫びながら、持っているナイフを捨て、腰から二本の短剣を取り出した。

 ナイフよりは長く、反りが入った短剣。その刃にはうっすらと光の文様が入っている。


 それを構えて、暗殺者はウェネに向かって爆走。


 「あははは! さあどこまで踊れるかな!? 【死雄の衣】」

 

 ウェネが戦斧を持った死霊を召喚、憑依する。死霊の手とウェネの手が重なる。


 迫った暗殺者が右の短剣を振るう。風を切るその斬撃を避けると、ウェネが戦斧を薙ぎ払った。

 暗殺者はそれを左の短剣で受ける。バックステップと巧みな剣捌きでその勢いを殺し、その場に留まった暗殺者は右の短剣を引き戻しウェネに向かって突きを放った。


 ウェネはそれをそのまま胴体で受ける。腹を貫通する短剣の感覚を受けながら、振り上げた戦斧を暗殺者へと振り下ろした。しかし、それを読んでいた暗殺者は短剣を捨てて、素早く後退。

 

 空振った戦斧が床を叩く。破砕する床の破片が飛び散る中、ウェネが片膝を付いた。


「痛っ! まさか……竜殺しの武器か!」


 ウェネは腹に刺さった短剣を引き抜くと投げ捨てた。宙を舞った短剣が壁の外へと落ちていく。それと同時に戦斧を持った死霊も消失。

 

 ウェネの腹に出来た傷が治らず、出血をし続けていた。竜殺しの武器には竜の治癒能力を阻害する力が宿っている為、人間に転生してもなお竜の魔力を持つウェネにも通用する武器だった。 


 ウェネは使っていた魔力を治癒に集中させる。丁度背後で倒れている兵士がもぞもぞ動き出したが、ウェネの意識からは外れていた。


 ゆっくりと近付く暗殺者の頭部が少しずつ再生していく。


「オマエはドウルイ」

「は? あんたみたいなクソキモな奴と一緒にしないで!」

「リュウにもナレズ……ヒトでもアラズ……アワレなヤツ」

「っ!! お前に何が分かる!!」


 頭部が完全に復活した暗殺者が短剣を振り上げた。


「オマエのアトはオマエのアニとヒメをコロス……シネ!」


 そして鮮血が飛び散った。 



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