第7節【ドラゴン・カクテル】
「おい、女。どういうことだこれは」
「あ? 質問はあとだ。まずは最後まで聞け」
絶句するエリーの代わりに俺が問い詰めた。なんだこれ。これは、あまりにも悪趣味が過ぎるのではないか?
ミーシャがエリーを見つめる。
「【姫血】、これは知っているな? あんたの血を元に、強制魔法を込めた薬だ。本来なら効きづらい強制魔法をあんたの血に含まれている竜因子で誤魔化しているのさ。竜の血だと濃すぎるが、あんたは人の因子も入った血だからちょうど良かった。これを竜に注入すると、竜は本来より人に近付く。だから強制魔法が効くようになり隷属化される。ははっ中々に大した効能だ」
「待って。竜因子って何?」
「竜因子ってのは簡単に言えば、竜を竜たらしめる物だ。わたしら研究者の間ではそれを竜因子と呼んでいる」
ミーシャが煙草の灰を落とす。
竜因子か。なるほど。中々に面白い着眼点だ。俺が寝ている間に人類は随分と進歩しているようだ。
「さて、研究者って生き物は業深くてな。この【姫血】によって、竜を少しだけ人に寄せる事が可能だと分かった。だからこう考えたのさ。“ならば、人に投与すれば竜に近づけるのではないか?”とね」
「まさか……この人達は……」
エリーの波長が揺らぐ。俺に出来ることはない。ただ、聞いていることしかできない自分が歯がゆい。
手でも握れば、安心するだろうか? 耳を、目を塞いでやれば彼女は傷付かないのだろうか?
人の心の機微が分からない。自らのこのもやもやした感情も分からない。
「こいつらは、その実験の尊い犠牲だよ。全員が死刑確定の重罪人だ。とはいえ、死より辛いだろうがね。なんせ自分が自分でなくなる恐怖は……はっあんたには説明する必要ないな【竜血姫】」
「そんな事が許されるはずがないわ!」
「おいおいおい、やめてくれよ。わたしも含め、研究者に道理や倫理を説かないでくれよ? あんたにとって許されない事が許されて行われるのは、あんたが一番身を持って体感しているんじゃないか?」
「それは……」
「だがな、【姫血】だけでは難しい事がわかった。中途半端に竜因子を入れても、見た通り奇形になり、自我も崩壊する。いやあ苦労したさ。なんせ力も魔力も軒並み上がってしまっているから、並の力では抑えられなかった。研究者が何人死んだか。まあそんな事はどうでもいい。とにかく、【姫血】を人間向けに改良する必要があった」
ミーシャは短くなった煙草を床に落とし、ポケットからもう一本取り出した。それを、咥え、煙草の先端で指を擦った。すると、小さな火が一瞬発生し、煙草に点火。ミーシャは深く吸い込み、白い煙を吐き出した。
俺は極々僅かな魔力波長を感じた。ということは魔法か? しかし規模が小さいとはいえ詠唱なしで魔法だと?
俺の驚きを察知したのか、ミーシャがこちらにニヤリと笑いかけた。
「ん? なんだ【省略動作】も知らんのか?」
「なんだそれは」
「はん、そうかここらは田舎だからな。知らんのも無理はないか。【省略動作】ってのは魔法を使う際の詠唱を動作に変換させる技術だ。これを使えば、詠唱を短縮できる。規模の小さな魔法であれば無詠唱で可能だ、ほれ」
そう言ってミーシャは再び右手の指を擦った。すると先程と同じように火が一瞬現れた。
「ほお。面白いな。人間の技術は見ない間に随分と進歩しているようだ」
「ん? ……まあいい。話を戻すぞ。とにかく【姫血】のままでは無理だと分かったので、改良をすることにした。そしてその結果、とある種類の酒を混ぜると劇的に効果が上がる事が分かった」
「お酒?」
「葡萄酒だ。しかも質の良い葡萄酒だ。まさにこの街で生まれるには相応しいだろ? そして、ついに、完成した。それが【竜因酒】だ」
「葡萄酒……つまりワインね。そうか、だから」
エリーの言葉にこれまで黙っていたガルディンが反応した。
「ああ。元々ここでこの研究が始まったのはここに一番【姫血】が集められていたからだ。そして葡萄酒の貯蔵量が一番あった。儂は、反対できなかった……」
「そうして王は、ここで【竜因酒】の生産を開始した。可哀想に、街のあらゆる酒場からワインが消えたんだってな。そうして作られた【竜因酒】は王都に送られた。まあ一部はここで使われたんだがな。まったく記録を取らせて欲しいんもんだ。以上だ。わたしは論文作成に戻る」
ミーシャはそう言い残し、去っていった。
「ガルディン……」
「いくらでも儂を罵ってくれても構わん。だが、儂にも立場がある……ミーシャは、儂の親戚でな。もし儂が反発すれば彼女の立場も危うくなり、この街自体が実験場にされてしまう可能性があった。だから、儂の管理出来る範囲に置く意味で、儂は承認した。後悔はない。ないが……」
「いいの。私に貴方を責める資格はないわ。だけど、これはあまりにも……」
エリーの悲痛そうな表情は見ていて辛かった。しかし俺にはどうすることもできない。
「【竜因酒】を投与された者は、人でありながら竜の力を得る。そやつらを儂らは【竜血兵】と呼んでいるのだ。【竜因酒】は全て、王都に送っているはずなのだが、どうも少量が何処かに横流しされたようだ。まあ十中八九、レゾンのやつだろう」
「どうするエリー」
「そうね……ガルディン。一旦上に戻りましょう。話があるの。これからの話」
「ああ分かった」
こうして俺達は、元きた道を戻っていく。失敗作達の独房を離れる前に、エリーが立ち止まった。そして、小さく、ごめんなさいと謝り、頭を下げた。俺は見ていないふりをした。
階段を上がる。何やら、上が騒がしい。
ガルディンも察知してか、急ぎ足で階段を上る。
扉の向こうから、言い争いが聞こえた。
「馬鹿野郎! 緊急事態だ! さっさと通せ! ガルディン様に報告しないと!」
「ここは、何人も通せないと言っているだろうが! 出てこられるまでしばし待て!」
「そんな悠長な事を言っている場合か!」
ガルディンが急いで扉を開けた。扉の前で兵士達が揉み合っていた。
「ガルディン様!」
「どうした!?」
「大変です! 南門が襲撃を受けています!」
南門。確か、俺とエリーが通ってきたのが南門のはずだ。それが襲撃されている?
「何!? 竜か!?」
「いえ、それが……報告によると、一人の少女とそれに付き従う騎士の二人組なんだそうで……竜の目撃情報もあるとか」
「たった二人にだと!? 兵は何をしておる!? 竜についてはすぐに確認しろ! 中位竜以上の場合は総力戦になるぞ!」」
「それと……その騎士が【白牙騎士団】の団長である【白天】のイゼスに酷似しているとか」
「イゼス!? 王直属騎士のイゼスがだと!? なぜこんな辺境に!」
馬鹿な。イゼスは確かに俺が殺したはずである。
「とにかく、儂も現場に向かう! 応援は向かわせているな!? 念の為に聖狼教会にも応援を要請しろ!」
「はい!」
「エリー、ヴァリス。儂は現場に向かう。君らはここで、大人しくしておれ!」
そう言い放つとガルディンは風にように去っていった。
兵たちも慌ててその後を追う。
「どうするエリー。イゼスは確かに俺が殺した」
「……嫌な予感がするわ。ガルディンはこの先も私に必要な人よ」
「ならば向かおう」
「ええ」
俺とエリーは、ガルディンを追うように、走った。
こうして、ラジェドの未来を左右する騒乱が始まったのだった。




