第6節【そして血により、人は人でなくなる】
暗闇の中、階段を降りる足音が響く。
壁に取り付けてあるランプがゆらゆらと揺れ、三人の影が踊っていた。
俺の前をエリーとガルディンが会話しながら降りていく。
「随分と深いわね」
「遥か昔、まだラジェドの名ですらなかった頃ここは監獄だったそうだ。知ってか知らずか初代領主はその上に館を建てたみたいでな。以降、この街ではそれを再利用して、重罪人の牢獄として使っていたが……」
「使っていた? 今は使っていないの?」
「……もうそろそろ着く」
階段が終わる。その先に小さな部屋があり、奥に鉄製の扉のような物があった。妙に、のっぺりとしたその鉄扉には、ドアノブ何もなく一見するとただの鉄の板だ。
「行き止まり?」
「いや違う。ふ、初めてこれを見た者は皆驚く」
ガルディンがニヤリと笑いながら、その扉に近付く。扉の横の壁に、半透明の板が貼り付けてあった。丁度、人の手のひらぐらいの板。
ガルディンはその板に右手の手のひらを押し付け、声を上げた。
「我が名はガルディン。監獄の盟主なり」
ガルディンから魔力が微かに放出されたのが分かった。すると、部屋全体が微かに振動しはじめる。そして、それと共にあの鉄扉が、ゆっくりと上部へとスライドしていった。
数秒後には鉄扉はなくなり、奥の通路が見えた。
おお、認証型の扉か。久々に見た気がするな。
「凄い……どういう仕組みなの?」
目を見開いたエリーがガルディンへと尋ねた。
「儂もよく分かっておらぬのだが、魔力を登録していない者には絶対開けられない扉、らしい。古の文明の遺構だそうだが、原理は分からん」
「よく分からない物を使って大丈夫なの?」
「今の所は問題なく動いておる。何よりこの先は最高機密だ。この扉を突破出来る者はそうそういない。だからその厳重さを優先している。儂はさっさとこんなところ埋めてしまいたいんだが……そうはいかんのだ。さあ行こう」
ガルディンを先頭に扉を抜ける。背後で、再び扉が降りてくるの音が響いた。
細い通路がまっすぐ伸びており、左右それぞれに独房があった。壁はところどこ石ではなく、乳白色のつるつるとした素材でできており、そこだけが違和感を醸し出している。
独房は全て開け放たれており、中にはそれぞれ机や椅子、本棚等が置いてあった。テーブルには様々には実験器具が置いてあり、ちょっとした実験室のような見た目である。
エリーが物珍しそうに左右をキョロキョロと見つめている。
「実験室? の割に誰もいないけど」
「もう概ね研究は終わったそうでな。皆王都にある王立研究所に引き上げた。一人を除いて」
通路の先は一際大きな部屋に続いている。その部屋はこれまでの独房にあった実験室によく似ていた。しかし、妙に煙い。この匂いは……煙草か?
部屋の中央には大きな机があり、紙や本、実験器具が雑然と積まれてあった。その机の前の椅子に白い汚れた衣装を着た女が座っている。ボサボサの長い金髪を後頭部でくくっており、めんどくさそうに煙草をふかしながら書類を書いていた。
「ミーシャ、邪魔するぞ」
ガルディンがそう言いながら部屋に入る。
「邪魔だから帰れ」
ミーシャと呼ばれた女が、顔も上げずそう言い放った。しかしガルディンは気にする事なく、ずかずかと机へと近寄った。
「たまには飯を食えミーシャ。あと客人を連れてきた」
「知らん。王都の馬鹿どもの為に論文を書いているのがわからんのか? 後にしろ」
「【姫血】の提供者だが」
「あん? 馬鹿をほざくな。あの【竜血姫】がこんなところにいるわけーー」
そう言いながらミーシャが顔を上げる。
ミーシャはメガネをかけた若い女だった。身だしなみを整えれば十分美人といって差し支えなさそうな均整のとれた顔立ちだが、目つきが尋常でなく悪い。紫煙をくゆらせながら、ミーシャがエリーを見て、驚きの表情を浮かべた。
「その顔は……まさか本物か?」
「えっと、はじめまして。エリーゼです。こっちは護衛のヴァリス」
「嘘だろ。おいちょっと血を寄越せ」
見かけ以上に素早く立ち上がったミーシャが煙草を咥えたまま太い針のような物を片手に持ち、エリーへと迫る。表情を見ればそれが本気なのが分かる。俺は素早くエリーの前に出た。
ガルディンが首を振ると、ミーシャを制止した。
「落ち着けミーシャ。儂の客人だと言っておるだろ」
「おい、ガルディン説明しろ。こいつはどういうこった? 【姫血】が無くなったのはこのせいか?」
ミーシャは目線をエリーから外さない。エリーが愛想笑いのまま凍りついている。
「事情は後で説明する。すまんが二人に、【竜因酒】の説明をしてやってくれ」
【竜因酒】? なんだか不味そうな酒だが……。
「……ふん、モノ好きなこった。しかも【竜血姫】本人にとはね」
しばらく俺とエリーを交互に見つめていたミーシャだが、くるりと反転すると、部屋の奥にある扉へと歩いていく。
「まあいい。ついてきな」
そう言うミーシャの紫煙の後を、俺とエリーはついていく。ガルディンもその後ろからついてくるようだ。
ミーシャは、その奥の扉の横にある板に手を置き、魔力を放出。
「さっさと開けろボケ」
ミーシャがそう罵ると、さきほどと同じように扉が上にスライドしていく。どうやら声の方は本人であればなんでもいいらしい。
扉の奥には濃密な闇があった。ただ、暗いだけではない。それは、死と絶望が抱擁された粘ついた闇。腐った肉の匂い。この匂いは、人と……竜か?
その中をミーシャは構わず進んだ。
扉の奥は同じように通路になっており、左右に独房があった。
そしてその独房は確かに独房として機能していた
すぐ手前にあった独房の中を覗く。そこには丸まって床にうずくまる人間……だった者が一人いた。
その身体は歪だった。こちら側に晒している左半身だけがびっしりと鱗に覆われており、左の肩甲骨が皮膚を突き破り、まるで羽のように伸びていた。その骨には腐った肉がこびりついており、だらんと皮が垂れ下がっている。
反対側の独房を覗く。そこには一人の女、らしき者が壁際に座っていた。なぜか既視感を感じる顔から、上半身までは極普通の女性だが、腰から下が、蛇のようになっていた。両足が無理やり繋がっており、ところどころに鱗が生えている。見れば、背の方に尻尾が覗いている。
「なに……これ……」
絶句したエリーの口から漏れた言葉。
「失敗作だ。哀れな実験生物。その成れの果て。ほら、そこの女を見てみろ。顔に見覚えがないか?」
ミーシャ無表情のまま、煙草で下半身が蛇となった女を指し示した。
「……!」
「分かったか? そりゃあ見覚えがあるよなあ。なんせ自分の顔だからな」
そうか。あの顔。どことなく、エリーに似ていた。否、まるで無理やり、エリーに似せて作ったような顔だ。
エリーの魔力波長が乱れているのが分かる。相当に動揺しているようだ。
ミーシャが煙草を咥えながら、器用に笑った。
「竜にも人にもなれないーー失敗作達の地獄へようこそ」




