第5節【燻りと祝福】
「全く。しかし驚いたぞエリーよ。南門からの伝令で、黒竜騎士団の名前を聞かされた時は」
「懐かしいでしょ? 昔貴方が私の為に書いてくれたおとぎ話。あの手紙まだ残っているのよ?」
ガルディンの館。
奴の私室で、俺とエリーは並んで座り、テーブルを挟んだ対面にガルディンが腰を下ろしていた。使用人も全員部屋から退室しており、密談が聞かれる心配はないとガルディンは言っているが、念の為、【竜障壁】を広めに張っておく。とはいえ、限界があるのでせいぜいこのテーブル周囲ぐらいだが。まあこれで、魔法による干渉は受けない。
「読んだら燃やすようにと書いたのはずだが……まったく。しかし無事で何よりだった」
「ごめんなさい。どうしても、私は今の現状を見過ごせなかったの。だから城を脱走した」
「……真っ先にここに来てくれたのは儂としては嬉しいが、どうやって?」
「色々と幸運が重なったのよ。ここに辿り着けて正直ホッとしてるわ」
「とにかく、エリー、君は儂の友人の娘ということになっておる。だが、おそらくレゾン公は勘付くだろう。いやもう知っているかもしれんな」
「王都より追手が来るのは分かっているわ。だから、ガルディン、貴方の力を借りに来たの」
エリーの言葉に、ガルディンが重い口を開く。
「……その前にエリー、問わねばならぬ。【祝福】は完成したのか?」
祝福? なんだそれは? そういえば昔、七曜龍の一体であり聖属性を司るリュコスのやつがそんな言葉を発していたような……。いやあれは確か宗教的な意味合いだったはずだ。
「……ええ。残念ながら、完成しているわ。だから私はもう用無し」
「やはりか……クソっ!」
エリーの言葉にガルディンがテーブルを叩き、答えた。完成? 用無し? どういうことだ?
「待て、【祝福】とはなんだ?」
俺は二人の会話に割り込む。黙っておけと事前に言われたが、何も分からぬまま話を進められても困る。
「ヴァリス、貴方も知っているでしょ、私の力。竜を隷属化させる力」
「ああ。身を持ってな」
「当たり前なんだけど、その力を使うには私自身が必要なの」
「そりゃあそうだ」
エリーの【竜血姫】の力なのだ。当然本人がいないと使えないだろう。
「おかしいと思わない? 今、このラジェドにはかなりの数の隷属化された竜がいるわ。それを一体一体私が隷属化の呪いをかけていったと思う?」
確か、エリーはこの街が十年ぶりだといった。なのにエリーがいないにも関わらずこの街は竜を隷属化させていた事になる。
「最初は、私の血を元に作った魔法薬を使っていたの。父上が怪しげな錬金術師達を連れてきたのを今でも覚えてる。そして倒れるまで血を抜かれたわ」
「【姫血】と呼ばれたその魔法薬が大量に儂のところに送られてきてな。そして、王の勅命でこの街は竜騎兵の一大拠点にさせられた。境界域で竜を捕らえ、【姫血】を注入、軍竜として調教する。王国軍から送られてきた兵士も鍛え、軍竜と共に再び王国軍に戻す。そういう役割を担わされたのだ」
「だけど、その裏で、私に依存しない方法で竜を隷属化される方法を父上は研究していたの。そのために、私は気持ち悪い奴らに何度も検査と称して実験をされたわ。血も体液も髪も爪も、誇りも威厳も全て奪われた」
エリーは淡々と語っているが、その表情に悔しさが滲んでいる。そんなものは齢十五の少女が経験すべき事ではないはずだ。怒りが少しずつ込み上げてくる。
「そんな事が許されていたのか? ガルディン貴様は知っていたのか!?」
俺が思わずそうガルディンに問い詰めた。そんな事が許されるはずがない!
「知っておったら、王都に殴り込みをかけておったわ! 儂が知ったのは、つい最近だ。レゾン公から聞いた時は、叩き斬ってやろうかと思ったわ!」
怒りをあらわにしたガルディンが再びテーブルを叩く。
「二人とも落ち着いて。それでも、結局その【祝福】は完成しない……はずだった。そう……あれ?」
エリーが言葉の途中で首を傾げた。どういうことだ? 完成しないはずだったのに、なぜ完成した?
「……思い出せない。どうして……完成したのかしら」
「【竜狩りの魔女】の介入だとレゾン公は言っておったが、そうではないのか?」
竜狩りの魔女? なぜだろうか、魔女と言う単語が妙に引っかかる。魔女。俺は何か知っている?
「【竜狩りの魔女】……変ね……聞いたことがあるような気がするのに……記憶がない」
エリーも俺と同じような感覚なのだろうか。なんだろうか。何か、とんでもないものを見逃しているような感覚。
「でも、【祝福】が完成したのは確かよ。父上がとても喜んでいたもの」
「レゾン公がこの街に来たのは、つい一ヶ月前だ。目的は、辺境軍の司令を新たにここに置くため、そして儂の監視だろうな。何度もレゾン公から打診されている。領主の立場から退けと」
「ガルディン、確かに貴様は反王制だったな?」
酒場で聞いた話では確かに兵士がそう言っていた。
「ああ。儂が忠誠を誓うのは、ただ亡きスカーレット妃のみ。奴の国とは認めん! だが、儂にはこの街の民を守る義務がある。だから、奴らの横暴にも目を瞑っている」
「ガルディン、貴方の気持ちも分かるのだけど、それと【祝福】に何の関係が? 私が王都からいなくなった以上、【姫血】はもう生産できないだろうけど、【祝福】があればこの街の役割はさして変わりはしないはずよ。なのになぜ、レゾン公は辺境軍司令をこの街に置こうとするのかしら」
エリーの問いはもっともだった。俺にはなぜかガルディンは妙に焦っているように見える。
「竜息地に最も近い軍事拠点。そこに司令を置く意味は一つだろう。辺境軍は、レゾンは、王は……竜の領域に攻め入るつもりだ」
「ありえないわ! いくら竜を隷属化させられる手段が出来たからといって、それが通用するのは下位竜が限度のはずよ!? 中位竜や上位竜には【祝福】は効かないからもし竜達を怒らせるような事をすれば……」
「分かっておる。再び戦争が起きるだろう。どうやら王は、そんな事もわからぬようだ。いくら、竜の力を得ようと……人はやはり人なのだ」
エリーが首を振りながらガルディンの言葉を否定した。そんな事信じられないといった表情を浮かべている。
そもそも竜息地を攻めるなど正気とは思えない。かつての戦争時ですら、戦場になったのは全て人界だった。竜が人間の軍の侵入を許したとこは一度もないはずだ。
「儂が反対しているのは、その無意味な侵略で真っ先に狙われるのがここだからだ。レゾンも王もこの街を犠牲にしようとしているようにしか見えぬ。【竜血兵】などもってのほかだ」
「【竜血兵】、噂には聞いたが、そんな物実在するのか? 竜の力を持つ兵だと聞いたが」
「ほお、小僧、中々耳が広いようだ。だがな、世の中に知らぬ方が良い事のが多いぞ……」
ガルディンが口を閉ざした。その顔には、悲痛に似た表情を浮かべている。
「教えてガルディン。【竜血兵】だなんて私も聞いたことがないわ」
「……エリー。君には聞かせたくない話だ……」
頭を振るガルディンに対し、今度はエリーがテーブルを叩いた。エリーの瞳が紅く燃える。
「子供扱いしないで!! もう、分かっているの! 私のせいで、この街も、国も、父上も、みんなめちゃくちゃになっているって!」
エリーの力。竜を隷属化させる呪い。確かに、それは使い所を間違えれば、いかようにも災いを振りまける力だろう。
だが、決してそれはエリーのせいではない。
「エリー。自分を責めるな。俺は事情は知らぬ。エリーの事情も国の事情も。だがな、分かる事はある。エリーは何も悪くないってことだ。だから、今はただ前を向け。力を悪用する輩がいるなら粉砕しろ! 良からぬ思惑で動く国があるなら崩せ! そのためにーー」
俺はエリーの紅い瞳をまっすぐに見つめた。国も事情も知らぬ。もしかしたらエリーが間違っているかもしれない。だが、下僕になった以上は主が全てだ。そう、エリーは姫で俺はそれに従う騎士なのだ。悪も、正義も、どうでも良い。
多少は弱まったとはいえ、俺はこの世界に君臨する最強の存在の一つなのだ。
エリーの征く道を阻む障害物。それを崩す、そのためにーー
「俺がいるのだろ?」
俺の言葉に、エリーがコクリと頷いた。その瞳に涙はない。空のように澄んだ蒼い、決意の色がその瞳に浮かぶ。
「ヴァリス、ありがとう。ガルディン取り乱してごめんなさい。でも、教えて。もう私は子供じゃない」
俺達のやりとりを黙って聞いていたガルディンが頷いた。
「いや、儂こそ謝らねばなるまい。エリー、君をまだどこかで子供だと侮っていた。ふっ、従者を見れば主の資質が分かるとはよくいった物だ。良い、儂の口からよりも、見たほうが早かろう。付いてこい」
そう言ってガルディンは立ち上がった。
部屋から出るガルディンに俺達はついていく。
ガルディンを先頭に、たどり着いたのは、鍵のかかった鉄製の扉。二人の兵がそれを守っていた。随分と厳重である。
「地下へいく。後ろの二人は見なかったことにしろ」
「はっ!!」
ガルディンの言葉に、兵が答え、扉を開けた。その先は地下へと続く階段になっていた。
「エリー。この先には、国の暗部がある。最もおぞましい部分だ。今更、君に言うまでもないかもしれないが、引き返すならここだ。儂の力で、どこか田舎で平和に暮らすという選択肢もある。だが、この先に行けば……」
「くどいぞガルディン。さっさと案内せよ」
「あんたが答えるな!」
エリーが俺の背中を叩きながら、しかし、はっきりとガルディンに言葉を告げた。
「もう暗闇も汚泥も、見飽きたわ。ヴァリスの言うようにさっさと連れていきなさい。私はもう、恐れない」




