3:零下の柩に眠るモノ
「っ、へくしっ」
中に入るなり、レイヤは小さなくしゃみを放つ。耐圧服越しだというのに、刺す様な冷気は鼻を刺激するには充分だった。
『氷点下は五十度以下‥‥‥その服脱いだら、くしゃみだけじゃ済まないわよ』
「‥‥‥そのようだな」
さほど広くもない部屋は、分厚い霜によって真っ白に染まっている。そして、部屋だけでなく耐圧服の表面も白く染まり始め、動きも鈍りつつある。長居は出来そうにない。
「とりあえず、耐寒耐暑も改善項目に追加しとくぜ」
『了解よ‥‥‥何か操作するものはあるかしら?』
「今探してる」
レイヤは、部屋の中を見渡してみる。
霜に覆われているせいで詳細は分からないが、全て何らかの機器。輸送船の特徴であるだだっ広い格納庫を占有して、〝さほど広くない部屋〟にしてしまうほどに巨大な。
「‥‥‥あれか?」
厚い霜を通して点滅する光を見つける。近づいてみれば、レイヤの前に擬似構築された操作盤が投影された。どうやら感知式で起動するらしい。
『操作の仕方が書いてるけど、通訳しましょうか?』
「今のところは必要なし、と‥‥‥」
表記されているのは当時の言語だが、仕事と生活で触れる機会の多いレイヤにはそれなりに理解できる。
『なら、まずはその氷漬けを何とかしましょう』
「了解」
説明に従って操作盤に指を走らせると、鈍い音と共に部屋の温度が上がり、霜が水滴に変わっていく。その結果、隠れていた機械が露わになった。
正確には──無数の機械によって構築された、歪な無機質の塊が。
『これはまたいい加減なモノを組み上げたわね~』
ラヴィーネの言う通り、手あたり次第の突貫で作った急造品というのは、素人目にも分かった。
『まあ、これはこれで面白いけど』
面白いと口にするが、ラヴィーネの声音には呆れに混じってどこか苛立つような気配があった。
「どういうこった?」
『乗員たちも分かってたのよ。自分たちが口封じされるってことが。だから、それだけでも守ろうと、大急ぎの大慌てってとこかしら。それこそ、後先考える暇も無いくらいに』
レイヤの脳裏に、ここに来るまでにいくつも転がっていた白骨たちが過る。
「大した忠誠心‥‥‥じゃねえな。この場合は、職業病ってとこか」
ラヴィーネの言う、それ──強固な白い外殻に覆われた、楕円球の機器。周囲の機械は、無秩序な構造や配線に見えて、しかしそれに集まっている。
『あるいは、愛情、とか?』
冗談めかしてラヴィーネは言うが、レイヤには冗談には思えなかった。
楕円の機器に縋りつくようにして、一人の古代人が事切れていた。まるで、それを守るかのように。
「失礼しますよ、と」
レイヤは、遺体を機械から引きは剥がし、その場に寝かせる。
干からびてはいたが、壮年の女性だと分かる程度には状態が良い。凍結されていたおかげだろうか。
『‥‥‥満足そうな顔してる』
今度は悲鳴を上げることもなく、むしろ安心したようなマハルの声。
「そう見えるか?」
『そう、思わなきゃね』
「それも、そうだな‥‥‥」
レイヤは瞑目すると、遺体の胸元に下げられた顔写真付きの徽章を外し、まだ薄らと残っていた霜を拭き取って記述された文字を読み取る。
「エリ、カク‥‥‥いや、エリカ・クドーって読むのか、これ?」
『そのようね。一応、それも持ち帰ってちょうだい』
「はいよ」
周囲の気温が安全なのを確認し、レイヤは頭殻を開く。まだ刺す様な冷たさだが、これならばどうという事は無い。
エリカ・クドーの徽章を耐圧服の中に放り込むと、レイヤは操作盤の画面を確かめ、
「で、この後は? 〝保存対象の解凍完了、覚醒作業開始〟とかって出てるが」
『決まってるでしょ。その〝保存対象〟ってのを確認して、出来れば持ち帰る』
「へいへい‥‥‥蓋を開けるぞ」
〝外殻開放〟の項目に指を走らせると、〝外殻開放〟の表記に代わり、楕円体の表面が左右に別れて開いていく。その隙間から中の空気が靄となって溢れ出、それが晴れると、
「へぇ‥‥‥」
『うわぁ‥‥‥』
『ほほ~ぅ‥‥‥』
音は違っても、三人の感心は同じだったろう。
露わになったのは、溶液の満ちた柩の中で揺蕩う、一人の人類だったから。
*****
白──それが、レイヤの最初の印象だった。
白磁の肌に、真っ白な髪──銀色だの灰色だのではなく、一切の混じりけのない純白。その彩りに加え、起伏に富んだ理想的な造形は、見事の一言だ。
だが、レイヤが目を奪われたのは、そんな〝女性的〟な肢体の、更に下腹部。
「‥‥‥何だ?」
人類には男女の性別が存在し、身体構造の違いは、とうの昔に自身と母やマハルで確認済みである。
『っ!』
マハルが慌てて目を背けるような気配が、通信越しに伝わってくる。
柩の中で眠っている少女──の筈の体には、外付けの生殖器というあり得ない器官があったから。
『‥‥‥レイヤ。何か情報は無い?』
「今探してる」
ラヴィーネに言われるまでもなく、レイヤは操作盤に指を走らせて保存されていた情報から少女──あるいは少年──の項目を探す。
「‥‥‥と、これじゃねえか?」
〝保存対象〟の記述を見つけて、それを開く。が、読もうにも古代語な上に専門的なものだから、レイヤはラヴィーネに匙を投げた。
『‥‥‥どうやら、半陰陽とか両性具有とか言うらしいわね』
「確か、オスとメスの体を併せ持ってるってやつか」
多種多様な生物の中には、雌雄同体の種も存在する。両方持ってる人類というのも、充分あり得るだろう。
『まあ、この子の場合は自然発生じゃなくて、人造物──それこそ髪一本細胞一つまで、全てが綿密な計算と理論の元に造られたみたいね』
「大栄紀の文明ってのは、それこそ命すらも自由自在だったらしいが、案外本当かもな‥‥‥まあ、それはともかくとして、どうするよ?」
『どうするって?』
「本当に連れてくのかっつう話さ。こいつぁ〝お宝〟じゃ済まねえぞ」
『だからって、こんなところに置いていくつもり?』
予想通り、情に厚いマハルが噛みついてきた。
「けどさ」
『そうですね。その子を連れてきなさい』
ラヴィーネでもマハルでも無い、三人目の声に、レイヤは一瞬押し黙り、
「良いのかよ、お袋?」
無駄とは思いつつも、レイヤは三人目──母に対して一応の反論を出した。
「そこらの怪我した迷子を世話するのとはワケが違うぜ」
『何かあったら、その時はその時です』
予想通り、母は平然と言ってきた。
『それに‥‥‥何だかんだ言ってますけど、置き去りにする手は無いって事は、貴方も分かっているでしょう』
「まあな」
レイヤは、諦めの嘆息を吐きながら振り返り、
「‥‥‥」
少女の開かれた目と合った。
操作盤の画面は、〝覚醒完了〟の表示を出していた。