怪物と魔王と姫と その2
激しい動悸と荒い息にどうにか堪えながら、イフィールはヨロめきながら街を必死に出ようと壁つたいに歩いていた。
「知らない・・・私、こんな街、知らない・・・・」
その台詞を何度呟いただろうか。
しかし、そうしなければ自分の正気が保てないと言う恐怖感により、彼女は繰り返さずにはいられなかったのだ。
ハルタ達と別れて無事にジュデの森を出る事ができたイフィールであったが、その辺りからずっと違和感を感じ始める事にもなる。
モンスターの出現頻度が少なく、脅威と言う面でもずっと下がっていたのも気になったが、それらは当初、ハルタ達のお陰だと軽く考えていた。
だが、ヒューマス達の勢力圏に近づくにつれ、すっかり世間が様変わりしていると言う事実を目の当たりにした時、彼女の違和感はより一層大きな物へと変わる事になる。
少なくとも、彼女の感覚では森に逃げ込んでから十年とは経っていなかったはずなのだが、それなのに世間は全く知らない世界へと変貌しており、愕然とさせられたのだ。
現実を目の当たりにしてさえ最初の頃はとても信じる事ができず、更には、こんな事もあるのだろうと自分に無理やり言い聞かせて受け入れる努力もした。
ところが、親類が居たはずのサルザンム王国を目指した事で、彼女は更に打ちのめされる事になった。
そこには栄華を極めたと言われた大王国の姿は無く、ロウバル連合王国と言う名の幾つかの国々が寄せ集まった知らない世界が広がっていただけなのだ。
そして、彼女は決定的な事を知る。
ハッキリとは分からなかったが、人々から聞いた話では、サルザンムは既に滅びてから百年以上は経っていると言う。
彼女が村から逃げ出す前、サルザンム王国は確かに存在していた。と言う事は、彼女が森に逃げんこんでから、世界は何時の間にか百年以上は経っていたと言う事になる。
現実の有様と、それらを聞いてさえも、にわかには信じる事ができなかった。
別に彼女は長寿なヒューマスと言う訳でもないし、時を超える能力を持っている訳でもない。
大凡ではあるが、むしろ木々と同化する事により日々の流れは他者よりも実感できていた位であり、故に十年も経っていないと言うのは少なからず自信を持って言えたのだが、逆にそうした根拠が余計に彼女を混乱させて苦しめた。
自分が間違っていたのか?
しかし、自分の実際の年齢はどうか。
確かに歳はとったが、どう考えても二十歳台であり、少なくとも百歳を超える程老け込んではいない。
だが、一つだけ思い当たる節もあった。
ジュデの森に訪れた何かの予兆、異変。
あの森は、イフィールの推し量れる様な物ではない事を漠然と知っていたつもりではあったが、それが現実となって牙を剥いていると言う恐怖に、今更ながら彼女は慄いた。
だからと言って全てを飲み込むには、今の彼女には無理だった。
突然自分だけが世界から切り離さたのだから、とても受け入れる余裕はない。
どうにか木々の元に辿り着いたイフィールは、しばらく辺りを見回してから同化を始めた。
馴染みのある感触は彼女に安心感を与え、ようやく気持ちが落ち着きを取り戻す。
「ハルタさん、ユーカさん、みんな・・・助けて」
木の中で一人、イフィールは誰にも気が付かれないであろう叫びを上げた。
わざとらしく音を立てながら、茂みの中から現れたのはキライスだった。
「い、い、いいぞ。 し、し、周辺には、だだ、誰もいない」
「そうか。 では、始めるとするか」
ラゲンザが足元の魔法陣に手をかざすと、黒い球体状の物体が宙に浮かび上がる。
これは通信魔法の一種であるが、魔王クラスにしか使えない特別な物だった。
従来、遠距離との通信は膨大な魔力が必要であり、魔法に明るい者にしたら探知し易いと言える。
通信内容に関しては当然ながら安全策などが取られているため容易に知る事はできないが、通信しようとしていること位はバレてしまう。
力技で隠そうと思えばできない事もないが、術者のみでそれをやろうとすると、どんなに優れていても魔力の消耗が激しすぎて短時間か、もしくは通信距離に限界が出てしまう。
味方同士のやり取りに関して言えば特に問題はないが、敵地で秘密裏にやるのは自殺行為とも言えるだろう。
ところが、ラゲンザが使う通信魔法には、その原則が当てはまらない。
彼が使う通信魔法は帝国によって開発された物であり、この為に膨大な魔力を使っても一切外からは探知できないと言う特徴があった。
術的な工夫がされていると言うのは勿論だが、魔王クラスの使う魔法は高位にある為、単純に質が違っていて普通の連中では通信しているどころか、術を使っている事さえ気が付かないだろう。
万が一気がつける者が居たとしても、逆にこちらから発見できるという面も持っている為、敵を見つける罠ともなっていた。
ただ、行うには大掛かりな魔法陣の設置が不可欠である為、結局は隠れて行わなければならないと言う欠点もある。
魔法陣には幾つか種類があるが、今行っている設置型と術者が直接発動させる型との違いを簡単に説明すると、安定化や固定の面にあると言えるだろう。
予め魔力を込めた媒体によって図式を描いておけば、そこから魔力が供給される為に術に集中する必要がなくなるので、周囲を警戒し易くなるし他の作業や別の魔法を使う事もできる。
極端な話、魔法陣さえ敷いておけばモンスター優位さえ覆す事ができるのだ。
もっとも、相手も魔法陣を積極的に狙ってくる上に、少しでも図式が崩れるとその優位性は失われるために戦闘向きではない。
術者によって瞬間的に発動させる魔法陣は魔力が全てなので、便利ではあるが魔力の消耗と言った点ではマイナスになる場合も多い。
ただ、強力な魔法を制御して使うには魔法陣はどの様な形であれ必要であり、特に、それらを使いこなす魔法使いは同レベルでも格段の差を見せる事にもなるだ。
もっとも、術者が直接展開する様な魔法陣に関しては、図式を予め習得し、魔力で素早く展開するには結局才能が必要となる。
基本的に魔法陣の図式その物は適当でも良いのだが、近年では相互作用や効率と言った物も理解されはじめており、それによって最適な物が生み出されていて個々で改良された図式が使われてもいる。
そしてラゲンザが使っている魔法陣も、長年の改良と試行錯誤の末に辿り着いたこの通信魔法に最適な物となっていた。
もっとも、それだけに非常に複雑で大掛かりとなるのが難点でもある。
その辺の事をラゲンザは間が抜けていると何時も嘲笑していた。
そうする理由は他にもあり、それは彼が開発した物では無いと言う点にもあるだろう。
通信魔法が完成したらしく、ただの黒い円の向こうに数人の映像が映し出される。
それを見て、ラゲンザは敬々しく頭を垂れ、キライスもそれに倣って膝を付く。
映像の向こうには5人の人物が映し出されていた。
一人が椅子に腰掛け、他の四人がやや後ろに立っている。
その真ん中に座る者こそがテロータ帝国の皇帝であった。
黄金の冠は皇帝たる印であるが、その冠はどこか歪で、相手を威嚇する様な装飾が施されており、威厳と共に畏怖と畏敬をもたらす。
しかしそれ以上に、その姿には他者に王冠など無くても似たような感情を抱かせただろう。
まとう服は所々が盛り上がり、皇帝の姿を歪な形で浮かび上がらせている。
その盛り上がり一つ一つが、彼から生えた角であった。
そして、それと似た姿をした連中が四人。
四人はアズスの魔王と呼ばれる連中であり、歪さでは皇帝に及ばない物の全員が同じ様に服の下に角を隠しているのだ。
彼らは人造の魔王とでも言う存在であった。
その実力は、単純な戦闘力だけで言えばラゲンザさえも上回る。
「お久しぶりでございます。 皇帝陛下」
言いながら、ラゲンザは更に深く頭を垂れた。
だが、それに対して言葉を投げかけたのは皇帝ではない。
『ラゲンザ、貴様一体どう言うつもりだ』
皇帝に変わって声を上げたのは、サインド・シェス・ザフニア。四天王の中ではもっとも頭が回るとされる人物であり、皇帝の相談役としても知られている人物だった。
そして、ラゲンザが一番嫌いなタイプでもあるのだが、忌々しい事に強さでも向こうが上だった。
「どう言うつもりとは?」
表情こそ変えなかったが、顔を上げたラゲンザはワザとらしく聞いた。
『貴様の要望に従って最精鋭を送ってみれば、生きて帰ってきたのはたったの三人。 しかも、内二人は再起不能。残った一人も重症を負ってしばらくは復帰できないと来ている。 これでは、全滅にも等しいではないか!』
「しかしながら、お陰で得るものもありました。 並の連中であれば、今も事態に変化が訪れる事はなかったでしょう」
『ほう。 お前は、生きて帰った連中以上の情報を得たとでも?』
「いえ・・・しかし、そもそも連中は、私とキライスが引っ張って来たはず。 ここぞと言う時に使っても良いはずですが」
『見つけ出してきたのは確かにお前達だ。 だが、連中に装備を与えて磨き、面倒を見てきたのは誰か? 陛下の御心と臣民、その血税であるぞ! しかも貴様、アレの運搬を囮に運ばせていたと言うではないか。 万が一、あれが開放される事態に陥っていたら、どう収拾を付けるつもりでいたのだ!?』
「それこそ、コチラの思う壺。 実力者連中が負ける様な相手です。 アレとぶつかれば、正体も知れようと言うもの」
『それでは、計画が台無しになる。 正気か貴様!?』
「計画が早まるに過ぎません。 大体、元からアレは制御などできるはずもない。 例え計画通りに放ったとしても、本当にコチラの思う通りに動くかさえ賭けのはず。 むしろ、ジュデの森から出現させた方が演出としては最高かと」
『き、貴様ぁ・・・』
更に声を荒げようとするサインドであったが、それを皇帝が手を上げて制する。
『ラゲンザよ、計画は予定通りに進んでいるのだな?』
「はっ、滞りなく」
『ならば良い。 経過は問わん。 結果を見せよ』
「はは。 必ずや、陛下の御期待に添えてみせます」
そう言って、ラゲンザは更に深く頭を下げた。
『うむ・・・ラゲンザ、くれぐれも色気を出すなよ?』
その言葉にラゲンザの体が一瞬だけピクリと動いた様に見えたが、彼は更に頭を地面に付けるだけだった。
「よろしいのですか陛下。 ラゲンザめは、明らかに何かを企んでおりますぞ」
通信を切った後、他の連中が早々に立ち去ったのと違い、サインドは皇帝に追いすがって具申する。
「構わん。 どの道、現場では実際に動いている者にしか分からん事もある。 計画が予定通りに進む以上は、ラゲンザめの好きな様にさせてやろう。 第一、アレの封印にも限界があるのだ。 奴もノンビリと策を巡らせてはおれまい」
「しかし・・・」
「あ奴は、自分の掌で全てを踊らせる自信がある様だが、もっとも信頼する者が既に掌に無い事を知らぬ」
「は? それはどう言う事でございますか」
「ふっ。 サインドよ、お前は時々鈍くなるな。 まあ、見ておれ。 どちらに転ぼうとも、我ら帝国が抜きん出るキッカケとなるはずだ。 フフフ、ファッハハハハハハ!」
皇帝は高笑いしながら、その場を悠然と去って行った。
キライスは、魔法陣の痕跡を消すラゲンザの後ろ姿をじっと見ていたが、不意に声をかけてみた。
「じ、じ、実際、ど、どう思ったのだ? こ、こ、皇帝のあの質問、ひ、ひ、ヒヤヒヤしたのではないか?」
「ヒヤヒヤ? 何がだ」
質問に対し、ラゲンザは気のない素振りで返事をした。
「こ、こ、皇帝は、お、お、お前の目論見を、か、か、感づいているんじゃ、な、ないのか」
「かもな。 だが、俺の本当の目的までは分かるまい。 例え分かったとしても止める事はできん。 アレを使うのは予想外だったが、むしろ好都合とも言える。 どちらにしろ、確認するのはコッチが早い。 奴らが気がついた頃には全てが終わっているさ」
そう言って、ラゲンザは口だけで笑った。
「ところで、アレの置き場所はどうなった? あまり時間はないぞ」
「そ、そ、その事だが、い、い、幾つか候補を見つけた。 こ、こ、今度、いい、一緒に見てくれ」
「ああ、分かった。 ところで、例の勇者かも知れないって奴についていだが、本当にラウナー公国の連中とは無関係なんだろうな?」
「とと、と、言うと?」
「おいおい。 お前が関係性を疑ったんだろ。 アーマルデ・ロイデンとしての魔力糸の張り方が、公国の抱えている真祖アーマルデ・ロイデンらと似ているって。 物真似の一本張りじゃなくて驚いたって・・・違うのか?」
ラゲンザ達の知る限り、アーマルデ・ロイデンを操るマスターには大きく分けると二通り存在する。
一つは仕組みを知って真似ただけの連中と、ラウナー公国内でのみ発生する特別な連中である。
真似た連中のアーマルデ・ロイデンも術者の実力によっては、それなりに強いとされてはいるのだが、基本的には一体、多くても二体程度しか運用できない。
稀に魔力糸と呼ばれるアーマルデ・ロイデンを発生させるのに必要な手法を無理矢理複数に増やして扱う物もいると言うが、実体化したアーマルデ・ロイデンは大抵質が悪く、良く人形と形容されるアーマルデ・ロイデンの中でも更に不細工な物となる。
一方、ラウナー公国が使うアーマルデ・ロイデンは違っており、外観で言えば人とそう変わらず、更には能力も段違いであるらしい。
彼らの使う魔力糸は基本からして複数に分かれるのが前提であるらしく、これによって複数の運用も当たり前、更にはかなり距離が離れても魔力を送り込めるらしい。
また、こうした能力持ちはラウナー公国の国内、あるいは周辺で自然発生するとも噂されているが、そこら辺は公国でさえも原因は掴めていないと言う。
また、アーマルデ・ロイデンの話はこれらが混ざって一般的には伝わってもいる為、ラゲンザ達の様に直接対峙した、あるいは見た者でなければ大体がアーマルデ・ロイデンの使い手は、単純な魔力糸で操っていると考えている者が多かった。
いや、一般的に言えば前者の物真似のアーマルデ・ロイデンの話が伝わっている事が多いのだが、これは公国が自分たちの抱える真祖と呼ばれるアーマルデ・ロイデンを限りなく秘匿しているのと、そうした能力者を直ぐに排除しているとも噂されている為、実際のところはよく分かっていないのが原因でもある。
「そ、そ、その事か。 どど、どうでも良いので、わ、わ、忘れていた」
それを聞いてラゲンザは溜息を短くついた。
彼自身は勇者の存在に警戒していたのだが、キライスの方は直接手を合わせて実力を知っている為か、大して気にもかけていないらしい。
それは一種の不安をラゲンザに覚えさせてもいたが、キライスの実力を考えれば返って自分が警戒しすぎているのかもとも思い直す。
ただし、キライス自身はラゲンザには話していない事があった。
いや、正確には口止めされた為に、それ以上の事は惚けるようにしていると言った方が良いだろう。
実際、最初の頃は彼もラゲンザに対し、勇者かもしれないアーマルデ・ロイデンの事をしきりに怪しむ様な言動をしていたのだから。
「こ、こ、これは確かな情報ではないが、ゆ、ゆ、勇者って奴は、ラ、ラ、ラウナー公国の連中にも、ねね、狙われて、いい、い、いるらしい。 か、か、関係性は、ふ、ふ、不明のままだ。 む、む、むしろ、そそ、そっちで、ああ、新しい情報はないのか?」
「ま、無いこともないが、こっちも不確かだ。 魔剣のアーマルデ・ロイデンを見た奴が居るって話が出てるんだが、それが本当なら、勇者はバロルの連中と戦った可能性が高い。 それで生き残ったんだとしたら、本当に化けたか、或いは相当に運が良いかだが・・・デマでなければラウナー公国とは無関係と思いたい。 もっとも、バロルのやる事だ。 どこまで信用して良いのやら」
「・・・・」
それを聞いてキライスは考えこむかの様に静かになった。
「ここで考え込んでも仕方ない。 行くぞ」
魔法陣の痕跡を消し終わったラゲンザが、その場を後にする。その後をキライスも追おうとしたが、彼は一瞬だけ魔法陣があった場所を振り返った後、含み笑いを見せてから立ち去った。
ヘリフ・バジは、元ユールフィア国の魔法使いである。そして国が陥落する時も、その場にも居合わせており、そこで恐ろしい物を目撃する事となった。
彼が目にしたもの。
それは魔王の襲来である。
あの日、突然魔王が襲撃・・・より正確にはシーゼス軍と共に襲って来たのだが、それによって僅か一日程度でユールフィアの王都は陥落した。
噂には聞いていたが、実際に目の当たりにしたそれの恐怖は計り知れない物だったと言える。
普通、魔力を使う為の器と呼ばれる部分は体からはみ出さない程度の物であり、大きさこそ比べ物にならないがモンスターでさえも例外では無いという。
最も、モンスターの場合は更に厚みや長さ、そして魔力の質と言った物でも違いがあると言われているが、器の大きさについては概ねヒューマスと同じ法則の中に収まっている。
だが、魔王のそれは体よりも大きく、文字通りに器が違う様を見せつけたのだ。
精鋭と自負していたはずのユールフィアの魔装騎士達でさえ、魔王には全く刃が立たなかった。
カーデムの魔王の様に自我を失って暴走しているだけの相手ならつけ入るスキもあったかも知れないが、襲ってきた魔王は自我を持ち戦闘術にも長けていた上に、更には力を自在に操る眷属と呼ばれる類の相手だった為、ユールフィアの抵抗は尽く打ち砕かれてしまったのだ。
その後に聞いた話では、ユールフィアは国全土を魔王に蹂躙され完全に滅びたという。
あの時の光景を思い出すだけで、ヘリフは今でも震えが止まらなかった。
それは単に本物の魔王という存在の恐ろしさを目にしただけではない。
それが持つ暗い得体の知れない器を見た時、何かにこちらも見られていると言う気がしたからでもある。
気の所為だったかも知れないが、兎に角恐ろしかった事だけは確かなのだ。
今まで魔王の恐ろしさは噂などで知っていたつもりではあったが、本物の怖さと言うのは、実際には噂程度では百分の一も伝えていなかった事を、ヘリフはその時になって思い知った。
彼とて戦わなかった訳ではない。
誇りあるユールフィアの魔法使いとして、国を守る一人として必死に攻撃を仕掛けたのだが、魔力を喰らい尽くすと言われる魔王の前には全てが無駄だった。
少しは通じると思っていた魔法攻撃の全ては、まるで黒い塗料に数滴の違う色を垂らすかの如く、ただただ魔王の器の中に吸い込まれて消えるだけだったのだ。
それどころか、自ら放った魔法攻撃の痕跡を辿るかの様な何かの力が感じられ、それが魔力の出どころを探している様な感覚さえ覚えて彼は悲鳴を上げた。
それがもしヘリフの元へと辿りついていたなら、どうなっていたか分からない。もしかしたら、ヘリフと言う存在その物が食われていたのか。
得体のしれない何かが見ていたと言うのは、その感覚を本能的に察知していたのかも知れない。後から思い返すと、彼が感じていた恐怖というのは本能的な何かであったとも思えるからだ。
実は、それらについてもヘリフは知識としては知っていたつもりだった。
魔王は魔力の全てを喰らい尽くす存在であり、それ故に一般的な魔法を使う事ができず、独自の物を使用する。
それが意味する本当の所を、彼は身を持って知ることになったのだ。
結果、ヘリフは何もかもを捨てて逃げ出した。あの様な存在に人間ごときが勝てる分けがないと、完全に戦意を喪失してしまったのである。
実際、ヘリフ以外にも多くの者が逃げ出していた。
魔装騎士、魔法使い、民、兵士。
戦える者もそうでない者も、恐らくヘリフと同じ恐怖を感じて逃げ出したに違いない。
絶望的な状況と、抗えぬ敵を前にしては正しい行動だ。
ヘリフは逃げ出した後に自己嫌悪に陥っていたが、自身の行動は仕方がない事と思い込んで半ば自暴自棄になっていた頃がある。
後ろめたさはそれでも消えなかったのか、彼は連合王国の方へ逃げる事はせず、ジュデの森へと逃げこんだ。
森の奥に逃げるのは危険ではあったが、魔王を見た後では多少の事ではもう彼は驚かないし恐怖も覚えないだろうと考えていた物の、その後にレパンドルの残党に捕まって連れてこられた地で、更に驚くべき光景を目の当たりにする事となる。
まず驚かされたのが、ジュデの森、その奥に聞いたことも見たことも無い国の跡があったという事だ。
レパンドルの連中は王都跡と呼んでいたが、彼らもどの国の物かは分からないらしい。
更に、ユーカとか言うレパンドルの"実質的な支配者"に何かの術を施されたせいで、彼は自分の意志に関わらず協力する羽目に陥っていたのだが、そこで暮らす内に次々と魔王と出会った以上の衝撃を受ける事になった。
その最たる存在が、今正に彼の視線のそう遠くない所に居る。
そして、人々と何食わぬ形で普通に過ごしているのだった。
その女らしき者は、今は頭から足先まで覆うマントで身を隠しており、姿を見る事はできないし、多少は魔力に関しても誤魔化されている。
だが、ヘリフは一度だけ、その姿を生で見たことがあった。
一言で言えば魅了されてやまない存在であり、何も知らなければヘリフですら恋い焦がれただろう。
だが、勇者の仲間と言われているその赤髪の女は、体の両側に何か魔力を使う為の器らしき物が確認できるのだが、それはぼんやりと光っていて全貌を把握する事ができなかった。
その時点で既に異常な存在であるのだが、その後に色々と聞きかじった事を総合するに、この女は邪神の可能性が高いと知って驚愕する。
実際、勇者と呼ばれる存在を見れば、それは的を得ているとヘリフは確信の様な物を持つ。
最初、レパンドルに現れたと言う勇者の正体を知って、ヘリフは鼻で笑った物である。
ハルタと言う男は勇者などと呼ばれているが、実際にはただのアーマルデ・ロイデンに過ぎないらしい。
その証拠に魔力糸が展開されており、彼の仲間と呼ばれる女達と繋がっているからだ。
まあ、魔力糸が複数展開されているのには驚いたが、逆に今までの事について何となく理解できた気もした。
どの様な経緯でレパンドルの連中がアーマルデ・ロイデンを手に入れたかは知らないが、確かに盲点とも言えるべき兵種であり、ハッタリをかまして勇者としてでっち上げるなら上手い方法でもあろうと少しだけ関心はしたものだ。
それもただのアーマルデ・ロイデンではなく、何かしらの改良や術的な向上を施したのだとしたら尚更だろう、と。
少なくとも、この勇者と持ち上げられている人物は、自分が知っているアーマルデ・ロイデンとは異なっていた。
それでも最初の頃は単なる強化種的な存在に過ぎないと思っていたのだが、彼らの素性が少しづつ明らかになるに連れ、ヘリフは自分がとんでもない勘違いをしている事に気がつく事になる。
出来る限り集めた情報によれば、赤髪の女も元々はただのアーマルデ・ロイデンだった言う。
それを考えると、今現在魔力糸と繋がっていない事と合わせれば、必然的に邪神であると言う考えに至った。
事実、女の両側にボヤケて見える物がヘリフには最初なんであるかは分からなかったのだが、これらの事情を知った瞬間に理解できた。
あれは異質な世界から、魔力を供給する為の器なのだ。
だとすれば、それはボヤケているのではない。
全貌が掴めない程に巨大なのである。
下手をすれば、彼が見た魔王以上に力を持っている事になるだろう。
魔王でさえ、あれだけの力を持っていたと考えると、この女は世界を滅ぼす事も簡単にやってのけると気がついて、ヘリフは魔王と遭遇した時以上に恐怖を覚えた。
だが、同時に腑に落ちない点も多々ある。
邪神であるならば、何故ただのアーマルデ・ロイデンに過ぎない男に従っているのか。
邪神化したアーマルデ・ロイデンは、マスターを殺すと言われており、それで安定する前に自壊するとも聞かされていた為、これにも驚いた。
何かしらの手法を持って安定化させ従えたのだとしたら、これはただ事ではない。アーマルデ・ロイデンの新たな可能性が見いだされた事も意味するし、ハルタと言う男は、ある意味で最強の戦力を自在に生み出せる存在と言う事にもなる。
ただし、自我を持った邪神が無条件で従っていると言うことには、ヘリフにはどうにも信じる事ができないでいた。
邪神の方で何か企んでいると言う可能性もあったが、何れにしろ大人しくしていると言うこと自体が信じられないのだ。
信じられないと言えば、その他のアーマルデ・ロイデンも驚愕に値する存在と言えるだろう。何故なら、一般的に知られる人形の様なそれとは全く違うからだ。
魔法使いであるヘリフだからこそ、魔力糸が見えた為に分かった事だが、その他の連中が気づいていない様に、それらが見えなかったら、彼もちょっと変わったヒューマス程度にしか思わなかったかも知れない。
また、そのマスターたるハルタと言う男も変だった。
この男には魔法を使う為の器が存在しておらず、魔力糸もよくよく観察すると出どころがおかしい。
どこがどうとは説明できないのだが、全体像がぼやけている感じでハッキリとは確認できないのだ。
しかし、器が無い事だけは確かなので、普通に考えればアーマルデ・ロイデンとして成り立っていること自体が異常と言える。
これも邪神の影響なのだろうかとも考えたが、今の所それ以上の答えは出てこない。
実際、近しいはずのレパンドル側の人間も詳しい事は知らない様子なのだ。
こうして日々明らかになる驚愕の事実と、自身に付けられた見えない首輪にヘリフは内心イライラしていたが、それにも増して苛立つ理由があった。
それは逃げた先で一緒になった仲間の一人、ベルモア・アガエの事である。
ベルモアはヘリフと同じくユールフィアの魔法使いの一人であり、ヘリフは彼女に密かに好意を寄せてもいた。
だが、そのベルモアはヘリフと違い、ユーカとか言うアーマルデ・ロイデンの術に隷属されているとかに関係なく、ハルタとか言う勇者に積極的に関わろうとしているのである。
それにより、ハルタと言う男は日々力を増大させているようにも見えた。
実際、魔力糸を操る能力を身につつあり、それによって意図的に魔力を隠す事もできる様になっている様だ。
ただし、その方法はヘリフから言わせれば、とんでもなく下手くそとしか言いようがない。
展開している魔力糸に更に探知し難い様、魔力の流れを内側に向ける魔力で覆うと言う力技を取っており、こうした方法は魔力の消耗が著しいため余程切羽詰まった状態でもない限りは避けるべき手法なのだ。
何せ、魔法を使うには自分の器に一旦は溜めると言う作業をしなければならないのだから、どうやったって息継ぎの様にして限界が来るのだから。
基本、魔力を見られると言うのは仕方がないと思って使うしかないのだが、別の手段として見かけ上の魔力を小さくすると言う方法もあって、むしろ魔力を隠すならそっちが一般的とも言えるだろう。
放出魔力をできる限り細く薄く小さくする事により探知し難くするのだが、当然ながらそれには技術やセンスと言った物が必要となって来る。
見かけ上の魔力を隠す事はある程度訓練すると誰でもできるのだが、質の高い魔力を送り込めるかどうかは別だ。
中には不意を付くために敢えて魔力の充填を隠し、発揮する時さえも見えない様に発動させる者も居ると言うのだが、要は制御能力が優れている証でもあるのだ。
つまり、この勇者とか言われている男は、良く居る魔力制御が下手くそな凡庸な奴なのである。
それでもベルモアにしてみれば、それが可愛いだのと見えるらしく、どんどんと距離を詰めている様にも見えた。
ヘリフからすれば、それは嫉妬させると同時に祖国を裏切っている行為にも見えていた。
などとヘリフは常に勇者を馬鹿にして見ていたのだが、彼は一方で自主的に勇者との接触を避けていたが為に見落としていた事もあった。
勇者の魔力は常に展開状態にあり、一時も使用を中断していなかったと言う事だ。
そして、彼が偶々見た魔力を使っていないと思わせる状態でさえ、実は彼が馬鹿にする力技での魔力放出を抑えていると言う事をずっとやっていたのである。
「そうそう、その調子よ。 お上手だわ、勇者様」
「そうか? いまいち、俺には分からないんだが・・・」
ユールフィア国の女魔法使いベルモアの指導の下、俺は魔力の制御を何となくで行っていた。
彼女に言われるまま、目に見える魔力に集中し、更には体を無理矢理に動かすと何かがどうにかなってどうにかなっている。
やろうとしている事を簡単に説明すると、自分の周りにある魔力糸を束ねて動かすと言う事をしているのだが、正直、実際にやっても自分で理解できて行えている実感がない。
どちらかと言えば、ベルモアに手を引かれて作用している様な感じだ。
(この方法、本当にあってるのか?)
心の中で零しながら、俺は最近戦った相手の事を思い出す。
鉈状の武器を持った敵に、盾の様な武器を持った敵。強力な魔法使い。
何れも相当な手練である事は、手を合わせて直ぐに分かった。
まともにやりあえば、本来なら到底かなわない相手だ。
鉈状の武器を持った敵は何とか組み付けたから良かった物の、あそこで逃していたらどうにもできなかっただろう。
盾を構えた相手もそうだ。
一撃で腕の骨を粉砕するつもりでいたが、異変を感じた瞬間に腕を捻って力を逃していた。それで結局は逃げられている。
その戦い方を見られていたのだろう。最後に襲ってきた相手は、明らかに間合いを取って戦おうとしていたので、マツリカが割って入らなかったら危なかったかも知れない。
何より魔法使いの攻撃にはヒヤヒヤさせられた。
とっさに抑え込みはしたが反発する力が凄く、扱いを間違えていたら、どこまでぶっ飛ばされていたか分からない。
と言うか、威力だけで言えばキライスがアホみたいに連発していた魔法すら上回っていた可能性があり、抑え込んでなかったら他の仲間たちもどうなっていた事か・・・。
毎回、自分の思った通りに力を使えず、藻掻く毎日を送っている俺の名はハルタ。
色々あって、レパンドルと言う国の連中、更にはユールフィアの魔法使い連中と共同生活を余儀なくされている。
それらは良くも悪くも俺に変化をもたらしていたが、同時に謎を深めた上に様々な問題を引き起こしてもいた。
その中で、今俺に色々と手引してくれているベルモアとか言う女魔法使いは、それまで不明だった部分に光を当てつつある貴重な人物とも言えるだろう。
彼女の導きによって、俺は自分の力の使い方を身につけつつあったのだが、どうもしっくり来てはいなかった。
レパンドル王都を壊滅させた3人の敵アーマルデ・ロイデンと戦った時、俺は対ヒューマス特化型の何かであると確証を持ったつもりでいた。
ただ、結論を出すには材料がイマイチ少ない事もあって悶々としていたのだが、そこに魔法使いを捉えて奴隷・・・もとい協力させる事に成功した為に多少は道が開けたと言えるだろう。
王都跡の水中からユーカに頼んで魔法武器を引き上げてもらい、それらのプロテクトを解除させてレパンドルの連中に使わせる事に成功すると、一番の手練であるフォーメルと模擬戦をする事にした。
模擬戦と言っても実戦に近い本気での戦いをお膳立てる事にした。
勿論、周りは色々と俺の貧弱さに不安がったのだが、こっちはこっちで敵との戦闘で実証済みだったので、それを確認する為にも引き下がる分けには行かなかったのだ。
むしろ、カーロブって敵との戦闘結果だけを考えればフォーメルの方こそ心配だったので、鎧を含めてフル装備させた上に、更には護符って奴も持たせて万が一にも備えた。
まあ、その護符は俺用にとベルモアとユーカが準備した物だったのだが、こっそりとフォーメルの方に仕込んでおいたら、それすらも無駄に終わる事になる。
護符を俺が身につけていると思った為か、フォーメルは本気の一撃を俺に食らわしてきたのだが、全ての予想を裏切って俺は全くの無傷だった。
まあ、単純に力負けして吹っ飛ぶと言う点では予想通りではあったのだが、どうもフォーメル達の反応は違う感じだった。
後で聞いた話だが、例え護符を持っていたとしても、派手に弾き飛ぶとフォーメルは考えていたらしい。
それなのに俺は後退こそすれ、踏ん張る事ができたのには驚いたんだとか。
因みに、後で護符の事をバラしたら、ユーカや他の連中にこっぴどく怒られた。
そして、俺が放った不意の一撃は、鎧を着込んでいたはずのフォーメルの左肩を砕いて大怪我を負わせてしまう。
鎧には何のダメージも無かった。
それなのに、俺の打撃は貫通してフォーメルの肉体だけを傷つけたのである。
幸いにも治療の準備も万全に整えられていた為大事には至らなかったが、この事実は俺も含めてその場に居た全員を驚かすと共に謎を深める事にもなった。
そんな中で一つの仮説を唱えると共に、俺に力の使い方を開発する手引を買って出たのがベルモアであったのだ。
彼女によると、俺の力は異なった魔力の質を持っており、それによって通常の魔力、あるいは理その物を無視してダメージを与えている可能性が高いと言う。
ただし、ヒューマスだけが大ダメージを負う面には説明はつかない為、あくまでも仮説に過ぎない。
また、フォーメルに大怪我を負わせた際も一撃でそうなった訳ではなく、何発か食らわした内の一発が結果として出た為、敵アーマルデ・ロイデンと戦った時の例も含めて不明な部分が多いのだ。
そうした部分については、ベルモアによると制御が上手くできていない為に起こる不安定ゆえの現象なのかも知れないとも言われた。
場合によると、俺の力は追い込まれないと発動しない可能性もあるらしい。
確かに、言われて見れば単純に力負けしたと思えば、一撃で相手に致命傷を与えるなど、力の発生には斑があった様にも思える。
そう言う事で、俺はベルモアの指導の下、力を制御する為の訓練を行っているのだ。
ただ、何か魔力の流れの様な物こそ見えるのだが、どうも自分の一部として働かせている実感が無い為、何度やってもコツが掴めない。
何と言うか、鏡に映った自分の右手を見ながら、実際には見ていない左の手を動かしている感じであり、分かってはいるが上手く行かないのだ。
それと、俺にはもう一つ変化が現れており、それについても実感がない上に謎が増えてしまっている。
陥落したレパンドル王都前での戦いを終え、ジュデの森に逃げ込んで暫くしてからの事だったのだが、アニーズで確認したら、俺の経験値の欄から何時の間にか項目除外が消えて数字が入っていたのだ。それも、百以上も。
一体何時、経験値など入ったというのか・・・・。
今の所、心当たりは幾つかある。
それは対アンガム戦でリディとくっついた時か、またはターナが邪神化した事だ。
何れの件も色々あって特に自分の事を確認していない為、どの時点で経験値が入ったのかは不明である。
個人的には突然魔力が見える様になったアンガム戦が可能性が高いと見ているが、経験値が入っただけで能力の付与などあり得るのだろか。
そもそも、リディと接触しただけで経験値が入ると言うのならば、今の今まで入っていなかった事がおかしい。第一、マツリカやアシュレイとは接触以上の事をしたのだから、あの時点で経験値が入っていてもおかしくなかったはずだ。
とすると、消去法でターナの邪神化が残されては来るが、だとしても個人的には絶望感しか無い。
何れにしても、俺のレベルアップに必要な条件はリスクが高いことになる。
それに、これらが俺のレベルアップの条件だとしても、腑に落ちない点も多い。
なぜ数百も経験値が入っていると言うのに、レベルは1のままなのか。
これが単に経験値がレベルアップに達するまで溜まっていないと言うのならまだいい・・・いや、良くない。百以上でレベルアップしないって、どれだけ俺のレベルアップ条件は厳しいんだよ。
まあ、今はそれを置いとくとしてもだ、レベルアップ自体に万が一制限がかかっているのなら、今後も経験値が幾ら入ろうと意味が無い事になる。
と言うかだ、経験値が入る制限の解除は何がキッカケだったんだ?
やっぱり問題は、百鬼夜行とか言うアラート表示だろう。
コイツを解除するにはどうしたら良いのか。
相変わらず百鬼夜行のアラートの様な表示は出たままで、アニーズの説明文は全力で俺をディスっていて数値以外には何も変化がない。
無いが故に、俺は色々と藻掻いてもいる。
力に関してはベルモアの手引でようやく何かを体得しようとしているのかも知れないのだが、俺自身から出る強さの変化は今のところさっぱり感じ取れない。
経験値の事も含め、謎は深まるばかりなのも俺に焦りを覚えさせていた。
「マスター、タオルです。 どうぞ」
「マスター、お水です。 どうぞ」
そう言って、それぞれ濃い緑髪と薄緑髪色をしたターナ似の二人が、俺にタオルと水の入ったコップを渡す。
「ありがとう。 ナツ、ナリー」
この二人は、敵であったコニュムヌと言うアーマルデ・ロイデンを倒した際、ただの武器に戻った短剣を回収し、俺が再度人化させた新しい仲間である。
人化させるに至っては不安が無かった訳でもないのだが、ターナの賛同を得られた為に実行に移す事にした。
今のターナの力は圧倒的と言える。
単純な戦闘力だけで言えば、あのキライスよりも上かも知れない。やはり、邪神と言うだけの事はあるのだが、同時に俺はその事にも複雑な思いも抱く。
ターナは、本当に俺の知っているターナのままで居てくれるのだろうかと。
そのターナも「ご苦労さまです」と声をかけてくる。
今、彼女は全身をすっぽりと覆う外苑をまとっていて、その姿を見る事はできない。
これはベルモアによって用意された物で、ある程度ターナの異様な魔力を感知し難くする物らしい。
流石に見える者には見えるらしいのだが、一般の者であれば全く分からないと言う。
最初の頃、ターナの存在は不味いと言う事で、彼女は幽閉同然の扱いを受けていた。
その決定すらもレパンドルの連中は邪神を刺激するなど、色んな意味で危険と見て白熱した議論をしていたのだが、俺にとってターナはターナであった為、連中ほど心配はしていなかった。
実際、彼女も理解してそれを受け入れてくれたし、一部の区画は彼女専用としてある程度の自由を確保したが、それでも可愛そうだとずっと思っていたらベルモアの助けによって今は自由に動き回れる様になった。
完全に覆う必要があるのかとも思ったのだが、ベルモアと他の者によればターナの姿はそれだけでもトラブルの種になるとかで、普段出歩く時はそうしているのである。
まあ確かに、既に一部の連中でさえもユーカにさえ熱狂的な連中が居るとも聞いているので、ターナの今の姿を見たら惑わされる者もいるのかも知れない。
ただ、俺だけがそれにピンと来ていないので釈然としないのだが・・・・
俺も含め、ここに集っている連中は色々とイレギュラーな者も多いと、レパンドルの人々は見ているらしいのだが、状況が状況なだけに人々は特に気にしないと言う方向で受け入れる様にしたらしい。
その証拠に、ターナの側には全身真緑のイーブル・ラーナンの最後の生き残りと、ルミンが日常的に過ごしても居る。
俺たちが王都跡に到着してから数日後、全てのイーブル・ラーナンは蒸発する様にして消えてしまった。
原因はローナの停止状態に関係すると思われるが、一方でユーカレブトの二体と、俺達と最後まで行動を共にした一体は消滅しないと言う謎も残った。
最後のイーブル・ラーナンは相変わらずボンヤリとした感じであり、ただただ俺とその仲間にフラフラと付き従うだけだ。
行動に一貫性が無い上、拘束したとしても体を自在に変化させて抜け出て仲間の後を追う為、最初の頃は苦労させられた。
しかし、その存在がレパンドルの連中には良い方向に作用したらしい。
その他の連中を見ても受け入れる緩衝材の様な役目も果たしたらしく、心境に関しても大きく受け入れる余裕を与えた様なのだ。
もっとも、イーブル・ラーナン自体が王都襲撃前にもウロウロして居たはずなので、それである程度は慣れていたのかも知れない。
ルミンも本当は存在的に危ういらしいのだが、経過観察も含めて普通に暮らすのを良しとされている。
そのルミンについても、ベルモアからある程度の状態を聞く事ができた。
ルミンがモンスターの肉を食べて魔力を使う要素を身につけたのは間違いないらしい。
ただ、不安定と言う要素については推測でしかないとベルモアは前置きした後、一つの結論を出した。
ルミンは元から魔力の毒素に当てられてジワジワ死にかけていたらしい。
この様な事は珍しく無いらしく、特にジュデの森には魔力溜まりと呼ばれる物が一時的に発生する確率が高い為、森に接して生きる者はそうと知らずに影響を受ける事があるのだとか。
ただ、普通なら即死するはずなのに今まで生きていたと言う事は、元からルミンの魔力を受け入れる器が大きく、突然流れ出した魔力を即死しないギリギリの範囲で受け入れたか、もしくは影響を受けた場に他にも同格の器を持つ者が数人居た為、影響を軽減できた可能性があると言う。
とは言え、元からあった器にはダメージが見られる為、完全に受けきったと言う訳ではないらしい。
何れにしろ、魔力による影響は魔法使いでないと分からない上に、時間が経ち過ぎると流石に全部を知る事はできないので、村人達はおろか本人すら気づく事はなかっただろうとの事だった。
普通であればモンスターの肉を食べて生き残った場合、その影響によってヒューマスの器は拡張されるらしいのだが、それは元の器が活性化されていない事が条件となるらしい。
ところが、ルミンの器は下手に活性化されていた為、新たに形成されたモンスターの器と自分の器が互いに領土を争っている状態であり、この様なケースはベルモアも初めてとの事で、今後どうなるかは分からないと言う。
しかし、ベルモアは残酷な結果になる可能性が高いと言った。
モンスターの器が勝つにしろ負けるにしろ、ルミンの元の器は壊れてしまう為、生き残るのは難しいらしい。
それについて今のところ知っているのは俺だけだ。
伝えるかどうか、それについては今も迷っているのだが、正直結論は出ていない。
ただし、ルミン本人からは魔力として異常な物が見える様にもなっており、見える者からは既に違和感を覚える存在ともなっていた。
それも含めて王都跡には異常な存在が普通にあるのが日常となってしまい、レパンドルの人々も普通の光景としてある程度は受け入れている。
まあ、王都跡と言う存在からして人々には異常その物だったらしいのだが、それでも最初の頃は彼らとの付き合い方には俺も迂闊な事をし過ぎてい様だ。
俺自身も当たり前にやっている事も実は不味かったらしい事を、後になってフォーメルから聞かされたのだが、指摘されなかったら気が付きもしなかっただろう。
確かに、普通なら似たような女性がどこからともなく突然二人も現れたら、誰もが怪しむはずである。
因みに、俺がアーマルデ・ロイデンらしいと言うのは、ターナの件もあって一部の人間以外には知らされていない。
そうした諸々の問題を他所に人化させたナツとナリーの二体も、今では普通に受け入れられて暮らしている。
意外だったのはレベルと評価の面で、どちらも初期状態、つまりレベル1と朱雀クラス第10位と言う物であり、マツリカとかの基本評価が高かっただけに、こう言っては何だがガッカリした。
マツリカ達の話を聞く限りでも、敵だった頃は相当に強かったはずなので、それを期待してもいたのだ。
もしかしたらだが、アーマルデ・ロイデンの強さの基準は、術を成すマスターの素質やレベルも関係しているのかもしれない。
ただ、そうだとしたらマツリカとかの説明がつかない為、これも良く分からない。
俺自身、この世界の理から外れている感じでもあるので、ここの常識に当てはめて考えても無意味なのかも知れないが。
ただし、ターナの初期の頃の評価と比べると違っている部分もある。
解説みたいなのは同じなのだが、備考では極上品と言う扱いとなっており、更には、それぞれに固有の能力まで持っているのだ。
ナツと言う濃い緑髪の方は、短剣を地面に刺す事で植物の蔓の様な物を展開できる能力を持っており、薄緑髪のナリスは種の様な物を短剣から発生させて打ち出す事ができた。
何れもターナの火属性のそれとは違い植物とかの能力らしいが、恐らくこれらはコニュムヌとか言う元のマスターがプラウネ系ヒューマスだったのと何か関係があるのかも知れない。
初期の評価こそ低いのだが、どうやら彼女たちは高いポテンシャルを持っているらしい。
新たな仲間が加わった一方で、最初の仲間である二人、リディとローナは今も目覚めない。
ベルモアを頼ってみたが、彼女にも分からないと言われた。と言うか、本当にアーマルデ・ロイデンなのかと疑問を持たれてしまう始末であり、俺の事も含めて謎と問題は増えて行くばかりだ。
問題と言えば、最近は不穏な動きもある。
レパンドル連中の一部に強硬派とでも言うべき存在が出来上がりつつと言うことだ。
組織だった動きこそ見せてはいないのだが、確実にまとまりつつあると言う。
そのキッカケを生んだのも結局は俺にあると言っても良いだろう。
王都跡から回収された規格外の魔法武器を手にした事で、ある者は野心と過信を抱いているフシがあると、レパンドルの重鎮であるらしいアライアルと言う奴から聞かされた。
特に、極一部のレパンドル関係者で俺と俺の仲間について事情を知る連中が合流した事が、この動きに拍車をかけているんだとか。
まあ、普通に考えると邪神なんて規格外の存在を従属させている様に見えるのだから、彼らの心情も分からんではない。
今のところは露骨に接触して来る様な事はないが、要注意と言う事で俺も落ち着かない日々を送っている。
或いは、それらを牽制する意味でも力の使い方を身につけようと、俺は藻掻いているのかも知れない。
実のところ俺自身も目的と言うか、進むべき方向に迷いがあった。
その発端となる出来事は、セイレアヌとの予期しない密会にあるとも言える。
その日、俺はベルモアから言い渡された日課の訓練を達成すべく、ただ只管にあるき続けていた。
ベルモア曰く、俺が魔力を上手く使えないのは、体に魔力自体が馴染んでいないからだそうだ。
言われてもピンと来なかったのだが、手足を動かすのに魔力を使うイメージを持てといわれ、何となく方向性が見えた様な気もした。
魔力の流れ自体は見える様になっているので、それで俺の体を引っ張らせる、或いは操り人形の様に動かすと言う方法を独自に実践している。
とは言え効果の程は疑問だ。
魔力の方は目に見えているのだが、それが俺の意志通りに動いているとは言い難い。
体をそれで動かすと言うのも、俺の意志に沿った動きなのか揺らぎの様な現象なのかは微妙なのだ。
そう言えばリディも歩き回っていたが、彼女も似たような悩みを持っていたのだろうか。
リディは、いや、今はリディとは違う何かになったあの娘は、どこに行ったのだろう。
できれば、じっくりと話をして、何が起きたのか聞きたかった。何時かは、それも叶うのだろうか・・・・・
色々考えながら適当に歩いていたら、俺は何時の間にか知らない場所にやって来ていた。
この王都跡はユーカの根が更に伸びて複雑化しており、今では部屋数や通路と言った物も最初の頃よりも増えていて、ユーカでさえも把握できなくなっている程だ。
ただし、上には登りやすい形状の為、迷ったとしても中心に行けば何とかなる為、今のところは不具合はない。
そうした知られていない場所に迷い混んだ俺は、そこでセイレアヌと会ったのだ。
「セイレアヌ・・・?」
膝を抱えて蹲る様にしていた彼女は、名前を呼ばれて驚く様にして顔を上げた。
キョロキョロとした仕草で俺を見つけると、ようやく安心した笑顔を見せる。
「何、ハルタ殿。 私のこと、探しに来たの?」
「いや、俺は訓練中で、ここには偶然来ただけだ。 それと、二人だけの時は、その呼び方止めてくれって」
「あ、うん・・・」
気まずい沈黙。
直ぐに立ち去っても良かったのだ、何となくセイレアヌを放っておけない気持ちも合って、俺は立ち尽くしていたが代わりに彼女の方から話しかけてきた。
「良かったら、ここに座らない? ここ、凄く座り心地が良いのよ」
「そうなのか?」
などと返事したが、正直俺は疑問符が湧く。王都跡に張り巡らされた根は適度なクッション性を持っているので、俺的にはどこも同じだと思っていたからだ。ただ、彼女がそう言うなら、そうなんだろうと隣に腰掛けてみる。
うん、対して違いが分からない。
「今、違いが分からないって顔した」
そう言ってセイレアヌがフフと笑う。図星を突かれて俺がアタフタすると、更に彼女は吹き出した。
実に可愛らしい。
何と言うか、ここに来て彼女はどこか自然体というか、力が抜けた感じでそれがより美しさと愛らしさを増している様にも思える。
裏を返せば、今までは相当に無理をして、本来の自分を出せていなかったのかも知れない。
「ねえ、ハルタど・・・ハルタ。 聞いて良いかしら」
彼女はコチラを見ず、薄く外の光を通す根っこの壁を見つめながら聞いてきた。
「何を?」
「私、どうしたら良いのかな」
「どうしたらって、レパンドルの姫様らしく・・・」
俺は自分で迂闊な事を喋っていると気がついて口をつぐんだ。
「そう。 やっぱり、ハルタも私にお姫様の役目をして欲しい?」
そう言って俺を振り向いたセイレアヌの目は、寂しげで儚い色をしていた。
「すまない。 迂闊な事を言った。 俺ごときが姫様らしくなんて、軽々しく口にするべきじゃないな」
「良いのよ。 皆が私の事を気遣ってくれてるのは分かってる・・・ところで、ハルタは、これからどうするの?」
「え?」
言われて俺は初めて自分が何をしようとしているのか、今更ながらに何も決めていない事に気が付く。
日々に追われていた、力の習得に没頭していたと言う面もあるが、これらは単に大局から目を逸らしていたに過ぎない。
何時の間にか手段と目的を履き違えて俺は過ごしていたらしい。
「これからどうする・・・・」
俺は考え込む。
力を身に着けて何をしようとしていたのか。
敵を倒す?
敵とは?
いや、力が身につけばローナやイユキと言った仲間を助けられる何かをつかめるかも知れない。
助けて、それからどうする?
仲間が揃って、勢力をつけてレパンドルの為に他国に戦いを挑むのか?
それは、本当に俺の目的なのだろうか。
違う。
ミズツノシシオギを倒す目的もあるが、よくよく考えると、それとて何の意味があるというのか。
勇者なんて煽てられているが、俺はそんな柄ではない。
一人考え込んでいた俺は、セイレアヌに突かれて現実に引き戻される。
「ねえ、いっその事、何もかも忘れて、皆でここで暮らすってのはどうかな」
冗談ぽくセイレアヌは言ったのだが、見つめる目には仄かに真剣さも伺えた。
確かに、この王都跡は理想と言えば理想的な環境とも言える。
ユーカによる補助の充実さは住居関係のみならず、食料に関してもある程度確保できている上に、水没した周りにはどこから入り込んできたのか魚も豊富に住み着いていた。
更にはモンスターも泳いでまで王都跡には侵入しては来ないので、他国に存在が知られない限りは安全でもあるのかも知れない。或いは、そのモンスターが天然のガーディアンとなってくれてもいるので、例え存在が知られたとしても攻めるのは難しいだろう。
因みに、モンスターが侵入しないのは水が苦手だからとか、ドノロファルが居るからとかは無関係らしい。
ドノロファルを含めて王都跡のガーディアンは頭上に関しては範囲外らしく、俺たちは普通に生活できている上に、外部にも水の上を渡って自由に行き来できている。
どうやら、この王都跡自体がモンスターに忌避される何かがある様だ。
それらも含め、今の状況のまま暮らすなら幸せなのかも知れない。
だが、今の環境は偶然が生み出した物でもあり、特に機能の大半をユーカに頼っている以上、何かの拍子で直ぐに失われる事にもなりかねない。
そこはセイレアヌも分かっているはずだ。
だからこそ、俺の考えを聞きたかったのかも知れない。
「何とも言えないな」
俺は曖昧な返事を返した。
本当のところ、何が正しいかなんて分からない。
もしかしたら、セイレアヌの提案した事が上手く行く可能性だってあるだろう。
このまま、俺も世間の波風とは関係なくここに留まり、平穏な日常を送るのも良いのかもしれない。
だが、一方で予感めいた物もある。
あのバッツロギィの連中、特にカーロブって奴は俺の事を探しに来るだろう。
そうなれば、ここでは逃げ場がない。
だからこそ俺個人としては、レパンドルの人々には国を取り戻して欲しいと言う思いもあった。
今度連中と戦う時、それは俺が個人的に立ち向かう状況でないと行けない。
とは言え、それも単なる危険を予知した上での対応でしか無く、俺自身の目的や目標とも違う。
俺は、何をしたら良いんだろうか・・・
セイレアヌの質問から始まった自問自答が、俺の中では今も繰り返されていた。




