怪物と魔王と姫と
輸送任務は今のところ順調であった。
十数人が頭まで覆う揃いの外套を着込み、内6人程が黒い布で覆われた長い箱らしき物を手にして運んでいる。
深い森が作り上げた根による凹凸の激しい地形は、荷車や馬車といった物では進むことさえ困難であり、結果として人力に頼るしかなかった為、この様な方法で運んでいるのだった。
ここ最近、テロータ帝国はジュデの森の比較的安全な部分を通って、元ユールフィア領へと渡る道を確保しており、豊富な食料を得る代わりに高価な品を渡すという事を半ば堂々と行えていた。
無論、他国に悟られない様に最大限の注意を払ってはいたが、入り口と出口に拠点を持った今となっては、例え感づかれたとしても、もはや大した問題にはならないだろう。
戦力の逐次投入、即応部隊の展開と言う万全の体制が敷かれている今では、手を出した方がむしろ痛い目を見る事にもなるからだ。
そのはずだったのだが、近頃では事情が変わりつつもあった。
何故なら、そうした体制さえ潜り抜けて何者かが襲撃してくるからだ。
全体として考えるなら、その被害はまだ少ないとも言えるのだが、問題は高価な品や重要品をまるで分かっているかの様に狙っている事にあった。
ただし、事例が少ない為に断定できていない面もある。
逆に言うと現在の輸送任務は初期段階にあり、どうしても必要な物に厳選されてやり取りされており、自ずと貴重品にならざる得ないのも問題を絞り難くしていた。
道の悪さや、比較的安全とは言えモンスターの出現も完全に排除できない以上、運搬できる量も自ずと制限される。
そう言う意味では受け取る側によっても見方が変わる面もあり、送る側からしたら、ただの食料や香辛料に過ぎなくとも、受け取る方からしたら高価な貴重品と言う見方もできてしまうのだ。
また、敵の襲撃自体も数える位にしかないので、偶々と言う見方も捨てきれていない。実際、無事に届いた回数の方が圧倒的に多く、その中にも貴重品は含まれていたのだ。
何より厄介なのは、襲撃してきた連中は森の奥へと逃げ込んで行く為、追跡が困難なのも問題であった。
普通に考えれば、モンスターがうろつくジュデの森奥に入る事は自殺行為に等しい。
それ故、襲撃犯がどの様な組織であれ、モンスターとの遭遇による消耗も期待され、何れは自然消滅すると思われていた。
しかし、連中は要所要所で現れては猛威を振るい、一向に衰える様子を見せる事はなかった為、次第に問題視される様になったのである。
当初はモンスターの仕業と考えて精鋭部隊まで編成されたりしたが、それらすらも遂に帰って来なかったと言う事態が出てしまった為、急激に警戒レベルが引き上げられて今の事態に至ったのである。
今回の輸送任務は、その対策を含めた最たるものであると言えるだろう。
輸送隊は幾つかに分けられて別ルートを同時に進み、更には護衛も十分につけられている。
特筆すべきは、連絡能力に特化した魔法使いもそれぞれに同行させている事であり、例え全滅させられたとしても確かな情報を持ち帰る事ができるはずであった。
その分万が一があった場合、帝国が支払う代償も酷いものとなるのだが、恐らくそうはなるまい。囮の輸送隊の荷物はガラクタなので、イザという時は逃げ出せば良いともされていたからだ。
逆に、本命とされる輸送隊には最精鋭の魔装戦士、魔法使いが集中的に配置されている。
その戦闘力は小国程度なら壊滅させられる程の物であり、護衛と言う名目で同行させるには本来は過ぎた戦力でもある。
実際、同行を指示された者達は、そのせいで少なからず戸惑ってもいた。
大体の者が輸送隊が襲撃を受けると言う事はそれとなく把握はしてはいたのだが、深刻な事態に及んでいるとは思っていなかった。
それ故、異常とも言える戦力の集結には、そこに居る誰もが腑に落ちなかったのだ。
いや、もっとも懸念する事があるとすれば、今回の任務には十分な説明がされていない事だろう。
何か裏があると誰もが感じてはいたが、これだけの戦力を結集させているのを見ると、流石に腕に覚えがある連中でも不安を感じざる得ない。
最精鋭と言える彼らは頭も良く回った為、指揮を取る者の話しぶりから何かを隠している事を悟ってはいたが、事情を敢えて飲み込む融通の良さも彼らにはあり、疑問は抱いたが不平や不満は漏らさなかった。
ただ与えられた任務を熟す。それが彼らにとっての第一であり、最精鋭とも言われる所以でもあった。
ただ、過剰とも言える戦力の投入には、逆に落ち着けない心持ちを彼らに与える事にもなる。
この様な厳戒態勢を取る理由として思いつくのは2つ。
一つは、運んでいる荷物がよっぽど重要であるか、もしくは自分たちの知らないところで敵の正体をある程度掴んだかだ。
何れにしろ、本当に敵が出現すれば答えは自ずと出るだろう。
この戦力を相手が恐れずに出てくればの話ではあるが・・・・
ナーウキン・レプレブは、フード付きの外套からチラチラと周りの様子を伺っていた。
一つは周囲への警戒の為でもあったが、もう一つは参加している連中の様子を盗み見る為でもある。
直ぐ側を歩いている男は外套のせいで今は顔が見えないが、出発前の顔合わせで確認した限りで言えば、恐らく"断頭屋"ガフェルルクだろう。
大鉈の様な魔法武器を操るガフェルルクは帝国内でも屈指の魔装戦士であり、相手を一撃で首から切り落とす力と業から、そう呼ばれる様になったと言うが、真の恐ろしさは、あらゆる魔法攻撃を切断して無効化する事にあるという。
どんな業や方法を用いれば、そんな事ができるのかは分からないが、対魔法に強いとされる魔装戦士の中でも別格とされる存在だ。
顔合わせでは、それぞれ名乗る暇もなく説明だけを受けて出発させられた上に、余計な会話も一切禁止と言う命令を受けていた為それぞれの素性は知らないままだったが、ナーウキンには顔や装備を見ただけで大体の察しがついてもいた。
装備だけで判断するに、7割が魔装戦士、2割が魔法使い。後は多分思い当たる名前もあるが、正直断定はできない。
むしろ、そんな都合の良い強力な連中が来ている事自体が、容易に信じられ無いという物だ。
それだけ名うての連中を集めたと言う事なのだろうが、そう言うナーウキンも"鉄壁" "動く城"と言う二つ名を持つ実力者であり、その異名の通りに彼は盾形の魔法武器を装備しており、守りながら戦う事を得意ともしている。
更に、彼の斜め後方を足を引きずる様にして歩いてい居る者は、恐らく"雷轟のソソン"と呼ばれる魔法使いだろう。
これも噂によれば、複数の魔装戦士と連携したとは言え、青い死神とも呼ばれるエレメタリス、傭兵キライスとも互角にやりあったとされる強者だ。
青い死神と正面切って戦う事さえ称賛に値いすると言われる中で、互角にやり合うとなると相当な実力者である事は間違いないだろう。
他にも噂と記憶を照らし合わせば思い当たる連中ばかりだが、今はっきりと断定できるのはこの二人だけだ。
その分かっている二人だけでも十分過ぎる戦力と言えるが、それ以外にも居るとなると今の状況は異常とも言える。
帝国内にはもっと強いとされる者も居るが、質、量の面で考えれば、ここに集った連中だけで最強部隊を成していると言っても過言ではないだろう。
だとすれば、どうしても運んでいる物が気にかかる。
これだけの戦力を集め、囮まで用意してまで東側に持ち込まなければならない物とは何か。
残念ながら、ナーウキンには幾ら考えても答えは出なかった。
想像や推測がないでもないが、直接目にしていない以上は何とも言えない。
ともかく、この任務が相当に重要である事だけは理解したつもりだった。
もっとも、これを仕掛けた者には別の思惑があったのだが、今の彼らには知る由もない。
どれ位の時間歩いていたのか。いい加減、そろそろ休憩すべきだとナーウキンは考え始めていた頃だ。彼の経験と勘が急に働き出し、思わずあたりを見回す。
気がつけば、他の連中も似たような行動を取っていた。
経験者と言うか強者独特の感性か。或いは戦いに長く身をおいた故の性なのか。
そこに居る連中の殆どが敵が近くにいる事を感じ取って身構える。
中央で運び手を担っていた連中が荷物を静かに下ろすと、やはり静かにそれぞれの獲物を構えて円陣を組んで防御陣形を形成した。
誰かに命じられた訳でもないのに、その場に居る連中は的確に己の配置と体制を取る。
近接攻撃が得意な者は自ら前に出て、遠距離攻撃や直接戦闘が苦手な者は円陣の中へと後退し、防御陣を敷いた連中も当たり前の様に場所を空けて無造作にそれらを受け入れる。
正に高レベル故の無言の連携がまかり通り、僅かな間に全くスキの無い体制が整えられいた。
と、静けさを破って叫んだのは雷轟のソソンだった。
「上だ!」
叫ぶと同時に、やはり無造作に腕を振ったソソンから雷撃の魔法が放たれる。
凄まじい閃光が走ると同時に、それは空中から突撃してきた何かにぶち当たり、その突進を削いで地面へと半ば墜落させる形で迎撃に成功した。
あまりの攻撃力の高さに味方であるはずのナーウキン達も思わず頭を下げてしまう。
それだけソソンの攻撃は威力があったのだ。
その様を見てナーウキンは「流石だ」と小さく呟いたが、同時にソソンが舌打ちしたのも聞いた。
恐らくだが、その一撃で相手を仕留めるつもりだったのだろう。
実際、それ程の威力を持っていたはずだし、鉄壁と呼ばれるナーウキンでさえも、あの攻撃を無傷でやり過ごせるかと聞かれると自信はない。
だが、その強力な一撃を受けて地面に着地した相手は、全身から煙を上げながらもゆらりと立ち上がる。見た目、ダメージは大して負っている様には見えない。
全身を覆う見事なフルプレートのアーマーは、それだけでも十分に業物であり感嘆すべき物だったが、誰もが目を奪われたのは手にしていた魔法武器だ。
ランスの様なそれは、外観からしてひと目で極上の魔法武器であるのが分かった。
実際、魔法武器が優れている様は、それが集める魔力の流れが視覚的にも捉えられる事でも十分に分かる。
こんな優れた魔法武器など、魔装戦士であるナーウキンでも滅多にお目にかかれる様な物ではない。
一体何者か?
そう疑問に思った時、更に森の奥から十人ほどの似たような姿をした連中が現れた。
「何者だ。 名を名乗れ!」
怒鳴る様に相手に質問したのは、実質的にこの隊を率いるフォレンド・ラカである。
彼は帝国内どころか、世界的に見ても珍しい魔法戦士と言う人物だ。
魔法使いでありながらも魔装戦士としての実力も兼ね備える。
一見すると誰もが思いつく理想の最強戦士の形態の一つだが、実際には魔法使いと魔装戦士と言う職業の相性は悪い。
魔法の使用に特化した者は、肉体的な耐久性はともかくとして代償的に身体能力が上がり難いと言う問題を抱える事にもなるからだ。
魔法使いは魔法を扱える分、魔力を使うのに必要な器による肉体的な占有が行われ、それによって身体能力が発達しないか阻害されるのだという。
更に問題なのは、魔法武器による魔力吸収と言う機能は、魔法使いに必要な方の能力を阻害する面もあり魔法を使う事も難しくなる。場合によっては魔力を制御できなくて暴走したり、強すぎる力に当てられて使用者が死ぬ事さえあった。
だが、フォレンドは身体能力が生まれつき高く、それに伴って魔力の制御も非常に優れていた為、魔力の流れを魔法武器にさえ促すと言う芸当さえできるのだった。
それにより、彼は魔法も使えれば魔法武器も自在に使い熟すと言う、正に理想とも言える魔法戦士となったのである。
実戦経験も豊富であり、数々の戦争で彼の名前を聞かない事は無いと言う面でも相当な実力者である事は間違いない。
そのフォレンドの気迫に押されたのか、現れた十人ほどの魔装騎士達は僅かに身を引いた。
その僅かなスキさえ、この場にいる強者たちにとっては十分な物だった。
もしかしたら、フォレンドの怒声は本当に相手の情報を引き出すための物だったかもしれないが、優秀な者は臨機応変に動く事を決して咎めたりしない。
死体からでもある程度は情報は得られる。
それに沿って動いたのはガフェルルクだった。
恐ろしい脚力で一気に間合いを詰めたガフェルルクは、そのスピード故に途中はまるで消えた様に見え、姿を表した時には既に相手の首へと武器を横薙ぎに払う瞬間だった。
敵は明らかにガフェルルクを見失っており、防御態勢を取る暇もなく首に鉈状の魔法武器を食らった。
しかし、打ち込んだはずのガフェルルクが呻き声に似た声を漏らす。
必殺の一撃を相手の鎧は受け止め、断頭されるのを拒否したのだ。
ただし、その恐ろしい力にまでは相手の魔装騎士も抗う事はできなかった様であり、数人の敵を巻き込む形でぶっ飛ばされてしまう。
それを見て今頃になって他の敵が反応して攻撃しようとしたが、今度は頭上から雷が降り注ぎ、その動きを止める。
魔法武器、魔装騎士が幾ら魔法防御に優れているとは言っても、強大な威力を持つ魔法攻撃ならば行動を阻害するに十分な力を持つ。
地面に膝をついた相手をガフェルルクは当然の様に見逃さない。
今度は頭上に武器を振り上げると、体重を乗せて敵フルヘイスの頂点へと鋭く打ち込んだ。
が、これも相手の鎧は弾いて見せた。
「これは・・・」
動き出しが今一歩ガフェルルクに及ばなかった事で、ナーウキンの側で待機していた者が声を漏らす。
敵にスキが生まれた瞬間、実は4、5人が同時に動いていたが、最も速く前に出たのがガフェルルクであった為、その他の連中は敢えて動きを止めたのだ。
得体の知れない敵、状況の不明瞭さから彼らは刹那的に戦力を絞るという事を示し合わずとも行えていた。
つまり、ガフェルルクを先頭に立たせる事で様子を見ようとしているのだ。
ともすれば捨て駒とも言える扱いだが、それを敢えて引き受けるだけの技量と判断力が、彼らの中には高度に組み込まれて実践できていた。
損得の勘定はあるにはあるが、それらは敵を倒す事や任務遂行と言う面にだけ向けられており、決して利己的な要素は含んでいない。
それによって導き出された敵の情報。
それは、とんでもなく高レベルな装備を身につけていると言う事だった。
ガフェルルクの使用している魔法武器は一級品と呼ぶにふさわしい物であり、使いこなせる者も限定される程の業物である。
これまで多くの敵を粉砕してきたと言う事実も、それを証明してきた。
だが、それを弾くと言う事は、相手は一級品を上回る性能を持っている事になる。
これに匹敵する装備品も作れないではないが、時間がかかる上に金も相当に必要となる。
それこそ国家予算の数年分、あるいは十数年分は必要となるはずだ。
しかし、敵はその装備を全員が身につけていると見ても良いだろう。
一体、これ程の物を複数用意できる国家とはどこなのか?
テロータ帝国でも無理であり、他国を見回したって思い当たらなかった。
そもそも、万が一負ける様な事があれば高額な装備品は一気に失われてしまうと言うリスクがある為、普通は最高戦力とも言える連中に限定的に与えられる物だが、目の前の連中は、どう考えてもそのレベルに達していない。
見方を変えると、高級な装備が十数体も、そこに"転がっている"と見ることもできた。
敵の一体が雷撃による妨害から立ち直り突進してきた。
ガフェルルクは、それを僅かな動作で事も無げに交わすと足を引っ掛けて地面へと転がしてやる。
無様に地面に倒れた敵に対し、ガフェルルクが今度は背中へと打ち込む。これも相手の鎧は弾いてみせた。
何と素晴らしい装備品か。
だが、装備の優秀さに反して中身がついて行っていない事に、ガフェルルク及び他の者も気がつく。
全くの素人と言う訳でも無い様だが、ガフェルルク達からしたら雑兵に等しい相手だった。
確かに、この装備の優秀さがあれば、並大抵の相手であれば圧倒する事もできただろう。
しかし、高レベルとも言える連中からして見れば、目の前の連中は単なるカモにしか過ぎない。
実際、最初に攻撃した相手は気絶したらしく、仲間に助け起こされる様にして離脱を図ろうとしていた。
それを見てガフェルルクは後方の仲間に合図を送る。
"全員でやっちまおう"
敵を倒して装備品を奪えば、予想外の成果を上げる事にもなるだろう。
予想以下の敵の脅威に対し、最精鋭の戦士達の胸からは不安がかき消え、逆に闘争本能が膨れ上がる。
今までの問題は、この瞬間に全て解決されるだろう。
誰もが、そう信じて疑わなかった。
攻撃に転じようとナーウキン達が身構えた瞬間だった。森の奥から無数の棘に似た何かが高速で射出され、それによって出鼻をくじかれた上に距離を取らされてしまう。
同時に口笛の様な物が小さく短く鳴ると、敵は一斉に引き上げてしまった。
逃すものかとナーウキンらが追撃の姿勢を見せた時だ。
森の奥から誰かが一人で歩み出る。
黒い服とも革鎧とも言える様な物を羽織って現れた少年・・・そう、そこには少年が立ち塞がっていた。
先程の立派な装備を身につけた連中と比べると明らかに見劣りする新手らしき存在に、ナーウキン達は戸惑う。
戸惑ったのは、どう見ても脅威と捉える事ができなかったからでもある。
体格も決して良い方ではないし、優男といって良い顔立ちは戦士とも言える様な物でもない。
引き上げた敵に変わって足止めするには、あまりにも貧弱な存在に、もしかしたら何らかの交渉が成されるのでは無いかと言う考えが頭を過る。
一瞬空いた間に、ソソンは更に相手のおかしな事に気がついていた。
身につけている装備の魔法付与の方向性がおかしいのだ。
何かしらの防御術の力が見えていたが、それは魔法を直接防ぐ物ではなく、単に耐熱や防寒といった物に等しい。
これでは単に生活用品に過ぎない。ただし、力を露見する程に強化されているのには違和感があった。
相当な寒がりや暑がりと言った存在なのか。
そして何より、この少年には魔法を使う為の器が全くなかった。
その様なヒューマスなど、彼はかつて見たことが無い。
「小僧、どう言うつもりだ? 大人しくどくか、失せろ。 そうしたら命だけは助けてやる」
そうガフェルルクは凄んでみせたが、勿論、相手が弱そうな少年だからと言って見逃すつもりは無い。
時間稼ぎに出てきているのだとしたら、早いとこ相手の意図を知りたいが故に出任せを言ったに過ぎなかった。
逃げた敵の気配はまだ消えていない。
連中は速度と言う面でも並であるらしく、例え荷物を抱えたままでも十分に追いつけるだろう。或いは、連中自体が装備品を使いこなせていないのかも知れない。
少年は肩に手をやると、首をコキコキとやり出す。まるで、こちらを意に介していないと言う風だ。
ガフェルルクは決して油断していなかったし、警戒を緩めてもいなかった。
だが、それでも目の前の少年からは何も脅威を感じなかったし、どこをどう見ても強いとは感じられないと思った。
高価な装備品を身に着けた連中を逃す為の生贄だとしたら、相当に肝が座っているか余程忠実なのか。或いは諦めた心境でいるのか。
とは言え何があるかは分からない。それ故、ガフェルルクは全力で打ち込んだ。
ただし、鉈状武器の刃がついて居ない部分で思いっきり胴体をぶっ叩くに留めてやった。骨の数本も折れば動かなく成るだろうし、もしかしたら悲鳴を上げて何かをしゃべるかも知れない。
渾身の一撃は少年の上半身をくの字に折り曲げ、地面に両足の跡をつけながら引きずった・・・だけだった。
少年はガフェルルクの武器を脇に挟む形で堪えると、ゆっくりと上体を起こしてくる。
目の前で起きている光景が理解できず、ガフェルルクは動揺した顔を隠す事もできない。
手加減したとは言え、それなりの力で打ち込んだのだ。骨が折れて重症に至ると考えていたのに、少年にその素振りは見えないばかりか、手応えにも骨が砕けた様な感覚はなかった。
だが、そうした動揺も束の間であり、ガフェルルクは追撃の為に武器を捻って隙間を作って引き抜くと、今度は素早く首に一撃を叩き込む。今度は刃を向け、一切の手加減をしない。
少年は、どうにかそれに食らいつく形で両腕を武器の間に割り込ませる。
その程度では防御にすらならない。両腕毎、今度は首が切り落とされるだろうと誰もが思った。
だが、予想を裏切って、ガフェルルクの武器は相手を弾くに留まる。
そればかりか、藻掻く様にして伸ばした少年の手がガフェルルクの片腕を掴んで、飛ばされる事さえ防いだ。
空いた方の手を振りかぶると、少年は殴る動作をする。
(こんな貧弱な攻撃、避けるに値しない)
そう思ってガフェルルクも次の攻撃に備えて武器を引いた瞬間、少年の拳が脇腹を捉えると、今度はガフェルルクがくの字に体を曲げ、そして後ずさった。
「が、ああああああ!」
血反吐を吐きながらガフェルルクが蹲る。
蹲りながらも彼は鎧を擦る。特に異変は見られない。だが、体は確実に大きな損害を負っていた。
この光景に、初めてナーウキン達が後ずさる。
ただ、一番最初に誰もが思った事は、何をされたのかと言う疑問だった。
何かの魔法を使った様にも見えなかったし、武器を使った様な形跡も見当たらない。
単に殴っただけ。
ただそれだけで、ガフェルルク程の強者がのたうち回るとでも言うのだろうか。
それについて一番驚いていたのはソソンだった。
魔法など明らかに使っていない。それどころか、この少年は魔法を使う事もできないし、"それに関係する要素も全く見当たらない"のだ。
呆然とするソソン達を他所に、少年はガフェルルクへと歩みを進める。
それを見て動いたのはナーウキンだった。
振りかぶった少年の拳を盾で受け止めて防ぐと、直様反撃・・・する事はできなかった。
少年が放った拳の一撃を盾は確かに防いだが、衝撃は貫通する形で彼の左手にまで届く。
途端に左腕の感覚が無くなって力が入らなくなった。
興奮状態の為に痛みはあまり感じなかったが、逆に自身の体が最悪な状態に陥った事も知る。
恐らくだが、骨が折れたか最低でもヒビが入った可能性があった。
更に拳を連打してきた少年に対し、ナーウキンは盾を構えて防御する以外に手段がない。
が、追撃が来る事はなかった。
轟音と共に雷撃が少年を襲い、幸いにもナーウキンと距離を取ってくれたのだ。
その間に仲間が駆け付け、ガフェルルクも回収する。
同時にナーウキンも逃げ出したのだが、その時に彼は信じられない光景を目の当たりにした。
恐ろしい程の威力を持っているはずのソソンの魔法攻撃を、少年は掌で防ぎ、あまつさえ握りつぶそうとしていたのだ。
威力を爆発させたい魔法攻撃は、藻掻く様にして少年の手や指の間で暴れたが、それも段々と圧倒的な何かの力によって押し潰されて行く。
驚くべき事は、魔法攻撃は術者であるソソンによってエネルギーを注がれている最中であり、現在進行形で威力を増大させてもいる事だった。
ソソンの魔法攻撃は決して安っぽい物ではない。
エレメンタリスやエレメンさえも、まともに喰らえば消滅する程の威力を持つとされており、魔装戦士でもまともに喰らえば無事では済まないはずのものだ。
それを防ぐどころか、威力を殺して握り潰すなど、目にしていてさえも信じられない事だった。
その様子に動いたのは、残りの魔法使いだった。
一人が火炎弾を放ち、もう一人が魔力を凝縮して直接叩きつける魔法の弾丸を叩きつける。
ソソンの攻撃に、その場を動けない少年は、何れもまともに食らって爆発に巻き込まれる。
効果はあったと誰もが思った。
他の二人も並の魔法使いではない。それの攻撃をまともに食らってしまったのだ。
例え魔装戦士であっても、あの攻撃にはタダでは済まない。
だが、爆発による煙と炎が上がる中、一向にソソンの攻撃への抗いが微動だにしていないという事実に、そこに居る全員が戦慄した。
そして、煙と炎が急速に遠のく。
恐らくだが、少年が身につけている装備の力なのだろう。
やがて、身につけている物こそボロボロになっているにも関わらず、全くの無傷の少年が現れた。
結果、力負けしたのはソソンの方であった。
息が切れる様にして魔力を注ぎこむのを止めると、激しく肩で息をする。
僅かな望みにかけて顔を上げたが、それも虚しく最高クラスの魔法攻撃は少年の手に噛み砕かれる様にして消滅を余儀なくされていた。
最後に残った雷光は、まるで猛獣に食われる獲物の断末魔の様に僅かだが激しく明滅してから消える。
激しく辺りを照らしていた雷の光が消えると、辺りは急に暗いと感じる様になった。
それにより少年のシルエットだけが強調される様に浮かび上がると、目だけが異様に光を反射させ、今までとは違って不気味な存在としてソソン達には強く印象づけられる。
間違いない。精鋭部隊が全滅した本当の理由は、この"怪物"にこそ原因があったのだ。
「全員引け!」
そう叫びつつも少年に飛びかかったのはフォレンドだった。
自ら体を張って仲間を逃がすつもりであったが、彼には瞬時に相手の情報を読み、勝機を見出すに十分な根拠があった。
得体の知れない相手だったが、先の戦いを見るに、この何者かは決して身体能力は高くない。
こちらの間合いで戦えば、勝てないまでも負ける事も無いはずだ。
そう考えて突進したフォレンドだったが、それにソソンが待てと言う風な声を上げたが、彼がそれを聞いて止まる事はなかった。いや、その前には事が終わっていたと言う方が正しいだろう。
フォレンドが突進した刹那、ソソンは少年から急速に何かが展開されるのを見た。完全に形を成されていた訳では無かったが、彼の経験に照らし合わせた瞬間、それが何であるかは直ぐに分かった。
(こいつは、まさか!?)
ソソンが思った正にその時、少年の背後から曲刀がスッと現れると、フォレンドの片腕は切り落とされていた。
それによって僅かに動きを止められた彼に、今度は縦に切れ目が入って真っ二つになって絶命する。
気がつけば、少年の前には曲刀を持つ異形の鎧をまとった小さな戦士が立っていた。
「必殺の斬撃」
そう異形の鎧が叫んだ瞬間、彼らの真ん中を割って何かが激しく駆け抜け、何人かが手傷を負うと同時に、守っていた荷物が破壊される。
すると、箱の中からはただの石が転がり出て来る。
聞かされていた物と違った事に、ナーウキン達はどよめいたが、同時に自分たちも囮であった事を悟った。
ちらっとナーウキンは少年の方に目をやったが、そっちに動揺は見られない。
最初から荷物に興味は無かったとでも言うのだろうか。
それだけ確認した瞬間、ソソンは魔法を全方位に放って目眩ましにし、序に通信の術を送って万が一に備えようとした。それを合図に、全員が素早くその場から逃げ出そうとした。
しかし、ソソンの放った魔法は彼らが逃げようとした方角の更に横方向へと流れて吸収されると、通信の術さえ無効化されてしまう。
それに反応して全員が急停止した。
単に異常な事態に警戒して止まった訳ではない。ある存在に気がついて、全員が危機を察知して止まったのだ。
いや、止まらざる得なかったと言う方が正しいだろう
それ以上、迂闊に進んでいたら死んでいた。誰もがそれを感じ取っていたのだ。
それを裏付けるかの様に、やがて暗い森の奥から禍々しい赤い長剣と赤い鎧をまとった女が現る。
全身から立ち上らせる炎の様な魔力は、それだけでも十分に危険な存在であると分からせるに十分だったが、ソソンは、それの持つ異様な力が見えていただけに余計に慄いた。
他の魔法使いも感づいたらしく、動揺の声を上げる。
女は愛らしく笑った。美しいとも言える容姿を持つ女の笑顔は場合によっては魅了されそうな程だったが、彼女の持つ殺意は決してソソン達を受け入れる気は無いという意味にも満ちていた。
「魔王・・・・」
誰かがそう呟いたが、同時に腹の奥ではそれを否定する自分たちも居た。
むしろ、恐怖を抑える為に否定の意味も込めて出て来た言葉なのかも知れない。
その様な存在、ある分けがないのだ。
だからこそ、現実的な言葉で目の前の存在を形容したはずだったが、恐怖は抑える事はできなかった。
女の姿が霞んだと思った瞬間、彼らの間に熱風が流れて次々と燃えながら切られた衝撃の痕跡を上げる。
ただ一人、ソソンだけは仁王立ちし、炎の塊の様な物を前面で受け止めるかの様にしていた。
だが、その炎の塊が地面へとゆっくりと落下すると、既に彼の体には大きな穴が空いており、致命傷を受けていた事が分かる。
「じ、じゃし・・」
ソソンは何かを言いかけて、そのまま倒れると同時に、周囲に更に炎が巻き上がる。
不思議と、それらは木々や草を焼くような事はなかった。
「あれ?」
赤髪の女が意外と言う感じで振り返ると、4人の男が炎の中から転がり出た。
鎧は剥げ落ち中には酷い火傷を負った者も居たが、少なくともまだ動く事は可能であった。
「ここは引き受ける。 行け」
そう言って立ちはだかったのはナーウキンだった。
彼の目には覚悟が宿り、それを背中に感じ取った3人は弾かれる様にして逃げ出す。
ただし、去り際にきっちりと攻撃を放ってナーウキンを援護してやった。
それの着弾と同時にナーウキンは飛び込んだが、赤髪の女の圧倒的な暴力が一閃しただけで、彼の命はあっけなく炎に溶け込む様にして消えた。
「どうですかな、東の方」
シーゼス王国所属の魔法使いが恐る恐る語りかける。
「ああ、貴方が睨んだ通り、当たりです。 これは不味い」
そう言ってラゲンザ・サイバリは曲げていた腰を伸ばすかの様に、伸びをしながら相手に向き直った。それを聞いて、数人居た連中は慄く様にして身を引く。
「しかし、良く分かりましたな。 私でなければ感知するのも難しい程の反応なのに。 お手柄です」
「いやいや。 前に偶然魔王の因子を調べる機会がありましてね。 それでも断定はできませんでしたので、わざわざ貴方にご足労願ったわけです」
「まあ、ここは任せてもらいましょう。 完全に処理するまでは誰も入れない方が良いでしょうな」
「勿論です。 我らは外にて既に拠点を構えていますので、何かありましたら声をかけて下さい。 では、後の事はお頼み申す」
そう言って、シーゼスの一団は足早にそこを去っていった。
そこは元レパンドル王国の王都であり、今ではシーゼスの拠点の一つとなっているのだが、中に入った魔法使いの一人が急にある事で騒ぎ出した為、その確認の為に魔王ことラゲンザが呼ばれてきていたのだ。
「現金な連中だ」
シーゼスの連中が去った後、ラゲンザは一人呟く。
レパンドルの王都が陥落した後、何だかんだと理由をつけて彼が入る事をシーゼス側は拒んだ。
恐らくだが、この王都にあると言う魔導兵器と関連する何かに関わらせたく無かったのだろう。
それが今頃になって入らせたのは、既に魔導兵器に関する調査が終わっている事を意味しており、更には不味い事態が発生している事を裏付けてもいた。
ただ、それらの情報はラゲンザはとっくに掴んでもいた。
この地にあると言われている魔導兵器は、"鍵"が無いために使えないらしい。
「ほ、ほ、本当の所、どど、どうなんだ?」
シーゼスの連中が居なくなったのと入れ替わる様にして、建物の影から音も無くキライスが現れた。
「嘘は言っていない。 ただ、これは何者かが既に処理した後だな。 幾つかやり損なった物もある様だが・・・・少なくとも魔王の因子は活性化してない。 当分は安全だろう」
「あ、あ、安全? じょ、じょ、冗談にしても、わわ、笑えないな」
「ふん、いっその事、魔王を新たに生み出すのも面白いかもしれないぞ」
「お、お、お前の様な魔王が、かか、必ず誕生するわけじゃない。 む、む、むしろ、厄介事になって、け、け、結局は俺たちが割を、くく、食うことになる」
「そうだな・・・」
そう言って、どこかラゲンザは寂しげに唇をキュッと結んだ。
「れ、れ、レパンドルの連中、こ、こ、この事を知っていたと思うか?」
「どうだろうな。 ただ、引っ越しするかの様に逃げ出した手際を考えると、少なくとも国王や近しい連中は勘付いていたのかもしれん。 処理が施されているってのも判断どころだな」
言いながら、ラゲンザが地面のある地点に指を向けると、黒い魔力の塊が引きずり出され、それを手にして握りつぶす。
「・・・ああ、あの、し、し、シーゼスの魔法使い、ぐ、ぐ、偶然に、ここ、ここに、はは、配属、ささ、されたと、おお、思うか?」
「いや。 恐らくだが、シーゼスの連中も知ってて見抜ける奴を寄越したんだろうな」
「で、で、では、こ、こ、ここで騒ぎに、なな、なったという、ま、ま、魔王は、れ、れ、連中が?」
「そこまでは分からんが、少し見えてきた気もする。 シーゼスの連中が、魔王・・・俺に対して何か含んだ様な見方をしている意味がな・・・・ところで、輸送部隊の話は聞いたか?」
「あ、ああ。 あ、あ、あれ程の戦力を揃えたと言うのに、い、い、生きて帰ったのは、た、た、たったの3人だけだったらしいな」
「お陰で情報は得られた。 もっとも、まだ謎は多いがな」
「し、し、襲撃してきた連中、に、に、荷物に興味は、なな、な、無かった様だが、だ、だとしたら、ね、ね、狙いは何だ?」
「さてな。 しかし、少なくとも、これでやり易くなったのは確かだ」
「が、が、ガラだけの物とは言え、あ、あ、あの荷物を扱うには、き、き、危険な賭けだったと、おお、思うが?」
「いっその事、襲撃してきた連中が手にしてくれた方が良かったかもな」
「わ、わ、悪い冗談だ。 せ、せ、制御できない状態で、は、は、放たれたら、だ、だ、大問題だ。 とと、とは言え、ほ、本当に、つ、つ、使うのか? い、幾ら、ひ、ひ、東側で、ま、魔導兵器に、ぶ、ぶ、ぶつけるとは言え、む、無謀では無いか」
「俺が決めた事ではないからな、今更どうにもならん。 上の連中、おもちゃが使えるとあって、はしゃいでもいるんだろう。 バカバカしい。 とは言え、それならそうと、こっちも好きにさせてもらうさ」
そう言って口だけを歪めて笑ったラゲンザだったが、目の方はピクリとも表情を変えておらず、彼の特異さがそれだけで分かる様でもあった。
「それより、先走るなよキライス? 輸送部隊を襲ったのが、お前が戦った勇者とはまだ確認できていない」
「ほ、ほ、報告を、き、き、聞いた限りでは、お、お、俺は、ま、ま、間違いないと見ている」
「だとしてもだ。 今は、こっちに集中しろ。 俺の見立てでは、その勇者ってのは何かしらの覚醒を果たした可能性もあると見ている。 それも、お前が促した可能性だってあるんだ。 今度、下手に接触してみろ。 ただの骨董品が、本物のヴィーダル殺しの勇者に化けるかも知れん」
「ま、ま、まさかな。 か、か、買い被りすぎだ。 あ、あ、あ、あの程度、た、た、たかが知れている」
「確かに、直接戦ったお前の意見だ。 正しいんだろう。 だが、これは魔王としての勘だ。 今は、迂闊に動くな」
キライスは、それに頷くだけで答えた。
一番高い塔の天辺に登ったセイレアヌは、そこから遥か遠くにあるであろうレパンドル王都の方向を眺めていた。
塔は元々石か何かで作られている様だが、今は植物の蔦が無数に巻き付いており、相当な高さにも関わらず登る事も可能となっている。
ただし、高さが高さなだけに、好き好んで登ろうと言う者は殆ど居ない。
危険と言うよりは、登る労力が大変と言うのが最大の理由だろう。
その高さを持ってしても相当に距離があるのと、高低差がある為に王都が見える事はありえない。
見える物と言えば代わり映えしない木々だけである。
下の方の木々はあまり揺れておらず、風は吹いていない様にも見えたが、塔の付近は風が吹いており、それによってセイレアヌの髪は乱されていたが、彼女は特に気にする事も無くかつての故郷の方向を見続けていた。
敵の襲撃を受けた時、ラウナルが王都を捨てると言った時には驚いたが、それ以上にかつての王が残した業が今だに王都に蔓延っていると言う事実に、彼女は今になって落胆を覚えていた。
セイレアヌ達の父親、つまりは前王であったルガルシム・ホバートは、国を憂いるあまりに心を病み、最後は臣下の一人であったラスターム・ジェバ、そしてレパンドル唯一の魔法使いであったソリアス・レスタルムと相打ちする形で死んだとされている。
亡くなる数年前から王は人を信じる事ができなくなり、何事も一人で決めようとした上に、しかも命ずる内容にも狂気が見え隠れしていて人々を不安にさせていた。
そんな中の出来事であった為か、王の死にレパンドル国民は驚きはしたが、その後に王位を継いたのがラウナルでもあった為に、安堵したというのが本音でもあっただろう。
それが、一般的に知られている前王が没した話の全容でもある。
ところが、そこには更に数人にしか知られていない事実があったのだ。
確かにルガルシムは心を病んでいたが、しかしそれは、彼自身が持つ様になった強い猜疑心のせいでもあった。
何時の頃からそうなったのかは分からないが、キッカケは恐らくジュデの森に起こった異変による情勢の目まぐるしい変化が関係していたのは間違いないだろう。
モンスターの備えにシーゼスの侵略行為。
これらの対処に毎日明け暮れていた彼は、何時しか絶大な力を欲する様になっていたのかも知れない。
そして、どこから持ち込んだのか、魔王の遺物を手に入れてしまい、その力を取り込もうと目論見始める。
それに気が付いて阻止したのが忠臣でもあったラスタームであり、そして魔王に成りかけていたとされている王を、遺物共々命を持って処理した者が魔法使いのソリアスであった。
当然だが、その事実は伏せられており、多くの者は知らされていない。
実際、セイレアヌとラウナルも知らされたのは一年ほど経った後である。
それを教えた者は、ある意味で数少ない目撃者にして生き残ったダガスドであった。
ダガスドによれば全ての処理は終了しており、魔王の脅威は無いと言うのが彼の説明だったのだが、ラウナルだけは万が一を考えて事実を知る一人でもあったアライアルに命じて調査させていたのだ。
そして、遂に魔王の因子が王都内に存在する事を発見してしまったのである。
魔王の因子とは魔王由来の何かであり、決まった形状の物がある訳ではない。
魔王が使った武器、鎧、服などには強い魔力の毒が染み込んでおり、それらの欠片であっても影響を与えると言う非常に厄介な物とされている。
ただし、強い魔力を持っていると言う事は、それだけ魔法使いなどには探知し易く、それで見つけだして適切に処理されると言う一面を持つ。
また、魔王の因子は運ばれる時こそ由来する物にくっついているが、発動する場合は土地と言った場所に定着して行われる為、発動するにも時間が必要となる。
それは、ある意味で適切に扱えば危険性を押さえ込める猶予を持っており、そうした特性もあってか、魔王の因子とは常に強い魔力を放っている訳でもないのだ。
弱くなったり強くなったりする場合もあれば、弱いままで毒性だけをばら撒いているらしいケースもあり、それによってヒューマスに影響を与える事があった。
本物の魔王に成れる者はほんの一握りではあるが、毒に当たり過ぎた者は魔王に近い物へと変じて暴走する危険性もある。
一番厄介なのは、魔王の因子は刺激を受けてから活動を始めるケースも多く、その場では見逃してしまう可能性も少なからずあるという事だろう。
ダガスドによれば魔法使いであるソリアスが命を捨ててまで、これらに繋がる全てを破壊したと言っていたが、ラウナルは別の要因を疑っていた。
ダガスドとソリアスの前提は、前王が自ら魔王に関する遺物を持ち込んだ形で語られており、範囲を絞った上で処理できたと考えていた。
だがラウナルは、魔王の因子は、前王が持ち込んだ物だけでは無いと睨んでいたのである。
そもそも、猜疑心に塗れていた前王は他者との接触すら強く拒み、それがロウバル連合とも少なくない軋轢を生んでいた事もあって、今日におけるレパンドルの孤立を招く一因ともなっていた程なのだ。
それ故に何者かから入手したとは考え辛く、だとしたら、国内に紛れ込まされた物を手にしたとラウナルは考える様になっていたのだ。
それが偶然か、誰かの手引であったかは分からないが、少なくともラウナルのその読みは当たっていた。
幸いと言って良いのは、アライアルが調べた限りでは魔王の因子はまだ活性化途中であり、土地に根付いている段階でもあった為、今の内に人々が離れると少なくとも当面の危険性は回避されると事であった。
もっとも、そこには活性化した原因が勇者の登場による物では無いかという別の見解も含まれていたのだが、確たる証拠も無い為に彼とアライアルだけの話として混乱を生じさせない意味でも秘密にする事にした。
当然だが、その事実はセイレアヌやダガスドさえ知らない。
ここに来てセイレアヌの望郷の思いは募るばかりだったが、不思議と彼女は今までに無い穏やかな気分も同時に感じる様にもなっていた為、それが一層そうさせていたのかも知れない。
ハルタ達勇者一行の優れた仲間らによる統率は、予想以上に上手く行っていた。
特にユーカの手腕は絶大であり、適切とも言える指示や取り組みによって人々の生活は上手く回っていて、セイレアヌの出番はまるで無かった。
何より、ユーカには文字通りに力がある為、ある意味で絶対的な存在として君臨していると言う見方もできる。
そのせいでもあるだろうが、本来であれば危惧するべきハルタ達が抱える問題すらも抑え込まれていた。
もっとも、ユーカが第一としているのはハルタの事でもある為か、決してレパンドル国民に過干渉などしないので、その辺のバランスが奇跡的な関係を生み出してもいると言えるだろう。
そして、ここには争いや差し迫った危機が無い。
国は既に滅んだと言う事実は、ある意味でセイレアヌに開放感を与えており、これまで背負っていた全ての荷物が降ろされた様な気分を味わせてもいた。
レパンドル奪還の計画も進められてはいたが、現段階では本当の意味での準備段階でしか無く、やはりセイレアヌが関われる部分は無い。
いや、敢えてダガスドやラウナルが遠ざけているのかも知れない。
以前の彼女なら無理にでも食い込もうとしただろうが、今の彼女にはそんな気さえ起こらなかった。
ハルタらの手厚い対応もあってか、どこか彼女は客として置かれている様な状態でもあり、誰もがそれを良しとしている雰囲気もあるのも彼女の心を穏やかにしていた。
一つだけ時折思い出して懸念する事と言えば、味方と信じていた連中が実はそうでもなかった事であろう。
ユールフィアが滅んだと聞かされた時、救援を出すべきだと強く進言したのはセイレアヌだった。
この頃は、まだ彼女も何かしてやろうと気力に満ち、積極的に動いていた。
盟友国の危機に馳せ参じ、手を差し伸べて必要なら相手の国民さえも今の拠点に受け入れる。
ハルタやその取り巻きの説得も含めてかなり難儀したが、彼女は信念に燃えて一歩も下がらない心持ちでいたのだ。
ところが、そんな彼女の思いはユールフィア自体によって裏切られる事になる。
ある時、ユールフィアの様子見と救出を兼ねて魔装騎士団を送り出したのだが、彼らは酷く憤慨して戻ってきた。
そして、ある連中がセイレアヌ達の前に引きずり出されて事情を聞かされると、彼女を支えていた信念さえも崩れさる事となった。
セイレアヌ達の前に引きずり出された者とは、ユールフィアの魔法使い連中である。
相手の警戒を解く為にレパンドルの騎士達は、敢えて装備品を脱ぐ形で彼らに近づいたのだが、好意的に受け取られると思った矢先、レパンドルの生き残りと知った瞬間、ユールフィアの魔法使い達は激しく彼らを罵ったと言う。
曰く。
「堤防の役目も果たせない役立たず共」
「わざわざ魔法武器が流出しない様にお膳立てしてやったのに、結局は無駄にしたクズ国家」
などなど・・・明らかにレパンドルを下に見た罵詈雑言が浴びせられ、それに我慢できなくなった他の騎士達が飛び出して連中を叩きのめしたと言う。
「そ、そんな・・・私達はユールフィアに利用されて・・・」
セイレアヌは絶句した。
これまでして来た苦労は、実は全て他の連中によって仕組まれていた可能性があったと同時に、彼女が行っていた交渉も努力も、全ては何者かの掌で踊らされていたに過ぎないと言う事が彼女を打ちのめしたのだ。
無論、全てがそうではなかったのだが、今の彼女に取っては思い当たる節もあって愕然とした。
チラリとラウナルとアライアルを見れば、彼らはあまり驚いている様には見えなかったので、もしかしたら、ある程度は知っていたのかも知れない。
今思い返せば、この二人は確かにユールフィアとの交渉には積極的ではなかったはずだ。
この出来事を境にして、セイレアヌは表立った活動を止めてしまうのだった。
だが、彼女の心境とは裏腹に、周囲は動き出していた。
一つ大きく変化したのは、新生レパンドル騎士団が誕生した事であろう。
ユールフィアの魔法使い連中を捉えた事により、ダガスドを始めとした連中はハルタ達を頼り、半ば恫喝と身体的な干渉を持って言うことを聞かせると言う強硬手段に出たのである。
それを成した者はやはりユーカであり、特殊な毒によって、その生命と快楽で縛りつけると、この王都跡にあると言う魔法武器を解析させて使える様にしたのだ。
以前の彼女なら、絶対にそんな暴挙を許さなかっただろう。
水中から回収された魔法武器をセイレアヌも一度だけ見たことがある。
一目で格の違いが分かる様な完成度を持っており、操る事ができれば今までの擬きに過ぎなかったレパンドルの魔装騎士団とは、一線を画す戦闘力を手に入れられるだろう。
こうして新生魔装騎士団は誕生し、その隊長に再びセイレアヌが指名されたのだが、彼女は辞退した。
これに対し、周囲は特に引き止める様な事はしなかった。
少なからず、彼女の心情を察しての事なのだろう。
実際、穏やかに過ごす彼女を見ていた周りの連中は、これで良いとさえ思っていた程だ。
本来であればセイレアヌは家庭的であり、優しい娘なのである。
子供らと楽しそうに過ごす彼女の姿こそが、本当に送るべき人生であったのかも知れない。
その様子を見ていたダガスド達の希望するところは、そこにあったと言えるだろう。
できれば、二度と彼女を戦に引っ張り出す様な事はしてはならないと言うのが、本当の彼らの願いでもある。
しかし、それも叶う事は無いのかも知れない。
少なくとも、王都を奪還して国を再興させるまでは、ここで穏やかに暮らす事はできるだろう。
逆に言うのであれば、セイレアヌが国へと戻った時、再び彼女は自分の意志とは関係なく、再び表舞台に立たなければならなくなる。
それはレパンドルと言う国民の意志でもあるのだ。
例えラウナルらが拒もうとしても、世間は許してくれないだろう。
既に、彼女は自身を世の中に影響のある存在として、自ら売り出してしまってもいるのだ。
特に、勇者ハルタと言う存在を自ら引き入れてしまった事で、彼女には一歩でも前に踏み出せば、引き返せない道が暗く長く横たわっていたのである・・・・・




