~辺境の王者~ -2. 目指せ、レベルアップ
「甘かった・・・」
俺は毛玉のモンスター、ワビッチを前にして後悔の言葉を口にした。
奴の攻撃を受けて右肩からはドクドクと血が流れ出る。
アドレナリンが出ている為か不思議と痛みは無かったが、流血の感覚だけは伝わってくる。
怪我を左手で恐怖と共に押さえ込み、右手は拾った短剣を前に出して防御の姿勢を取った。
ワビッチは、そのままワビッチと言うモンスターで大きさは小型犬くらい。
強さは『ハーピークラス第10位』危険度も『カラス並』となっている。
武器は体当たりと爪で、全身に生えた毛がそのまま防具の役目を果たすらしい。
説明には『全身を毛で覆われた小型のモンスターで、それが防御の役割を果たす。すばしっこいが最弱のモンスターであり、全く驚異にならない』とあった。
それも踏まえレベルも1程度だったので俺が相手にするにはピッタリだと思ったのだが、実際に戦ってみると想像以上に相手の方が強かった。
問題なのはそのすばしっこさだ。
どこに顔や目があるか分からないモンスターだが、全身を使って転がったり跳ねたりするので捉え難く、逆に向こうはコッチの隙きを突いては体当たりをしてきた。
しかも知能が備わっているのか本能的な物かは分からないが、その体当たりも闇雲に行っていた訳ではない様で戦略的な要素を持って行っていたらしい。
モフモフした毛玉故に衝撃はあるが体当たりその物は大した事が無く、それに俺もついつい油断してしまった。
アニーズで爪の存在を確認していたのに全くそうした気配を見せないので、俺が雑になった所に痛恨の一撃を受けてしまったのだ。
更に言えば体当たりも後からジワジワと効果を発揮し、気が付くとすっかり体力を消耗していた。
実際、足の動きも鈍くなり、軽かったはずの短剣が異常に重く感じる。怪我のせいもあるのかも知れないが右手がプルプルと震えている。
それを見てワビッチが様子を窺う様に前後左右にと動いて更にコッチの消耗を狙う。
その動きに機敏に合わせてコッチも動き「まだやれるぞ」と虚勢を張るが、正直に言うとかなり限界が近い。
ワビッチの評価には『ハーピークラス第10位』とか『カラス並』ってあったが、俺の評価って、もしかしたらそれよりも劣るって事なのか?
あの女性が居てくれたら・・・・・
俺は二日前の谷の付近で起きた出来事を思い出していた。
突然現れた女性は何やら妙な変化を起こして谷底へと真っ逆さまに落ちていった・・・いや、直前で消えた様な気もするが、それだけ凄い勢いで谷底に落ちていったのかもしれない。
理解が追いつかない俺は暫くその場で荒く呼吸をするしかなく、漸く落ち着きを取り戻して行動した時には完全に彼女の姿を見失っていた。
下に降りて探そうかとも考えたのだが、試しに使ったアニーズには距離があり過ぎるのか、それとも俺が消耗しすぎたのか詳細が正しく表示されず、正体は不明であった物のレベル10以上のモンスターの存在が次々と浮かび上がったので断念した。
一応、上から声をかけてはみたのだが全く応答は無かった。
単に届いていないだけなのか、それとも、この高さから落ちた為に・・・・・
俺は最後の考えの方は頭を振って掻き消した。
彼女が何者かは知らないが俺を結果的に助けてくれた事や、何かを知っていそうな事、そして会話が出来る唯一の相手だった事もあり絶望的な考えはできるだけしない様にした。
何より、あの狂った妖刀を手にして振るっていたくらいだ、この程度で死ぬとは思えない。
とは言え、今の俺ではこの崖を降りて探しに行くのは死にに行くのと一緒だ。
そこでRPGの定石であるレベル上げを行い、頃合いを見て助けに行く事にしたのだ。
もしかしたら向こうから崖を這い上がってくる可能性だってある。
アニーズと言う能力を見るに、この世界は少なくともゲーム世界に近い能力の管理がされているらしいので俺の考えは間違っていないはずだ。
しかし、ここで一つの問題が浮上してくる。
俺には碌な装備が無いのだ。
唯一と言って良い武器は、あの女性と一緒に谷底に落ちてしまった。
一応、付近を探してみたのだが武器になりそうな物は何も見つからない。
木の枝や石なんて物もあるにはあるのだが、これでイザ戦えと言われたら到底無理だと分かる。
落ちている木は腐りかけており脆くて有効な打撃を与えられそうにないし、石は投げる以外に使えそうになく、俺の腕力頼みだと直接攻撃より心許ない。
何より、この程度で倒せる程モンスターは弱くは無いはずだ。
そう考えながら俺は女性と武器に未練を残しながらも、その場を立ち去る事にした。
また何時あのグラッド・ラーナンが戻って来るか分からないと言う恐怖もあったからだが、この森は生息地なのか、アチコチにモンスターが居て避けるのに苦労した。
幸いなのはアニーズによってモンスターの探知は比較的簡単にできたので、最初の様な不意の遭遇は完全に回避できた。
そうやって茂みの中をコソコソと動き回っていた時、俺は偶然にも人骨を発見した。
アニーズによると『名も無き者の死体』と出ただけで、それ以上の情報は出てこなかったのだが、鎧を身に着けていたり剣を握ったまま絶命しているのを見ると、いわゆる冒険者って奴なのかも知れない。
こんな所まで人が来ていたと言うのは、少なからず俺にとっての希望の光となった。
この森を抜ければ少なくとも人に出会える可能性は高いし、もしかしたら遭遇する事だってあるはずだ。
人骨の回りには地面を引っ掻いて描いたらしい何かの模様が書かれていた。
結界か何かなのだろうか。
念の為にアニーズで確認してはみたが、何の情報も得られなかった。どうやら、とっくに効果は切れていた様だ。
しかし、そのお陰でモンスターに食い荒らされる事無く、こうして残っていたのかも知れない。
この幸運に期待したが、鎧や剣は痛みが酷くて使い物にならなかった。
特に鎧はモンスターの一撃でも受けたのか、鋭く抉れていてもはや防具としての役目は果たせそうに無い。
剣も刃こぼれが幾つも見られ更には錆が酷い。
よく見てみると錆の程度に差がある。
何かが流れた様な形で模様が出来ているが、これはモンスターの血の跡なのだろうか。
だとしたら最後まで抵抗して戦っていたのかもしれない。
死者の持ち物を漁るのは躊躇われたが、今は俺にも余裕がない。
申し訳ないと思いつつも何か役に立つ物が無いかと調べさせてもらった。
すると、小物入れの中に短剣を見つけた。
入れ物は革でできており更には油を染み込ませてあった様で、短剣の状態は多少の錆は見えるがすこぶる良い。また、短剣の他にも何かの石が入っていた。
直感的に火打ち石っぽいと思ったのだが、粉々になっていて使えそうに無かった。
短剣と言っても刃の長さは30センチ近くあるので、今の俺には十分過ぎる武器だ。
それを持って俺は経験値稼ぎを行う事にした。
幸いにも俺にはアニーズと言う、あまり当てにはならないのだが大まかな情報を得る手段がある。
それを駆使して倒せそうなモンスターを吟味していたら、このワビッチを見つけたのだ。
簡単に倒せると踏んで挑んだのだが実際には大きな間違いだった。
同じレベル1なのに向こうは戦い慣れしていると言って良く、無理な事は絶対にしないしミスや隙きを見せると言うヘマもしない。
恐らくだが、俺よりも先に強敵と遭遇して生き残って来たのだろう。
そうした僅かな実戦経験の違いが、同レベルなのに決定的な差として横たわっているのを感じる。
すると、あさっての思考をしていたのを見抜いたのか、フェイントをかけて奴が体当たりをしてきた。
それをギリギリで反応して短剣で受け流す。
この様な接触時、少なからず切りつけたり刺したりしているのだが、毛の厚さが邪魔をして有効なダメージを与えられない。
「アニーズ!」
俺は状況確認の為に相手と自分のデータを頭の中に展開させる。
相変わらずワビッチの状態には『快調』『興奮』『気合充実』と言うポジティブな表示がされていて、ダメージを受けている様子が見られない。
一方の俺の状態には『怪我』『疲労』『憔悴』『焦り』『弱気』『体力低下・中』とか、これでもかと言う位にネガティブな事が並ぶ。
ただ一つだけ朗報があるとすれば、短剣のレベルが3にまで上がっていることだ。
この武器レベルの意味は良く分からないのだが攻撃を当てさえすれば経験値が入るらしく、気が付くとここまでレベルアップしていた。
まあ、相手から受けた攻撃の回数から考えると上がり幅は低いとも言えるが。
とは言え、この調子で行けばレベルはどんどん上がるだろう。そうなれば何かしらの変化が期待できるかも知れない。
そう思い俺は傷を抑えていた方の手を離し、両手で短剣を握りしめた。
「頼むぜ、相棒」
俺はある意味で命綱である短剣に全てを託す意味で語りかける。
と、俺の右手が熱くなって行き、同時に光の様な物が右手の拳を中心に広がる。
そして、一瞬だけその光が強く辺りを照らした。
あまりの眩しさに俺は咄嗟に目を覆う。
暫くの後、恐る恐る目を開けると、そこには小さな女の子が短剣を握って立っていた。顔立ちからして中学生っぽい。
「え?は?」
何が何だか分からない俺は、武器が手に無い焦りもあって混乱する。
いや変わりに、その小さな女の子の髪を掴んでいたのだが。
「ご主人様ぁ」
そんな俺を他所に突然現れた小さな女の子が、甘える様な仕草で俺にすり寄って来る。
「ご、ご主人様?」
「ハイ、ご主人様」
そう言ってニコニコと俺を見る小さな女の子。
赤茶色の髪をショートカットにしたその女の子は一見すると人間の様なのだが、身体の所々に赤錆っぽい斑模様があってどこか不自然だった。
また、服は申し訳程度の布を腰と胸に巻いているだけなので、その姿にも俺は焦る。
と、彼女の肩越しに不意を突くようにして、ワビッチが突撃して来るのが見えた。
「あ、あぶ・・・」
「邪魔するな!」
先程の甘えた声色とは明らかに違う、怒気と鋭さを持った声を発しながら小さな女の子が短剣を振ると、そのたった一撃でワビッチは真っ二つになってしまう。
そのまま横っ飛びに吹き飛ぶと、地面に僅かにバウンドしてそのまま動かなくなった。
「危なかったですね、ご主人様」
そう言って、また彼女は俺をニコニコと見上げる。
ただ、その表情は強張っていると言うか、無理に笑顔を作ろうとしている感じで違和感がある。
何なんだコレは。
この世界では武器のレベルが一定以上に上がると人間化するのか?
って、待てよ。
だとすると、あの崖の所に現れた女性、アレもまさか妖刀が变化した姿なのか!?
「え、えっと、君は?」
「うん?ご主人様の武器ですよ?」
そう言って短剣が変化したらしい少女は小首を傾げる。
どうやら間違いないらしい。
念の為アニーズで確認して見たのだが『短剣』と出るだけで、俺が拾った時に見た状態とはレベル以外には何も変化が見られない。
説明の方にも『一般的な短剣。武器にもなるし、日常生活にも使える便利な道具』とあり、人化した事に関しては特に触れられていない。
一つ違うとしたら、状態の中に『中程度の極上』と言う新たな表示が加わった事くらいだ。
と言う事は、これが普通って事なのか?
だとしたら俺は幾つかの点でガッカリな状況にある事に気が付く。
この世界に付いての手掛かりや、俺が置かれた状況をあのグラッド・ラーナンから助けてくれた女性なら何か知っていると思ったのだが、アレが単なる妖刀が変化した物なら、俺の考えは否定される事になるからだ。
「うーん・・・・」
「大丈夫ですか、ご主人様?」
悩む俺を短剣から変化した女の子が心配そうな顔をして見上げる。
まあ、考え様によっては、コレはコレで良い状況なのかも知れない。
この娘のレベルは3だが、少なくとも俺よりは強い。
協力してモンスターと戦えば、俺一人でやるよりは効率良く確実に経験値を稼げるはずだ。
そんな風に考えていたら、突然、短剣の女の子がクンクンと俺の匂いを嗅ぎ始めた。
何をしているのかと思っていたら、彼女が取った次の行動に俺はギョッとする。
おもむろに胸を覆っていた布を脱ごうとし始めたのだ。
慌てて止める俺。
「な、何をしてるんだ?」
「え?だって、ご主人様、怪我してる」
そう言って右肩を指さした。ああ・・・
「だ、大丈夫だよ。思った程に深い傷じゃ無かったらしい。痛みもあまりないし、血も既に止まっているから問題ない」
「本当ですか」
そう言って、不安そうな顔をする短剣の女の子。
相変わらずどこかぎこちない表情だが、変化は豊かなので可愛い。
しかし、できれば綺麗な水を探したいのが本音ではある。
バイ菌とか大丈夫なのだろうか。
一応、アニーズの確認ではワビッチに毒なんて能力は無かったし、俺の状態にもそうした気配は見えないので今のところは本当に大丈夫なのだろう。
正直言って今頃になってズキズキと傷が痛み始めてはいたのだが、吹き出した血の量とは裏腹に怪我自体は本当に大した事は無かったらしい。
状態にも『怪我/小康』と出ているので、特に深刻な傷でも無いようだ。
俺は水源の探索と同時に、短剣の女の子に経験値稼ぎの協力をして欲しいと頼む事にした。
見た目、中学生か小学生っぽい女の子に大の男が先頭に立って戦って欲しいと言うのは情けない事この上ないのだが、現状では他に手はない。
レベル1のモンスターにこの体たらくなのだ、彼女の力を頼る以外にないだろう。と、自分を説得する。
第一、武器は一つしか無いのだ。俺が持つより彼女が使った方が遥かに有用なのは目に見えている。
「・・・と、言う事何だが、どうかな」
「ハイ!私、ご主人様の為に頑張ります!」
俺の後ろめたさとは裏腹に、彼女は快く承諾してくれた。何となくホッとする俺。
「実は、もう一つお願いがある」
「ハイ、何でしょう」
「モンスターにとどめを刺す時、君の短剣を貸して欲しいんだよね」
「え?・・・多分、駄目だと思いますよ」
以外な返事に俺は驚く。
協力はしてくれるが武器は貸してくれないって、今までの対応からしたら意外だ。
「どうして?」
「・・・・持ってみて下さい」
そう言って口では駄目と言ったのに彼女は短剣を素直に差し出す。
そして差し出された短剣を持ってみると異常に軽い事に気が付いた。
ペラペラはしていないのだが印象的には紙でも持っている感じで、見た目とのギャップから手がムズムズする。
アニーズで確認すると『抜け殻』とだけ表示された。
これは推測だが、人化した武器は両方が合わさって機能するらしく、むしろ人化した方がメインとなるのか武器の方は離されると中身がスカスカにでもなるらしい。
強度的には特に脆くなった感じはしないのだが、武器としての機能は喪失しているらしく、刃の部分を触っても全く切れる気配がない。
これでは止めを刺す武器は別に調達しないとならないだろう。
「仕方がない。別の武器を探すか」
「本当にごめんなさい」
溜息を付く俺に短剣の女の子が申し訳なさそうに謝る。
「いや、君は全然悪く無いよ。むしろ、居てくれて助かる」
「本当?」
一転、パァッとした明るい顔を向ける短剣の女の子。何だか、この娘の笑顔には救われている気がする。
「ところで・・・君、名前は?」
「短剣です」
「え?」
「短剣」
「・・・・」
いや、これじゃ呼び難い。
彼女を指すのか、武器の方を指すのか混乱しそうだ。
「短剣って呼び方は不便だ。何か別の呼び名を付けていいかな?」
それを聞いた途端、彼女は目をキラキラさせてコクコクと頷く。
短剣だからタンタン・・・は安易だし、ケーンは・・・・ちょっと違う。
「うーん・・・ターナ。君の名前は、ターナでどう?」
「ターナ!」
そう言った瞬間、彼女の全身が光に包み込まれ、それが収まった時、今まで不自然だった顔がより人間に近い柔らかい表情を浮かべて微笑んでいた。