明け方センチメンタル
明け方、目を覚ますとテレビがつけっぱなしだった。
寝る前に見ていたドラマの話の最後まではたどり着けず、起きたときにはカラーパターンが映っていた。
つけっぱなしだったテレビのせいで頭痛がする。
昨日帰ってきてから寂しくてつけたテレビは、今こうやって私を苦しめる。
まるで恋のようだね、なんてふざけてみても頭痛のせいでやっぱり気分は悪い。
時計を見ると、午前4時45分。
外に飛び出した私は近所の川沿いを歩く。
澄んだ空気と音の少なさで、頭痛が幾分マシに感じる。
日課のウォーキングをする老人、出社前にランニングするビジネスマン、朝露で湿ったベンチ。
同じようで、微妙に違う景色が毎回広がる。
この微妙な違いを毎回ちゃんと感じられたなら、人生はもっと豊かで彩られているのかもしれない。
ちょっと万華鏡みたいって思ったけど、よく考えたらあたしは万華鏡が嫌いだった。
たまに遠出したり旅行に行ったりしても痛み止めを飲むようなもので、その根本から治ることはなかった。
毎日がスペシャルだなんて歌詞の唄も、ずいぶん昔にあったような気がする。
そんな唄も、3回も聴けばスペシャルな気持ちはなくなってしまった。
スペシャルなんて歌詞を聴くほどに、私の生きてきた時間も、これから消費していく時間も凡庸なのだと実感してしまう。
部屋に戻って出社の準備をする。
いつもどおり朝食を食べて、いつもどおり着替え、いつもどおりの化粧をして、いつもどおりに髪を整える。
いつもどおりの朝の準備は慣れたものだ。
朝の準備が毎朝違ってたら大変だなって思う。
そう考えたら、毎日がスペシャルじゃないほうがいいのかもしれないとも思う。
行き場の無い私の魂は、いつもどおり会社へと流されていく。
明け方はなぜだか、いつもセンチメンタル。




