表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

第九話 中の人がおくる外の人

戦は終わった。


関ヶ原合戦で徳川家康は討死。

東軍は総大将が真っ先に討ち取られると言う異常事態に陥り、事態は急激に収束した。


家康の四男・松平忠吉は負傷し降伏。

重臣の井伊直政と本多忠勝も戦死し、惨敗を喫したと言っても過言ではない。


中山道を辿って来ていた家康の三男・秀忠も降伏。

本多正信、大久保忠隣らと共に軟禁されている。



東海道を東に向かった宇喜多秀家は江戸城を無血開城。

家康の五男・松平信吉を捕虜とした。


更に北上し、宇都宮で守りを固めていた家康の次男・結城秀康と交渉。

豊臣一門に復すことを条件に和睦した。



上杉は最上を攻め抜き、宇喜多・結城連合軍が北上し伊達を掣肘せいちゅう

最上・伊達は降伏。


因みに、越後の堀は西軍に付いて前田の動きを牽制していた。

お陰で越前での戦が多少楽になり、前田が南下することもなかったらしい。


堀との繋ぎは広家が一晩でやってくれていました。

実は知らんかったけど、おくびにも出さず労ってやった。



四国では長宗我部が生駒、蜂須賀を抑えて阿波と讃岐を確保。

毛利の支援もあったけど、まあ言わぬが花よな。


伊予は宣言通り毛利が貰った。

実は西軍も多い伊予だけど、その辺は抑えつつ藤堂や加藤らの留守居を蹴散らしてくれたよ。



九州は如水が暴れたが、史実よりは大人しかったかも。

大友が豊後に入り、日向を窺いつつの肥後攻め。

加藤清正は如水が説得して和睦したらしい。


このように功を上げた如水だが、長政の存在がネックだったな。

今正に交渉中だが、大人しくして欲しいものである。



他、関ヶ原から離脱した諸将は無事捕獲した。

主に福島と加藤な。


寺沢は落ち武者狩りに遭って敢え無く首を取られた、らしい。

南無ー。



そんな訳でお待ちかね。

信賞必罰と論功行賞だっ!


事前に作った草案は、半ば妄想の域に達している。

そのまま使う訳にはいかんので、広家たちと練り直したよ。


そんで、石田や増田、宇喜多などと相談して決定。

石田三成が望んだ豊臣家の新体制も同時に発表となる。


場所は大坂城西の丸。

秀頼には簡単に挨拶だけ済ませ、実務はこっちで取り仕切ろう。




論功行賞。

それは功の大小を細かに調べ、各々に相応した賞を与えること。

それは、基本的に全ての武将たちが心待ちにしているもの。


西軍に組した者たちは期待に胸を膨らませ、東軍から鞍替えした者は緊張しつつ。

合戦後に降伏した者、捕虜となった者たちは暗い表情を隠そうともせずに。


その発表が為された。



「徳川家は改易とする」


奉行に復した石田三成が淡々と言葉を紡ぐ。

場はややざわついたが、反論の声は聞こえてこない。


石田三成は徳川家康の罪状を紡ぎ続けているが、徳川家と言う大名は豊臣政権下から消滅した。


徳川の改易は我ながら割と思い切った。

実際、草案を示した段階では慎重論も幾つか出たしな。


でもま、腹案を合わせて提示したらそれも引っ込んだ。

特に広家辺りは良い笑顔を見せてくれた。

どういう意味かは知らんけど。



旧徳川勢の去就は以下の通り。


結城秀康は豊臣秀康として一門衆に列す。

信濃で十万石。


尚、結城家は西軍として活動した結城朝勝が十万石で相続。


松平忠吉は関ヶ原後の所作が立派だったと言うことで、但馬に五万石。


徳川秀忠は、正室の繋がりから豊臣秀忠として一門衆に。

伊勢で五万石を支給する。


その他の一門、家臣たちは全て改易。

徳川家は消滅したが、松平家は辛うじて残った。


二百五十万石から二十万石へ。

今後大変だろうが、まあ頑張って欲しいものである。



その他、主な大名で改易されたのは

福島正則、加藤嘉明、黒田長政、細川忠興、京極高知、田中吉政、金森長近、古田重勝は関ヶ原参戦大名。

さらに各地で蠢動した伊達政宗、最上義光、秋田実季、前田利長、戸沢政盛、伊東祐兵など。


あと当主討死で収公されたのが

浅野幸長、池田輝政、寺沢広高、織田有楽、脇坂安治ら。


減転封に筒井定次、山内一豊、中村一忠、堀尾忠氏、有馬則頼とか。


また、藤堂高虎と生駒一正、蜂須賀至鎮は改易された後で、別途新地を給付された。


生駒と蜂須賀は長宗我部との兼ね合いの問題で。

藤堂高虎はその才能を云々、紀伊で三万石から再出発してくれ。



勝った方、西軍は軒並み加増。


宇喜多秀家は徳川家康の旧領、関東へ百万石で加増転封。


小早川秀秋は、豊臣秀詮として紀伊と大和で六十万石。

秀頼成人まで関白を務めることに。


上杉景勝は越後と出羽庄内などで百十万石。

直江兼続の米沢三十万石を合わせて百四十万石へ。


前田利政に能登と加賀の一部を。

堀秀治は越中に加増転封。

丹羽長重も越前を中心に加増。

京極高次は若狭へ加増転封。

織田秀信は岐阜十三万石に加えて尾張三十万石を。

小西行長は摂津に加増転封。


当初の約束通り、長宗我部盛親は土佐・阿波・讃岐を領させる。

九州は立花宗茂に筑後一国、大友吉統も豊後一国。


島津家は島津豊久に相模一国を給付。

また、島津本家には日向で伊東家の旧領が加増された。


加藤清正と南部利直は旧領安堵。


そうそう、宇喜多秀家の旧領・備前には宇喜多詮家を入れたよ。


それと、龍造寺高房に美作一国を。

肥前は鍋島勝茂に与えることに。

加増なのか分離なのか悩ましいが、二人とも嬉々として受け取ってたし問題なかろう。


その他奉行衆らは各々、五~十万石の加増とした。



懸案の黒田如水には播磨一国を与えた。

但し、豊前の領主は黒田長政であり、彼は改易され毛利家預かりとなっている。


如水は悩みに悩んだようだが、血も涙もある知将は全てを受け入れた。



そして我らが毛利一門。


石田三成とか、宇喜多とか結構警戒してたと思うんだよねー。

存外に武功を稼いじゃったから。


だから、こうしたよ!



筑前には小早川の本家を継いだ秀包を置く。

黒田から分捕った豊前に叔父の天野元政。

周防・長門に関ヶ原合戦で奮闘した従兄弟の毛利秀元。

出雲・隠岐は重鎮の吉川広家に一元支配させる。

新たに得た伊予は、河野通軌を配置。


その他の毛利領は変わらず輝元オレが。


あと、関ヶ原で奮闘した叔父の末次元康。

毛利元康と名乗って貰い、分家として伊豆を与えてみた。


新地としては、豊前・伊予・伊豆の三ヵ国。

俺の直下領としてはむしろ減ってると言う謎の処遇にッ


良いのかと聞かれたら良いのですと答えざるを得ない。

手取りはそんなに変わらんし。


ま、広家も秀元も問題視してないし大丈夫。

後年何かあったら、その時頑張って対処すりゃ良い。

あんまぐちぐち考えても仕方ない。



草案作るのは楽しかったけど、細部までは流石になー。


で。


論功行賞はまあ良いとして、豊臣政権の政治スタイルが刷新された。



豊臣家当主は豊臣秀頼。

関白に豊臣秀詮。


一門衆として豊臣秀康と豊臣秀忠。


大老に毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家。

中老に吉川広家、長宗我部盛親、島津義弘、直江兼続、織田秀信。

奉行に石田三成、長束正家、小西行長、増田長盛、毛利元康。



大老を三人として、代わりに中老を五名体制に。

実務を行うのが奉行なのは同じで。


バランスを取ってるようで取れてない。


目玉は何と言っても、徳川家康の実子二人が豊臣一門衆となってることだろう。

痛烈な皮肉が込められてると個人的には思ってる。

獅子身中の虫になるとすれば、それも良かろうともな。




時は過ぎ去り十年後、慶長二十年。


色々あったけど特筆するようなことは無かったと思う。

秀忠の娘が秀頼に輿入れしたくらいかな。


秀康や秀詮もまだ生きてるし、やっぱ史実では色々あったんだなって思う。


此度、秀頼が関白に就任することになった。

秀詮は関白の資格を有する分家の筆頭となる。


その事前会議に呼ばれてるんだ。

もうそろそろ、隠居しても良いかなーって思うんだけど。



いやいやしかし。

思い返してみると、慌ただしかったけど十分楽しめたなー。


良い夢だった。

何故だかそんな感想が思い浮かぶ。


はて、何か忘れてるような?


そういえば、そろそろ目覚めそうな感じがする。

残ったところ、は……。


お……?

何か、引っ張られてるよーな……


(お?おぉぉーーーー、あぁぁーーーっっっ……)




「大殿……?」


「む……」


大坂城西の丸にて、輝元は瞑目していた。

会議の開催を知らせに来た家臣が声をかけると、ゆっくりと目を覚ます。


「おお、すまんの。ちと転寝うたたねしていたようだ」


「いえ。皆様お揃いですので、お願い致します」


「うむ」


……。

ふと、背後を振り返る。

やや遠くを見て一言。


「あとは、任せよ」


「?何か申しましたか?」


「いや、なにも。さ、参ろうかの」


「ハッ!」




毛利輝元。

豊臣政権の大老筆頭として、世を太平に導く。


普段の茫洋とした表情と佇まいに侮る者も多かった。

しかし敵対した徳川家康を一挙に打ち滅ぼして以降、侮る者は皆無。

眠れる獅子と渾名され、恐れられた。


その獅子を敢えて起こす者はその後一切現れず、豊臣家を支えつつのんびりと余生を過ごした。

西国の覇者としてその名は全国に轟き、後世にも偉人として伝えられている。



本編はこれにて終了となります。

あとは、何時ものを一個投げ入れて完結する予定です。

2016/9/18 誤字修正&ルビ追加

2017/7/29 改易大名の説明追加

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ