第八話 行方知れずな外堀で土塁
「腑に落ちん」
主が何度目か判らない呟きを零す。
気持ちは分かるが、相変わらず細かい御人だと苦笑が浮かぶ。
主がずっと考えているのは、先の戦の事。
豊臣家の恩為に徳川家康を誅する。
構図を描いたのは主であるが、為したのは毛利輝元様だった。
元々、主の身代は二十万石に届かない。
豊臣家の奉行として差配出来る力は大きいが、それでは弱い。
身分の上でも落差が激しい。
故に、仮にでも名目上の大将が必要だった。
徳川家康は大老。
しかも、関東二百五十万石を領す大大名。
これに対するには、それ相応の身分・領地持ちが要る。
他の大老は、上杉景勝様、毛利輝元様、宇喜多秀家様。
この中から選ぶ必要があった。
主は元々、大老であった前田利家様を一番の後ろ盾としていた。
しかし亡くなられてしまい、しかも御嫡男・利長殿は早々に徳川に降る。
よって前田家は除外される。
まず、主は上杉景勝様と非常にウマが合う。
その家老である直江殿とも。
しかし上杉様は、会津にあって関東以北を抑えねばならぬ。
更に越後から移って日が浅く、領国の調整もままならぬと聞いている。
故に、盟友にはなれても大将には選び得なかった。
次に、宇喜多秀家様。
自他共に認める豊臣一門の重鎮で戦も芸事も上手い。
亡き太閤殿下にも愛され、前田家より嫁を貰った重要な存在で間違いない。
しかし領国は五十万石ほどと些か少なく、若さ故に名も軽かった。
残るは毛利輝元様。
中国地方に覇を唱えた毛利家の当主で、豊臣家との関係も悪くない。
領地は安定し、一門合わせて二百万石近い大封を持っている。
主が大将と恃むのに些かも遜色はなかった、のだが……。
敢えて言うなら、彼の御方には覇気が見られない。
しかし今後を考えるならば、野心家でない毛利様を大将に戴くのも悪くない。
主はそう思い、安国寺殿らを通じて働きかけていたのだ。
そして主の望みは通り、毛利様が西軍の大将に就任された。
実際の指揮は主や安国寺殿が請負い、主導権を握る。
戦で徳川家康を打ち破り、その勲功に拠って豊臣家の体制を再構築する。
毛利様には、大老筆頭として豊臣家を支えて頂く。
そのような絵図面を描いていた。
だが、これはどうか。
確かに主は自ら指揮し、戦を主導することが出来た。
但し、前半のみ。
潮目が変わったのは岐阜が取られてから。
戦は関ヶ原にて徳川方と正面から激突。
当初より優勢に進め、そのまま勝利を得ることが出来た。
しかし、皆も気付いていよう。
後半は全て毛利様が指揮し、勝利に導いたのだと。
最たるものが、徳川家康を討ち取ったこと。
そもそも、毛利様が主力を率いて合戦場に来ているなど誰も知らなかった。
安国寺殿ですら、だ。
松尾山に陣取った、小早川秀秋様に付けられた末次元康殿。
南宮山にあった、毛利秀元様と吉川広家様。
あと小早川秀包様は御存じであったようだな。
無論、毛利家が各所で動いていることは知っていた。
安国寺殿など、吉川様と連携して事にあたっていたのだから。
なのに、主力となった毛利様の動きは誰も知らなかった。
毛利様が主導して、自らの動きを隠蔽し、万端に準備を整えて徳川家康を討ったのだ。
敵をだますにはまず味方から、と。
そう、いつものようにのんびりと仰っていたが。
いつものように覇気も見られず、されど武功は随一。
非常に不気味に思ったことは記憶に新しい。
ともかく、この結果により主は本懐を遂げられる。
それは間違いない。
ただ、その過程に疑義が残ると言うだけ。
別に裏切り行為があった訳ではない。
その言も筋も通っていると、まあ言えなくもない。
疑問と言えば、東海道を宇喜多様に任せて御自分は中山道を進まれた。
徳川本隊が中山道を進んでいると言う事実はあったにせよ、関東攻めも大きな仕事。
結果として毛利様は、徳川本隊を率いる秀忠から降伏を引き出した。
これで徳川家は終わった。
関東に留守居の部隊もあるが、宇喜多様が当たれば容易く崩れよう。
毛利様が何を考えているのか、イマイチ見えてこない。
これが一番恐ろしい。
全てを予見して事にあたってるとでも言うのか。
普段から覇気のない姿を遠目ながらよく見ていた。
だがその内に、類稀な才能を秘め続けていたということだろう。
今の内に認識を改めておかねば、思わぬところで足下を掬われかねない。
一番の強敵だった、徳川家康を討ち取れたことは大きい。
毛利様の発言権は今後非常に大きな物になるだろう。
しかし何故か、不思議と豊臣に仇なすことにはならないだろう予感がある。
これも含めて主が言うように「腑に落ちない」のだがな。
毛利様は既に大坂へ帰られた。
我らはまだ仕事が残っているが、最早大きな問題は起きないと見通しているのだろう。
やはり、己とは器が違う。
ふと見れば、主はコツコツと仕事を進めていた。
時折「やはり腑に落ちん」などと呟きながら。
苦笑を一つ落とし、さて自分も仕事に掛るとするか。
【悲報】主家が滅んで我が身が危ない!
某は名も無き旗本。
但し、今となっては明日をも知れぬ身。
身代を保てないと言う意味で。
先日発生した戦で主人が討死。
その後、若殿も降伏された。
ついこの前までは、遂に主人が天下を取る日が来たと喜んでいた。
我らも前途洋々、機嫌良く朋輩と酒を酌み交わしたものだ。
東海道を往復すると言う、地味に面倒な行動も差して苦にはならなかった。
だってのに、これはない。
まさかの敗北。
井伊様や本多様などの重臣たち、更に天下人となるべき主人の討死である。
運が良いのか悪いのか、某は生き残ってしまった。
忠吉様が負傷して下がるのに従ったが故。
降伏した先は敵方の御大将、毛利輝元公。
流れで忠吉様に付き沿って面会したが、げにも恐ろしき方であった。
寸鉄すらも帯びぬ我ら一同。
下手をすれば殺されかねない。
戦後処理の最中で、周囲は常に殺気立ってピリピリしていた。
だと言うのに、毛利公の周りだけは極めて穏やかな雰囲気があった。
公も、厳しく対応するでもなくどこか遠くを眺めていた。
某としては、主人を討ち取った敵方の将が一体どのような面貌なのか。
興味もあったし、討ち取られた主人の事を思うと憎しみも湧いて出てくる。
そんな某だったが、一瞥されただけで竦み上がった。
その一瞥も、忠吉様をお支えした一瞬だけ目が合った気がしたのだ。
本当かどうかも分らない。
なのに、誇りある直臣旗本であると言うのに、震えてしまった。
忠吉様も、負傷した上このような化け物の面前で交渉せねばならないとは。
不敬ながらも同情を禁じ得ない。
同時に、自分がその立場でなくて良かったなどと安心してしまった。
そんな某に罰が当たったのだ。
毛利公の御前から下がり、忠吉様が再び横になった時。
家臣がある知らせを持って来た。
某を名指しで、毛利公がお呼びだと言う。
……なぜ?
兎にも角にも、立場的に断ることなど不可能。
すぐに取って返し、御前に平伏する。
そして頭上から降ってきた言葉に戦慄した。
「毛利に仕えぬか?」
余りの言葉に理解が追い付かない。
開いた口が塞がらず、ただ只管頭を下げ続けた。
「…そうか、下がって良いぞ」
無言が回答になることもあるとは知っていたが、こんな時に自分の身に起こり得るとは!
しかも、毛利公が何を納得したのかも分らない。
ただ、回らない頭でも分ったことがある。
某の立場は一気に悪化した。
主人の旗本である某が、主人や朋輩が討死したにも関わらず生き延びている。
これは忠吉様の介護の為だし致し方ない。
しかし印象は良くないだろう。
更に、毛利公から直接声を掛けられたにも関わらずこれを断る。
実情はどうあれ、毛利家からの印象は最悪だろう。
転仕出来る可能性はゼロに近い。
某が一体何をしたと言うのか。
我が身を嘆くも何も変わりはしない。
とりあえずは忠吉様の下へ戻るが、いずれ噂は広まるだろう。
その時、某はどうなるのか。
もしやこれは、毛利公による当家瓦解への布石なのではないか。
などと逆恨み紛いのことまで考えだす始末。
タダでさえ、明日をも知れぬ空気感が漂っていると言うのに。
某は身代すらも保てないかも知れない。
ああ、胃が痛い。
【悲報】主家が滅んで我が身が危ない!
あらすじって難しいですよね。
2017/7/29 微修正