第四話 越え得ぬ土塁が外堀
「毛利は何を考えているのだ……」
主君からそう尋ねられても、答える術が無い。
何故なら自分もその疑問を持ち続けているからだ。
安芸中納言こと毛利輝元。
豊臣政権下で大老職を務める中国地方の大大名。
その石高は百二十万石にも及ぶ。
広大な領地を大過なく治めるその行政手腕は中々のもので、一門重臣にも優秀な者が多い。
一方で、当人の将器はそれほどでもない。
そういった評価に落ち着く傾向が多い。
なぜなら領地を拡大し保全し続けたのは彼の祖父であり、叔父たちであるからだ。
特に小早川隆景。
この人物は太閤殿下にも認められ、輝元とは別に大名となり大老にまで取り立てられた。
隆景あっての輝元。
凡庸なりに領地の発展に尽しはすれども、何かあっての対応は上手く出来ない。
……そのように、主君も己も考えていた。
「考えを、改めねばならぬかもしれんな」
全く以てその通り。
悩むことは苦ではないが、想定外が続くのは困りものだ。
石田三成が屋敷に逃げ込んで来た。
通報を受け、主君と善後策を講じたのはつい先刻のこと。
上手く段取りが付けられたところで一息入れ、話は毛利のことに移っていった。
毛利輝元は凡庸。
これが主君と我らの一致した見解。
一門重臣には優秀な人物が多いが、必ずしも一枚岩ではない。
付け込む隙はいくらでもある。
そのように認識し、重要度を低く見積もっていた。
これが間違いだとは今でも思えないが、何らかの障害になるであろうことも間違いないのだろう。
伊賀者を、回すべきか。
沈思していると若殿が尋ねてきた。
「輝元公とは、そのように恐ろしい方なのか?」
「別に恐ろしくはないな」
若殿も昇殿が許される身。
城内で接することもあるだろうし、その風貌なども見知っていよう。
その印象と現在詰めている内容の差異に違和感を持ったようだ。
だが主君が答える通り、特段恐ろしいとは思っていない。
ただ、理解の範疇を超えている可能性があるかも知れない、という程度だ。
我ながら酷く回りくどく、判り辛い表現になってしまうが今はそうとしか言えない。
これだけ周辺で事態が動いているのに何も動きが無い。
暗愚であるならそれも判る。
しかし、今までの様子から凡庸ではあるが暗愚ではない筈。
だからこそ判らない。
むしろ、裏で密かに手を回すタイプなら納得出来る。
が、輝元はそのようなタイプではない。
表情からは分かり難いが、その行動は凡庸そのもの。
少なくとも今まではそうだった。
或いは……。
隆景を亡くして、初めて迎えた重要な局面。
これが輝元の限界なのかもしれない。
そう考えるのが妥当ではないか。
過去と現在の状況を鑑みても、納得の行く回答だと思う。
しかし、どこか腑に落ちない。
だからこそ主君も自分もこうして頭を悩ませているのだが。
「まあ判らぬものを悩んでも仕方ない。いっそ、一当てしてみるかの」
主君の手を煩わせることに思う所はあるものの、判断材料は多い方が良い。
此処は伏してお願いし、後日材料を得てから挽回するとしよう。
後日、増えた材料のせいで余計混乱することになるとは思いもせずに。
クソッ!
どう見ても重要度が低いのに、無視出来ない何かを思わせる。
焦る気持ちとは裏腹に後手に回らざるを得ず、遂には関東へ戻る日が来てしまった。
主君や家中のほとんどは、既に上杉と石田のみを注視している。
ならば自分くらいは毛利のことを気にかけておかねばなるまい。
とりあえず、半蔵に頼んで何人か回して貰うとしよう……。
【悲報】そして誰も居なくなった。
俺は名も無き雇われの伊賀者。
技には自信があるが、政治力なんて欠片もない。
だから雇われに甘んじている。
とは言え、伊賀者の大半は似たようなものだ。
中には大名に仕官した奴らもいるが、あいつらは例外だ。
徳川の当代半蔵は正確には伊賀出身じゃないし、豊臣の植田も領主層の人間だし。
ま、宮仕えは肩が凝るとも言うし、気儘に生きる雇われも悪くない。
ある程度の技を持っていれば幾らでも仕事はある。
現に今、先ほど例外扱いした徳川の当代半蔵から依頼が舞い込んでいる。
当代は伊賀の生まれではないが、先代は正しく伊賀の人間。
受け継がれた人脈は豊富で人柄も確か。
更に徳川家に使える歴とした武士で、政治力も少なからず持ち合わせている。
彼のような存在は、伊賀衆にとっても有難いものだ。
俺もその縁で仕事を請け負ったクチだしな。
それはともかく仕事に移ろう。
依頼は中国地方の大大名、毛利を探ること。
豊臣や上杉などに比べると楽に思えるが、あちらにも世鬼や座頭衆が居る。
油断は出来ない。
だが、それこそ俺が指名された由来でもある。
何せこの俺、末席とは言え上忍に名を連ねているのだ。
慢心でない程度に自負を持つ。
自負は自信に繋がり、自信は果敢な行動に繋がる。
果敢な行動は俺たちの様な者にとって、大切なことだ。
さて、それでは一つ仕掛るとするか。
そうして仕掛けてみて思った事。
他愛なし。
先方に見つからぬ様に行動するのは当然だが、全く見つからないことはまず不可能。
特に連絡役に使うような若い下忍たちはまだまだ技も拙く、已むを得ない面も多々ある。
見つかれば当然妨害される。
この妨害の程度に拠って、相手の本気度が測れるのだ。
少なめであれば罠を警戒するし、多ければ秘密があることが確実視される。
今回はいずれでもなく、通常程度の警戒状況と言う印象だった。
無論、まだ結論を出すには早い。
しかし押し並べて、こういった場合は当初の印象が正解となることが多い。
つまり、毛利に大した動きはない。
第一報はそのように依頼主に送っておこう。
さて、印象は印象として仕事は仕事だ。
もう少し踏み込んでみるとしようか。
やはり何もない。
数日たったが、これと言って何も起こらなかった。
一点、使いに送った一族の中忍が戻って来てないのが気になると言えば気になる。
だが実はこれ、奴に関しては良くあることなのだ。
中忍とは言え、中々の腕前を持つ奴の事。
敵に後れを取る心配はない。
どうせまた女でも追いかけまわしてるんだろ。
それよりか、もう少し突いてみるとしよう。
この際、下忍どもに経験を積ませるのもアリだな。
特段何もない。
俺自身そう思っていたし、実際に何も起こってないはずだ。
にも関わらず、何故か俺の周りから仲間が減っている。
何が何だか判らない。
雇い主に対しては、雇われの義務として経過報告として何度か人を遣わした。
そいつらは全て戻って来なかった。
毛利に対しては、薄く幅広く調査網を伸ばした。
下忍らの経験知上積みに丁度良いと思って。
その報告は滞りがちになっていったが、練度の問題もあり仕方が無いと思っていた。
適宜、残った中忍をそいつらの元にやって指示するように命じた。
やはり、誰も戻って来てない。
各自、色々やっているのだろう。
俺は自らを恃むことが多いとはいえ、仲間たちも信頼している。
だから戻って来ないなら戻って来ないなりに、やるべきことをやっていると信じていた。
そして今。
最終報告を纏めたところで、遣わすべき者が居ないことに気が付いた。
俺は雇われの責任者として、最後に引揚げねばならない。
そこで已む無く、散った仲間たちが活動している場所に赴いた。
……誰も居ない。
いや、確かに居た形跡はある。
俺が命じた所作の方法を使っていたのだろう。
つまり、ここで活動していたのは間違いないのだ。
なのに、誰も居ない。
明らかにおかしい。
額に嫌な汗が噴き出て来るのを甲で拭い、水瓶の水を掬って飲む。
その時、ふと恐ろしい考えが頭を過った。
毛利の警戒は大したことが無い。
少なすぎもしないし、大き過ぎることもない。
即ち、特段隠すことはない通常形態を保っているということ。
俺がそう判断した。
もし、その全てが何者かの掌の上だったとしたら……。
瞬間背筋が凍り、硬直する。
悪い冗談だ。
もう一度水を飲み、大きく息を吐く。
ふぅー……。
よし、落ち着いた。
取り合えず移動しよう。
そう思い、素早く身を翻そうとして無様に転ぶ。
足が縺れて?
いや、痺れて……なんだ、これ……。
まさか、水が……。
そう感付いたが時すでに遅し。
視界は暗転し、俺もまた消えて行こうとしている。
何てことだ、俺の過ちで皆が……。
後悔すらも薄れゆく意識の中、最後に何故か酷く場違いなことを思った。
【悲報】そして誰も居なくなった。
あらすじを、もう少し詰めてみました。




