第二話 外堀は広大な土塁
「おもてをあげよ」
言われて顔を上げると、眼前には茫洋とした顔の我が主。
相変わらず何とも言えない表情だ。
仮にも大毛利の当主にして、偉大なる祖父・元就公の嫡孫。
それが、こんなにも腑抜けた顔をして良いのか。
いや良くない!
……とは思うものの、別に本当に腑抜けな御人ではない。
そういう顔をして生まれ持ったのだとしたら仕方のないことだろう。
「聞こう」
おっと、外事を考えていたら話が進んでいた。
恐らくばれていないと思うが、……何を考えているか全く読めぬ。
内心慌てつつも、表面上は穏やかに言上する。
伝えるべきは、宇喜多の内情。
ワシの正室は、秀家公の姉。
その縁で広家と言う名乗りをし、豊臣に縁付く者とも見做されている。
が、正直豊臣に恩はないと思っている。
むしろ嫌いだ。
理由は……まあ今は良いか。
その豊臣に加担し続ける義理の弟。
戦も芸事も上手いが、家中の統制を上手く出来てない時点でダメだろう。
まあ、お陰で我が毛利家の思うが儘に事が進んでいる訳だが。
と言うか、ワシが為したことは主の密命を受けての事。
そう考えれば、目の前で聞いてるのか聞いてないのか、茫洋とした表情を一切崩さないこの主君は相当なキレ者と言う事になる。
初めて命を受けた時は、何が何やら全く判らなかったものだ。
「宇喜多を割って、蚕食せよ」
いつもの茫洋とした表情で、普段と何ら変わらぬ声色で。
淡々と、空恐ろしいことを命じる我らが当主殿。
ワシが豊臣を嫌っていることは当主殿も含め、皆が知っている。
無論、感情に任せて動くような軽挙を慎んでいることも。
そんなワシに命じる仕事がこれ。
イマイチその意図が掴めなかったが、侍臣から詳細を聞かされるまま行動を開始した。
実際に主命を奉じ事が終わった今、ようやくその真意を悟ることが出来た。
全く以て恐ろしい。
ワシとて時勢が動いていることは分かる。
毛利が如何に動くか、ワシとしても常々考えていたことだ。
当主殿は、豊臣に従っている。
そこに不満は無いように見えた。
だが当主殿から命じられたこと。
これは言わば、豊臣に叛するようなことではないか。
そんなことを考えるような御人とは思わなかった。
もし隆景叔父が聞いたら……。
いや、今までは隆景叔父が居たから表に出さなかったのか。
空恐ろしい。
……が、それ以上に頼もしい。
やはり大毛利を率いる当主には、内に秘めたものであったとしても果敢にあって欲しいものだ。
それが誇り高き毛利両川の一つ、吉川当主たるワシの真なる想い。
これまでは、隆景叔父に遠慮があったのやも知れぬ。
泰平の世では蠢く必要もなかったのだろう。
だが、隆景叔父は既に亡い。
動乱の気配も、着実に近付いて来ている。
祖父・元就公は毛利中興の祖。
伯父・隆元公は早世したが、優秀な当主だったと聞く。
ならば、その血統を継ぐ御当主・輝元公も優秀で当然!
既にその片鱗は見せられた。
ならばワシの役目は、輝元公を陰に日向に支え続けること。
そして、大毛利の更なる躍進を目指すのみッ。
さあ、輝元公。
次は何をすればよい?
クックック。
やはりワシも戦国の武士。
血が滾りよるわ!
【悲報】輝元様が本気になりました!
私は輝元様にお仕えする名も無き侍臣。
輝元様は普段ボーっとされているように見えても、常に様々な事を考えていらっしゃいます。
時折呼ばれて赴くや、極めて精巧な策等を提示して下さるのですから。
勿論、私が自ら何かを成すことは有りません。
私のお役目は、指定された一門重臣の方へお伝えすることのみ。
故に……、否。
だからこそ、その内容は逐一、正確に、精密に熟知しておく必要があるのです。
非才の身ながらこのお役目を拝受したからには、正しく努めねばなりません。
忸怩たる思いを抱きつつ、過ちのないよう事前に輝元様に確認させて頂くことも多くあります。
その度、鷹揚に対応して下さるのです。
その優しさ、寛大さ。
正に天下万民を愛する菩薩が如し!
輝元様は、余り多くを語りません。
故に、私を始めとした名も無き侍臣たちは寝食を惜しんで職務に励みます。
全ては輝元様に喜んで頂く為。
輝元様が重臣の方に策を提示します。
重臣の方が上手く飲み込めていないと、輝元様は悲しそうにされます。
そこで!
私たちが、……いえ、今は正にこの私が!
輝元様の策を、正確に、一歩たりとも外れることなく、精密に重臣の方へお伝えするのです。
重臣の方が理解を示された時。
輝元様はそれはもう、たいそう嬉しそうにされるのです。
それこそが我らの生き甲斐。
この感動を得る為に、私たちは寝食を忘れて職務に励むのです。
そんなある日。
吉川広家様が輝元様を訪ねて参りました。
以前、広家様には毛利の今後を占う仕掛けをお願いしてありました。
その報告に来られたようです。
私ともう一人は、何時ものように左右に侍ります。
まさに侍臣。
誇り高き毛利の侍。
思わず自己陶酔しかけましたが、話は寝ていても聞こえるよう鍛練してあるので問題ありません。
広家様が言上するところ、宇喜多殿への工作は万事上手く行ったとのこと。
一方で、徳川殿の妨害を輝元様が受けてしまった事を詫びていました。
輝元様は広家様を労い、徳川殿のことなど些事に過ぎないと言い切りました。
流石は輝元様!
その優しさ寛大さ、正に天下万民を(ry
失礼、取り乱しました。
ともあれ、このような密事。
通常であれば輝元様と広家様。
茶室等、ただ二人だけの密室で行うべき事です。
実際、広家様は人払いを願いました。
私たちも事の重要さは認識していましたので、後ろ髪引かれる思いで退出しかけました。
すると!
何と輝元様は、構わぬと仰せに成りました。
KA・MA・WA・NUと!
私たちの同席を許して下さったのです。
広家様も、輝元様が許すならと気にする素振りも見せません。
なんと素晴らしき毛利家中。
毛利の侍臣で良かったと、……常々思ってはおりますがッ。
今この時、再び確認した次第。
一生ついて行きます。
否!
死んでも、地獄は勿論、煉獄までも!
何処までもお供致しまするぅぅーーっっ
それはともかく。
遂に毛利が動く時が来たようです。
そう、遂に……。
輝元様が、本気を出す時が来たのですっ
我ら、誰よりも輝元様を知っている侍臣一同。
ずっと待ち望んでいたその瞬間。
輝元様が、本気で動き出す。
待ちに待ったその時が、遂に来るのです!
私は感動に打ち震え、点対称の反対側に居る同僚と目で会話しました。
──来たね?
──来たね!
輝元様が次何を言うか、既に見越してあります。
しかし、真なる侍臣たる我ら。
命なく勝手に動くことなど有り得ません。
やがて、輝元様のお口が動きます。
み
な
を
あ
つ
め
よ
承知仕りましたぁーッ!!
左右の名も無き侍臣は同時に立ち下がり、事前に示し合せた通り。
それぞれ一門重臣の方を招集すべく最速で動き出しました。
侍臣が側に居なくて大丈夫かって?
大丈夫ですよ。
輝元様の側には広家様が居るのですから。
それに。
これは秘密ですが、部屋の外、壁の中、天井裏に畳の下など。
どこにでも我らは居るのですから……。
この日、私たちは輝元様が本気になると言う朗報に舞い上がりました。
しかし同時に、輝元様に見定められた者たちにとっては悲報だなとも思いました。
そこで、このように日記に付けることと致しました。
【悲報】輝元様が本気になりました!
あらすじを詰めてみました。
2016/9/18 誤字修正
2017/7/29 句点修正