第堀話 四方山話と土塁の欠片
関ヶ原合戦後、大名たちの趨勢は輝元の意向が強く反映されている。
豊臣家や関白の意向よりも、である。
普段の茫洋とした表情から想像もつかない、苛烈な一撃で持って徳川家康を討ち取ると言う快挙を成し遂げた人物。
そんな輝元が示した意向ならば、何かしら意味がある筈と皆が思ってしまうのも無理からぬことであろう。
例え、輝元本人が深く考えてなかったとしてもだ。
石田三成、大谷吉継、豊臣秀詮に宇喜多秀家。
彼らは豊臣のことを想って行動している。
そんな彼らが輝元の意向を認めたのだ。
他の誰が拒否出来よう。
それに毛利一族は躍進したが、輝元自身の所領は減っている。
どんな裏があるのかと皆躍起になって考え、各々それなりの予想を立ててみた。
しかし果たして正解が何なのか、余人が知ることはないだろう。
輝元は外の人がこれまで培ってきた教養と、中の人の知識と勘から言葉を放つ。
それは、何かと持て余し気味の侍臣たちから時に真っ直ぐ、時に曲解されて重臣たちへと放たれた。
深く考えた結果もあれば、何も考えずに勢いで言うこともある。
中の人的には夢の中。
細けぇこたぁいいんだよ!
ご都合主義だっていいじゃない。
何も、自分が大真面目に頑張り過ぎ無くても問題ないのである。
当然その影響は各所に飛び火する。
しかし今のところ、少なくとも毛利家と豊臣家にとって悪い影響は皆無であった。
よって、輝元が反省する機会は終ぞ訪れなかった。
【豊臣秀康】
徳川家康の二男にして太閤秀吉の養子。
何かと複雑な生い立ちにより、複雑な心中を持つ男である。
家康から人質を兼ねて秀吉に養子に出される。
秀吉からは明確な愛情を受けて育つが、養子整理の一環で結城家の養子となる。
秀吉を父と慕いつつ、家康と言う実父にも認められたいと願い、結城の義父も心配だ。
何とも人間味溢れる武将である。
そして転機は唐突に訪れる。
上杉に備えて宇都宮に在陣していたところ、何と実父が討たれたと言う驚愕の報せが来たのだ。
まさかともやはりとも思う。
続いて、秀吉の下で義兄弟の間柄だった宇喜多秀家から使者が到着。
弟の秀忠、忠吉、信吉が降伏。
秀康は決断を迫られる。
己が欲求に従い、撃って出て華々しく散るか。
秀家からの真摯な言葉に耳を傾けるのか。
悩んだが周りの空気に押されたこともあり、降服することにした。
だが、秀家は降服を許さない。
武士の面目を潰すのかと気色ばむ秀康に、秀家は和睦を持ち掛けた。
秀康に豊臣に戻るよう願ったのだ。
地味にプライドの高い秀康のせいで交渉は難航したが、遂に折れて大坂へ向かった。
秀家がどう言おうと自分は家康の実子。
切腹を申しつけられても仕方が無いと、そう思い定めて。
結局、秀康は豊臣に戻った。
領地は信濃に十万石。
豊臣家も毛利家も、秀康を敗者と扱わず丁重に持て成した。
驚いたことに、弟・秀忠と忠吉も大名と認められた。
しかも秀忠は豊臣家に迎えられて。
徳川の名跡が消滅したことに思うところはあったが、松平が続いてるので良しとしよう。
結城の家も、西軍として動いた朝勝が継いだのでひとまず安心だ。
何かと複雑な立場にある秀康の後半生は、思いのほか穏やかなものであった。
そして彼の自室には、養父と実父の位牌が安置されていた。
嫡男秀直は、毛利の娘と結ばれた。
【豊臣秀忠】
徳川家康の三男にして暫定嫡子。
兄・秀康が他家に養子に行き、自分が徳川の家督候補になってることに苦悩。
関ヶ原本戦に遅延して、父が討ち取られたと聞いた時は自分も後をと思い詰めた。
あれこれ悩み重臣に相談した結果、暫定嫡子として降服を願い出る。
その時に相対した輝元の姿は、何やら不安定な陽炎のようでトラウマになった。
大坂で忠吉と再会すると、酷く安心。
家督は兄か弟に上げたいなーと思っていたら、兄も戻って来ると聞いて更に安心。
特に兄・秀康は太閤秀吉の養子であった為、必ず生き残ってくれると信じてた。
最悪徳川が滅んでも、兄と弟が生きてれば安心だと本気で思ってる。
気付けば何故か自分も豊臣一門として遇されることに。
領地はやや少ないが、余り気にはならない。
奥さんと慎ましやかに暮らせれば、それも良いかなと思う程度。
兄が悩むほど、徳川の消滅を気にしてない。
松平が残ったし、弟が継いでるし。
大久保忠隣が家老として支えてくれたが、本多正信は家康に殉じて切腹して果てた。
残念だが仕方ない。
今を確りと生きねばと胸に刻んで日々を過ごす。
娘が秀頼の正室となり、岳父となるも政治向きの口出しは一切しなかった。
【松平忠吉】
徳川家康の四男で秀忠の同母弟。
松平の分家を継ぐ。
井伊直政の娘を嫁に取り、関ヶ原合戦に参戦。
家康の息子として奮闘したが、矢を膝に受けて落馬。
舅の援護を受けて撤退したが、彼が生きて戻って来ることはなかった。
嘆く暇なく今度は実父が討死。
緊急措置として徳川の代表となり、家臣を殺戮から守った。
一部旗本が毛利に勧誘され不快感を示す。
戦後大坂に送られ、斬首か切腹かなーと思っていたら許された。
徳川家は潰されたが、兄たちも無事で弟も無事だったので安心。
唯一無二の大名、松平家当主として矢傷を押して奮闘。
弟や妹たちと家康の後家たちを引き取る。
本当は兄たちに預って欲しかったが、豊臣の名を嫌った皆が押し掛けたのだから堪らない。
お陰で疲労困憊。
弟の信吉が手伝ってくれたが、彼は元々病弱。
あっさり倒れてしまう。
危機感を感じた忠吉は、もう一人の弟・忠輝を養子とする。
その後まもなく忠吉は病に倒れる。
兄たちの懇願もあり、家督は忠輝に受け継がれた。
【伊達秀宗】
独眼竜政宗の長男。
庶子であり、嫡子にはなれなかった。
秀頼に近侍し、政宗が改易されてもそのまま仕える。
伊達家は高家となり、弟で嫡子の忠宗が後を継ぐ。
不満と不安が心中で燻っていたが、押し隠し別家を興して秀詮、秀頼に仕え続ける。
最終的に秀頼が関白に就任する直前、三万石を与えられて大名となる。
頑張った甲斐があったね。
弟に対して複雑な思いがあったが、父に苦労し続ける姿を見て胸に収めた。
【増田長盛】
五奉行の一人で蔵入地の管理を任される。
豊臣秀保死後、大和郡山城主となり二十万石を領す。
関ヶ原時は基本的に西軍として動く。
しかし、石田や長束らが戦場に出たのと対照的に大坂城に留まり、東軍寄りの行動も取った。
石田からの資金繰り要請を渋るなど地味に嫌がらせを成したが、輝元が本気で動けば問題なし。
当たり前のように輝元配下の監視下におかれ、戦後は出家して謝罪。
許されて引き続き五奉行を任される。
しかし何故許されたのか理解出来ず、恐怖のあまり職務に打ち込んだ。
対面した輝元の、茫洋とした表情の裏で全てを見透かされてると感じたと後に息子に語ったとか。
嫡子盛次は武人肌で奉行職を継がなかった。
大和から三河に移封され、二十万石のまま豊臣大名の一家として続く。
【大野治長】
太閤秀吉の馬廻りから身を興し、一万石の大名となっていた。
しかし家康暗殺疑惑事件の首謀者の一人として罪を問われ、下総国に流罪となる。
関ヶ原合戦では東軍に身を投じ、功を上げるが敗戦。
途方に暮れた所を輝元に拾われる。
輝元の中の人的にはちょっとした有名人だったが、治長としては意味不明。
何やら歓待されて恐怖する。
しかも、伝え聞く事実と目の前の虚像の差が激しすぎる。
淀殿の乳母兄弟ではあったが、そこまで目を掛けられることもなかった。
当人も然程気にしてなかったが、むしろ輝元から色々尋ねられて寿命が縮む。
何か疑われ脅されてる気がしたので、その後淀殿に近付くことは一切なかった。
ただ、秀頼の旗本として推挙され仕えることが出来たのは感謝してる。
でも、輝元と出会うと身体が震えるトラウマは生涯治らなかった。
全部中の人のせい。
救済?やら補足やらのオマケでした。
他の人や事象も、余力があれば後日にでも。




