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第外話 四方山話と土塁の行方

【高家】

それは、室町時代に名家とされた末裔。

一千石から五千石程度の、大名でも旗本でもない直臣たち。


豊臣家直属であり、様々な古式床しい行事に参列する。

政治的影響力は皆無とまではいかずともかなり乏しい。

家臣団も一応は持つが軍事力は当てにされない。


太閤秀吉が選び、関白秀詮が継続した特別な集団。


五千石クラスが足利義種、喜連川頼氏ら足利一党。

三千石クラスに今川氏真、吉良義安、津川義近、最上義光などの足利連枝衆。

そして一千、二千石クラスには赤松、一色、小笠原、武田、伊達、畠山、北条、細川、三好、山名、六角などなど。


高家は基本的に嫡流だが、その分家が大名になっている者もいる。

そう言った場合、色々と関係が拗れることもあれば親しく付き合う賢い者も居る。

実に様々である。


高家の中で最も特殊なのは、足利義種であろう。

義種の義父は最後の足利将軍・昌山こと足利義昭である。


義昭は織田信長に追放されても将軍職を手放さず、毛利領にて虎視眈眈と復権を狙い続けた。


結局それは叶わず太閤秀吉に降って将軍職を辞し、一万石の大名となった。

しかし義昭は慶長の始めに死去、足利嫡流は一時断絶した。


毛利輝元が主導した関ヶ原合戦後、阿波に逼塞していた平島義種が召出された。

義種は十四代将軍であった足利義栄の甥であり、血統も悪くない。

そこで輝元により、義昭の後継とされ高家に列せられたのであった。


これは輝元が足利の血脈を大事にした、と言う訳ではない。

阿波南部を領した長宗我部親忠から依頼を受けて、適当に宛がっただけだ。


勿論、臣下に近い同盟者の頼みごとを真摯に聞いて解決したということ。

同時に路頭に迷いつつあった貴種の血脈を大切にするということ。


こういった風評を得るためでもあった。




【旗本】

それは、豊臣家当主に直属する選ばれし者たち。

一万石未満の大名でない直臣たちがこれにあたる。


連綿と続く名家の出身と言う訳ではないが、それぞれ一芸に秀でる者が多い。

彼らも基本的に太閤秀吉が選んだ者たちであったが、時代が変われば人も変わる。


特に、関ヶ原合戦の後は人員も大幅に入れ替わった。

大名に取り立てられた者、大名から転落した者などまちまちであるが。


中でも異色なのが、福島正則である。

彼は七千石で秀頼に仕えている。

元は尾張の大名であったが、徳川に加担した罪で改易されている。


彼が秀頼を思う心は本物であると判断され、旗本として再度取り立てられたのだ。

勿論、石田や長束などを中心に反対意見は多数噴出した。

しかし家康を打ち破った輝元が支持し、ならばと皆が矛を収めた。


正則はそのことを伝え聞いた際、滂沱の如く涙を流して輝元へ感謝し、改めて秀頼への忠誠を誓ったのだった。




【前田玄以】

関ヶ原合戦以前は五奉行の一人、寺社奉行として力を揮う。

元は織田信忠に仕え、三法師こと織田秀信の側近でもあった。


合戦後は家督を息子に譲り、当人は請われて織田秀信の相談役に就任。

旧主の面影を持つ主人の下で、忙しいながらも穏やかな晩年を過ごす。


嫡男茂勝は豊臣大名として丹波に領地を持つ。

二男秀以は織田家の重臣として、玄以の後を継いだ。




【浅野長政】

太閤秀吉の親族で、それなりに遇された。

しかし晩年は奮わず、嫡男幸長が徳川に与して討死すると出家隠遁。


大名としての浅野家は改易されたが、次男長晟が三千石の旗本として続く。

また、三男長重も一千石の旗本に取り立てられた。

しかし豊臣家の縁戚でありながらこの不遇に、子孫たちは不満タラタラだったとか。




【木下家定】

太閤秀吉の正室・北政所の兄。

豊臣家の縁戚であるが、程々に遇された。


子沢山で、出家せず元服した男子は全員が大名となった。

中でも最も出世したのは当然、関白となった秀詮である。


嫡男勝俊は歌人として大成したが、大名の立場は返上。

弟たちに領地を分け与えて出家、歌人となり父を大いに嘆かせた。

娘は松平信吉に嫁ぐが、夫婦とも夭折した。


二男利房は出来た人で、兄の代わりに嫡子として木下家を興隆させた。

公式には摂津少将豊臣利房と名乗る。

豊臣姓木下氏の嫡流。


三男延俊は、細川忠興と親交があったせいで唯一減封された。

西軍に加担しながら東軍にも通じていたことが咎められた。

それでも改易されなかったのは、父や兄弟の取り成しがあったとか。


四男俊定は内政に功のある人だった。

自前の領地を持つ歴とした大名でありながら、弟の家老も務める。

秀詮が関白として多忙なのを見兼ねて助けていたら、何時の間にかである。

結局、子孫は豊臣秀詮家の一門筆頭となる。


五男延貞、一万石の大名。

但し、病弱で常に父の元にあり領地の差配も父がした。

父より先に他界し、大いに嘆かせた。


六男秀詮、言わずと知れた豊臣秀詮。

太閤秀吉の養子となり豊臣秀俊と名乗るが、小早川に養子に出され秀秋と称す。

関ヶ原合戦後、輝元の意向で豊臣家に戻され関白に就任。

先代関白、豊臣秀次の孫娘を正室に迎え入れ、色んな事に想いを馳せていた。




【大谷吉継】

秀吉に可愛がられた文武両道の人。

らい病に侵され、余命幾許もないと石田三成に加担。

関ヶ原を死に場所と定めたが大いに奮闘したうえで生き残り、案外長生きした。


縁戚の真田家と共に豊臣家を支える名臣・大谷家の祖として祀られる。


嫡男吉治は越前で十万石を領し、弟の木下頼継と共に豊臣家を支えた。




【最上義光】

奥州斯波氏の一派。

名族であるが、全体的に不遇な人生だったと言えよう。


出羽探題の家柄でありながら、様々な騒動で弱体化。

必死で力を蓄えるも、秀吉の奥州仕置きに乗り遅れかけた。

ここで取り成してくれた徳川家康に恩を感じるも、これが運命の岐路。


可愛い盛りの娘を連れて行かれるわ殺されるわ助命嘆願は届かないわ。

この辺で心が一気に豊臣から離れた。


関ヶ原合戦の時、上杉との和睦よりも徳川との繋がりを重視。

いけると思ったのか反豊臣の心が囁いたのか。


激怒した上杉に攻め込まれた上、本戦では家康がまさかの討死。

恃みの援軍は早々に引き揚げ叩きに叩かれ遂に降服。

最上家は改易された。


大坂に送られた義光は死を覚悟したが、誰某の進言で高家に収まる。

それが良いのか悪いのか悩ましいところだが、一先ず家は続いた。




【伊達政宗】

言わずと知れた独眼竜。

生まれてくるのが十年遅かったのか、或いは早すぎたのか。


諦めずに色々画策した結果、全てを失う。

秀吉はその稚気を愛でたが、今回はダメでした。

更に色々と半端に知っていた輝元により家臣団は解体。


伊達家自体は由緒ある家として、高家に連なり大坂に居住。

長男は庶子であり、別家を興す。

具体的には秀詮の与力旗本となる。

二男が嫡子で高家を継ぐが、晩年になっても収まらない父の野望に手を焼いた。


余り目立たないが、一部で治世の功臣と言う扱いを受けている。

野心が無ければ優良大名であれたであろうに、惜しいことをした。




【津軽為信】

北の地に住まう軍略家。

石田三成と親しかったが当初は東軍に付く。


が、毛利が予想以上に本気っぽかったので慌てて西軍に付いた。

嫡男信建は最初から西軍で動いてたので何とか誤魔化せた。


と思ったら大間違い。

三成は気付いていたが、敢えて指摘しなかっただけなんだよ。

血も涙も情もある三成さんだからね。


改易された秋田領の一部を加増され、豊臣家の代官も兼ねる。

実益を伴った依怙贔屓の結果ってやつですよ。




【九鬼嘉隆】

志摩の大名兼海賊。

織田信長に仕えて毛利水軍とは一戦まみえた間柄。


豊臣政権下ではお抱え水軍衆として名を馳せ、三万石余りの大名となっていた。

関ヶ原合戦の頃には既に嫡男・守隆に家督を譲って隠居の身だったが、上杉討伐に従軍してる隙に西軍に加担。


父の挙兵を知った守隆が急いで帰国するのを尻目に、周辺の東軍領を荒らしまわる。

更に、守隆が戻った頃には徳川大敗の報が届き得意満面。


九鬼家は守隆が改易され、嘉隆に再封と二万石の加増。

数年後、豊臣や毛利から何も言われないことを良いことに再び守隆に家督を譲る。


重臣や同僚からそれはちょっと、と引かれたが当人は豪快に笑い飛ばした。

そして九鬼家は、志摩と紀伊で五万石を領す大名として続くのであった。



補足とオマケでした。

他の人や事柄も、余裕があれば。

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