幕間
☽―神々の悪戯―☽
久しぶりの珍客に、私は少々口元を緩ませる。
今回はいったい何のためにやって来たのだろう。いや、要件は解っている。
きっと“彼”……違うな“アレ”のことだろう。
「久しいな、貴様が来るなんて」
「そうかい? ボクとしてはそうでもないんだけどな」
解っている。解っているが、此方から件の話を振る気は無い。
あくまで主導権は此方が握っている。そのようにせねばまた悪戯に掻き乱されるだけだ。
彼奴が、このタイミングで何かを仕掛けてくる事は予想出来ていた。
その割に平凡な手だとは思ったのだが。
「何か用か?」
「フフッ、知っている癖に。人が悪いな……人じゃぁないか」
そう言って彼奴は嗤う。
妙な色気を漂わせ歪む口の端。氷でできた錐のような、鋭く冷たい視線。
絶対零度の笑み。厭な笑顔だ。
「まぁ、仕方ないね。ボクはいっつも君達を“幸福”にするからね。サプライズは楽しみにしておきたいんだろ?」
“サプライズ”とはどういう意味だろう。彼奴は時々私の知らぬ言葉を使う。
いったい今度は何処の世界の言語だろうか?
「貴様から受けたのは嫌がらせしかないが。貴様が関わると好いことは一つも起こらんからな」
私にしろ、他の誰かにしろ。
「だって、もう終わりにするつもりなんだろう?」
「――、」
「そんなに驚く無くていいと思うよ。ボクは諒解っていたんだから。そろそろだと思ってね」
確かにそうだ。だが、そうだとしても何処から漏れた?
漏れるはずなど無い。知っているのは……いや、一方的に私が考えているだけだ。
私は誰にも告げていないのだから、漏れようがない。
「フフッ、だから呼んだんだよ。“彼”をね。そして“彼”を呼ぶことが今までのすべての伏線の回収になる筈なんだ」
伏線? 今まで何度も起こしてきた彼奴の“悪戯”が全て伏線だというのか?
「そうだよ、クゥも、ファリスも、ユリントスも、全部君のために捧げる重要な伏線さ」
「ならばあの魔導大戦も――サウスポートやあの少年もそうだというのか……あの“セツ”という少年も」
私は思い出していた。かつて、一度だけこの世界にやって来て、そして私と話をしたことがある、なんの変哲もない少年の事を。
『この世界には彼女が、アリスがいない。この世界を去る理由はそれだけで充分です』
そう私に言った少年。キノコのような髪に、黒づくめの、この世界でない服を着たあの少年。
何故か、あの少年の事が未だに気になっている自分がいる。
何故だろう。ずっとだ。
「“セツ”君か、その名前は少々懐かしいな。今じゃ何処の本屋にも売ってないだろうに」
「なんの事だ?」
「いいんだ。少なくとも彼は関係ない。むしろ、彼の物語からみれば君が、そしてこの世界自体が伏線なんだけどね」
君には関係無い――彼奴はそう告げた。
何故か寂しい気持ちで胸がいっぱいになる。切なくそして――、
「悪いけど、君が彼に逢う事はもう二度と無い。そしてそれを感じたから“終わり”にしようと思ったんだろう?」
君の運命に――。
「君はこの世界の存在意義そのものであり、同時に象徴でもある。それにこの辺りで話の緩急をつけるためにも裏側で“神々達が何かを企んでいる”って描写は有効だと思うんだ」
「全ては貴様のシナリオ通りという事か?」
「違うね、これは君の物語だ。この世界の象徴にして、終わりを告げる神よ――」
彼奴はまた笑う。厭らしく、妖しく、冷たく。
「悪戯なる神、彷徨いし流浪、そして偽りの我が弟よ」
貴様は何者だ――?
悪戯なる神。
双月世界『サーァラ』と呼ばれるこの世界で、神族に列する者。
にも関わらず、次元を超え他の世界にも干渉し、そして同時に神をも嘲笑うように超越する。
「ボクは只の作家ですよ。いくつもの物語を書き綴る、書き手。それ以上でもそれ以下でも無い。そうですよ“姉上”」
嘘をつけ。確かにこの世界で彼奴は我が弟となっている。私もそう“記憶”しているし“記録”もそうなっている。
だが私は気付いている。
彼奴は違う。
神ですらない筈だ。
彼奴はページの余白に書かれた書き込みだ。
この世界の物語をも簡単に改稿し、書き直しし、訂正も出来る。
物語の異分子だ。
きっと今目の前にいる姿も偽りだろう。
そう思った時、彼奴は不敵に嗤いはじめる。あの厭な笑み。しかし、その姿が段々と変わっていく。
まるで私の思考を見透かしたように。
キノコのようなサラサラの黒上。首までかかった黒のセーターに黒のズボン。
明らかに私の世界の姿では無い。
でも、その姿は“彼奴”ではなく“彼”だった。
「“セツ――っ、”貴様ァアアア!」
「フフッ、君がこんなに彼にご執心だったとはね。これはサービスだよ。姿だけは最後にみせてあげようと思ってね。本物の“セツ”君はまだ旅の途中だ。“海月の影”はまだ続いているのだから……」
まったく、彼奴の言う事は理解できない。
私はもう考えるのは止める。
彼奴と会話していても、悪戯に心を乱されるだけだ。
よく考えれば“黄昏紀”がやってきて五千年も経つのだ。世界の終末の予想を立てるものはこの世界にだって多くいる。
ただ、今まで私が乗り気にならなかっただけだ。
そして私が久しぶりに“動いた”から彼奴も簡単に予想できたのだろう。
私が“世界の終末”に乗り出したのだと。
「そろそろ帰れ、貴様の“その貌”は不愉快だ」
「そうだね、こんな本編と関係ないような幕間で、ネタバレなのか伏線張なのだかわからない“神々の問答”なんて長くやるものじゃあないからね。次は双月にでも会いに行くよ。そうだな……先に“右”にでも会いに行くか」
「あぁ、行け行け。本物の弟達によろしく言っておいてくれ」
私がそう言うと、彼奴は肩を竦め残念そうな顔をする。見え透いた嘘だ。
「そうだ、次も会えるか諒解らないから。一つだけいいことを教えてあげよう。この世界の真実の一つだ。そもそもこの世界は『サーァラ』という名前じゃないんだよ。正確には『サーラ』っていう名前だ。小さい『ア』が無い。まぁ大した違いではないんだけどね。ただ……君の存在意義としては大きな違いだから」
『サーラ』(sal)を『終わらせし』(fin)神
彼奴は私の名を呼んで、消えていった。
私は恨めしく思う。
宿命づけられた運命に、この物語を書いている書き手に、
識らなければよかったのだ、あんな想いも、こんな名前の意味も、
それでも仕方ない。予定通り物語が終わるよう“彼”に期待するか。それとも彼奴の手管で物語が“アレ”に掻き乱されるよう期待でもするか。
何方でもよいか、彼奴の真似をするならば『この物語はまだ始まったばかり』なのだから。
どうなるかなど私にさえ理解らない。
きっとその方がおもしろい筈だ。
神とはいえ、先が見えぬ物語の方が、興味をそそる。
どうせ終わるのだから。
私の登場はまだだいぶ先になる事だろう。
この世界の最高主神、私の出番は……。