小さな願いを抱いて
貴方は、今どちらにいらっしゃるのでしょうか?
お父様と同じように、殿所へお勤めに?
それとも、ご友人と歌比べや鷹狩りへ?
もしや、この都を離れて避暑地に行かれたのでしょうか?
何処にいらっしゃるのだとしても、そのお姿を拝見することなどできないのでしょうけれど。
「姫さま、あまり廂の方へお出にならないでくださいまし」
「えぇ、分かっているわ」
視界を悪くする霧雨に紛れて、貴方様のお姿を拝見することができないものかしら、などと思ってしまう私は、下らぬ懸想をしているとお父さまに叱られてしまうのでしょうね。
二条の屋敷にある母屋の奥でひっそりと過ごす私には、外の様子を見ることですら許されないことだと言うのに。
「……姫さま」
「なんでもないわ」
乳兄弟には、きっと気付かれているのでしょう。
決して抱いてはいけない私の気持ちに。
分かっていて何も言わない貴方には、とても心配を掛けてしまっていることでしょうね。
本当にごめんなさいと、主である私の口から貴方に伝えてしまったら、私の隠し通さねばならない気持ちを伝えているのと同じになってしまう。
余計な気遣いなどされぬように、私はそっと瞳を伏せることと致しましょう。
しとしとと、音も立てずに降り続く雨の気配を感じているかのように。ただ黙って、この気持ちを押し込めておりましょう。
「……姫さま、和琴をお持ちいたしましょうか」
「和琴を?」
「はい、霧雨とて雨。姫さまの優美なる音が外に漏れることもないでしょうから」
見知らぬ殿方に私がここにいると勘付かれないと、そう言いたいのでしょう?
お父様に、私のことに関してはキツく言い付けられているのは、幼い頃から承知済みのこと。
あぁ、それでも……
「お願いするわ」
「只今ご用意致しましょう」
さっと他の女房たちを集めに去った乳兄弟の背を見送り、私は再び御簾越しに外を眺め続けましょう。
見えるはずのない貴方の姿を探すために。
届くはずのない声を、和琴の音色に乗せて。音のない霧雨に紛れ込ませて。
白く靄掛かる地面に沈めてしまうように、この気持ちを音に込めましょう。
「お待たせ致しました、琴爪はこちらに」
「ありがとう。重かったでしょうに、こんなにも早いなんて」
「姫さまのためですから、当然です」
そう言い微笑む乳兄弟がとても誇らしい。
ならば私は彼女たち女房の働きに報いれるような演奏で、それに応えましょう。
両の指に琴爪を付け、弦を爪弾く。
音が、霧雨の中に紛れ消えてしまう。音が無いはずのその中へと、吸い込まれ、消えてしまう。
「霧雨よ、どうか私と音合わせを」
貴方の響かぬ無音で、私の和音(気持ち)を消し去ってください。
奏でるは名もない曲。
幾重にも音を重ね、和音の渦に飲み込まれてしまう感覚に陥ってしまいましょう。
音に酔いしれて、浮き彫りにされたこの気持ちも、今だけは霧雨が隠してくださるでしょうから。
あぁ、名も知らぬ貴方様。
一度だけ視線を交えた枝下桜の君。
私は貴方をお慕い申し上げております。
かような身で、恐れ多くも貴方様をお慕いしているのです。
愚かだと、迷惑だと貴方様は感じられるのでしょうか?
あぁ、それでも私は、
「……逢いたい」
貴方様に、今一度お逢いしたい。
愚かな女だと笑ってくださっても構いません。
隠し通さねばならぬ気持ちなのですから。
気付かれてはならぬ想いなのですから。
私は静かに弦を爪弾き、霧雨と音合わせを続けていましょう。
【小さな願いを抱いて】
(どうか貴方の声を聞かせてください)
(貴方のお姿を垣間見させてください)
現実はこんな雨ではありません。スコールです。
それでも、どんな天候でも優美なものと捉えるのが雅人だと聞きました。
雅人……現代にはきっと絶滅した人種なのでしょう。