寂れた教会で行われた秘密の集まり
死神Ⅲで渡来に「クソ神父」と呼ばれたやつの話。
寂れた教会で鉄で装幀された古びた羊皮紙で出来た本を広げ、ワインを片手に読む祭服に身を包んだ男がいた。
年は二十代後半から三十代前半であろうが、見方によれば十代にも見える。浅黒い肌に白髪をワックスで固め、彫りが深い顔立ちをし、瞳は血のように赤いワインレッドをしている。
そのすらりと伸び引き締まった長躯は、祭服を纏いながらもどこか軍人を思わせる鋭い雰囲気と人を引き付ける魅力があった。
普段は柔らかな微笑みを浮かべている顔で、真剣な表情をして書を読んでいる彼は『ナイ神父』と名乗り、この寂れた教会で神の教えを説いている。
もっとも、その神が一般的に言う正しき神かと言われれば口ごもるような神ではあるが。
「神は仰いました。この世は悪に満ちている、ゆえに人間達は悪でありながら必死に正しき道へと進もうとしているのだと」
「神の従者は嘲り笑いながら言いました。それは滑稽だ、最初から悪ならば、憎み哀しみ殺し合い、肉欲に欲望に強欲に溺れて生きていけば楽しいのに」
ナイは誰もいない礼拝堂で自身が信者に対して説いている創世の物語を呟く。耽美な言葉で彩られた、狂気に満ちた物語を。
だが、そんな和やかな空気は長くは続かなかった。
「邪魔するぜぇ。相変わらず辛気臭ぇ顔してんなぁ、クソ神父」
突然教会の扉を蹴破るかのような勢いで開け放ち、乗り込んできたのは『黒きシビュラ』と名乗っている女性だった。
見た目は二十代前半。ナイ神父と同じ浅黒い肌に、町を歩いていれば思わず振り返ってしまうような整った顔立ちをしている。肩甲骨の下まであるセミロングの銀髪は無造作に流され、瞳はナイと同じくワインレッド。鋭いナイフを思わせる体躯はどこか男らしい硬さを持ちながらも女性らしい丸みを損なわずにいた。
赤色で縁取られた襟が体に張り付いているように見える革製のライダースーツに似た黒いスーツを、大胆にもボタンは全て留めず、豊満な胸は半ば露出して着ている。濃い赤色の線が二本入ったズボンを身につけ、右腕には今さっきまで着ていたであろう黒と濃い赤で交互に染められた上着を持っている。
「シビュラ……扉はもっと静かに開けなさいと毎回言っているでしょう。仮にもあなたはシスターなのですから」
ナイはワインを近くに置き、こめかみを抑えながら言った。
しかし、シビュラは悪びれる様子などなく答る。
「知らねぇな。アタシはただ自分がしてぇように行動してるだけさ。アンタの言ったとおりに布教だってしてやってんだ。少しぐれぇ大目に見てほしいところだぜ」
(大目に見てもやり過ぎだと思いますが……まぁいいでしょう)
「しょうがない。この件は大目に見ましょう。しかし、バイクに改造した忌まわしき狩人を 自由気ままに走らせている貴女がなぜここに?」
「闇から連絡が入ったのさ」
「ほう、何と?」
「なんでも『アレスより落とし子が来た。変質したその姿は人に近い。世界の滅びを見るまで撤退はしない』だとよ」
シビュラは心底どうでも良いと言いたげな口調で連絡内容を告げた。
「アレス……つまりはヴルトゥームの千年期。変質はヨグの叔父様のエネルギーによるもの。落とし子が変質し人の姿になった、と言うことですか」
「つまりはそういうこった、闇には撤退を指示しとくぞ」
何処からか煙草を取り出し、一息ついているシビュラ。
「いえ、そのまま観察を続けるように指令を出してください。それと、煙草を吸うのなら外でどうぞ……!」
「教会で禁書にされそうなくれぇの罰当たりな本をその教会で読んでる奴に言われたくねぇよ!」
「うっ……」
押し黙るナイ。
「で、それの題名なんていうんだよ? マジモノの禁書なのか?」
「De Vermis Mysteries、日本語では『妖蛆の秘密』と呼ばれている魔道書の原本ですよ」
「……確かそれって教皇命令で発禁にされたんじゃなかったか」
「ある協力者の方に譲っていただきました」
「いつ?」
「少し前に」
「対価は?」
「お互いは原則不可侵であること。友好関係を続け、情報交流を怠らないこと」
「罠じゃねぇのか? 相手にメリットがなさすぎる」
「彼にとって私たちは耳元に群がる蝿に過ぎないんですよ。鬱陶しい私たちを自分の周りに群がらせないためならばこれ位の物は安いものと考えたのでしょう」
「蝿……だと? 仮にも千の顔を持つアタシたちがか?!」
シビュラは声に怒気を含ませて言う。
それに対して、ナイは冷淡に答える 。
「彼は我らが主と同じ創世の力を持つと同時に破壊の力も持っています。つまり、外なる神とはいえ神の従者に過ぎない私たちなど、蝿にも満たない塵に等しい可能性であるとも考えられます」
「……よくそんな奴とためが張れたな」
「交渉ごとは得意ですので」
ナイはさっきの声色とうって変わって明るく言った。
それに対して、シビュラは呆れている。
「無駄スペックめ」
「そのお陰でこの子が手に入ったんですよ」
「この、子? おい、まさか」
ナイは顔に歪んだ笑みを浮かべ、言った。
「具象化しなさい、『妖蛆の秘密』が精霊よ」
ナイはそう言うと『妖蛆の秘密』から手を離した。
ナイの手から離れた途端、書は妖しげな光を放ちながら、バラバラに分離 し、空中を円を描き飛行しだした。
それらの頁は飛行しながら、次第に人の姿を模していった。
現れたのは、襤褸とも見紛うほど擦り切れた生地で作られた、見様によってはワンピースに見える服を纏う、包帯で左目と両手両足を覆った白い少女だった。
包帯に隠れていない右目は濁った真紅、雑に伸ばされ腰まである髪は薄く汚れた灰色。
「流石は原典、精霊態にもなれるとはな」
「初メましテ、私は『妖蛆の秘密』ノ精霊、ヒストリア。アナタの役割ハ巫女?」
「間違ってねぇ。アタシの役割は確かに巫女だ。ナイ、教えたのか?」
「いいえ、教えてなどいませんよ。この子は心の奥、人の本質を観ることが出来るんです。……尤も、その影響で精神が不安定になっ ていますが」
「くすっ、私ハ狂ってナんかいないわ、只ちょっとおかしいだケよ。そンな事よりも、早く真っ赤なオ花を咲かせマしょ? 絶望トいう種を育てテ、悲しミの雨ニ打たれ、苦しサに身悶エるニンゲンが見たいノ。ネぇ、早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク早ク」
狂ったように言葉を紡ぐ、まくし立てるヒストリア。
しかし、ナイはあくまで冷静に受け答える。
「まぁ待ちなさい、リア。待ち望んだ光景はもう直ぐですから、しばしの辛抱です」
「本当に? じゃア、私は出番にナるまで寝てるワ」
ヒストリアはそう言うとナイの座っている椅子によじ登り、彼の膝を枕に寝息をたてはじめた。
「……まったく、この子は」
ヒストリアの髪を梳きながらやれやれと、しかし優しさを込めてナイは言う。
「仲が良いんだな」
「そうでもありませんよ。私ではリアの心を完全に満たすことは出来ません。この子は求めているのではないのでしょうか。恐らくは優しさを、ね」
「ふ~ん、まぁそこら辺はアタシにはよくわかんねぇ事だ。連絡も終わったことだし、元の仕事に帰らせてもらうぜ。次からは口頭じゃなくて輝くトラペゾへドロン使おうぜ?一々此処に来んのがめんどくせぇんだよ」
シビュラはナイに背を向け、教会から立ち去ろうとした。
「待ってください」
ナイが呼び止める。
「なんだよ、まだアタシに用があんのか?」
「新しい任務です。此処から北西へ二十キロ程行ったところに ある集落にアトゥの現界に使用できると思われる大樹があります。可能ならそれに彼を宿らせて此処に連れてきて下さい」
「仕事が終わったと思ったら、続けざまに任務かよ!? 休みを寄越せ!」
「どうせ暇なんでしょう? 休みを与えても寝ているだけなんでしょう? する事がないのならば働きなさい」
「っの性悪クソ神父が!」
的を得ていたのか、シビュラの顔は真っ赤に変わった。
「つーか、何でまたアトゥを現界させるんだよ」
「主を復活させる為の新しい術式がもう少しで完成しそうなので、結界替わりに」
「前回みたいに、クソじじいの加護を受けた元老とか言うニンゲンに邪魔される程度の術式だったら轢き殺してやるからな!」
「きっと大丈夫でしょう。奴の一族は着実に根絶やしにしています。現界している化神の半分と協力者達を使って処理していますから」
「ハッどうだか!」
荒々しい歩調で教会の扉まで移動し、分厚い扉を文字通り勢いよく蹴破り、爆音を轟かすバイクに乗り、シビュラは教会を後にした。
「全く……毎回毎回もっと静かに出ていく事は出来ないのでしょうか」
ナイは膝で眠るリアの髪を撫でながら呟いた。
「しかし、シビュラが言っていたことも一理ありますね。ふふ、次邪魔しやがりましたら、この手で捻り殺して差し上げます」
さっきまでの優艶な笑みとは違う、黒い笑みを浮かべナイは続けた。
「神父様~、お掃除終わりましたよ~」
教会の奥の部屋から若い、まだ女の子と思える声が聞こえてきた。
「分かりました。今行きます」
顔をいつもの微笑みに戻し、寝ているリアを抱きかかえたナイは、教会の奥、闇へと戻っていった。
魔導書の精霊たちの名前はすべてラテン語でいきます。
なお、ナイとシビュラのイメージ画像は「シアンのゆりかご」様にあります。