ヒミツドキ
自動ドアが開く。賑やかな光が漏れる。
コンビニは深夜でも営業しているという点で、僕のような人には大助かりだ。
「いらっしゃいませ」
陳列棚の弁当を並べ直しながら、アルバイトの青年が挨拶をした。壁に向かったまま、緊張気味に背を丸めている。こちらを振り向く暇もないほど商品整理に熱中しております、ってか。神経質という言葉がぴったりだ。
その手さばきから判断するに、働き始めて三ヶ月は経っていない。恐らくは近くの情報系の専門学校に通っている学生だろう。なぜならば、彼はメガネをかけているからだ。
そしてどうも、このアルバイトは落ち着きがない。奥に手を伸ばした拍子に、手前の弁当を傾けてしまった。ハンバーグ弁当の目玉として君臨する、頂上の目玉焼きがずり落ちていく。するとアルバイトはその弁当を手に取ると、両手で小刻みに振り出した。うまく元に戻そうと試みているが、僕の目には千切りキャベツが散らばっていくように見える。ふむ。実にいい仕事っぷりだ。
店内を見回す限り、今いるのはこのアルバイトしかいない。ということはつまり、僕が話しかけるべき相手は彼ということになる。
「どうも、強盗です」
バッグの影に隠していた包丁をアルバイトに向ける。同時に非常用連絡ボタンへ向かう道を素早く塞いだ。もちろん顔は監視カメラに映らない角度を保っている。
が予想通り、そこまで用意周到でなくてもよかった。
「はい、何のご用で……へっ!?」
状況の飲み込みが悪い。両手で掴んだ弁当を見て、後ろの壁を振り返り、商品棚に並んだキャンペーン商品へ視線を移し、僕の顔を見て、包丁を見て、もう一度弁当を見た。そして低く唸りながら、頭をカシカシ掻きだした。そんなことを言われてもマニュアルには無かった、ってか。
「とりあえず、レジに行きましょうか?」
笑顔で諭すように。それがコツだ。促されるがまま、アルバイトは渋々レジへ向かい、僕はそれについていった。包丁を背中に突きつけて、脅かしながら向かわせた訳では、決してない。
「ではお金をこの中へ入れて下さい」
そう言ってカウンターに載せたのは、力が抜けたように潰れたバッグ。大きさは一般的なレジがちょうど入るくらいのものを使っている。なぜならば、最悪でもレジごと頂戴できるからだ。
ところがアルバイトはレジの前に立ったものの、ボタンを触ろうとしない。一層強く頭皮を爪で擦りながら、何か言い出そうとしては口ごもるのを繰り返した。まだレジの操作を知らないのだろう。ふむ。実にいい教育をしている。
しばらくして、ようやく彼は言葉らしき音を発した。
「ちょ、ちょっといいですか?」
よくはない。すぐに制止した。
「他の店員は呼ばなくても結構です。操作が分からないのでしたらレジごと頂いていきますので、お構いなく」
にこやかな対応。これも大事な心得である。
しかし彼は首を横に振ると、震える手の平をこちらへ向けて、怯えるように言った。
「あの、お金、無いんですが、レジに」
随分と親切な対応をしてくれるじゃないか。それなら無駄にレジを運ぶ必要が無い。では彼に人質になってもらって、店の奥に押し入ってみようか。と計画を練っていた時だった。
「代わりに、僕の秘密、教えますから」
だから代わりに命だけはお助け下さい、ってか。笑止、笑止。
緊急事態に陥った人間は、藁をも掴むような思いで、僅かな可能性に期待してしまう。しかしそれは所詮、藁でしかない。僕はそれをうんざりするほど目の当たりにしてきたし、そのたびに同じ対処をしてきた。
「下手に声を出すと、その舌から切り取りますよ」
躾ける時は明るく。こうすると分かってもらえやすい。ただしそれは相手が物分りの良い時だけだということを、すっかり忘れていた。
「でも僕の秘密はそれなりの金額になるかと」
こうなると僕も重い腰を動かさざるを得なくなる。なぜならば、信用第一が僕のモットーだからだ。天邪鬼も、狼少年も、実は好きではない。
早速彼の顎を左手で思いっきり掴んで引き寄せ、包丁の先を前歯に当てた。アルバイトの体はスカスカのバッグの上に乗り、上半身の荷重は僕の左手に一任された。
「タっ、タイム、タイムっ!」
見ると、彼は左手を右手の手の平に垂直に突きつけてTの字にしている。
「タイムですか。良いハーブをご存知ですね。しかしあいにく、貴方の最期に手向けることは叶わないようです」
思いやりの精神は、いつ何時も忘れてはならない。
「ち、違いますっ! "Thyme"じゃなくて"Time"ですっ!」
「発音上手いですね。その舌がいくらで売れるか楽しみです」
「止めて下さいっ! それに英文学科の学生なんて腐るほどいますから、そんなに高く売れませんよっ!」
……ならば、なぜメガネをかけている。
「じゃあ、そのメガネも売って足しにしましょう」
「だから僕の秘密の方が高く売れますから」
ふむ。躾が足らなかったのだろうか。OK、分かった。
「タイム、イズ、マネー」
左手で潰すようにして顎をこじ開け、舌の根本を確認した。これを切り取るなら、もう少し先幅が細い方が良いか。一旦包丁をポケットに入れ、懐から果物ナイフを取り出した。
「ノー、ノー。シークレット、イズ、マネー。嘘だと思うなら、レジを見て下さいよ」
嘘だと思うから見てやった。
「で?」
「『で?』じゃないですよ。見れば分かるでしょう? お金を入れるトレイが無いのが目に入りませんか?」
物分かりの悪い強盗め、ってか。物分かりの悪いアルバイトで助かる。
「それにホラ、マイクがあるでしょう? そこに秘密を言うんです」
「で?」
「するとその秘密の度合いをレジが判別して、相当する金額に換算してくれます」
「で?」
「『で?』って……、つまりはお金要らずで買い物ができて、しかも強盗が来ても安心、という訳なんです。最近、この地区に試験的に導入されたんですが、ご存じなかったですか?」
そこまで言うと「どうだ、手が出せまい」というような顔を俺に向けた。笑いが止まらない。
「ご存知だったかはともかくとして、あなたは一つ、間違いを犯してしまいましたね」
「……何がですか?」
「なぜならば、あなたはその強盗に対して自分の秘密を渡そうとしたからです」
そして今、僕はもう正体を明かそうとしている。
「そりゃ、まぁ、自分の命が大事ですからね」
「しかし秘密主義経済において強盗に秘密を教えるということは、資本主義経済において強盗にお金を渡すことと同義ですよね?」
そこで英文学科の眼鏡が閃いた。ふむ。シャーロキアンと見た。しかしこのペテン師の正体に気付けるかどうか。
「え?、それはそうですが……。なんで『秘密主義経済』という言葉を知ってるんですか? もしそうなら強盗になんて入るはずがないし……、まさか」
おっと。このままでは、つまらない。仕方なく左手に掴んでいたものを解放した。つまりアルバイトの体は重みを空気に預けることになり、結果カウンターから真っ逆さまに落下した。しかも勢い余って一回転し、商品棚に踵落としが決まった。商品が弾けるように四方の床に散らばっていく。「キャンペーン開始」と書かれたPOPは真っ二つ。早速「キャンペーン終了のお知らせ」が必要になったようだ。
それはさておき、僕もまだやることがある。レジのボタンをいじって金額の査定画面を呼び出した。そしてマイクを口元まで持ち上げ、語りかけた。
「僕、実は強盗じゃなくて、強盗対策のための抜き打ち訓練の犯人役なんです。今回みたいな『お金』目当ての強盗が来た場合のマニュアルは鋭意策定中なので、その参考も兼ねて、お仕事させて頂きました」
ピッ。
「五十萬円」の文字が液晶画面に映し出された。
「実はこれが今回の報酬なんですよね。もちろんこのまま銀行に振り込んじゃえば外へ行っても現金として使えるらしいので、不満はないんですが。あ、そうそう。この秘密はあなたへの報酬でもあるそうです。ご自由にお使い下さい。ただ、その壊れた商品の分はあなたから引かれると思いますので、よろしく」
なんて、聞いてる場合じゃありません、ってか。なぜならば、アルバイトは吹き飛んでしまった眼鏡を手探りで捜索している最中だからだ。ふむ。さすがに売ってしまうのは可哀想なので、この左手にある眼鏡は募金箱に挿しておくことにしよう。
まぁ、つまりは、僕みたいな業者が不意に現れるという点で、深夜のコンビニで働くのはやめておいたほうが良いということだ。何も入っていないバッグは肩に提げ、果物ナイフがちゃんと懐へ収まっているのを確認した。
自動ドアが開く。深い闇が眼前に広がる。
「ありがとうございました。またのお越しを……じゃないな。またのご訪問を、楽しみにしております」
お読み頂きありがとうございます。
この作品はちょっと力を抜いて、エンタメに走ってみようというコンセプトで書かせて頂きました。
ただ、無意味にエンタメしてても面白くないので、また新しい文学的な挑戦を盛り込んでみました。
イメージとしては「カノン」です。ファフナーじゃないです。パッヘルベルです。(実はこれが言いたかっただけだったり……)
もう少し具体的に言うなら、円運動しながら物語が前進して、三次元的には螺旋運動をしていたら面白いかなぁ、と。
要は、気まぐれに筆を走らせたらこうなりました、という訳です。意味深長なんて縁も所縁もございません。もしそうかもしれないと思われたら、それはきっと人違いでしょう。
では、また次の作品でお会いできることを、楽しみにしております。
葦沢
March 31, 2012