7 チート
「ね、マスター。なんでカミラ、機嫌悪いんだ?」
もはや指定席となった階段横のカウンター席に座って、俺はマスターに訊いた。
何気ない風を装って視線を向けると、カミラは不機嫌そうに頬杖を付いて椅子に座っている。
カミラは夏季休業の間、実家の宿屋に戻って家業の手伝いをするのが習慣らしい。俺がこの宿に来る直前に帰省し、ウェイトレスとして一階の酒場を手伝っているようだった。
今日も今日とてウェイトレスの格好をしているわけだが、俺以外の客がいないのをいいことに客席にどっかりと腰を落ろし、頬杖をついて黙っている。
「あー、うん。……今朝さ、広場にシルケスからの馬車が着てたんだよね」
シルケスと言うのは、俺がポートアークに来る前に寄った町だ。キースが活動拠点を置いている。
「ふうん。で?」
「休みのあいだは、馬車が来ると発着場まで様子を見に行くのがカミラの日課なんだ」
「なんで―って、なるほど。キースを迎えに行ってるのか」
かいがいしいな。普段の様子からは想像がつかない。
「そう。で、キースの方もそれをわかってて、大体カミラの休みに合わせて遊びに来るんだけど」
「今年は来ないのか」
「うん。もうカミラが来て2週間になるでしょ? まあ、キースと会えばすぐに機嫌は直るんだけどね。それまではいつもあんな感じかな」
「へえ、そりゃ……こまったねぇ」
人ごとなので、へらへらと笑いながら同情する。
って、おい。
今まで忘れてた。
俺、カミラと初めて会った時余計なこと言ったんだっけ。『キースもカミラが好きなんだよ』みたいな、そんなカンジのこと。
実際はそんなこと知ったこっちゃないから、全部出まかせなんだけど。
もしかして、あいつ。
そのつもりで、待ってるのか?
「……」
俺は血の気が失せて行くのを感じた。
これって、やばくないかな?
キースが来ても、カミラが望むような展開にはならないだろう。俺が言ったのは出まかせだから当然だ。不審に思ったカミラがキースに確認すれば、その出まかせもバレる。
「ヒカル?」
俺がぶるぶる震えていると、洗濯物を抱えたシャロンさんに声をかけられた。
「あ、シャロンさん……」
そういや、シャロンさんにも釘刺されてたな。やべー。
「あのさ。この間洗濯に出してた服、洗濯できたよ。裏にあるけど、どうする?」
裏と言うのは洗濯小屋だろう。
洗濯小屋はカウンター奥の裏口を通って、宿の裏手にある。
「部屋に置いておけばいいかい? それとも今、着替えちゃう?」
今の俺の格好は、カミラのお下がりの制服だ。シャツにスカート、薄いケープみたいな物を羽織っていた。
ちなみに、スカートは折って丈を短くし、ミニスカート風にしている。
うん?
いやいや、そんなつもりじゃない。違うから。
着こなしって言ってくれ。
「あー、いえ。自分で部屋に持っていきます」
「そう? 悪いね」
トントンと軽快な音を立て、シャロンさんは階段を登っていった。
いつも思うんだけれど、シャロンさんといいマスターといい、この宿の人は動きが軽快すぎる。特にシャロンさんは、あの体のどこに俊敏性を秘めているのだろうか。
なんてことを真剣に考えないうちに、さっさとブレザーやら何やらを回収してこよう。
「マスター、裏口借りていい?」
「どうぞー」
▼
裏口を通って、洗濯小屋へ。ここには宿泊客の洗濯ものがまとめて干してある。割と長期滞在になってきた俺は、何度かここへ足を運んでいる。シャロンさんに頼めば洗濯してくれるのだが、それは日がかかるため、俺は一張羅の制服を夜なべして洗っていたのだ。
勝手知ったるなんとやらで、扉を開け、視界を埋め尽くす洗濯物の中から自分のものを探す。
「ヒカル。私やるよ」
「ひっ!?」
天井から無数のカーテンのように吊ってある洗濯物の向こうから、不意にカミラが現れた。
「あなた、一応お客でしょうが。こんなことしなくていいのよ」
「え、あ? そ、そうか?」
俺がうなずく隣で、カミラが洗濯物を取り込み始めた。手にいっぱいになると、小屋の中央にあるテーブルに洗濯物を持っていき、丁寧に畳む。
「そこで見てるの?」
「あ、だめか?」
「だめじゃないけれど」
言ったきり、カミラは洗濯物と畳むことに集中し始めた。
俺はそれを呆けたように眺める。
へえ、手際がいいな。さすが宿屋の娘。
「自分のがあったら言ってね。分けておくから」
「わかった―あ、それ俺の」
カミラが手に取った布袋を指差して俺は言った。
俺が最初から所持していた、なにに使えるのかよくわからない布袋だ。
「……」
カミラはそれを手に取ったまま、じっと見つめる。
「カミラ?」
不審に思って声を掛けると、カミラが言った。
「ねえ、ヒカル。これ魔法が掛かっているようだけれど、洗濯して大丈夫だったの?」
「え、そうなのか?」
俺はカミラの手元を覗き込んだ。
カミラは布袋の、細やかな刺繍が施されいる部分を見つめていた。
「これ?」
「ええ。魔法が魔法陣の形で刺繍に織り込まれているみたい。最近じゃ誰もこんなことやれないわ……。こんなに綺麗な模様に仕上げるなんて、ものすごく凝ってるわね」
「どんな魔法なの?」
「妖精猫の魔法ね。普通は箱に使うんだけれど」
カミラは不思議そうに俺を見た。
「知らないの?」
「うん」
「なんで? 貴方のなんでしょ」
「え、それは。……ほら」
そういうこと聞くぅ? 詮索しない、いい子だと思ってたのにー。なんて、スマイル浮かべながら牽制するには、ちょっと間が開いちゃったな。
しどろもどろになりながら俺は答える。
「あれだよ。魔術師にもらったんだけど、俺って魔術師じゃないからさ」
「使い方がわからない?」
「そう! それそれ」
俺が頷くと、カミラはふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「ま、素人は魔術品の鑑定なんてできないのが普通だから」
おやおや、そんなガラじゃない嫌味を言うとは。さてはまだ機嫌悪いな?
「使い方は簡単よ」
そう言って、カミラは布袋に手を突っ込んだ。
「中を決して覗きこまないこと」
目を瞑った。
「え、それだけ?」
「そう。――妖精猫は、この袋の中にいるかもしれないし、いないかもしれない。……ヒカル、袋の中に何か入れてる?」
「入れてない」
俺は首を横に振った。
「本当に? 見てもいないのに、言い切れるの?」
「……え?」
どういうこと?
首をかしげると、カミラが笑った。
「何か掴んだわ。取り出していい?」
「え!? ――ま、まあ。うん。いいけど」
カミラの行動に驚いていた俺は、なにも考えずに許可する。
「よいしょっと」
一声上げて、カミラは勢いよく布袋から手を引き抜いた。
「え……? ――きゃっ!」
ガシャン! とカミラは何かを取り落とした。
取り落とした物を見て、俺達は目を見開いた。
俺は純粋な驚愕。カミラは恐怖。
「ひっ……」
小さく悲鳴を上げてカミラは後ずさる。
俺はそんなカミラに気付かずに、地面に転がった物に近寄り拾い上げた。
「『死霊皇・レーヨン=リノス』……」
それはある上位クエストで入手できる、杖系統の高級装備だった。魔術師系職業の専用装備で、装備しているだけで近くの敵を恐慌状態に陥れる魔法効果が施されており、おまけに魔法攻撃力も高い。欠点は通常魔法攻撃にMPを多めに消費すること。
そしてなにより、俺が所持していたアイテムの一つでもあった。
「なんで……?」
俺は『死霊皇』をマジマジと眺め、どうやら本物らしいと判断した。
『死霊皇』が纏う黒い霧。ゾクゾクと鳥肌が立つ感じは、いかにもコイツの魔法効果『恐慌状態』っぽい。
「すげぇ。……おい、カミラ。どうやったんだ!?」
興奮しながらカミラを振り返った。
「……カミラ?」
俺の視線の先で、カミラは頭を抱えて地面にうずくまっていた。自身を抱き締めてガタガタと震えている。
「おい? どうした」
異変に気がつき、慌てて近寄る。
「ひっ……来ないで!」
目に涙を浮かべて、カミラは叫んだ。
その様子に驚く。
「ちょ、どうした?」
カミラの言葉に構わず、俺はカミラの傍に近寄った。
すると、カミラは目をいっぱいに見開き
「ッ! きゃああああああああッ!」
いきなり、ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしった。
「っちょ!? どうしたんだ!?」
俺は慌ててカミラの腕を掴む。
なんだ? なにが起きてる? また癇癪?
「いやッ! いやアァァァァッ」
叫びながら俺の手を払う。俺が再度手を伸ばすと、めちゃくちゃに暴れ出した。
片手では抑えられない。
『死霊皇』を足元に置き、両手でカミラに組みついた。
とそこで、ようやく原因に思い至る。
「あっ、そっか! 魔法学校の生徒ってことは、カミラって『魔術師』!?」
おそらく、レーヨン=リノスを掴んだことで装備と見なされ、付加効果が発動した。が、カミラのレベルが足りないせいで使いこなせなかった……とかか?
俺が恐慌状態にならないのは、『死霊皇』が80レベルの装備品だからだろう。
「え、えっと」
緊急事態だと判断した俺は、『死霊皇』を掴んで小屋の外に飛び出す。
「ど、どうしよ??」
頭が真っ白だ。
突発的な事故に弱いなあ! 俺!
「ええい! 南無三!」
叫んで、俺は『死霊皇』を思い切りぶん投げた。『死霊皇・レーヨン=リノス』はビュンビュン回転しながら――
どっかに飛んでいった。
……さらば。
合掌し、小屋の中に戻る。
「あ――」
「うっ……ひっく―」
カミラが一人、すすり泣いていた。
「大丈夫か?」
俺は彼女に近寄り、震える手を握る。
カミラは俺の手を、すがるように掴んできた。
▼
「あんなの持ってた俺が悪い。気がつかなくて悪かった」
「な、なんだったの……?」
ぶるぶると震えながら、カミラは呟くように言った。
状態異常・『恐慌』
こんなこと、初めてだったんだろうな。
「もう大丈夫だから」
いまだに震えるカミラが痛々しくて、俺はぎゅっと抱きしめた。
カミラもよわよわしく抱き返してくる。
「あれ、なんだったの……?」
俺の薄い胸に額を付けて、カミラは再び訊いた。
「死霊皇の杖だ。――昔、ギルドの仲間といっしょに手に入れた」
「――死霊皇?」
「可哀想な魔術師の、そのなれの果てだよ」
設定で言えば。
死霊皇・レーヨン=リノスは、生涯のライバルであり最愛の伴侶であった者によって蘇らされた魔術師だ。
死者蘇生の奇跡は、リノスがアンデットとして生き返ることで成功した。
しかし、生き返ったリノスはアンデットの性から逃れることが出来ずに生者を求め、後悔と憐憫に苛まれた伴侶がその身を差し出す。
その肉を食べながら、リノスは自身の手で伴侶を生き返らせることを決意した。
アンデットなどではなく、より、完全な形として。
「そんな……」
カミラは青ざめたまま、言葉を失った。
俺は続ける。
「『悔恨の地』ってトコに引き篭もっていてな。そこで戦った」
死霊皇の出現するクエストは、プレーヤーたちの間ではかなり評価が高い。
クエストの導入やストーリー性、出現する敵の強さなど、かなり重厚な内容のクエストだからだ。ボスキャラである死霊皇を倒した後の演出、クエスト達成後の何ともいえない「やるせなさ」など、それらが一層あのクエストを叙情詩的にしていた。
「結構強かったな。……悲劇的なヤツでもあった」
しみじみと俺はつぶやいた。
もうあの、クエスト導入の死霊皇討伐を依頼してくる少女が、まさか娘だったとは。しかも最後に……報われることなく――。クエストをサポートしてくれるいい子だったのに。
と思わず感情移入してしまうくらいに、ストーリー性が秀逸なクエストだった。
「――その人の、気持ち、が……伝わってきた」
ポツリとカミラがつぶやいた。
「好意と怒りと憎しみ……嘆きと、諦嘆」
言ったきり、しばらくカミラは無言で泣いた。
カミラのそんな様子に、俺もしんみりする。
「……そっか」
それだけ言って、俺は無言で胸を貸し、その間ずっとカミラの髪を撫でていた。
しばらくすると、カミラが顔を上げた。
「ありがと」
頬を染めて、カミラは言った。
「いや、落ち着いたみたいで、よかった。――俺って考えが足りないんだ。何を持ってるかなんて、俺にしかわからないのに」
「ほんと、そう――でも、何を言うべきかは分かってるよね?」
赤い顔のまま、カミラはわざと眉を吊り上げて言う。
「ごめんな」
俺はあやまった。
「……いいわ」
照れたように、カミラは笑った。
「あのね……」
俺から視線を逸らし、顔を赤く染めたままカミラは言った。
「腰抜けちゃった……」
「あ、ああ。なんだ、もう。それくらい、俺が抱えて運んでやるよ。おんぶでもお姫さま抱っこでも肩車でも何でもしてやる」
申し訳なさに、ひたすら下手な申し出をする。
つかまれ、とカミラへ手を伸ばした。
カミラが俺の腕をつかみ、俺が勢いよく引き上げようとした瞬間
「ちょ、ちょっとまって!」
慌てた様子でカミラが叫んだ。
なんだ? 嫌なのか? お姫様だっこ。
「……!?――!!」
挙動のおかしいカミラ。
俺が不審に思っていると、やがてカミラは真っ青になった。
「カミラ?」
「ひ、ヒカル!」
カミラは地面に顔を向けて叫んだ。
叫んだまま、俺とは視線を合わせようとしない。そのくせ、カミラの顔は赤くなっているようだ。かすかに見える首筋が赤い。
「これって、ヒカルのせいよね!?」
勢いよくカミラが顔を挙げ、俺を見上げた。
顔は真っ赤で、目には涙。
「う、うん。俺が全部悪い」
「じゃ、じゃあ……全部忘れてよ!? 今までのことも、これからのことも全部! 全部忘れて、絶対人に言わないでね!?」
「お、おう……」
どっちだ。
思いながらも、カミラの剣幕に押し切られて俺は頷いた。
俺が頷いたのを見て、がっくりとカミラは頭を落とす。
やがて、呟くように言った。
「着替え持ってきて……」
「え? なんて?」
「着替えよ。――私の部屋から持ってきて……下着も」
かすかに聞き取れた単語に俺は愕然とした。
「し、下着て。……まさか、おまえ」
何も言わず、コクン、とカミラは頷いた。
いや、うなだれた。
批評・感想が真っ二つに分かれると思います。
ともあれ
もうしばらくはこういう描写で続きます。
8・20 ダッシュ記号訂正