6 ギルド
「ただいまー」
言いながら、俺は酒場のドアを開けた。
今は夕方だ。一日の活動を終えて、俺は拠点としている宿屋に戻ってきたのだった。
夜の営業に向けて仕込みをしていたマスター(この間俺が話しかけた男だ。酒場の切り盛りをしている)が、俺を確認するなり、笑顔を浮かべた。
「ああ、ヒカル。おかえりー」
「なんか飲み物頂戴」
カウンターに付くなり、俺は言った。
「はいはい」
マスターは一旦氷室に入り、片手で抱えるくらいの小さな樽を持って出てくる。ちなみに、食料品などの貯蔵としてこの宿屋には氷室があった。この都市でも珍しいこの設備のために、冷たい飲み物という貴重かつ贅沢品が酒場のメニューに並ぶ。
グラスを用意しながら、マスターが話しかけてきた。
「今日はどうだった? 収穫あったかい?」
「いやー。駄目さ―」
ぐったりとカウンターに突っ伏す。
俺はこの宿を拠点に定めて以来、毎日外出している。目的は危険地域の情報収集と、戦闘訓練のためだ。
しかし、今日は珍しく行き先が違った。
酒場で食事をとっている最中に耳にはさんだ、冒険者ギルドへ行ってきたのだ。
ゲーム時代はプレーヤータウンなどの大規模都市にしかなかったこの施設(ゲーム時代は開拓ギルドだったけれど)だが、この街にも支部があるらしいということを聞いて、早速向かった。
開拓ギルドでは基本的にギルドに関連した諸手続きを行う場所だけれど、そのほかにも個人プレーヤー向けの銀行サービスと、2000種類のアイテムを保管できる倉庫の貸し出しも行っていた。
お金はともかく、アイテム倉庫が使えるならば是が非でも利用したい。
新人プレーヤーにばら撒くために目ぼしいものは所持していたとはいえ、倉庫にはまだまだレアアイテムを保管してあったからだ。メニューが開けないせいで手持ちアイテムを使えない今、ギルドの倉庫を調べないわけにはいかなかった。
しかし結果は不調に終わった。
一部のシステムや機能を除き、今の冒険者ギルドはゲーム時代の開拓ギルドとは全く勝手が違った。
話を聞くと、名称が変わったのではなく新設されたもののようだ。
そのため、俺が預けていたアイテムの引き出しは出来ず、預金も口座ごと消失してしまっていた。
「まー。良いこともあったけど」
新冒険者ギルドは、開拓ギルド時代に無数にあったプレーヤーのギルドの情報は引き継いでいたようで、俺もかつて在籍してたギルドを確認することが出来た。
『ギルド:ノーブル・パンツァー・ソサエティ』
カウンターに頬を付けたまま、再発行してもらったギルド証の文字を眺める。
「はあ。なんか、なつかしいな」
大して時間も経っていないはずなのに。
「うん?」
俺の呟きにマスターは首をかしげた。
「これ」
俺はマスターにギルド証を示した。
「俺が昔いたギルド」
「『ノーブル・パンツァー・ソサエティ』? 高貴なる……装甲士会、でいいのかい?」
「いや、直訳すぎてわけわかんないだろ」
「じゃ、なんていう意味なんだい?」
「高貴なるパンツ同好者の会」
「……は?」
「そういう馬鹿なギルドがあったんだ。昔は」
マスターからギルド証を受け取り、ブレザーの内ポケットにしまう。
「なんだか、変わったギルドなんだね」
マスターは俺の前にグラスを置いた。
俺はそれを一口飲む。冷たくて、うまい。
「変わり者の集団だったからねー」
というか変態の集団だったのか。
『エリュシオン』が装備品でもないパンツまでも忠実に再現したゲームであったことはすでに述べたが、そのパンツに群がった馬鹿どもの集団が、このギルドだった。
主な活動内容は、自分のキャラクターのパンチラをスクショすることだ。
まあ、ほとんどのメンバーはそれだけに満足せず、未知なる光景を求めて日々邁進していた。
露出度の高い装備に身を包み、戦闘に挑んでパンチラを狙う者(オーソドックス)。
処理の関係で数フレームだけ出現(通称、全裸処理)する、キャラクターの全裸チラを狙う者(ただし肌色一色。細部はわからない)。
日がな一日ノンプレーヤーキャラをストーキングし、マップ高低差や全裸処理でパンチラと全裸チラを狙う者(猛者。うまくいけばパンツ一つで階段を上り下りするキャラクターという、かけがえのない姿を見られる)。
中にはプレーヤーをストーキングして(あくまでキャラ目的と主張)、アカウント停止を喰らう者もいたりして。
そういう馬鹿で愉快な変態の紳士どもが、公然と所属していた名物ギルドであった。
「楽しかったな―。馬鹿ばっかりで」
「いやいや。ヒカルも所属していたんでしょ」
冷や汗をぬぐいながらマスターは言う。
「まねー。結構メンバーもいたし、割と活動が盛んでね」
そういうヤツらの集まりだったが、その活動は華々しいものだ。
まだ見ぬコスチュームのため、新クエスト先陣競争ではいつも、他の大規模戦闘ギルドと共に最前線にいた。
なにせ基本がフレーム単位でゲームを楽しんでいる連中だ。本気で戦闘すれば恐ろしいまでの能力を持っている。
「でも、自然消滅」
「なくなっちゃったの?」
「らしい。ずいぶん前に」
そう言って、俺はぐいーとグラスを傾けた。
「ごちそうさま」
「いえいえ。―夕食はどうする? 部屋に持っていけばいいかい?」
「うーん……いや、降りて食べるよ」
それまでは部屋にいる、と言って俺は階段を登った。
▼
宿屋の一室。
例によって俺は下着姿だ。
ベッドの横に仁王立ちし、そこに広げた制服装備、つまりブレザーとスカートを眺めていた。
「やばいな」
広げられた装備を見て呟く。
スカートはところどころほつれ、ブレザーは深緑だった色が日焼けして茶色っぽくなり始めていた。
この世界に来てからこっち、洗濯しながらずっと着てきたが、そろそろ限界のようだ。
「劣化とか」
ゲーム的じゃない、と今まで何回も言ってきた言葉を呟いた。
基本、装備は一度入手してしまえば捨てない限りずっと使い続けることができる。耐久度とかも設定されていないし、経年劣化はあり得ないものなのだ。
とはいえ、ブチブチ文句を言ってもしょうがない。実際に制服はボロボロになっているのだ。こういう仕様と思って、諦めるしかなかった。
「買い替え時かなぁ……」
とはいうものの、今の世界で俺を満足させられるものがあるかどうか?
見た目や機能を選ばないなら、衣服はそこらじゅうにある。
しかし、俺はコスチュームには特別なこだわりを持った『ノーブル・パンツァー・ソサエティ』のメンバーなのだ。可愛くない物は着たくない。というか、可愛くない物はキャラに着せたくない。
などと、今日の一件以来、妙なこだわりを思い出してしまっていた。
ようは自己満足と見栄である。
それらを満足させてくるものしか着たくないのだ!
「お金はあるんだし、オーダーメイドで何か作るか」
例えば、この制服を持って行ってもう一着作るというのは可能だろうか。
同じものを作るのは無理だろう。ネタ装備の例に倣って、この制服装備も大量の高位素材を必要とする、一応はレア装備である。
ただ、せめて外見を似せることができれば……
いやいや、そんな妥協でどうする。俺はレア装備であるところの制服装備だからこそ、好んで装備していたのだ。外見だけを似せた制服など、大量生産の可能な、いわばコスプレ衣装である。そんなチープなものなど着たくない。というか、着せたくない。
「うーん。じゃ、どうすっかなー?」
うろうろと部屋を歩き回っていると、突然カミラが入ってきた。
「ね、ヒカル。そろそろ夕食にしない?」
ニコニコと笑顔で入ってきたカミラが、俺を見て目を吊り上げた。
「ちょっと! ヒカル。貴方、いい加減慎みを覚えなさいよ!」
「いや、カミラもノックを覚えようぜ」
俺のプライバシーはどこに行った。
「……って、なに? 服を並べて」
ベットの上の制服を見つけて、カミラが聞いてきた。
「いや、結構ぼろくなったなーって」
「? 着替えればいいじゃない」
「着替え持ってないし」
「はぁ!?」
カミラは口に手を当てて驚いた。
「なんでよ?」
「なんでって。……こだわり?」
疑問形で答えた俺に、カミラはため息。
「――変な人だとは思ったけど、ほんとに変な人ね。着替えがないなんて、獣じゃあないんだから」
呆れたようにカミラは言った。
む、変わり者だと思われていたのか。女の子にそう思われていようとは。ショックだ……。
まあ、それは置いておいて。
――獣か。
「いっそ、変な服を着るくらいなら、裸になるかな」
半ば本気で呟く。
こんな外見になろうと、俺の意識は男である若月ヒカルだ。今の俺の姿は、強引に例えるなら若月ヒカルがゲームキャラクターの着ぐるみを着た状態に近い。
そういう考えを抱いているからこそ、現在の俺は羞恥心というものが希薄だった。下着姿だろうが裸だろうが、実際に俺が見られているわけではない、という思いがどこかにある。
「……」
裸を見られるくらいじゃ、なんにも感じないだろうし。むしろ、変な衣装よりも裸の方が見栄えがしそうな美少女なのだ。
名案じゃね?
「っていやいや。積極的に裸になる理由になってないから」
暴走しがちな思考に突っ込んだ。
どうもこの世界に来てから、考えが飛躍しすぎな感がある。ゲームだからといって自分本位な思考に陥りっぱなしだ。
「はだかぁ!? つつしみを持ちなさいと言っているでしょ!」
カミラもぎゃんぎゃん吠えるので、素っ裸になるのは止めておこう。
「うーん。じゃ、どうしよ?」
うかがうようにカミラに訊いた。
「――はあ。しょうがないから、私の服を貸してあげるわよ」
「はあ。そう言われてもな」
カミラの服を着ることに遠慮しているわけじゃない。繰り返すが、可愛くない物は着せたくないのだ。
可愛い服を貸してくれるだろうか?
カミラの私服が野暮ったいエプロンドレスなので、失礼ながら、甚だ疑問だ。
「わかってるわよ。制服にこだわっているんでしょ」
「そんな危険な発言は止めようぜ。服だよ。服にこだわってんの!」
制服なんて、十数種類しかもってない。
「はいはい。貸してあげるわよ。ちょうど、今年制服を買い替えたばかりだし。前のヤツならヒカルにもぴったりなんじゃないかしら?」
制服? 買い替えた?
「なに、カミラって制服持ってんの? ってか、制服なんてあるの?」
『エリュシオン』は中世をモチーフにした剣と魔法のゲームである。当然、そこに登場するノンプレーヤー達の衣服は、中世の衣装をファンタジー風にしたものだ。中には可愛らしいのもあるが、基本、カミラのエプロンドレスのような野暮ったいものが多い。
制服なんて、プレーヤーのネタ装備として存在するだけだと思っていた。
「当然よ。今は夏季休暇中だけど、ほんとは王都の魔法学校の学生だもの」
魔法学校!? なんだそれ!?
「ちょっと待ってて」
驚く俺をよそに、カミラは自室へと戻って行った。
カミラのお下がりの制服を無理やり着せられてから、俺たちは夕食を食べに酒場へ向かう。
……はあ。
――『王立魔法学院の制服・女』を入手しました。
やった。
いいものもらっちゃったな。