47 辺境あるいは魔族領。
結局パーティの皆がアズリアの親父さんに挨拶して、こちらの上位階級らしいもてなしを受けた。親父さんは娘を冒険者に巻き込んだ原因である俺たちに対して特にわだかまりを感じている風もなく、けれど父親らしく娘の事を心配していて、これから旅をする俺たちに様々な気遣いをしてくれた。
俺としてはその多大な気遣いや、何よりアズリアを親父さんの元から引き離した立場なので申しわけない気持ちでいっぱいだったけど、いろんな気持ちを抑え込んで餞別を有難く受け取った。
変に辞退しない方が良いと思ったからだ。
そんなこんなで、ロングホーンのアズリアの家をお暇して、俺たちは現在エルフの居住地に向けての道中だ。
小さな町や点在する農家の小屋などで宿をとりながら進みつつ、かれこれ一週間ほど。
すでに『聖なる暗き森』に入ったようで視界には人家を確認することができない。
ダグの話だとこれからどんどん森の植生が濃くなっていくらしい。
森の中では馬には乗れないので、各自荷物をもっての徒歩移動。
どこか適当な場所を見つけて今日からキャンプだ。
「めっちゃ晴れてるけど、寒いなあ」
あちこちにファーを取り付けた改造軍用コートを着たニケが伸びをしながらいった。短く裾を切ったコートの下からちらちらと水着が覗き、日に焼けた太ももは惜しげもなく晒されている。
もともとひざ下まであったコートを水着が露出するまで短く詰めたのは、ヤツなりのポリシーだろう。
「編み上げブーツにもファーとりつけとくんだったな」
アズリアのお下がりコートを着込んだ俺が言うと、ニケが笑った。
「まあ、我慢できん程じゃない。もっと寒くなるようなら考えるが」
「雪は滅多に降らないらしいけどね」
俺はダグの方へと視線を向けた。
「森では雪は降っても積りませんね。大陸のもっと北の方に行くと、年中雪に覆われた土地もあると聞きますが」
「いつか見てみたいものだな」
俺の横を歩いていたアズリアが言った。
「ロングホーンでは雪は積もるほど降らないのだ。たまに降っても、外は寒いからと部屋から出してもらえなかった。しかし時々、両親に連れられて外を散歩することがあってな。そういう時は父親と一緒に雪で遊んだ」
「ふぅん。アズっぺが氷雪魔法をよく使うのもそこら辺の思い出が関係してたりすんの?」
「……さあ? しかし、確かに氷雪系はよく使うな。自分でも意識していないが、そうなのかもしれない」
アズリアはキュッと物々しい杖を握りなおした。
それはアズリアが父親から送られたもので、なんと言うか、いままでアズリアが持っていたものよりもずっと禍々しいデザインだ。
娘に送るものとしてはどうかと思うのだが、父親は実用性を最重要視したらしい。
取り寄せてアズリアに渡すときにリノス氏に反応して杖が魔法効果を暴走させたので、一般人が持つものよりも強力なブツであることは確かだ。
まあ、大事な一人娘を危険な場所にやるんだから心配しすぎて足りないってことはないんだろう。
「……危険は承知だろうけど、くれぐれも注意してよ。怪我でもしてみろ、親父さん泣くぞ」
「いやしかし、多少は戦えるようになっただろう?」
「油断大敵! 魔術師なんて大概が紙装甲なんだから後ろに下がってればいーの!」
「はあ……」
どこか腑に落ちない、という様なアズリアの返事。
「そういえばヒカルとニケ、エリカはどうなのだ? 実際に冒険者になってみてわかったことだが、女性で近接戦闘を専業にするのはあまり多くないみたいだった。選んだのにはなにか理由が?」
ゲーム時代ならばステータスは男女で差がないので女性でも接近職をこなすことはできる。それは今でも引き継がれていると思うのだけど実際に男女の比率が半々かというとそうでもなく、特に接近戦闘職の女性冒険者は男性のそれよりずっと数が少ない。なので俺たちのような存在は、全くいないわけでもないが珍しいことになる。
「なんとなく」
「一人で狩りがし易そうだったから」
「魔法の適正なかったもん」
三者三様に応え、最後に応えたエリカがちょっと顔を赤らめて俯いた。
その様子にニケが反応。眉をひそめる。
「適正がなかった?」
「あー……。物ごころついた時にはもう剣を振っていたというか、後悔先に立たずというか」
ゲーム時代同様に『職業選択』というものがあるなら、どうやら幼少期の環境で決まってしまうもののようだ。
選択画面が出るわけでもない。
アズリアやカミラのように親子そろって魔術師という例が多いので、環境によって半ばなし崩し的に決まってしまうのだろう。
「物ごころついた時には、ねえ……」
ぼんやりとニケが呟き、それから首をかしげた。
「どした」
「おれが子供の頃はどうだったかなー、と。……あんまり覚えてない、なあ?」
「いや、知らないよ」
疑問形の言葉にバッサリと返す。
ネット上での付き合いなので、リアルの事はしらないのだ。
「ヒカル」
と、前を歩いていたダグが立ち止まり、横に立っている木をしげしげと見ながら俺の名前を呼んだ。
俺が隣に歩いていくと、ちらりと視線を投げたあと今度は森の奥へと顔を向ける。
ニケも何かに気がついた様に視線を動かし、間をあけず俺も気がついた。
「……敵か」
俺たちの様子を見て、アズリアが呟いて一歩下がる。同時に前へと進み出たエリカの手には幅広の長剣がすでに握られていた。
身長ほどもある剣を構えたエリカに、ニケが手を向けて制す。
「違うな。――なんだこいつら」
「ニケ、彼らの場所はわかりますか」
「おう。11時の方向、50メートルくらい先にバラけて2人。他にもいるみたいだがそっちは方角しかわからない」
「俺も察知した。……モンスターではないっぽいな」
感知した二人は一定の距離を保ったまま、近寄ってこなければ離れもしない。まるで俺たちを監視しているかのようで、その行動はモンスターのものではなさそうだった。
ただ、モンスター以外で俺たちが察知できるということは敵意を抱いている存在ということだ。
なんなの、と俺はダグに目を向ける。
「いや。あちらから先に見つけてくれてよかった。横着なもので20年ほど出入りしてませんし、もう私では正確に安全な道を見分けられない」
「つまり……?」
アズリアが不審げに声を上げた。
「エルフの警備隊です。案内してもらいましょう。ちょっと話をしてきます」
言い残して、ダグはてくてくと森の奥へと進んで行った。
▽
数百年前にハイエルフが築いた砦は現在レギオンの女王の居城となっている。
かつての土塁は頑丈な石壁に代わり、周囲に張り巡らせていた砦柵は深い壕に代わった。
砦自体にも手が加えられ周囲に似つかわしくない館が建てられている。
その館前の広場を一人の黒髪の少年がゆっくりと歩いていく。
館前の広場に常にいるはずのモンスターたちの姿はなく、あるのは張り詰めた空気だけ。
僅かな敵愾心と、巨大な恐怖。
そして圧倒的な畏怖が空気の正体だ。
少年はそれらを意に介さず進み、館に入っていった。
『おや』
「んむぅ?」
少年が館の一室にたどりつくと、中には2人の人物が部屋の中央に配置された豪奢なソファに腰掛けて楽しげに話していた。
広い部屋だ。
舞踏会でも開けそうなほどの広さを持った部屋の床には磨かれた大理石が敷き詰められ、壁には等間隔に幾つもの燭台が灯されている。それだけでは光量が足りないのだろう、頭上には水晶を加工したシャンデリアもあった。
少年は上方からの光に眉をひそめ不快気な表情をつくったが、特に何も言わずに歩を進めた。
部屋の中央。
少年が2人の人物がいるソファに近寄ると、片方が立ち上がりやうやうしく礼をした。
『これはこれは……閣下。突然のご来訪、いかがなされましたか』
そういったのは、声の低さからおそらく生前は男だったであろう骸骨だ。
名前はラインハルト=アイゼン。人間たちには不死の軍勢を指揮すると伝説されるレギオン。
王族風の衣装を身にまとったラインハルトは頭を下げつつも顔にうっすらと嘲笑を張り付けている。もっとも、本人以外にはわからない。
「閣下、だあ? そちがそう言うとこうことは……」
もう一人の人物。
浅黒い肌に蝙蝠を連想させる黒い翼。そして体のラインを見せつけるような扇情的な衣装をまとった赤眼の女性が少年へと目を向けた。
「リノスグランデかの」
「ああ」
「簒奪したとは聞いておったが……」
言いつつ、女性は顔に怪しげな笑みを浮かべた。
「それにしても、若い」
「ナダスティア。無駄に生き過ぎて耄碌したか」
ギロリ、と少年――リノスがナダスティアに視線を向ける。
ビリビリと肌を打つ、相手を喰い破ろうとするかのような残虐な呪いの気配。
ナダスティアはそれを受け流してなおも蠱惑な笑みを浮かべ続けたが、内心なるほど、と唸った。油断すれば吸血女王とも呼ばれる自分でさえも飲み込まれそうなほどの呪いは、まさしく不死の王のそれにふさわしい。
笑いを浮かべたまま、言葉だけは訂正した。
「む。失礼したようだの」
そういって、ナダスティアはテーブルにあった呼び鈴を鳴らした。
銀の盆を持った、ナダスティアと似た姿かたちをした侍従が音もなく現れて酒の入った容器をテーブルに並べていく。
「突然の来訪痛み入るが、丁度『もてなし』を切らしておってな。このようなものしかない。許せ」
言葉遣いといい振る舞いといい、まるで格下相手を遇するかのようなナダスティア。
しかしリノスは頓着することなく、
「もとより期待していない」
といってソファに腰を下ろした。
リノスに倣い、改めてラインハルトも腰を下ろす。
「それで? いかな用件で参った」
「……いかな? コイツから聞いてないのか?」
リノスがラインハルトに視線を向けた。
『閣下。物事には順序というのがありましてな』
「話してないのか」
『まあ、ありていに言えばそうなりますな』
悪びれる様子もなくラインハルトは言い、横着にカップを手に持った。
給仕が酒をつぐあいだ、二つの視線を感じつつも沈黙する。
一つは不快感を含み、もう一方は面白がるような視線。
「アイゼン卿も忙しいからの」
『そうなんだよねえ』
ナダスティアが擁護するとリノスは露骨に顔を歪ませた。
それを見てラインハルトは笑みを浮かべる。
そもそもラインハルト=アイゼンは先々代のリノスグランデによって蘇生されて不死の眷族に列せられた。頭を垂れる直接的な理由はないし、先代が玉座に君臨した時も一定の独立を保っていられた程の大魔族が、力で『不死王』の称号を手に入れたとはいえ、若造にへりくだる必要がない。
「つかえない……」
あからさまに呟いたリノスの悪態は全く黙殺され、再びナダスティアが問うた。
「それで? 要件を聞こうかの」
「――オレが位についてから15年。そろそろ林檎が育つ頃だ。『巡礼』を行う」
『『不死王の総巡礼』だよ。ナダスティア』
『不死王の総巡礼』
人間たちには不死の軍勢の活動期と理解されている、不死王の眷族達の魔族領大巡回。
巡礼の地で不死王は死んだ者達にかりそめの命を与え、配下に組み入れる。
当然ナダスティアも不死の眷族として巡礼せねばならず、またラインハルトも同様だ。
「得心した。林檎というのがなにを指すのか妾にはわからぬが、不死王のおぬしが時期というのなら時期なのじゃろう。この地は先代より妾が拝領し管理する土地じゃが、もとは先々代が林檎を見つけ出した地だと聞く。当然ここも巡礼地になるわけじゃな」
ナダスティアは獰猛な笑みを浮かべた。
「ということは準備せねばなるまいな。現状、ちと虐殺が不足しとる」
『だよねえ』
ラインハルトがくつくつと笑い、しずかに杯を煽る。
酒はみなソファに流れた。
「そちはもう飲むな」
『いいじゃないか』
全く気にすることなくラインハルトは侍従に酒を注がせる。
味を感じるわけでも酔えるわけでもあるまい。
そう思ったが口には出さず、ナダスティアはリノスに向きなおった。
「しかしだ。アルカディア――廃貴種連中は放っておいて良いのかの。太母の守護もあろう。巡礼を行う余裕があるのかの」
魔族領の奥地で『太母』を占有する『廃貴種』
そのギルド『アルカディア』
囚われた太母の開放と守護は魔族領において知性あるレギオンの悲願であり、義務でもある。
「主だった廃貴種はある程度痛めつけた。しばらく太母は安全だろう。あちらに残っている魔族も無能ではないしな」
リノスはそっけなく言ったが、ほう、とナダスティアは感心した。
見かけどおりの若造かと思ったが、やるべきこととなすべきことはしっかりと把握しているらしい。
「始祖竜も同胞のポラリスを墜とされて躍起になっている。オレがいなくとも抑え込むぐらいはしてくれるだろ」
「ふむ」
「総巡礼もある意味では太母によって定められたものだ。無視することはできない」
そういってリノスは杯に口をつけた。
しかし一口飲んで眉をしかめる。気に入らなかったのか、リノスはテーブルに置いてあった果物の果汁をしぼり、酒が注がれた杯につぎ足し始めた。
『痛めつけたという主だった廃貴種について、くわしく聞いてもよろしいですか』
不意にラインハルトが声を上げた。
彼には珍しく感情がこもった声。
憎しみだ。
「……まだ忘れていないのか」
果汁を搾る手を休め、リノスは呆れるように言った。
その間に侍従がリノスの手から果物を抜き取った。代わりに果実酒を杯に注ぐ。
『おや。それすら先代から聞いておりますか』
「無理だ。一度墜ちた者はもう戻れないし、届かない」
「……」
ナダスティアは口を出さず、黙って事の成り行きを眺める。
先々代に蘇生されて僅か数十年の内に大魔族の一人に数えられるようになったラインハルトについて、ナダスティアは詳しく知らない。
ただ、魔族の中でも特異な秘儀を習得し、この世の玄奥を知るという。
『いまさら廃貴種に未練はありませんよ。敵うかどうかも関係ない』
「ならば忘れるんだな。脳みそがないんだから簡単だろ」
『――ただ、あいつだけは別なのですよ。太母がその生存を許した存在の中で最悪の外道であるガゼルだけは、許すことができない』
ゾクリ、とナダスティアは震えた。
ラインハルトの『威圧』
ガゼルを思い出した時だけは、自分が堕ちたことを忘れてプレーヤーだった頃に心が戻る。