44 屋敷にて。(1)
サニアス王国は王都を中心に東西南北に四つの行政区分に分かれる。その広大な土地を治める四人を四賢侯とか四大貴族といい、序列順に並べるとドラウニー、ウォーデン、ウッドワース、マンシュタイン。そのうちのマンシュタインはエルフの居住地である『聖なる暗き森』に接する北方を領する大貴族だ。
マンシュタイン家の直轄領はロングホーン、ピングリー、ルイザの三つの郡。アズリアの実家であるリノス家はマンシュタインの遠戚で、領主代行としてロングホーンに封じられている。
アズリアの家は家格は高くないそうだがそれなりに名家であり、所在地周辺ではかなり有名で、そして家は一番大きかった。
俺たちがアズリアの実家についた時、あいにくアズリアの父親は領主の城館に出向いていたため留守だった。なら母親に挨拶を、と思ったがアズリアには母親がいないらしい。
彼女が俺たちの旅に同行するには親に許可を貰うことを条件にしていたので、仕方なく俺たちは彼女の実家に滞在することにした。ヒポグリフの事件で予想された追手の気配を感じることもなく、なし崩し的についてきてしまったエリカを暇つぶしに鍛えたりして時間を潰す。そんな風に緩やかに時間は過ぎていった。
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アズリアの実家はとても大きく、見た目は屋敷というよりはむしろ城館といった方がしっくりくる。
兵の練兵場をかねた広大な庭を有し、屋敷は部屋数も多く、広い。
当然食堂も広い。
食堂にあるテーブルや椅子、食器やその他の調度品は格調高いものではあるが華美な装飾は施されておらず、むしろ実用本位で選択されたものだ。
夏季休暇以来となる食堂でアズリアは一人朝食をとっている。
ヒカルとニケはベットがあれば朝は絶対に起きてこないし、ダグは散歩と称して毎日どこかへ出かける。エリカはヒカル達に早朝訓練を言い渡されているので、この時間帯は滅多に姿を現さない。
アズリアがカチカチと食器を小さく鳴らしていると、珍しくエリカがやって来た。
「アズリア。おはよう」
「うむ。おはよう」
短く言葉を交わしてエリカはアズリアの対面に座った。
実家で雇っている家令によって食事が運ばれて来る。
エリカはパンを手に取ると、丁寧に千切って、乱暴に口に放り込んだ。
「もぐもぐ……」
「――。ヒカルとニケはまだ眠っているのか?」
「むぐむぐ――。うん。朝食はいらないって」
「ふむ。自習訓練は終わったのか?」
エリカは、ヒカルとニケから手ほどきを受けている。毎日早朝の自習訓練を言い渡されていたのを知っているアズリアがそのことを訊くと、彼女はどんよりと顔を曇らせた。
よほど厳しいのか、とアズリアは想像した。
魔法学院という環境でそれなりに訓練をしてきたアズリアと、ただの上級学校生だったエリカではそもそもの基礎能力が違う。一般人より『使える』のは間違いないのだが、いきなり戦闘に放り込むヒカル達の訓練はこなせないだろう。そのためエリカはヒカル達に色々と仕込まれている最中なのだ。
「辛いなら、戻ればいいではないか」
何気なくアズリアがいうと、エリカは目を見開いた。
「……王都に? 冗談でしょう?」
エリカは王都に居られないと思い込んでいて、それが理由で仲間に加わっている。
というのも、エリカはヒポグリフを殺したニケと行動を共にしたからだ。
ヒポグリフ殺しは前例がないほどの重罪で、捕まればおそらく死刑。
行動を共にしたエリカは騎士団に『共犯』と思われている可能性があるので、彼女が王都に居られないというのも理解できる。
「戻りたくても戻れないよ。私は多分『聖獣殺し』の犯人の一人だと思われてるだろうし、それはあながち間違いじゃない。少なくともニケが聖獣を殺した原因の一部は私にあるんだから、紛れもない関係者よ」
「うむ」
「捕まれば死刑だってイクトール様も言っていたじゃない。わざわざ死にに行くようなものでしょ」
「そうはいうが――例えば、院長に頼るという手もあるのだぞ? 実際に私たちが逃げるのにも手を貸してくれたのだし、あの方は未だに権力を保持している。頼めば何とかしてくれると思う」
少なくとも死刑は回避できるのではないか、とアズリアは思う。
「まあ、無罪放免というわけにはいかないだろうが」
「なら嫌。罰を受けてまで王都にいたい理由がないもの」
「親とかは? 逃亡していたら会えないぞ?」
「……。色々考えて、今の私には自分の命より優先させるものはないの」
そういったエリカに、アズリアはそうか、と頷いた。
エリカが何を優先させるのかすでに決めているのなら、アズリアが特にいうことはない。
自分も様々なモノを放り出して冒険者になった口だ。エリカに何かいえる立場でもないな、とアズリアは思った。
「ご馳走様」
エリカは立ち上がった。
アズリアとの会話の最中は食事に手をつけていなかったので、食べたのはパンとスープくらいだ。
「もういいのか? 早朝の訓練は終わったのだろう? たくさん食べなくては駄目だ」
「……午前もみっちりあるし。たくさん食べたら、たぶん吐く」
「――そうか。気の毒だが、頑張れ。ヒカル達の訓練は、多分これから役に立つはずだから」
「うん。――実はもう、手応えを感じてるの。アイツらって見かけによらずスゴイ冒険者だったのね」
グーっと体を伸ばしながら、エリカは食堂を後にした。
食堂にはアズリアが一人残る。
「……」
アズリアは無言で食事を続けた。
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ロングホーン郊外の、冬の牧草地。
俺とニケ、そしてエリカが訓練にやって来ていた。
フィールド上のモンスターの出現傾向がどうなっているかはわからないけれど、この牧草地には放牧されている家畜目当てに、様々なモンスターがちょくちょくやってくる。個々のモンスターのレベルなんて忘れてしまったけどこれだけ人里に近いところに現れるのなら多分雑魚モンスターなのだろう。保護者同伴のエリカの訓練にはちょうど良い。
『察知』のパッシブスキルをもつ俺とニケがあちこちモンスターを探しまわり、倒さないよう適当に戦いつつエリカのところに誘導。パワーレべリングしようにも高レベルモンスターが出現せず、またそれらと戦うだけの地力がないエリカのために考えた苦肉の策である。
「だからあ、盾打撃ってのはそうじゃないんだって! 使うと防御力が上がるの! そのつもりで使ってみろよ!」
エリカが盾で弾き飛ばしたモンスターにトドメを刺しながらニケがいった。
「防御力とか訳わかんないんだってば! 盾の扱い方とかの防御技術のこと!?」
「そういうのを含んだ総合的なモンだ。ようは硬くなんだよ」
「硬くなるぅ? どういう理屈よ!?」
いいながら、エリカは盾を構えてモンスターに突進した。
盾の衝撃でモンスターが揺らめき、エリカはその隙を逃さずに剣を振るう。
剣はモンスターの頭部に直撃。
鈍器で殴ったような音を立てながらモンスターの頭部を破壊した。
「――こう、魔力だって。不思議な魔力が備わってんだろ? それ使うんだ、多分。おれは使い方知らんけど」
「わかんないってば!」
「ああー。手本見してやれたらいいんだけどな」
もどかしそうにいい、ニケはガシガシと頭を掻く。
「いや、ニケ。盾打撃ってたしか『守護騎士』のスキルだから、エリカじゃ覚えられないんじゃ」
エリカは盾を装備しているけど、クラスは多分『剣士』だ。
この訓練を始めてからガンガンレベルは上がっているみたいだが、守護騎士用のスキルは覚えられないのではなかろうか。
俺がそう指摘すると、ニケはしまった、という顔をした。
「じゃ、タンク役になってもらうのは……無理?」
「無理ではないだろうけど」
スキルを使わず、体を張って攻撃を止める。
そういう意味での壁にはなれるだろうが、しかしそれならニケや俺でも代用できる。必ずしもエリカでなくていい。
「……捨てちまえ、そんな盾」
「ちょ、なんてこと言うのよ!」
「意味ねんだもん。つか、盾装備してたら俊敏性下がったりすんじゃねえか? むしろ無い方がいいわ」
とニケはバッサリ切り捨てたが、接近職の装備する盾が防御の役に立つのなら別にスキルが使えなくても有効なわけで、むしろゲーム時代と変わらずに手甲一択の俺や、戦斧一筋のニケの方が、狭量というか考えが硬いのかもしれない。
だからといって変えるつもりもないのだが。
「クラスチェンジとかな。どうなってんだろな、今」
「だよなあ。させてえよなあ、クラスチェンジ。エリカが盾役で、アズっぺが回復職になってくれたら文句ねえもん」
「俺らと違ってスキル使えるし」
どうしたものか。
ゲーム時代なら、開拓ギルドを訪ねてクエストを受注すればいい。
しかし、今はどうなってるのやら。
ジジイが魔導師の『氷結回廊』を使っていたからクラスチェンジ自体は可能なんだろうけど、どうやらそれは一般的ではないようである。一般的でない以上、そこらの人に訊いて答えがわかるはずもないし。
ジジイに訊いときゃよかった。
「スキル? クラス?」
俺たちが二人で話していると、エリカが首をひねった。
こっちの冒険者にとっては耳慣れない言葉なのだろう。意識するまでもない当たり前のことなのかもしれないけど。
「クラスってのは、こう――職業、みたいな?」
「冒険者でしょう?」
「じゃ、冒険者の種類……かな? 魔術士の冒険者もいれば、剣士の冒険者もいるだろ。その『魔術士』や『剣士』をクラスという」
「ふうん」
「それでいうと、ニケが『狂戦士』で、俺が『制圧者』。王都で会った学院のジジイが『魔導師』だな。上位のクラスだ。――スキルってのは魔法とか、そういうヤツ。クラスが上がると使えるスキルが増えるから強い」
エリカが頷いた。
「剣士だと剣技?」
「まあ、そうかな」
たぶん。
「『守護騎士』っていうのもそうなの? 騎士様の事じゃないの?」
「うん? 騎士様?」
あ、そうか。
こちらには普通に騎士とかがいるんだっけ。
しかしそれは身分などの社会階層としての階級だ。俺がいっているのとは違うはず。
「俺がいう守護騎士と、お前がいう騎士は多分別物だな。俺やニケとかはクセで『職業』っていっちゃうけど、アズリアにいわせるとクラスとは『称号』の事らしい。そっちの方がまだわかりやすいのかも。『制圧者』とか『狂戦士』とか、そんな職業ないものな」
じゃあ、その称号をもらえればクラスチェンジが可能なのかというと、今度は誰からもらうのかという問題が発生する。
ゲームの運営は、今では何に相当するのか。
俺が考え込んでいると、
「確かに『称号』としての『制圧者』や『狂戦士』は、過去に存在していた様ですね」
後ろから声がかかった。
振り向くとダグ。
王都から逃げ出す際に預けっぱなしになっていた黒馬の隣に立っていた。
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「ん?」
「『制圧者』の名はサニア=ラース。彼は現在の危険地域から民を連れて脱出しアース朝を開きました。今のサニアス王国ですね。一般に使われている『西征歴』を定めた人物として有名です」
「へえ」
「それと、イクトールは若い頃に魔法の伝導師を自称して『魔導師』と呼ばれた魔術師です。魔導師は神話に登場する偉大な魔術師たちの呼称のことですので、強力な魔術師であるイクトールが冠するには適当だったのでしょう」
「……神話?」
たびたび耳にする『神話』という単語。今回ダグの口から出たそれに、俺は注意をひかれた。
現在、かつてのゲーム時代は『繁栄の時代』と呼ばれ、神話の一時代として語られている。
伝わっている神話について、俺はあまり詳しく知らない。
というのも、この世界には『神話』があって『宗教』がないからだ。
宗教に代わって神話が人々の価値観や生活の根底に存在し、それを長く受け継いでいるこの世界で神話を知ろうと思えば神学を学ばなければならない。そして神学とは、広くいえば文学と芸術に属する『学問』のことだ。
学問である。
今更勉強なんてする暇もないし敷居も高い。さほど関心のある事柄ではなかったので俺は今まで聞き流していた。なので俺の神話知識は魔法学院に潜入したときに偶然絵本で読んだ程度だ。
当然、『神話』に出てくる『偉大な魔術師』とかいわれてもピンとこない。
首をひねると、ダグが近くの木陰へと促した。
俺はエリカへの説明を切り上げて移動し、ダグと二人ならんで腰を下ろす。そこからはニケとエリカの訓練を見ることができた。
隣でダグが説明を始める。
「『神話』については地域によって違いがあります。例えば先ほどいった『制圧者サニア=ラース』は王国では神々と人の間に生まれた半神として扱われ、それが王権の根拠になっています。しかしエルフ達の間では『狂戦士』と呼ばれる、土地を侵略した恐るべき敵のひとりとして伝わっています」
「ほう」
俺が感心すると、ダグは目を細めた。
「知らないのですか?」
「いやあ、知らないよ」
「……開闢と同時に光が生まれた時、この世界は秩序も何もない混沌でした。天と大地は荒れ、モンスターたちが世界の主だったと言います。人海は恨みに溢れ、これを律するために七人の王が選定されました」
そこまで言って、ダグは俺を見た。
俺は初めてきく話だったので続きを促す。
「王達の名前は長い歴史に消え去りましたが、その性向だけが物語と共に今に伝わっています。すなわち『プライド』『エンヴィー』『ラース』『スロウス』『グリード』『グラトニー』『ラスト』。――我々が繁栄と共に背負ってしまった業の名前でもあります」
「ふむ」
ダグが言った王の名前は、ゲームでの都市国家の名前だ。
プレーヤーはいずれかの都市に所属して開拓事業の担い手となる。
ちなみに本当のエリュシオン神話は、機械仕掛けの巨人によるエリュシオン開拓物語だ。
創造神がエリュシオンという新たな箱庭を作るにあたって、機械仕掛けの巨人にその開拓をさせた。巨人は創造神がすでにつくっていた楽園を模倣して地形を弄り、人間や動物といった生命を造って、その残りからモンスターなどが生まれた。
長い開拓の最後に創造神に相当する『代替者』を創り上げた彼は、今は自分が苦労して作り上げたエリュシオンの地下深くで静かに眠りながら朽ちている――というもの。
この神話については『ノーブル・パンツァー・ソサエティ』の総力を上げても機械仕掛けの巨人が登場する『朽ちた旧神』までしか解明されていないので、それ以上のことはわからない。
オルタを倒すと何か新しい情報が開示されるのだろう。
もしかすると、それがこの世界の神話につながっていたり……?
「あり得る、か?」
「――何か?」
俺の言葉にダグが反応した。
なにも、と答え、話を続けてくれるよう頼む。
「神話の大半はそれぞれの王の武勇譚ですね。誰がどこを征服したとか、ドラゴンを倒したとか。恋愛にまつわる話も多数ありますが、愛憎入り混じる生々しいお話でその描写も激しい。これらは芸術に多く取り入れられています」
「ふうん。魔導師とか制圧者とか狂戦士はいつ出てくるんだ」
俺は片手で草をむしりながら訊いた。
「神話の最終章。人間やエルフ、光の属性のものが栄華を誇った『繁栄の時代』です。この章では最初の王たちはすでに亡く、その子孫たちが中心になって進みます。彼らは神々の支援を受けてその版図を広げ、強力な騎士団を擁していました。その騎士団の一員に、王家の血を引く騎士としてサニア=ラースが初めて出てきます。王と騎士の物語は、英雄譚の原型とも言えるかもれません。歴代の騎士団が成し遂げた12の試練のくだりは有名で、後世の芸術作品にたびたび取り上げられるテーマですね」
「――その英雄たちが『制圧者』とか言われてたのか?」
「そうです。特に、サニア=ラースは自称しています」
へえ。
自称。
そんで、ラースね。
そういや、ゲーム時代の『ラース』は結構盛り上がっていた。
ラースは『ノーブル・パンツァー・ソサエティ』の本拠地で、月例都市国家間戦争では戦闘系ギルドが功名目的の利益度外視で押し寄せてくる激戦区だった。
名物変態ギルドだったので、知名度だけは異様に高い。
ウチのメンバーを倒せば自慢になるし、それにPK集団ほどではないけど恨みも買っていた。
恨みというのはパンチラの事で、ギルマスのガゼルはプレーヤーごとに1000人分のパンチラを収集していたとか。
ギルマスがそれじゃ、恨みも買うわな。
だって誰それのパンチラ欲しいって言えばくれるんだもん。
「まあ。ここまで語っておいてなんですが、『狂戦士』としてのラースはともかく『制圧者』としてのラース王の逸話について、私はそれほど明るくはないです」
ダグは俺の顔を覗き込んだ。
……。
なに?
「最終章はエルフと人間に伝わっているものに大きな違いがあって正確な伝承というものはないに等しい」
「ふんふん」
「……。王国では正史として建国史の最初に詳しく語られているのですが、それも編纂者の意図によって歪められていると考えるべきでしょう」
「王権の根拠になってるんだっけ。歴史と神話が混ざってるのか」
「そうです。なので、詳細はイクトールに頼んで調べてもらいました」
そういってダグは懐から紙切れを取りだした。
封蝋がしてある手紙だ。
「ジジイに? なんでまた」
犬猿の仲じゃなかったけ、と思いつつ手紙に視線をやる。
封蝋自体は封印が解かれていて、おそらくダグが既に目を通したのだろう。何か気になることがあってダグがジジイに個人的に頼んだということか。
「イクトールの言葉を覚えていますか? 彼はヒカルが『ラース』の関係者だと言いました」
「おう」
はて。
いってたっけ?
「で? それが何? なんで俺の話になる?」
「ラース王――ここではサニア=ラースについていいますが――彼が従えた騎士団は3つあったらしいです。なかでも『王の尖兵』と恐れられた騎士団の名称が、『高潔なる装甲士の会』」
少し驚く。
英雄譚にその名が出てくるとは。
「ヒカル達もたまにその名を口にするでしょう。神話時代の、それも人間たちが加盟した騎士団とどういう関係か訊いてもいいですか。――いえ。そもそもエルフの神話すら知らないヒカルが、なぜ彼らの事を知っているのですか?」
「単なるメンバーだよ。それがどした?」
ゲーム時代の何百年後なんだからそういうこともあるのだろう。
その騎士団とやらが俺たちの事を指しているのか、単に偶然なのかはわからないけど。
「……」
ダグは無言。
目を見開いている。
「うん? あれ?」
なんで驚いてんの。
言ってなかったっけ?
「俺とニケのギルドが、それだよ。ニケは副ギルドマスターだ。――もっとも、ラース王なんてヤツは知らないし『尖兵』なんて恐れられかたもしてなかったけど」
「……隠していた、訳では――ない?」
「隠す? いや――」
そうか。
ダグって何も言わなくてもついてくるから、うっかり話すの忘れてたんだな。
別に隠す事ではないので訊かれれば答えていただろうけど。
「ゴメン。訊かれなかったから、うっかり。――『ノーブル・パンツァー・ソサエティ』は俺が所属するギルドだ。ガゼルって変態がギルドマスターで、ニケが副ギルマス。昔のメンバーが行方不明で最近はずっと活動休止状態だったんだけど、アズリアが加わって細々ながら活動を再開してる。……俺になんか訊きたいことがあったの?」
ダグはなにも喋らず、すこし口をあけて呆けた表情をした。
「な、なんだ? どうかしたのか?」
「く、詳しく話を聞いてもいいでしょうか」
「あん?」
「私は――なにか、勘違いをしていたようです……?」
「?」
なにを? と俺が訊くと、ダグはぽつぽつと話しはじめた。
それは俺の出自に関するもので、なぜかダグの中で俺はエルフの古い王朝の末裔で、その影響力を恐れたエルフの権力者集団『元老院』に囚われていたらしい。長い監禁生活の末、偶然『聖なる深き森』を訪れた人間の冒険者ニケの手を借りて元老院の下から逃れた俺は、初めて見る世界に感激して冒険者になることを決心したのだとか。
……。
…………。
「……違います?」
「違うな」
ダグの物凄い思い違いに呆れる。
てか、そんなんなら元老院に復讐するアンチヒロインになりそうだ。
今までの恨みー、とかっつって。
「あー……。でもそれって、もしかして俺がなにも話さなかったことが原因か。ダグがそんな勘違いしたのって俺がハイエルフだからだろ」
ハイエルフは今はいないエルフの貴種ということなので、俺が進んで説明しなかったことがその誤解を招いたのかもしれない。
しかし事情説明しようにも、なにをどう話せばいいのやら。
先ほどの事もあったし、ダグが変な勘違いをしないよう説明したいところだけれど俺自身がわかっていない部分の方が多い。何カ月も一緒にいた仲なので事情を話して理解を得たいところだけど、しかし全てをキチンと説明することはできないだろう。
話せないところは話せない、話せるところはなるべく話そうと思い、何か質問あるかとダグに問う。
「ヒカルがハイエルフなのは間違いないのですね。……では、出身地を聞いてもいいですか?」
「あー……。都市国家ラース。今は危険地域にある、と思う」
「……。ヒカル達のギルドは神話に出てくるあの騎士団の事なのでしょうか。イクトールに調べてもらった範囲では、神話の騎士団は解散したとありますが」
「え――さあ? 違うんじゃない? でもまあ、古ーいギルドだよ。多分、ダグがいう『繁栄の時代』に創設されたものだ」
「ならば、神話の騎士団と同一と考えていいですね。後世の人々ならばともかく、同時代の人々が王の騎士団の名を冠することはしないでしょうから。――いやしかし、それほど古いギルドが今も存在し続けているとは……」
「俺は別物だと思うんだけど」
俺は口を挟んだけど、ダグはともかく、と続けた。
「その騎士団に所属しているということはつまり、ヒカルは、サニアス王国の関係者――ですか」
「うーん……。それも違うな」
なんと言ったものか考えながら言葉を続ける。
「ニケと俺はノーブル・パンツァー・ソサエティの創設メンバーだけど、ラース王なんてヤツは知らん。だから俺たちとそいつは関係ないし、王国とも関係ないんだけど――もし関係あるとすれば、俺たちの後輩がなにか関係あったのか……」
そこら辺は憶測だ。
そもそもが、『繁栄の時代』と俺やニケとの関係というのはこの世界の根本に関わっている気がする。だからその辺の絡みを訊かれると答えることができない。納得できる道理というものを探している最中なのだ。
「んー……」
この世界が『ゲーム』ならば、プレーヤーたちのギルドが神話という『ストーリー』に直接かかわってくることはないはずだ。
もし『異世界』なら、ウチのギルドとその騎士団は関係がないことになる。
つまりどう考えてもラース王の騎士団とウチのギルドは同一のものではないのだけれど、両方とも『繁栄の時代』という共通項で結ばれていて、そのため『ゲーム』と『現実』が変な具合に絡み合っている。
多分、この世界は途中までゲームだったのだろう。そんで、途中からゲームという枠から外れて、勝手に歴史を刻み始めた。
だからノーブル・パンツァー・ソサエティはその主たるプレーヤーたちがいなくても発展し続け、神話に語られる騎士団になったのではないだろうか。
そしてそうなら、やはり語られている騎士団はウチのギルドではない。それは俺たちの手から離れて勝手に成長し、俺たちの知らないところで武勇を紡いだのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。――創設メンバー? 装甲士の会が歴史に登場するのは500年以上も昔の事ですよ?」
「あ、やっぱそれくらいなんだな。100年は経ってるとは思ってたけど」
ポートアークでの情報収集やキースからの伝聞でそれくらいは経過していると思っていた。
なので俺は特に驚かなかったのだけど、ダグが目をまん丸にして驚いている。
「500年、ですよ? ヒカルは……せいぜい30か40の、辛うじて成人したかどうかというくらいの女の子ではないですか。500年の長い時間を生きているとは思えない」
「俺もそんなに長生きしてる記憶はないな」
けど、と俺はつづけた。
「俺とニケは多分、ダグがいう『繁栄の時代』に生きた人間なんだ」
「……なんですって?」
俺の突然の告白に、ダグが声をそう上げる。
これは真実ではないけど、ダグやこの世界の住人にとっては一番わかりやすい説明だろう。俺は続ける。
「俺たちは突然この世界のこの時代に、まるで迷子のようにやって来たってことだ。――ダグが信じられないのもわかる。俺たちも、お前以上に信じられないんだから。……どういう理屈が働いて今この場所にいるのか、なんでこんなことになったのか、その原因なんなのか。いや、そもそもの原因なんてあるのか。……自分たちを取り巻いている状況について、俺たちはなんにもわかっていない」
「――」
「いろんなことが突然起こって、そんでなにもわからないまま、今も状況に流されてる」
俺はダグを見た。
ダグの碧い瞳は揺れ、疑わしそうな色を含んでいる。
当り前だろう。
けどどうしてか、それがとてももどかしかった。
上手く説明できない自分と、取り巻く状況に対して苛立ちを感じる。
「本当になにもわからないんだ。本当に俺は、エリュシオンで遊んでいた若月ヒカルなのか? この世界はなんなんだ? この体は? なあ、ダグよ。俺のいっていることが少しでもわかるか? なにもわからないだろう。ここに来た当初の俺も、ちょうどそんな感じだ。まさに、そんな感じだ。――つまり俺が知っていることはその程度なんだ。いろんなことがぐちゃぐちゃしてて、なにもわからないということ以外わからない。理解しようと努めているけど、その苦労、煩雑さたるや俺の頭の処理能力を超えてる。――もう一回訊くけど、俺が何をいってるか理解できないだろ。そんな顔してる。何度もいうけど、俺もわかってない。よけい混乱してきた。――だから、俺はダグの質問にはキチンと答えられない。いろんな疑問を持つだろうけど、俺だって俺自身について知らないことが多すぎるんだから」
ここまで一気にしゃべり続け、俺は口を閉じた。
なんだか感情的になり過ぎ、知らずに愚痴をこぼしてしまった。
話題が俺とニケにとってナーバスな部分に触れるものだったからだろう。話す内容は支離滅裂で、言葉を一つ吐く度に心臓が捻じれる様な痛みを伴った。
自己嫌悪にも似た不快感に苛まれるのは感情的になったからか、それとも郷愁の念が募ったからか。よくわからん。
「……悪い。なんか変なこと言って」
「――いえ」
「まあ、なにが言いたいかというと、俺とニケはおそらく『繁栄の時代』の人間で、それに異論を抱かれたり質問されても、俺たちは答えられないということだな。――他に質問は?」
「あの、記憶喪失とか……ヒカルはそういった類のものなのでしょうか」
「そうじゃない。ただ、なんでここにいるのかが説明できないだけ」
「……。証明することは、出来るでしょうか?」
ダグがポツリとつぶやいた。
「え?」
「ヒカルとニケが、『繁栄の時代』に生きた存在であるという証拠。それはありますか? ――私は、ヒカルの話を信じたい。信じたいというという事情が、私にはある。私を信じさせてくれるような、そんな証拠はあるでしょうか?」
真剣な目と、どこか切実な口調。
そんなダグに俺はちょっと焦った。
証明、証拠か。
「俺が持ってた不思議アイテム郡だけじゃダメ? 『不死鳥の羽』とか」
「『繁栄の時代』に生きたハイエルフ。我らが同胞の真なる祖であると万人が信じる様な、神性で鮮烈な物が望ましい」
「えー……、そんなんは多分持ってないな」
心当たりもない。
「そうですか……」
と、少し気落ちした風に言った。
「その、すまん」
「いえ」
言葉すくなにダグが答えた。
俺から視線を外し、何事かを考えるかのように遠くを見やった。
「その……俺の話は、信じてもらえただろうか」
「ヒカルが神話の住人であること、ですか?」
遠くを見たまま、ダグが答える。
「あ? そう、なるの?」
「『繁栄の時代』に生きていたということは、つまりそういうことですよ。すぐには信じ難いものがありますけれど、そうですね……今までのヒカルの言動なりを考えると信じてもいいと思えます。尊い身でありながらそれを自覚するそぶりを見せず、そして庇護者を必要としないほど強力な力を有していること。『遺物』クラスの魔術品を大量に所持していたこと。一番は世事に疎かったことですか」
「う、疎いか? 俺?」
「アズリアやカミラさんに混じって、時々戸惑っていることがあったでしょう。私はそれが、長老たちに囚われていてものを知らないからだと思い込んでいましたが――いや、しかし今思えば、ヒカルは屈託がなさすぎますね。私も気がつかなかったのが不思議なくらいです」
「はあ……」
ダグの返答に俺は曖昧に頷いた。
言葉通りにダグが信じてくれたかどうかはわからない。
ただ俺の方としては話すべきことは限界まで話したし、それを証拠もなしに信じろとは言えない。信じてくれなくても別に不都合があるわけでもないので、その判断はダグに任せよう。
「ダグの事情っていうのは? 訊いてもいい?」
ダグの横顔に俺は問いかけた。
「いいですよ。――実はヒカルの方から訊いてくれるのをずっと待っていたんです。今となってはそれが当てのないものだったというのがわかりましたが」
そういって、ダグはとても長い話を始めた。




