37 訓練の後。(1)
ダグと一緒に燻製作りをしていると、森から物音が聞こえた。
人の話し声と、草木を踏み鳴らしながら走ってくる音だ。
「なんだ?」
首を伸ばして見ていると、森から若い男女が2人で駆けてきた。
男は切羽詰まった表情で、女は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
「若い男女に、人気のない薄暗い森。まさか濡れ場――てか、あの様子は修羅場か?」
「……どうでしょうね。――おそらく、冒険者が戦闘に敗れて逃げて来たのではないのですか?」
「ふーん。でもここって弱い敵しか出ないんじゃないんだっけ。守護聖獣がいるとか何とかで」
「積極的に襲ってくるモンスターがいないだけです。攻撃すれば反撃されますし、中には戦闘能力の高いものもいますよ」
「へえ。んじゃ、ケンカ売って負けたわけか」
「さあ」
ダグはちらりと男女の方に目をやり、すぐに火の番に戻った。
煙の量が気になるらしい。
燻製はダグに任せとけば間違いないだろうと思い、俺は男女の冒険者へと手を振った。
冒険者たちがこちらに気付き、走ってくる。
若いというより、幼い。
少年と少女という言葉がぴったりの冒険者たちだった。
「なんかあったのか?」
俺がそう声をかけると、少年の冒険者は顔をしかめ、少女の冒険者は泣き崩れた。
なんだろう?
その様子が気にはなったけど、俺はとりあえず彼らに回復薬を手渡した。
あちこち傷だらけだ。
特に少年の方の傷が酷い。
「あ、ありがとう――ございます」
そう言って少年は回復薬を体にぶっかける。少女は泣きながら飲み下した。
「なにかあったのですか?」
ダグがやってきて言った。
「……モンスターに襲われました。ここも危険だ」
「モンスター? 相手はなんです」
「……」
少年は黙り込む。
ダグと俺は顔を見合わせ、首をかしげた。
「ヒポグリフ、です……」
回復薬の空き瓶を抱えたまま俯いていた少女が言った。
「ユーノ!」
少年が少女を叱責するように怒鳴った。
少女はユーノというらしい。
「でもセルジュ……」
「いいから、なにも――」
セルジュと呼ばれた少年はさらに何か言おうとしたけれど、俺とダグは無視してユーノに話しかける。
「ヘイ。ヒポグリフってなんのこと?」
「えっと……」
ユーノは言いあぐねてセルジュを見上げ、そこにダグが補足した。
「守護聖獣の一体ですよ、ヒカル」
ああ。例のアレか。
滅茶苦茶強い設定のモンスター。
俺の知っているのではユニコーンがそうだ。
この世界の住人達はありがたがっているみたいだけど、実際はゲーム時代にプレーヤーに使われていたモンスターである。
そういえばヒポグリフも、ユニコーンみたいに移動用アイテムとして何かのクエストで入手できた気がする。
役に立つ特殊能力がなにもない上に『飛行』という性能も微妙なので、あまり使いどころはない。
今なら飛行性能は役に立ちそうではあるが……。
ゲームの倉庫に預けっぱなし。現状では引き出せない。
「しかし、ヒポグリフに限らず守護聖獣は人を襲うことはありません。何かの間違いでは?」
「それは……」
ダグが言うと、ユーノは再び俯いた。
「間違いでないとすれば――ヒポグリフに対して礼儀を欠く振る舞いで接したか」
「……」
ユーノは黙り込み、セルジュが舌打ち。
どうやらダグの言っていることは図星らしい。
しかしモンスター相手に礼儀とか、どういうことだろう。
「礼儀を欠くってどういうこと?」
俺はダグに訊いた。
「ヒポグリフは気位の高いモンスターだと言われています。人を守護しますが決して懐かず、モンスターでありながら礼節を知るとか。接するにあたっては相応の態度で臨まなければいけません」
「へえ。めんどくさいな」
モンスター様ってか。
わけわからん。
「で、ヒポグリフの機嫌を損ねて追いかけ回されてたのか」
俺がセルジュを振り向くと、セルジュはクッと顎を持ちあげた。
気が強いようだ。
「災難だったなあ」
「いえ……」
「でもまあ、逃げきれたっぽいし、良かったじゃん。次から気をつけろよ」
と、俺が慰めるとユーノは泣きだし、セルジュの顔が曇る。
「良くない。仲間が2人やられた」
「……」
……。
「逃げきれたかどうかも、正直わからない。――だからここも危険だ。あなたたちも移動した方がいい」
「うーん」
セルジュはそう忠告してくれたが、俺はあいまいに答えた。
モンスターのヒポグリフがどの程度強いのかはわからないけど、入手クエスト自体はユニコーンのそれよりは低いと記憶しているので間違いなく80レベル以下だ。ダグはともかく、俺が太刀打ちできないってほどではないだろう。
そして何より、森にはニケとアズリアが入っている。
勝手にキャンプを移動させることはできない。
「まあ。俺らのことはおいて置いて、そっちはどうする。なんなら俺らと一緒にいるか?」
「俺たちはこのまま森を抜ける」
そう言って、セルジュがユーノを掴んで起き上がらせた。
ユーノの顔はまだ真っ青ではあったがセルジュの手を借りて立ち上がり、それから自分の足でしっかりと立つ。
「あの、回復薬ありがとうございました……」
「うん? 気にすんな。――それより道中気をつけてな。送ってやれたらいいんだけど、実は森の中に仲間が入っててさ」
俺が気になっているのは主にそれだ。
といっても、ニケたちを心配しているわけではない。
訓練目的で探索をしているニケたちがヒポグリフに遭遇したら、どうするか。
多分、アズリアのレベルアップのためにニケは喜々として狩るだろう。
「あいつらがヒポグリフ倒す前に、なんとか回収しないと……」
実感は湧かないけど、ヒポグリフは『王都守護聖獣』とか言われて有難がられているっぽいし。
放っておいたら面倒事になりかねない。
「え……?」
俺の言葉に、ユーノが目を丸くした。
「ダグ。燻製作りは中断してニケたちを迎えに行こう」
「そうですね。――守護聖獣相手でも、ニケならやりかねないところが怖い。アズリアが上手く引き止めてくれているといいのですが」
言いつつ、ダグは火の始末をつけて森に入る準備をする。
「あんまり期待はできないな。てか、ニケ相手じゃ誰でも無理だ」
俺も外套を着込んだ。
ダグと違って、俺は普段着のコスチュームそのものが強力な防具なので準備は一瞬だ。
後は手甲をはめれば、それでおしまい。
「あの。私たちの話、信じてないですか……?」
俺を見下ろしつつ、ユーノが言う。
「ヒポグリフが、いるんですよ。それなのに森に入って行くなんて。もうすぐ日も暮れるって言うのに……」
ユーノは俺とダグの様子を見て、自分たちの話を信じてもらえなかったと思ったようだった。
「まあ、信じてないってわけじゃないな。――うん。用心はしていくけどさ」
ガツンガツンと手甲を打ち鳴らす。
そうしながら俺は、疑うことなくユーノ達の話を信じてしまった自分に気がついて愕然とした。
ユーノ達がウソを吐いているとは全く思えないけれど、可能性としてそれに思い至らないこと自体が、つまり冒険や戦闘への不真面目さとか油断と言えるのかもしれない。
ちょっと、気が緩んでいた。
これは気を引き締めなければ。
「……私も、行きます」
俺がそんなことを考えていると、ユーノが言った。
「ユーノ!?」
「エリカとシンクが森の中だし。もしかしたら、まだ無事かもしれない」
「もう手遅れだ! 俺はシンクが逃げ遅れてヒポグリフに組み伏せられたのを見たんだぞ!」
「でも……」
ユーノはセルジュから視線を外し、まっすぐに俺を見る。
「私達の仲間が、まだ森にいます。――助けてくれとか探してくれなんては言えないんですけど……私も連れて行ってください。おねがいします……」
油断も慢心もない、ただ決意を湛えたユーノの瞳に見つめられて俺は――
「お、おう」
思わず頷いた。
▼
気を失った女の冒険者に一通りの手当てを施すと、ニケはその冒険者の顔が見知ったものであることに気がついた。
まさかと思いつつスカートをまくり上げて確認すると、『PANTSer』製装備パンツを装備している。
女の冒険者は、少し前に店を訪れた少女――エリカだった。
「……」
ニケは背中に気を失ったままのエリカを背負い、片手で斧を持っている。
男の冒険者は、結局助からなかった。ニケが手当てしようと近寄るとすでに息がなく、それどころかヒポグリフに食いちぎられていて顔がなかった。
放っておくのも気が引けたので冒険者をその場で埋葬し、ついでにヒポグリフも地面に埋めたのち、ニケたちはヒカルと合流すべく黙々と歩いている。
斧で草を刈り取っていると、後ろからアズリアが声をかけて来た。
「ニケ。その娘とは顔見知りなのか?」
「まあ、そうだな。顔見知り以上、知り合い未満。変な縁で一回会っただけ」
「店に来たのか」
「……。で、装備ぱんつを売った」
いや、あげたんだっけ。
ぼんやりとニケは思った。
「――それで何か、引け目とか負い目みたいなものを感じているのか? 私はその場にいなかったからどういうやり取りがあったのかはわからないのだが、ニケが気にする必要はないと思うぞ」
「別に感じてねえよ。そんなん感じるほどの仲良しでもねえし」
「では、無茶をしたその娘の事を怒っているのか?」
「怒ってねえ。そんな義理はねえ」
「ならなんで、そんなに気が立っているのだ」
「立ってねえ」
よいしょ、とニケはエリカを背負いなおした。
エリカは今のヒカルと同じくらい小柄なのだが、妙に重い。それは彼女が接近職用の重装備だからというわけではなく、背負う側のニケに問題がある。
ニケにとってエリカは、本当に顔見知り程度の仲だ。
店で一回会っただけで会話もそれほどしていない。親しくなる時間などなかったし機会もなかった。
だから別にエリカの事を心配しているのではない。
そして当然、装備パンツを売ったことを後悔しているわけでもなかった。
「コイツさ。あの男の冒険者を助けるためにヒポグリフに挑んで行ったのかな……」
「私たちが見た時は、そのように見えたな」
「ガッツあるよな。ちっちぇーのに」
「別に体の大きさは関係ないだろう」
そうなんだけど、とニケは言った。
エリカは小さい。
こんな小さな体で、自分の倍も大きさのあるヒポグリフに向かっていくのはどれほど怖かっただろう。
あんなにボロボロになって、恐怖はなかったのか?
腕から骨を突き出させて、痛みは?
そしてその結果は?
小さな体を傷だらけにしてニケに背負われているエリカのことを思うと――
ばかだなあ、と思ってしまう。
エリカ本人はよほど悲壮な決意を抱きながら戦っていたのだろうが、ニケにしてみればそれは全く共感できるものではなく、結末は呆れて失笑してしまうほど滑稽に感じる。
弱いくせに戦うなよ!
それで冒険者とか、ギャグ?
つか、あのモンスター相手に苦戦とか、明らかに実力不足だろ。調子乗り過ぎ。
エリカの体重を背中に感じながら、そんな言葉が浮かんでは消えていく。
ニケのこの心情は、この世界を『ゲーム』として認識しているからではなく、来た当初の危険地域での生活が原因だった。
絶え間なく襲いかかってくる高レベルのモンスターに、減る一方の体力。
ヒカルにはおどけて言ったが、実際は空腹を紛らわすためにモンスターの肉を食べたし、水着を失い全裸で過ごすという屈辱も受けた。
そしてそんな生活の中で、ニケは圧倒的な戦闘能力でもって多数のモンスターたちを狩り、生き残った。
耐え難い絶望感に、閃光のような生の実感。
そうやって、ニケは心のバランスを崩したのだ。
「でも、すげえよなあ。ちっちぇーのにさ」
ニケは繰り返す。
エリカに対する感傷を全く感じていないニケはそうやって言葉を吐いていないと、怪我を負ったエリカや死んでしまった冒険者に対する暴言を言ってしまいそうになるからだ。
「ニケ。あまり気にするな」
アズリアが言い、ニケは笑った。
「してないって。ただ、感心しただけだ。ちっちぇークセに格上相手に向かっていくなんてすげえなあって」
「……そう」
「まあ、スゲエ以前に馬鹿なんだけどな。それでこんな大怪我したんだからドジとしか言いようがないわけだが」
「……そうか」
ニケ自身、自分の心の不均衡さは感じ取っていた。
なんとか矯正させようと常々心がけ、また他人に察せられない様に普段から道化を演じているおかげで、そのことには誰も気が付いていない。
今も普段と同じように振舞うことを心がけているのだが、むしろその態度が、アズリアにかすかな憐憫を感じさせた。
こういうお話が、もうちょっと続きます。
二章はこのお話で終わりそうな……