34 二人で訓練。
「『霧弾』ッ」
森の奥に、少女の高い声が響いた。
その声は幾分の緊張を孕み、そして大きな闘争心も含んでいる。
声の主は、アズリアだ。
倒木を盾に立ち回りながら、モンスターと相対している。
モンスターは死霊系の『動く鎧』。半ば朽ちた鎧と、折れた刀身。シルエットは鎧を着込んだ人間に似ているが、人間では決してあり得ない角度から攻撃してくる。
ニケはともかく、駆けだし冒険者のアズリアにとっては強敵だ。
「『氷波動』」
遮蔽物を利用して距離を取りながらアズリアがスキルを行使した。
アズリアを中心に冷風が渦巻く。
「おっ」
ニケはアズリアが行使した『氷波動』のスキルに小さく声を上げる。
『氷波動』は『魔術師』クラスでは比較的強力な範囲魔法だ。そのためにMP消費が大きく、ニケにはなぜ一対一の場面で使用したのかがわからなかったが、その効果を見て納得した。
『氷波動は』草木を凍てつかせながらフィアナイトを包み、濡れた関節部分を凍らせた。
動く鎧の動きが一瞬止まる。
致命的な隙だ。
「『氷槍』!」
アズリアは白い息を吐きながら杖を前方へと突き出した。
キン、キン――
鋭い音を幾つも立てながら、突如地面に巨大な氷柱が現れた。
氷柱はフィアナイトの足元から、空へと向かって伸びている。まるで逆さに生えたツララだ。
『Gyaaaa!!』
フィアナイトは体の半分以上を氷柱に飲みこまれる。
辛うじて動くらしい右腕と頭を散々に動かすが、氷柱はビクともしない。
やがて、力なくだらんと頭が垂れた。
「――」
「おぉー。一人で倒せたじゃん」
ニケはアズリアの傍に近寄り、そう言った。
危なくなったら手を出すつもりだったニケは、アズリアの手際の良さに拍手を送って讃える。
「いや、失敗した」
しかしアズリアは首を振りながらニケに答えた。
「ん? そうなん?」
なかなか鮮やかな手並みだと、ニケは安心して観戦していられた。
実際にモンスターを倒してもいるので十分に及第点だ。
ただアズリアはそう思っていないらしく、ニケの疑問の声に、うむと頷いた。
「つっても上手い戦い方だったじゃん。あれ、『霧弾』の水を『氷波動』で凍らせたんだろ」
モンスターに着弾した『霧弾』は少量の水気を含んでいて、それが凍ったことでフィアナイトの動きを妨害した。
ゲーム時代にはありえなかったコンボだ。
「『氷波動』は最近使いこなせるようになったから自信はあったのだ。でも『氷槍』はまだ駄目だな」
アズリアが言うと、地面に生えていた氷柱がバキバキと音を立てる。
二人の目の前で、あっという間にバラバラに崩れた。
「ほら、すぐに壊れた。もろいんだ」
「攻撃魔法だからな。ダメージ与えりゃ効果が切れるだろ。――いやしかし、長続きするなら足止めとか盾代わりとかに使えそうな感じで、かなり応用が効きそうではあるが……うぅむ」
ニケは唸った。
▼
ニケとアズリアはヒカル達とは別れて戦闘訓練をしていた。実習以外でモンスターと戦ったことのないアズリアに手っとりばやく実戦を学んでもらうためだ。
もともとアズリアは魔法学院で実戦形式の実習を行っていたので、何度か戦闘をこなすと動きが格段に良くなった。
それはニケがあまり手を出さなくとも敵が単体ならアズリア一人で何とか勝利できるほどだ。
「やっぱり――強くなっているな……」
などとアズリアは首をかしげていたが、振り返ってみるとアズリアは復活したポラリスとバハムートの再討伐に参加している。彼らの経験値を習得したはずなのでその影響だろう。
今の世界の水準で言えば、アズリアはかなりの実力者と言えた。
「最近使えるようになった魔法は? もう慣れた?」
キャンプへの帰り途にニケはアズリアに尋ねた。
ニケはアズリアが新しいスキルを練習していたことを知っている。
実戦で見たのは今日が初めてだったが、アズリアにしても実戦で使ったのは今日が初めてだ。慣れるには時間が短いとも思えたが、この種の『慣れ』は重要なことなのでニケは一応確認をとった。
「『氷波動』と『氷槍』だな。練習では扱いきれるのだが、実戦だとどうも上手くいかないな。多分緊張しているせいだ」
「ふーん。――使い勝手と、どんだけ消耗するかは把握した?」
範囲と威力、それに消費MPのことだ。
自分が使えるスキルを熟知していなければ戦闘を有利に進めることは出来ない。
それを知り、アズリアが戦闘でのペース配分を把握すること。
今回の遠征の目標でもあった。
「おおよそは」
「へえ」
「万全の状態で『氷波動』は7、8回、『氷槍』は12、3回くらいかな。休憩しながらならもっと回数は増えるだろうが、一つの戦闘ではそれ以上は行使できそうにない。あと、連続しては使えない。同じ魔法を続けて行使するには10秒から20秒くらいの時間が必要で、『氷槍』の方が長い」
「ほう」
「この時間は訓練で短くすることも可能だろうが実戦向きとは言えないかもしれないな。他の魔法を続けることで時間を埋めようと思うのだが、どうだろう?」
「いいね。ベストだ」
アズリアの考えはゲームならセオリーだろう。
「『術後硬直』――あ、魔法行使直後の『隙』みたいなものなのだが、それも長い」
「ふうん?」
エリュシオンではスキルの『再使用時間』のほかにも、『発動時間』――コマンドを入力してから実際に効果が現れるまでの時間と、『発動後硬直』――行動後の隙が設定されている。
アズリアが言っているのは『発動後硬直』のことだ。
『発動後硬直』とはコマンドの無効時間のことで、この間は『緊急回避』以外の動作が取れない。『緊急回避』はプレーヤーの意思に因らない確率発生の行動であることを考えると、『発動後硬直』はプレーヤーがキャラクターを操作することができない無防備な時間ともいえる。さらに『発動後硬直』はスキル使用後以外にもあらゆる行動の後に設定されていて、例えば移動時のジャンプ後にもコンマ数秒、『緊急回避』後にも1秒近く存在する。
ニケやヒカルくらいになるとこの『発動後硬直』にも敏感になる。高レベルクエストではたった数秒で生死が分かれる場面が多々あるからだ。
「『術後硬直』は訓練でもどうしようもないもの、と言われているな」
『再使用時間』は装備やスキルの熟練度によってある程度は短縮することが出来たが、『発動時間』と『発動後硬直』は短縮する方法が限られている。
例えばヒカルが装備している『朽ちゆく機工神の腕』や『朽ちゆく機工神の心臓』、ニケが装備している両手斧『アイオーン』は『再使用時間』を短縮する強力なアイテムであり、それらは上位のクエストをこなすことで手に入る。しかし『発動時間』と『発動後硬直』は装備品による時間短縮はできない。唯一可能なのは、特定の職業が習得するパッシヴスキルのみだ。
「『術後硬直』を正確に把握しておいて、その場その場で魔法を組み立てて行くしかないだろう」
そう言ったアズリアに、ニケは驚いた。
『発動後硬直』よりも『再使用時間』のほうが圧倒的に長く、直接戦術に関わる。
初心者が『発動後硬直』を意識することはほとんどない。
「『光球』や『霧球』、『炎球』ではほとんど意識しないものだったから慣れるのに時間がかかりそうだ。大体『氷波動』で3秒、『氷槍』で2秒くらいかかる。一応ニケも覚えていてくれ」
「すげえな」
アズリアの考えにニケは修正すべき点を見つけられなかった。
ニケはアズリアを単なるサポート要員と考えていたが、鍛えればかなり頼りになりそうだ。
▼
アズリアと連れだって歩いている最中、ニケが立ち止まった。
背中に吊ってある戦斧を手元に引き寄せ、「お」と声を上げる。
「……ニケ?――敵か?」
アズリアも杖を構えながら言った。
ニケは、本人も仕組みは理解していないのだが、遠くに離れたモンスターの位置を大まかに察知することが出来る。
これは実は、ゲーム時代に設定していたパッシヴスキルの効果だ。
ヒカルの考察によれば戦闘で使用するスキル、つまり『アクティブスキル』は封じられているのだが、装備していた常時発動型の『パッシヴスキル』は今も生きているらしい。
ニケとヒカルはしばらくステータス画面を確認していないために自分たちがどのパッシヴスキルを設定しているか正確にはわからなくなってしまっていたが、一応の検証作業は進めていていくつかは判明している。
ヒカルは『流動』『威圧』『察知』を装備していて、ニケは『流動』『衝撃』『察知』を装備している。
『流動』は行動後の『発動後硬直』をパーセンテージで短縮。
『威圧』は敵に消極行動を強いる。
『衝撃』は攻撃命中時に確率で敵を少し後方に吹き飛ばす。
『察知』は敵を探知。
今回のニケの行動は『察知』によるものだ。ゲームならばミニマップにモンスターの位置が光点で表示されるのだが、今の世界では『気配』を感知するスキルとなっていて、メニュー等のゲームシステムが使用できない現状でも問題なく使える便利なスキルである。
森に入ってからの訓練中も発動していたので、アズリアもニケが何らかの特殊技能を備えていることを察している。
今も黙ってニケの返事を待っていた。
「敵だな。――なんか、変な動きしてんな」
と、ニケは首をかしげた。
今まで感じていたモンスターの気配は一定の速度で移動していた。しかし今回は移動速度が速く、しかも一定ではなく動きに緩急がある。
急に立ち止まったり、唐突に動きだしたり。
「……。あ、そっか。戦闘中か」
戦闘中なら動きが一定でないのが理解できる。止まるのは攻撃を受けたからで、動き出すのは反撃に出たからだろう。
止まっている時間が短いので、モンスターと戦っている者は結構苦戦しているのかもしれない。
ニケは森の奥へと目を向けた。
目を向けた先は今まで2人が訓練していた場所とは全く違う、森の深部方向だ。
「あっちか?」
アズリアがニケに尋ねた。
「だな」
「距離は?」
「割とある。ちなみに単体」
「――どうする?」
杖を握りなおしてアズリアが言った。
どうするとは、戦うか否かを訊いている。
訓練に来たのだから戦ってもいいのだが、今日はずっと戦闘していた。ニケはともかくアズリアには体力に余裕があるわけではない。
そう考えてニケは「やめとく」と答えた。
「なぜ?」
「なんでって――そりゃ、人の獲物を横取りしちゃまずいだろ」
「人? 戦闘しているのか?」
「おう。良くはわからんが、苦戦してるっぽいな。こう……つかず離れずで追いかけ回されているような感じがする」
「……手を貸すべきではないか?」
「いや――」
苦戦しているのか、作戦か。
それはわからないが、ここでニケたちが出ていくのは余計なお世話というものだろう。
ニケはこの世界がゲームにはない『現実』の重みがあることすでに理解しているし、そのことによって温度差も感じている。
冒険も戦闘も命がけ。
そういう現実の中で生き、日々の生活の糧を得ているタフな連中が『冒険者』なのだ。ニケはゲーム時代の気楽さでもって彼らを手助けするべきではないと思う。
「いいさ」
負ける前に逃げる。逃げきれなければ死ぬ。
単純で当たり前のルール。
この世界の住人なら言うまでもなく理解している事柄。
「助ける理由もねえし、義理もない。死にたくなきゃ逃げるだろ」
「それはそうだが――しかし」
アズリアが何か言いかけた時、
「――!」
森の奥から悲鳴が聞こえた。