1 ヒカル
照りつける太陽の下。日を遮るものが何もない荒野を、俺は歩いていた。
「お腹減ったな……」
お腹を押さえ、歩きながら呟く。
あるけどもあるけども荒野。見渡すかぎりなにもない。
「はあ……」
一つため息。
自分の軽率さを後悔する。
「遭難したときは、その場を決して動かないのが鉄則だとか言うけど……」
いきなり荒野で目を覚まして以来、俺はやみくもに歩き続けていた。
「……」
無言で、ごしごしと顔を拭う。
黙っていると、不機嫌な顔のまま固まってしまいそうだったからだ。
「いやいや。それは救助が来る場合のときだし」
映画なんかでよく無人島とかに漂流する話があるが、ああいう状況下でサバイバルをしないヤツはいない。
ワイルドにサバイバル生活を満喫し、時には一緒に漂流したヒロインとイイコトをしたりしながら無事に生還するのだ。
それがセオリーなのだ!
俺も生き残って見せる!
と、強引に気持ちを切り替える。
――ぐう
その途端、お腹が鳴った。
はあ……
「ゲームの世界だろ。なんで変なとこでリアルなんだよ」
くぅくぅと鳴るお腹を押さえ、俺はため息をついた。
国産オンラインゲーム『エリュシオン』
壮麗なグラフィックと重厚なストーリーで多くのプレーヤーを魅了するオンラインゲームだ。
いや、ゲームだったと言うべきか。
世界最高のグラフィックと謳っていても、所詮はゲームである。美しい景色も、画面越しのモノだった。
それが今、文字通り目の前にある。
頬で風を感じることもできるし、乾いた土のにおいも嗅ぐことだってできる。
顔を上げれば、ひたすら青い空に浮かぶ太陽のまぶしさに目がくらむ。
俺にとっては不幸なことに、空腹だって感じることができた。
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「はん?」
気がつくと、荒野の真ん中に立っていた。
……なんだ?
きょろきょろとあたりを見渡す。
地平線まで見える荒野。あちこちに背の低い木が立っている以外にはなにもない、見事なまでの荒野である。
「?、?」
ちょっと驚いた。
「えーと。えー……えぇ!?」
改めて驚く。
「え、どういうこと!?」
もう一度、今度は慌てて周囲を見渡した。
地平線まで見える、見渡す限りの荒野。
「はぁ!? なにこれ!?」
ぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。
え……どういうことだ? 俺はさっきまで、PCの前に座ってゲームをしていたはずなのに。目が疲れたから、眉間をもんで、目を開けたら荒野って。なにが起こった!?
とりあえず、目を閉じてみた。
それから目を開けてみるが、なにも変わらない。
もう一度、目を閉じる。
今度は手で眉間を揉む。先ほどPCの前でやった動作の繰り返しだ。
「って、痛ってぇ! めちゃくちゃ痛い!?」
突然額に走った激痛に、驚いて目を開く。
「……なにこれ?」
顔の前にかざした手には、不格好な手甲がはめられていた。
えぇー? ホント、どういうこと??
俺は自分の体を見下ろす。
深い緑色のブレザーに、チェックのスカート。スカートからは真っ白で細い足が伸びていて、思わず目がくらんだ。
「……スカートぉ!?」
俺はスカートなんて穿いたことはない。男だもん。
「スカートに―手には、手甲??」
手甲のはめられた手で、スカートの裾を掴んでヒラヒラと振ってみた。
あ、これ。
ちらちら太ももが見えて、なんか――いいな。
風と戯れるようにスカートを揺らして遊ぶ。
なんか落ち着いてきた……。
「って、これ『エリュシオン』の装備のスカートか? 手甲とか……そう、だよな」
俺はブレザーやスカートのデザインが『エリュシオン』中の装備品に酷似していることに気がついた。もちろん、手を包んでいる手甲もだ。
「え、どういうこと?」
なんで『エリュシオン』?
「VR? 噂のヴァーチャル・リアリティなのか??」
俺の知らないところで『エリュシオン』ってここまで進歩してたのか? 確かに、最近はログインしていなかったから、最新の事情を知っているわけじゃない。
でも、VR?
あれって、まだ実現してなかったんじゃなかったっけ。それに、実現できても専用の機器が必要になるとかどうとか。
そんなの買ってないよな。
「拡張パックが出たとか」
いや、だとしても答えになってないし。どんなバージョンアップしたらこんなことになる。
「バグ?」
逆にスゴイ。
「うー……ん」
あれこれと考えるが、よくわからない。
「あー――。もう――いいや。わけわかんないし、ログアウトしよっと」
ってあれ?
キーボードないからメニュー開けないんですけど。画面で選択しようにも、モニタもマウスもねぇ。
「えええええ??」
あー、やばい。混乱してきた。
というか、イライラしてきた。
パニックになりそう。
「落ち着け、俺」
こういうときは……。
太ももでも見るか。
再び、俺はスカートをひらひらと揺すった。
ヒラヒラ……。
ヒラヒラ……。
ヒラヒラ……。
――ちらっ。
「うわ」
控えめな装飾の施された、薄いグリーンでした。
「おっけー。落ち着いてきた」
雄大な風景を堪能し、俺の心は静まってきた。
「――落ち着いてきて気がついたけど、自分のパンツ見て、なにときめいてるんだか……」
――?
っておい。
自分のぱんつー!?
▼
まるで小説の主人公の如くネットゲームに入り込んだのか、それとも単にVRが実装された(とはいえ途方もない一大事なのだが)のかはわからないけれど、いずれにしてもここは『エリュシオン』っぽい。
なぜ、俺がこんなところにいるか?
理由も原因もさっぱり分からない。
が、そんなもん、どうってことない。
ついでに、メニューが開けないためにログアウト出来ないと言うのも、瑣末な問題だ。
屁みたいなもんだ。全然気にならないわけでもないが、いちいち気にしてられない。
「いきなり女になるのに比べたらね」
へへ……。
どうってことない。
とはいえ、実際問題としてログアウトできないと言うのは大問題である。
まあ。俺も一応、社会人だ。このままログアウト出来ないとなると、職場とか友人とか、考えなければいけないことはいくらでもあるし、責任めいたものだってある。
ログアウト出来ないのならば、その原因を探るなりなんなりの行動を起こさねばならないのだが――。
突然の望まぬ性転換。
ログアウト出来ないという意味不明な状況下での、あまりにも劇的な変化。状況も手伝って、ショックが大きすぎた。
しょせんゲーム、と気楽に考えらればいいのだが、あいにくそこまで考えが回らない。どんな考え方をしようとネガティブな考えになってしまう。
こんな可憐な姿になっちゃってさ……どうすんの、これ。
今、俺はおそらく『エリュシオン』中のキャラクターの姿をしているのだろう。
キャラメイクで丹精込めて作成し、俺の分身としてエリュシオンを走り回っていた少女。
それが現在の俺の姿のようだ。
ゲームでの設定でいえば、俺のキャラクターはハイエルフの少女だ。
見た目は人間と変わらないが、髪の中には三角の尖った耳が隠れていて、さらには長命種と呼ばれる種族の一種。
ゲーム開始時のキャラメイクでこだわりにこだわった容姿なので、基本美男美女だらけのキャラクターの間でも、さらにかわいい部類だ。
そんなキャラクターを操ってニヤニヤしながら休日を過ごすのが趣味だったのだが、ことここに至って、なんて馬鹿なことをしてしまったのだと激しく後悔中。
ないもん付けるわけにもいかんし……。
「はあー。まあ、しょうがない。しょうがなくないけど、しょうがない」
いつまでも落ち込んではいられない。
無理やり気持ちを立て直す。
自分の容姿に関しては、無視するしかないだろう。
無視して、なにをするか。
当面は――そうだな。
『なぜログアウト出来ないのか』
やはり、これの解明なり解決なりを目標としなければならないだろう。
風景やら自分の状況やらから推察するに、ここは『エリュシオン』の世界のようだ。ようはゲームだ。ゲームならログアウト出来きて当然である。
しかし、それが出来なくなっている。
直接の原因は、メニューが開けないことか。
……。
「悩んでいてもしょうがない。わからんもんはわからんし」
一つ頷いて、俺は荒野に向かって歩き始めた。
「とにもかくにも、今は行動あるのみ! うおー!」
気合いを入れる意味で叫んでみる。
あれ、なんかちょっと元気になったぞ?
そう言えば、叫ぶなんて久しぶりだ。大声を出すと、こう、体の中の鬱々としたものが消えていくような感じがする。
「歌うか!?」
いいかもしれない。
えーっと、なにを歌うか。
「んーんー……。迷子の迷子の子猫ちゃん~あなたのお家はどこですか~♪」
この後すぐ、空腹で文句を垂れ続けることになった。
誤字脱字、変換ミスがあったら、その都度改訂していきます。
8/26 ダッシュ記号訂正