9:傷の及ぼす影響
夕食の準備をしようと一階へ降りると……何か焦げ臭い匂いがしていた。
(嫌な予感…)
そしてキッチンに着くと案の定、義兄さん達が大騒ぎしていた。
「アル! なんで卵に胡椒を混ぜ込んでるんだ!」
アル義兄さんは器に割った卵を溶きながら、そこに少しだけ胡椒を入れている。
「…味付け。」
「卵は要らないだろ! 何を作るつもりだ!」
「東の国の「玉子焼き」とやら。」
確かに東の方には胡椒を少し加えて何層にも巻いて焼く「玉子焼き」とやらがある。作り方も簡単でこの前パン屋の二人から貰ったレシピをアル義兄さんが密かに読んでいた。
「東の国か! それなら僕は「野菜炒め」を作っているんだ! アルより速いぞ!」
一方フェア義兄さんは【野菜炒め】と称してぶつ切り(に切ったであろう跡のある)のピーマンや人参を必死に炒めている。だが、その刻んだ跡に林檎の皮や小麦粉の袋があるのはどうしてだろう?
「…どうして小麦粉と林檎も入っている?」
入っているらしい。野菜炒めにその二つは要らないだろう。その上、空になった調味料の瓶がその辺に転がっている。
「何言ってるんだ? 林檎と小麦粉も野菜だろう?」
…惨状はわかった。めぼしい野菜と思われるもの全てを炒めているようだ。その上、隣のアル義兄さんが顔を顰めている事から転がっている空の調味料は全てその中に投入されているらしい。先程から臭って来る臭いはフェア義兄さんの持つフライパンの中からのようだ。
「……義兄さん。何を作っているんですか?」
フライパンと格闘するフェア義兄さんは私の声を聞いてこちらを向くが、その肩越しに真っ黒になった野菜などと思わしき物体がフライパンの上で灰になり掛けていた。
「義兄さん!! 火を留めてフライパンを下ろしてください! フライパンすらも駄目にするつもりですか!!!」
「そんな事より! シンデレラちゃん!!その傷どうしたの!! 何したの! 母さん? また母さんなの?」
まだ血が少し流れる傷の存在すらこのキッチンの惨状を目の当たりにしてしまえば、忘れてしまうだろう。私は確かに傷の存在を忘れていた。心配する義兄さんを見て傷を思い出したのだが、それよりも家の壁に燃え移りかける火のほうが心配でたまらない。
アル義兄さんは卵を溶き終わって隣のフェア義兄さんの仕出かした惨状を見て、直ぐに火を止めてくれたがこちらを見て驚愕したように目を見開いた。
フェア義兄さんは顔をこれ以上ないほど強く掴んで傷の状態を診ている。その目が潤んで今にも泣きそうだ。
「ああーもう! 何があったの!」
私の顔に掛かっている赤毛を除けては真剣に傷を見ている。だが、混乱していてどうして良いのかわからないらしく顔を強く掴んでばかりだ。
「に、ちょっ…と…」 喋れない。状況を説明したいのだがあまりにも強く掴んでいる為、口を動かす事が出来ない。
困ってアル義兄さんの居たところを見ると何故かそこにアル義兄さんは居ない。どうすれば良いのかわからなくなり、フェア義兄さんのなすがままになっていると。
「兄さん。放してあげて、」
後ろからアル義兄さんの声がかかり、私の顔を掴むフェア義兄さんの手に私の後ろから手が伸びてきた。
フェア義兄さんの手が外されて、私が直ぐに後ろに振り向くと手に救急箱を持ったアル義兄さんが居た。
「シンデレラ、ちょっと痛いかもしれないから…」
そう言って消毒液の滲み込ませた清潔な布を傷口に当てた。消毒液が滲み込み傷口が傷むがアル義兄さんは慌てない。消毒は少々強引でもしたほうがいいと解っているからだろう、どれだけ私が痛がってもアル義兄さんは手を止めなかった。
消毒を終えた義兄さんは私の顔に包帯を巻きながら言って来た。
「どうしてそんな事をした?」
まるで、全てを知っているようにそういうアル義兄さんに私は驚いた。あの時その場に居たのは私と母さんだけだった。だが母さんは部屋にいてそれを見ていなかったのだ。
私は疑問の目でアル義兄さんを見る。
「救急箱を取りに行くついでに義母さんの部屋を見てきた。あの部屋には凶器になるようなものはないし、義母さんの爪にも何の痕もなかった。でも、部屋の扉を収める枠の角に血が付いていた。あそこはぶつかった程度でそんな怪我するようなほど鋭くはない。」
後は自分であそこにぶつけるしか可能性はない。と、アル義兄さんが私を睨む。きっと私を責めているのだ。
本当に…、私は馬鹿だ。
「…母さんが私の名前を呼んでくれたんだ。」
その言葉に多少驚いたような顔をするがアル義兄さんなりに納得できたのだろう。唯一人アル義兄さんの隣に移動してきたフェア義兄さんだけが困っている。
「で、傍によるように言われた。でも、そのまま出て行ったら母さんはきっとまた、 あんなふうになってしまうと思って…。」
それだけ言えば、もうアル義兄さんには言葉は要らなかった。包帯を巻き終わり、暫く私を見つめると深く溜息をついた。
アル義兄さんが真っ向から私を睨む。その顔は完全に怒っていた。私に怒っている、なんと怒られるのだろうか。そんな事をするなと言うのだろうか、何にしても私は怒られるべきだろう。その覚悟は出来ていた。
パシンッ!
左の頬に衝撃が走った。それは痛みだった。
頬を叩かれたのだ、決して目の前で睨んでいるアル義兄さんではない。
フェア義兄さんだ。
私は予想だにしない所からのビンタに驚いていた。アル義兄さんのほうは横で突然私を叩いたフェア義兄さんを見つめている
「…馬鹿! どうして、そんな事をしたの!」
そう言って、私を叱る義兄さんは泣いていた。今まで見たことがないほど、取り乱していた。目からは涙が止め処なく流れ落ちている。眉間に皺を寄せ、必死で涙を堪えながら言葉を紡ごうとしているのが解る。
「母さんが…」
「違うよ!!」
「どうしてそんな事をしようと思ったの!!」
先程とあまり変わらない質問、でもかなり答える内容が変わってくる。私は、何を思ってこんな事をしたのか―――…。
「…こわかった。」
涙が込み上げて、息が出来なくなりそうだった。
「このままで出て行って、怒鳴られるのが。怖かったの…、」
唯、怖くてたまらなかった。大好きな母さんに全てを使って拒絶されるのが…、ただその優しい声で笑いかけて欲しかった。
「優しくして、欲しかった…、だから…、母さんが父さんにそっくりな顔を嫌ってるなら、こわしてしまえばいいって……」
そっくりなのが駄目なら、壊してしまえと。唯それだけで…。
「それだけ…、それだけだったんだ…。」
静かに、アル義兄さんは息を吐いた。フェア義兄さんは私を抱きしめると、そのまま床に崩れ落ちた。
「っ、シンデレラちゃん。そんな事して、嬉しかった!? お母さんは、その傷を見て喜んでくれたの…?」
耳元でフェア義兄さんの嗚咽が聞こえる。本当に心配してくれていた。フェア義兄さんも怖くて仕方なかったとでも言うように痛いほど私を抱きしめる。
「…そんなわけない…。…後悔してるんだよ…?」
込み上げた涙が、ずっと堪えていた涙が自然に溢れ出す。頬を伝って、私を抱きしめている義兄さんの肩に染みを作る。
「…そう思うなら、謝るんだ。シンデレラ。」
それまで無言で様子を見ていたアル義兄さんがそう言った。フェア義兄さんの後ろ、抱えられている私の目の前にしゃがみ、目線を合わせる。
「…悪いと思うなら、謝りなさい。馬鹿な事をしたと、心配させたと、謝るんだ。シンデレラ。」
ずっと強く睨んでいたアル義兄さんの顔がとても優しい笑顔に変わった。それを見ると更に涙が溢れてきて、もうどうしようもなかった。
「ごめんなさい…。」
ごめんなさい。ごめんなさい、とフェア義兄さんを抱きしめて謝ると、二人も同じように謝った。
叩いてごめんなさい。睨んで不安にさせてすまない。と、何度も何度も。
結局、私は姫様と同じように謝る事すらも解らなくなっていた。そして、義兄さん達がこんなにも私の事を思ってくれていたのだと知らなかった。
なき止んだ後も長い間抱き合うフェア義兄さんと私を何処か羨むように見て、アル義兄さんもフェア義兄さんごと私を抱きしめた。
「…あー、シンデレラ。その傷、一週間ぐらいで治ると思うが、目の間の部分だけどうしても傷跡が残ってしまうだろう。」
その言葉に再び泣き出したフェア義兄さんを慰めるのが大変だったが、その後は楽しいものだった。
アル義兄さんの玉子焼きは美味しかったがフェア義兄さんの「野菜炒め」は暖炉の炎の中に消滅した。
今日、初めてアル義兄さんがとても賢く、フェア義兄さんがとても間抜け事を知った。
フェア義兄さんは可愛くて、アル義兄さんは格好よかった。