6:双子のパン屋での【買い物】
路地から出た後、私はパン屋へと向かっていた。そしてふと思った。
姫様をあんな人気のない場所に一人にして良かったのだろうか。少し不安になったが、振り返って先程出た路地を見てみると姫様が駆け足で出てゆくのが見えた。
(…大丈夫なようだね。)
そして、また空を仰ぎ見て思う。
(なんて平和なんだろう…)
市場にはちらほらと先程の元彼女の名残が居るが、市場に居る今の私をわざわざ引き止めるほど彼女達は気がきかないわけではない。
ここに居ると言う事は私は買い物に忙しいと解っているのだ。だからこそ、先程のように目の前で止まるような事がなければ実害は全くない。だから買い物の時間は私にとって一番平和な時間なのだ。
(そういえば、)
あの騒動に巻き込まれる前に買った品物をあの騒ぎの真ん中に置いてきてしまった。
わざわざ戻ってしまうと、アイリーナさんや【あの子】が勘違いして襲ってきてしまいそうだ。暫く考え、とりあえず買い物を済ませてから先程の場所に戻るとしよう。
そうして、のんびりと空で鳥が舞うのを見ていた。
「よう、色男。」
パン屋に付いた途端、かけられたのはそんな言葉だった。
灰色のざんばらな頭を整える事はせず、袖の短い服を着た青年。私と年はそんなに変わらないが、いろいろな事で人をからかうことが多いため何処か親父臭い。
「『色男』、てことはさっきの事ですか?」
うんうん。と上機嫌で頷く彼に思い溜息が出る。彼はこの店の店主の一人だ。彼が売り上げの計算をし、もう一人が出費を計算する。何故二人なのかと言うと…
「レイファーネルに並ぶ大騒ぎだったそうじゃないか。」
そう言ったのは目の前で佇む彼の後ろからひょいと顔を覗かせた同じ顔の青年。表情から髪の色、そして声や喋り方までそこに鏡像が立っているように同じだ。
そう、双子なのだ。双方に違いは殆どない。微かに違うのはその立ち位置だけで、兄は決まって弟よりも後ろに立っているが、他は声も立ち姿も癖も全く同じ、ついでに言うなれば最初に私に話しかけたほうが弟、その後ろから出てきたのが兄である。
「で、なんか騒ぎの原因なったのは綺麗な女の人で。」
「その女を連れて逃げたと。」
この二人も、容姿はそれなりに良いので元彼女達が良くたまって噂話をしている。そのため元彼女の間の噂話はこの二人の方が詳しい。
どちらにしても、この二人は義兄さん達に次ぐ鬱陶しさなのでさっさと小麦粉を買いたい。
「君達は商売をする気がないのか?」
そう言って、呆れ返ってみると二人は私の首に腕を絡ませる。身長はそんなに変わらない筈だが、どうやらほんの少しだけこいつらの方が高かったようだ。肩にずっしりと二人分の重みが掛かる。
「え~? あるよー、でもさ。」
「色男の逃走劇の方が興味あるよー。ね? シ・ン・ちゃん♪」
この二人は、私が『 灰被り』である事を知っている。知っていながら、『色男』と言ったり二人で引っ付いてきたり身体を撫で回したりと義兄さん達以上の事をする。別に触られるのは気にしていないのだから別にいいが…
「わざわざその名前で呼ばないで下さい。」
この街で 灰被り状態での私の惨状を知っておきながら灰被り(女の方)の愛称を呼ぶのはどう考えてもからかっている。
何するにしても、この二人が知りたいのは事実である事を私は知っている。この二人の鬱陶しさをなくすのは二人が知りたいと思っている事実と、つまらない現実だ。
「…実を言いますと…」
「うんうん♪」
「なになに♪」
二人がより一層、顔を近づける。背中から首元に二人で抱きついてきているのだが、大きな身体を器用に動かしてお互いに邪魔にならないように工夫している。私は解りやすく要点だけ述べた。
「元彼女の中に居たのは抜け出していた姫様で、困っていたようなので助け出してからこちらに小麦を買いに来ました ○!」
………何故か何時も喧しい二人の間に沈黙が走る。鬱陶しい上に喧しいはずの二人があまりにも大人く静かに私の首に抱きついているので反って怖くなってきた。左右にある二人の顔を見ると、少々困った顔をしている。
「…………え?」
「……もう一回、いい?」
どうやら信じられないようだ。私が女の人を助けていることは時々あり、そして助けたはずの女の人に襲われかける事も良くある事だった。でも、その助けた相手が姫様で更には何もなく今此処に小麦粉を買いに来ていると言うことがとても驚きらしい。
「助けた相手が抜け出した姫様でした。」
「…うん。」
「そして此処に小麦粉を買いに来ました。」
「…ちょっと待って。」
何故か止められた。何かおかしいことでも言っただろうか。両側の二人の顔は左右が違うだけで片方を見ればもう片方を見る必要がない。
「そこは助けたお礼を目当てにお城に送り届ける――、じゃない?」
「それに、何か肝心な事抜けてない?」
どうやらとても気になることがあるらしい。でも、『お礼を目当てに』?
「…姫様は、この時期抜け出せないはずだから送り届けても何も無いですよ。」
そう、舞踏会がある場合。ダンスなどのお浚いをして、舞踏会の段取りに沿った流れを何度も確認しなければない。これらは中々抜け出せないはずなのに姫様は上手く抜け出していた。恐らくそんな姫様を送り届けたら、姫様に監視をつける話が出て色々と大変だろう。お礼どころか、折角助けた姫様に迷惑だ。
「いやぁ、つまり逃げた後ほとぼりを冷ましてから置いてきたと?」
(嗚呼、そういうことでしたか。)
「ええ、並んで歩いていると再び姫様が絡まれる可能性がありますから。」
その可能性も考慮して、一人にしてきたのだ。だが、思ったよりも逞しい姫様だ。さすが、現国王でもある。
この国では、女性が王になる。そのため、その王は古い呼び名そのままに『姫』と呼んでいる。今の姫様は政治にとても優秀だとか。
「……ああ」
「…そういうことか。」
何時の間にか二人は納得したような言葉を残してさっさと首から離れていた。そして兄の方は店の中の秤を表に運び、弟の方は小麦粉の袋を探している。
「忘れておいてきましたー。みたいな事を期待してたのに…」
「案外つまらないね。」
何故か少々失礼に値する事を言いながら、二人は私の前に秤と小麦粉の大袋を持ってくると改めて向き直る。
「さて、【小麦粉】だね。」
「どれだけ?」
五本の指を立てて【五百グラム】と表現すると直ぐにさじで小麦粉をすくい、細かく量りだす。そして、何でもない様子で呟く。
「…そういえば、初めてストーカーちゃんが【ナイリーニ家】の次期当主って知りました。」
それに細かく分量を量っていた弟が、量りながら直ぐに返事を返す。
「嗚呼、あの市場のめぼしいとこ全部仕切ってる家かー。あそこって生産した物を市場に出す際に税金をかけてるんだよね。」
腰が痛くなったと兄にさじを渡し、柔軟運動をすると私に向きなおる。その表情は何処か不敵でそして意味深な笑みを浮べていた。
「だからその分値上がりするんだよ。知ってる? この辺の市場やウチみたいな店のある土地は、全部ナイリーニ家の土地で毎月貸し賃を払わなくちゃいけないから、更に品物の値が上がってるって。」
唯の世間話。でも、これらの話は全て特別な情報でもある。店のほうが知っていて当たり前の情報は消費者に対してはあまり知られていない。更にコレには貴族間でしか知られない商業関係の情報も含まれていることが多い。
【小麦粉】とは情報の事で、世間話に興じるふりをして中々聞けないような商業関係の情報を聞く。そして情報に比例して買った小麦粉の値が上がる。だが、情報は中々買えるわけではない。二人の信頼を得なければ成らないのだ。
「嗚呼、それは聞いたことがあります。あらゆるところに手を回して市場を支配しようとしていると。」
弟はあくまで世間話をしているように陽気な様子を振舞う。だが、その表情には何処か怪しげな部分が滲み出ている。
「うん。そうなんだけど、実質支配してるようなものだよ。他の市場に関っている貴族はナイリーニ家の息が掛かってるし、一部そうでないのはナイリーニ家の権力に屈してるから…。」
まだ税金は上がりそうな感じだから、こっちは商売上がったりだ。と愚痴を漏らす弟は、兄に紙袋を持ってくるように言った。そして、こちらを見詰める。
コレは合図だ。小麦粉を量り終えるまでに情報を売るが、量り終えた後はまだ買うかを確かめる為に二人のどちらかが小麦粉を持ち帰るための紙袋を取ってくるように頼む。この時、会計の話をすれば情報は買わない。反対に会話を促せばまだ情報を買うといった合図になる。
中々に高い買い物になるがこの二人は商売に関係する情報。税金、貴族、貿易、更には個人の情報の一部まで、確かな情報を売ってくれる。
「…その私利私欲に塗れた精神が次期当主にまでに伝染していそうですね……」
重い溜息を吐く。演技でもなんでもなく、本気で気が重くなる。
「でも、シンちゃんならうまく使えるでしょ。」
兄が持ってきた紙袋を受け取り、量り取った小麦粉を弟がつめてゆく。弟に代わって兄が話を進める。
「それよりも、もっといい朗報だよ。今の姫様が、どうやら近隣国と交流を深めて新たに貿易をするらしい。」
弟と兄の情報はそれぞれ価値が違う。弟は安価で耳寄りな情報を、兄は高価で扱う人間によって価値の違う情報を売ってくれる。何時も思うのはこの二人から情報を買う場合、二人の見分けをつけておかないと困ると言う事だ。気に入らない相手には確かに情報は売るのだが、耳寄りな安価な情報と高価で扱いの難しい情報をごちゃ混ぜにして話してしまうのだ。
私は、感心した表情を浮べる。それに答えるように兄は話し始める。
「この国は大国で大体は地産地消出来ているけど、価格が高いと言う事が姫様の耳に入って、質のいい大量生産の出来ている国のものを輸入しようとしてるんだ。都合よくこの国の近隣国にはそんな国が多いからね。その国の方もこの大国には仲良くして置きたいと思っているから話が進んでいるんだ。」
唯の一商人であるはずのパン屋の店主が、何故かまだ公になっていない国の政治に詳しいのは事には誰も突っ込んではいけない事になっている。私も彼の情報網には首を突っ込みたくはない。彼らはこの国で一番敵にまわしてはいけない人間だろう。
「では、ナイリーニ家の現当主は堪ったものではないでしょうね。」
「うん、そうだね。何せ市場を独占していたんだから。貿易されたら利益が大幅になくなっちゃうね。姫様の方も独占しているのに気付いてこの貿易に手を出したんじゃないのかな? もとより大した貿易はしていないから他国との交流も中々な無いしね。独占を直接止めさせるよりも別のやり方で切り崩そうとしたんでしょ。」
…先程であった姫様はまだ、それほどのことが出来るとは思えない。思春期に入りかけた少女のようなそんな雰囲気を纏っていた。
(それとも…)
それすらも姫様の演技だったとでも言うのだろうか。喧嘩の後の仲直りのやり方すらも知らない未熟で無邪気な少女を演じて…。
『この娘、先程から店のものを骨抜きにして回りましたの。』
アイリーナは、確かこういった。もしかすると城下へ来たのだって舞踏会に関して様子を見るためではなく、市場の様子や噂を聞きだそうとしていたのかもしれない。疑えばきりが無く、また答えも一向に出ない。
(……私は…)
私が見た少女を信じよう。
もしかすると、仕事中は性格が変わるといったよくあるようなことなのかもしれない。
私が何か悩んでいるのに気が付いた兄は、大きく咳払いをして私に気を向かせた。そして真っ向から見ているのに満足すると更に続けた。
「そして、もしかすると悪い情報。」
そう切り出した兄の後ろでは、弟が袋詰めの終わった小麦粉を携えてこちらを見ている。そしてもう一度確かめるように私を見る。
「焦らさないでくれ。」
はいは~い。とまた調子よく返事をする。
「最近、小型の道具が東の国の方から山を流れる川を使って輸入されてるでしょ? その中にナイリーニ家現当主が輸入したものがあったんだけど、やけに中身を隠したがったらしくて船頭を勤めてた方が中身を聞いてみれば、『姫様に捧げるものです。』とだけ答えたそうなんだ。」
そこまで聞いて私は首をかしげる。それだけでは何の価値も無い。いや、中身によっては強請る事が出来るが、その肝心の中身が解らないのであれば意味が無い。
「…【幾らになる。】」
「今回は【高い】よー?」
弟は勘定台に構えている。…それほどなのか。
「【買った。】」
「毎度あり。」
弟は小麦代と、情報代を小さな紙に書きとめ兄はそれを見てから話し出す。
「運び下ろす際に蓋の打ち付けが甘かったらしくて微かに開いたんだ。そして、ちらりと見えたのは東で最近開発された小型の銃。男の拳二つ分で、かなり軽いけど命中精度は抜群と評判のもの。一瞬だったけど、そいつは記憶力がいいらしく正確に話してくれたよ。」
「…拳…、小さいな。」
「うん、タキシードにも潜ませる事が出来そうだね。」
そう、思わせぶりな言葉を聞き流しながら私は会計を済ませ、周りの元彼女の目を誤魔化す為に世間話に興じていた。