5:初めて抱いた想い
結構の間、沈黙が続いている。元はと言えば、私が笑ってしまったから不機嫌になってしまったようなのだけれど…。
この方も大人気ないと思う。見たところ私よりも少し年上のようだけど、ちゃんと言う事をまとめられないから長かったんだからそこは笑って返せばよかったんじゃないのかしら?
足を揺らしながらどうすればいいか考える。何時もこんな事になった事なんてないから、どうすれば良いのかわからない。遊び相手の子供達も皆、私が【姫様】だからこんな風に怒ることもなかった。
私を姫とわかってこんな扱いをする人なんて―…。
微かに、記憶の中を誰かが過ぎった気がした。それは何時かも覚えていない幼い頃の記憶だったと思う。でも、どうしてその人の事を思い出したのだろう。
そんな事を考えている内にどうやら脱線して考えていたと気付き、顔を上げると彼はこちらを見ていた。
気になってこちらを見たといった感じだけれども、全然不機嫌そうじゃない。もしかすると元から怒ってなんか居なかったのかも知れない。それでも、何とも話しかけ難い感じがして、再び俯く。
視界に入ったのは足首。先程、この方が手当てしてくれたところ。
そうしてようやく思い出す。
(この方は、自分に何ら関係ない私も助けてくださったのだ。)
あの馬鹿な方々に囲まれてウンザリしていた様子でしたのに、そんな仲で私も一緒に助けてくれた。その事でお礼も言わずに、質問に答えて貰った上に笑うなんて……。
(とんだ失態ですね。)
兎も角、謝らなければと思い再び顔を上げると直ぐ目の前に彼の顔があった。何処か心配そうな表情で私の顔を覗きこんでいる。
どうやら気分でも悪いのかと、思っているようだった。
(あ、謝らないと…)
口を開くと言葉にならない声しか出なかった。予想外にこの方の容姿が綺麗だったからだ。
男性らしい精悍な顔立ちの中に、柔らかな女性的な部分もあり中性的な雰囲気でとても魅力的だ。何よりも、特徴的な腰までの長い赤毛はとてもよく手入れされているのかとても美しく、一本一本細やかに肩から流れ落ちている。
私は謝る事も忘れて彼に見惚れていた。今までこんなにも綺麗な人間に出会ったことがなかった。
顔を見詰めて止まってしまった私をおかしく思ったのか一度首をかしげると、暫く考え込む様子を見せてからようやく気付いたように顔を引いた。
「…近かった?」
そう聞く彼の表情は何処か優しかった。私はその表情に安心感を抱くと同時に謝ろうと思っていた事を思い出し、すぐさま声を出した。
「ごめんなさい!」
あまりにも唐突過ぎたのか彼は驚いている。私は慌てて付け足す。
「私を助けた上に、手当てまでしてもらっているのにあんなことしてしまって…。」
ごめんなさい。と言うと、彼は小さく笑い出して。私もからかっていたんだ、こちらこそすまない。と言った。
そして私に手を差し出してきた。その手をとって、木箱の上から降りた私に再び微笑んで手を少しだけ強く握った。
「姫様はもう帰ったほうが良いよ。城下は危ないから。」
そう言って、手を離してしまいそうだったからもう一度掴んで、彼を引き止めた。何故そんな事をしたのかは解らない。でも、それでも、この方が幻だったように思えて、この手から離れたら消えてしまって二度と会えないような気がして―――、
私は、唯夢中で彼を引き止めようとした。
「私はディ、本名は長いから愛称よ。貴方は?」
そんな私の想いなど彼は知らずに空いている片方の手で前髪を掻き分けると、暫く考えていった。
「私は父の仕事に付いていったときに何度かお城に入った事があるから、そうだね……ヴィルネール卿に聞いて見れば解ると思うから…」
そう言って、私の掌からするりとすり抜けて去っていってしまった。
後に残ったのは路地の向こうから聞こえる市場のざわめきと、微かに早くなった鼓動。そして、大きな手のわりに細いその手の感触だった。