3:ハイエナの群からの脱出
ようやく、家の外で張り込んでいたアル義兄さんを撒いてついた城下の市場。見回して視界に入る店の 主人達が頬を緩ませているのは、一体何故なのか。
とりあえず野菜を買った店では
「ああ、目の保養。」
値切ろうと張り切っていた肉屋では
「何だ、あの魅惑の赤い瞳は…」
と、ほうけた言葉しか聞こえなかった。その為、買った野菜の数と金額が釣り合っていなかったり、肉の量がやけに多かったりと、こちらには得しかない様な事が多々あった。
(赤い瞳…か。)
今、この国で赤い瞳なんて、一人しか思い浮かばないけれど…。
(まさか、ねぇ?)
そんな人がこんな所に居るわけがない。うん、昔なんか父さんの仕事の関係であったことがあるけど…確かに可愛かった。あれなら今頃はかなり綺麗になっているんでしょうねー。
「赤なんてどぎつい色、あんまり人が持っている色ではないですからねぇ。」
と自分の髪色を棚に上げて市場を歩いていた。
後は、パン屋ですかね…。小麦を買わなくては。
そんな、穏やかな日常。町には男装さえすれば来ても問題はないし、義兄さんたちにも解放される、一番買い物が穏やかな時間。そんな、静かな幸せを噛み締めて、青い空を見上げてパン屋へと向かっていた。
「なんて迷惑!!」
突然の叫び声が聞こえた。
ああ、元恋人さんの一人が私の事で愚痴っているのかなー。出来れば静かにしてほしいけれど、別に私に迷惑が掛からないならいいじゃないですかー。そう、自分に言い聞かせ、背筋を這う嫌な予感を全力もってスルーしようとするが。
「何いってんよ! あんた、聞いてたんでしょうが!」
ここからは大きな声でないと聞こえないようだが、さっきから歩いているうちにその怒声が近付いている気がする。
(嫌な予感がしますねー)
遠回りでもしようかと思ったけれど、どの範囲で言いあっているのか解らないし、その上そんな状態で遠回りすれば確実に時間に間に合わない。
「………仕方ない…」
はぁ、と溜息をついてその怒声の中を全力スルーしながら通り過ぎる事にした。
「誰もあんたなんかに聞いてないわよ!」
ん? 確かこの声はうちによく来ていた元恋人二十七番、【ストーカーちゃん】じゃあ……
一番出会いたくない人間の声を聞いた。あの人ったら私に一番突っかかってきたんだよねー。『アンタなんか灰の価値にも満たないんだからね!』なんて…どーでも良いですね。私には関係ないことですし…
「私も言ってないわ! 貴方が勝手に勘違いしたんじゃなくって!?」
…この声は知らないな、誰だろ。何だか本当に近付いているようだった。現実逃避のために空を見上げて、それでも勝手に耳に入る声に意識を傾けてそのままパン屋へ向かう。
「っ! 何よ! 偉そうに! 私はね。もう二年もレイファーネル御兄弟の側に居るのよ!」
そうだね。一年と半年は義兄さんたちの意志と無関係に、だけど。
「はっ、そんな一国民の人間と一緒に居る事がそんなに偉い事なのかしら? 第一、私はその【レイファーネル御兄弟】とやらの事をついさっき知ったばかりだし、そんな街中に元彼女が居る変態を非難する以外の言葉は持たないわ!!!」
勿論、そんな奴に執着する貴方みたいな人間にもね! と言う声の主に私は惜しみないほどの絶賛を送った。
素晴らしい! まだこの街にはそんな人間が残っていたんだ...。そう、微かに瞳に涙が溢れてきた時だった。
「痛ッ!」
「あっ、すみません。」
何かにぶつかった。そしてそれが何かしらの音を出したものだから条件反射で謝った。
「何よドン臭い! その真っ赤な眼はまるで厭らしい【灰被り】の赤その物だわ!」
「はい...?」
聞こえた【灰被り】と言う言葉に、これまた条件反射で返事を返してしまった。その声の先には…
「ああああああああああっ!! レイン・ライナー様!」
…赤面する、【ストーカーちゃん】が居た。
「いえ、別に貴方の美しい赤毛の事を言ったのではないですわ。私はその厭らしい、小娘の事いいましたの。この娘、先程から店のものを骨抜きにして回りましたの。この市場の風紀を乱すものを贖罪するために、こうしておりましたので…。嗚呼! それにしても今日も麗しいお顔でいらっしゃる! レイファーネル御兄弟とも引け劣らないその麗しい微笑でこの私めの心を潤してくださる為にやってきましたの!? 確かレイファーネル御兄弟のお宅の近くにお住まいだそうですね。あの醜い【灰被り】に誘惑はされていませんか? もしそうならこの市場にて最高権力を誇るナイリーニ家の次期女当主、アイリーナにご相談くださいませ。私の総力持って貴方をお守りいたしますわ!」
このいきなりのマシンガントークをまくし立てられて、笑顔で居られるのは義兄さん達だろう。私はせいぜい苦笑いする程度だ。
それは先程ぶつかった、(どうやら人)人も同じのようで私のぶつかった腕の直ぐ横で、顔をしかめていた。
その瞳は赤く、美しい容姿。幼い日にこの目に焼き付けたあの麗しい姿…
(姫様…?)
あの時と同じように、胸の奥が熱くなるのを感じた。
# # #
「…ええっと…」
改めて正面を見て、輝かしい笑顔を向ける今日初めて本名を知った【ナイリーニ・アイリーナ】さんに、私は戸惑う。
(どうしよう!)
恐れていた事態だ。一度バッタリ出会してしまって、自己紹介したのが運の尽き。それ以降出会ったら何時もこうだ。しかも今は何時の間にやらちゃっかりと、私の両手を握っている。
その捕まれた手を見て唐突に思い出した。
(この手袋…)
昔、 同じ事をして父にとられた手袋によく似ている。義兄さんたちが私の気を引こうとしてこぞってプレゼントを贈りに来た時があったっけ…
結局、まともに受け取ったのはこのシルクの手袋だけだ。(ちなみに受け取られなかったプレゼントの数々は全て義兄さんたちの手で 処分された。(元彼女に))
一部分、銀糸を織り込んだこの手袋は月明かりに輝く。その輝きは運命の相手を引き寄せるそうだ。
(…女を見境無く引き寄せている気がするけれど…)
掌は大きいがその指は中途半端に細い為、中々手に合う手袋がなかったようで完全なオーダーメイドの豪華な手袋だった。
「……なんなのよ、 ここは…」
腕の側での呟きで現実に引き戻された。危ない危ない。迂闊に考え事なんてしていたらそれこそ貞操の危機だ。(正確に言うなれば命の危機だが)
ひとまず深呼吸をして、アイリーナさんの手をそっと私の手から離させる。そして右腕を横に垂らして微かに隣のその子を触れる。
中々、敏感なようで直ぐに私の方を向いた。ちらりと、アイリーナさんを見て微笑んで見せた。すると、勘は良いようで、直ぐに小さく頷いた。
それを見て、安心して私は作戦に出る。
「…アイリーナ嬢、この私めが口にするのも何ですが…。」
跪き、アイリーナさんの手をとる。
「女性は、御淑やかに。……ですよ」
軽く手のひらに口付けて、彼女を上目遣いに見つめる。すっかり頬を赤らめている。それでも私の言葉は続く。
「私も、男として生まれましたから女性に守ってもらうというのも好い気がします。それもこんなに美しい方なら、尚更…」
あたりに黄色い声が響く。言い争いを見に来た元彼女で構築された野次馬がどうやらメロメロになっているようだ。
「それでも、守りたいものなんです。貴女が心配する分だけ私も又、貴女を思って心を病ませているのです。」
うっとりとしたアイリーナさんを一瞥してから立ち上がる。アイリーナさんは突然のことに驚くが。……………やっぱり、抵抗がある。だが!
アイリーナさんの腰元に手を回して、抱き寄せる。
「ですから、そんな物騒なこと。口にしないで頂けますか…?」
どこか悲しそうに、やわらかく微笑み。その口紅の塗った繰られた唇に人差し指で軽く触れる。
「はっ…、はぃ…」
何処か腰の抜けかような声を出して、気絶してしまった。やり過ぎちゃったかな?
まあ、この位が丁度良いかな。アイリーナさんを野次馬の一人に『お願いしますね?』ニコリ、なんて言って渡す。するとまるで壊れ物のように大切に、それでもしっかりと抱き込んだ。
(うん! 上出来!)
で、さっき私の隣にいた姫様? を探すと…
野次馬の微かな隙間に突っ込んでいた。
「…危険だ…」
何をしている。そんな見るからに通って下さいな所を通ったなら…
「……っ、小娘がっ!」
嗚呼、やっぱりこうなった。
姫様? は野次馬(ハイエナとも言う)に囲まれ、襲われかけている。さしずめ、狼の群れの中のひつ…
「退きなさい!」
……いんや、小さな狼の群れの中の猪だ。中々互角な戦いを繰り広げている。
「私達のレイン様に近づいて、尚かつ逃げだそうだなんてそんな都合の良いこと出来るはずがないでしょう!」
「知らないわよ! 第一あの男は私にぶつかってきたのよ!」
「どうせ、それもぶつかっていった。の間違いでしょう!?」
「なんにも分かってないくせに口出しすんじゃないわよ。派手女――っ!」
おお、凄い。姫様? 見事に言い返している。その上無関係に口出しした【 派手っ子】ちゃんを見事に貶している。
「って…!」
そんな場合じゃない。このまま行ってもまずい。野次馬の向こうには必ず、
「来たわね。この売女。」
…やっぱり、元彼女の中で一番やっかいな【あの子】。もう、名前すらも聞きたくない。
と言うか。そんなこんなで見とれている間に、野次馬の輪が小さくなって来ている。しかも囲っている女の目がコワイ。
とりあえず、その場を蹴って走り出す。さすがに走り出した男の進行方向にはこの人たちでも立たない。(私も女だけど…、能力値的には男だから良いか。)そのままの勢いで野次馬の向こうの【あの子】に捕まりかけている姫様? へと進む。
「退きなさい」
叫ぶのではなく、呟く。それでも聞こえるのがこの人たち。だけど慣れてなんて居なさそうな彼女はさすがに聞こえないらしく、いきなり進行方向を開けた【あの子】の様子に驚いて振り返る。
「失礼。」
姫様の腰と膝の下を抱きかかえて走り出す。まあ、俗に言うお姫様だっこ。姫様?だからある意味あってる思うけれど…
「何すんのよ、変態!」
ですが手痛いパンチやキックはどうかと思いますけど…?一発喰らった以降、それを華麗に避けながらパン屋の方向へと走る。
「やぁん、レイン様ぁぁぁ...」
撃沈したらしく、声が小さくなる野次馬と【あの子】。良かった、追っ手は来ていないらしい。私は建物と建物の間、族に言う路地に入った。
予想外に時間を浪費してしまったと、溜息をつきたくなったが姫様?を抱えている事を思い出した。
「はい、もう大丈夫。」
姫様?をおろすと、彼女は一気に私から距離をとった。…一体、何? 良く見れば胸元を隠している。
路地には日が差さないらしくかなり暗い。更に狭く、奥が深い。中々、人目を避けたい時には良いが…
(嗚呼、そう言うこと…)
暗い路地に連れ込んで一体、何をしようというの! みたいなことかな…
「大丈夫だよ。姫様(?)、私もあの人達に襲われたくなかっただけだから…」
少し驚いた顔をしたが警戒は解いてくれたようだ。もしも私が危ない狼だったらどうなったんだこの人は。この程度で警戒を解くなんて。
路地の奥の方に積まれている木箱の埃をはたいて、姫様?を誘う。怪訝そうな顔をするがやはり疲れているらしく座る。その直ぐ隣に同じように座ると、深呼吸をして聞いてきた。
「…どうして、助けたの?」
おや、そう来るか。
「…いや、姫様が突っかかっていた野次馬の外側に居た子。」
案外、印象に残っているらしく素早く頷いた。…姫様ってことは否定しないんだ…。少し恐ろしそうにうつむいて、正確に伝える。
「あの子はかの有名な女たらしのレイファーネル兄弟ですら恐れている御仁なんだ…」
そうだ、あの人に何度喰われかけたことか…
「実を言うとね。あの人…」
姫様は素直に頷いている。
「男なんだ…」
ふんふん、と素直に頷いて聞いていた姫様?は二回ほど頷いて、目を皿にした。
「………はぁ?」
あまりの驚きに奇声しか出ないらしい。あの人はかなりの美人だ。但し、女だったらのはな…男でもかなり可愛いが。
更に続ける。
「男にとって同姓に襲われるのは恐怖なんだよ。あの人も元彼女だけどね。美形なら見境がない。時折気に入った女も襲うし…、綺麗な瞳で気の強い綺麗な女の人が、好みなんだって。だけど、男の場合美形なら関係なく襲うんだ。女装で近づいて、路地に連れ込んだら身ぐるみを…」
ひぃい! 私も襲われた口だ。男装と女装(女装ではないが)、どちらの時でも。
「「なんて…恐ろしい。」」
二重奏。見事にハモった。いつの間にか姫様?は背中をさすっている。なんて心優しい方なんだ。何度か深呼吸してココロを落ち着かせる。
「…もう大丈夫だから…」
背中の手をそっと離して、向かい合う。見覚えのある赤い瞳だ。やはりというか、良く心の何処かで感じていた美しい人、幼い日に見た妃様そっくりだ…。
「…きみ、姫様。だよね。」