回送列車
俺は列車に飛び乗った。
いつもこうだ。残業残業残業。気がつけば終電間近だ。
何で俺ばかりに仕事が回ってくる。他の奴らは何をやってんだ。何で他の社員の為に、俺だけが毎日残業なんだ。
会社に泊まるよりは、少しでも家で寝る方がマシだ。会社にいれば、ムカつく同僚達の顔が浮かんでくる。
だから俺はいつも、どんなに遅くなっても終電には飛び乗ることにしている。
今日もそうだった。そのはずだった。
列車のドアが閉まった。
間に合った。だが誰もいない。俺しかいない。
あれっと思う間もなく、列車は動き出した。俺は反射的に振り返る。
ホームに残った乗客達が、皆困惑の笑みを浮かべていた。
俺は慌てて窓の外を見た。結構な数の乗客が、いつもならこの終電に乗っていそうな数の乗客が、ホームに残ったまま俺を見ている。
とっさにホームの掲示板を見上げる。そこにあったのは、列車遅延のお知らせだ。
やられた。俺は遅れていた終電の、ひとつか二つ前辺りの列車に乗ってしまったのだ。
遅延のお知らせとともに見えたのは、『回』の字だ。柱が邪魔して全部は見えなかった。おそらく『回送列車』だろう。よりによって回送列車に乗ったのだ。
列車が動き出した。
教えろよ。どいつもこいつも、役に立たねえな。
ホームに流れていく見ず知らずの乗客に、俺は怨みの声を内心投げつける。
もちろん制止の声も間に合わない程、俺はこの回送列車に飛び乗ったはずだ。
ただの八つ当たりだ。分かっている。
だがいつも一人業務に勤しむ俺は、周りの助けがないことに直ぐにイラッとしてしまう。
そしているだけの連中に無性に腹が立ち、一人静かに仕事ができる残業を選んでしまうのだ。それも本当は知っている。
本当に他人は役に立たない。
俺は同僚と乗客に、同時に憤りを覚えてしまう。
今日も頭に血が上った俺は――
突然の頭痛に襲われ、俺は倒れるようにシートに腰かけた。
どうやら本当に頭に血が上ってしまったようだ。
頭が割れるように痛い。頭の中で血管が切れたのかもしれない。
よりによって、誰も他に乗客がいない、迷い込んだ回送列車でだ。
誰か。頭痛を堪えてそう思うが、やはり助けてくれる乗客はいない。
車掌だ。車掌に知らせないと。どうやって。幸い後ろの方の車両に乗ったはずだ。
しかし歩けるような痛み方ではない。動かない方がいいのかもしれない。回送列車に乗客が飛び乗ったのだ。調べにくるかもしれない。
だがしばらく待つが、車掌はやってきそうにない。
調べにこいよ。業務だろ。と、俺は痛みと苛立ちに声も出せずに毒づく。
そしてなんとか車掌室を目指して、這っていこうとする。
いや、待て。少しシートを横に動いただけで、俺は思考の迷路に入ってしまう。
回送列車に車掌は乗ってるものなのか。最後尾まで這っていって、誰もいなかったらどうするんだ。
運転手の方にいくべきか。
遠いぞ。俺は後ろの方の車両に乗った。必ずいるはずとはいえ、それは絶望的な距離に思える。
車掌がいることに賭けるか、運転席までこの距離を移動するべきか――
考えあぐねる俺を、更なる痛みが襲った。本格的にヤバいらしい。死ぬかもしれない。
畜生。こんなことになったのも、皆が役に立たないからだ。
同僚も、乗客も、車掌も、運転手も。まるで役に立たない。
俺の脳裏に、同僚や、日頃乗り合わせる乗客の顔が思い浮かんだ。いやそれだけじゃない。次々と今まで出会った人の顔が、浮かんでは消えていく。
はは。これが走馬灯というやつか。
俺は人生の回送列車に乗ったのかもしれない。このまま棺桶に回送されるのだ。
はは、ダメだ。目の前が霞んできた。
思えば色んな人に出会って生きてきた。めまぐるしいまでの走馬灯が、それを教えてくれる。
ああ……
ああ、そうだ……
後続退避待ちの為か、回送列車が止まった駅で俺は乗客に助けられた。回送列車の中でもがいている俺が見えたらしい。
ドアが開けられ、俺は駅員や乗客に助け出された。多くの人が手を貸し、リレーのように俺は介抱されていく。
そう、俺は多くの人に助けられたのだ。
今までそうであったように。俺が走馬灯で思い出したように。
今もそうであるように。会社でも本当はそうであるように――
病院への手配を待ちながら、俺は回送列車の行き先表示を見上げる。
ぼんやりとした視界に写るそれは、『回想列車』と書いてあるような――そんな気がした。