5
「お、ロリ野」
教室に入るなり、夏樹が気さくに殺意のわく挨拶をしてくれたので、ぼくは気さくに殴ってあげた。
「ぐぼぉあ」
夏樹は呻きながら地面に両手をついた。
「く、強くなったな……ログァ!」
何か言いかけた夏樹の腹を蹴る。ぐぬぉぉ、と呻いているけれど、ぼくにはなんの感情もわかなかった。
「よお、夏樹。元気そうだな」
「あ、あ……ああ。よう、拓」
「平野くん、おはよ」
「おはよう、細江さん」
「何してるの? 足立くん」
一部始終は見ていたはずなのに。
細江さんも案外鬼だった。
昼食は珍しく四人となった。いつもは灰谷か細江さんのどちらかが欠けるのだが、欠席のリゼを除いて全員が揃った。
「そういえば灰谷さんとお昼食べるの初めてだね」
「うん? ああ、そうだな。あまり話す機会もなかったしな」
そういえばそうだよな。先月の林間学校の夕食も、ついたテーブルこそ同じでも話していなかったように思う。細江さんはなんだかんだ言いながら、女子グループとの付き合いもちゃんとしているし。
「細江は友達が多いからな」
「灰谷さんだっているでしょ?」
「オレにはここにいるメンバーとリゼくらいしかいない」
男のような言葉遣い。
かわいいというよりも男前。
言葉の所々に棘を感じさせる。
それが灰谷に対するクラスのイメージ。
断崖に住む存在。
高嶺の花、ではないけれど。
「ここにいるメンバーってことはわたしも入ってるんだよね?」
にこにこと、細江さんが灰谷に聞く。
「そうだな。細江がそう思うなら、オレと細江は友達だ」
「素直じゃないよな、灰谷は」
夏樹が笑い、灰谷は「ふん」と鼻で笑った。不思議と、その笑い方は嫌な感じがしなかった。
「なんだ、その顔は。平野、お前だってオレと同程度に友達はいないだろ」
「いや、まあ、一応ぼくにはアパートの人たちがいるから」
あれ? そういえば黒木さんはあのアパートのことを「虚構の為のアパート」と言っていなかったか。どうして灰谷はあのアパートに住んでいなかったのだろう。
まあ、その必要がないだけなのだろうけど。
「ああ、なるほどな。オレもあのアパートに住めば、友人は増えるかな?」
呟くように灰谷は言った。
「は?」
「え?」
「はあ?」
「嘘だ。そんなに驚くな」
灰谷はぼくらの驚き方に驚いたようで、呆れたように笑った。
細江さんが心底ほっとしたように息をついたのが、ぼくは不思議だった。灰谷がどこに住もうが、細江さんには直接関係ないだろうのに。
そろそろみんなが弁当を食べ終えようかとしていた時、柔らかい風が吹いた。
懐かしいような感覚。
そして、ぼくは最近こんな風を受けたような気がする。
「やあ。虚構を殺す者。大空を統べる者。それから学問に生きる者たち。ぼくは〈旋風に生きる者〉。風に生きる者。よろしく」
明らかに高校生ではない、私服の少女が立っていた。
一番に口を開いたのは夏樹だった。
「え、嘘、あれ? この子、拓が言ってた子?」
「ああ」
〈旋風に生きる者〉は流れるような動作でベンチに座った。
あまりに自然な動きで、誰もそれに対しにて何も言えなかった。
ここは一つのテーブルを四方から囲む形になっていて、ぼくたちは向き合うように座っている。〈旋風に生きる者〉はぼくら全員が見える位置、つまり誰も座っていないベンチに座った。
「どうしてここに来たんだ?」
「ぼくは〈旋風に生きる者〉。死にゆく虚構がどういった存在だったのか、少なくともこの場においてどういう存在だったのか、それを聞きに来た」
「死にゆく、虚構? 何の話?」
細江さんが聞き返す。
「鮮血に生きる者の話」
「リゼ、ちゃん?」
「リゼという名か」
「おい、お前の名前はなんていうんだ? まず名乗れ。それからでないと信用できない」
灰谷が厳しい口調で〈旋風に生きる者〉に言い、睨むような視線を向ける。
「ぼくは〈旋風に生きる者〉」
「それはお前の種族の名だ。お前個人の名前を聞いている」
「名は魂を知る道しるべになる。ぼくは〈旋風に生きる者〉。易々と本名は教えられない」
淡々と、灰谷から発せられる威圧感など全く気にした様子もなく、〈旋風に生きる者〉は受け流す。
「だったら適当な偽名を言え。毎回『お前』とか『〈旋風に生きる者〉』と呼ぶのは面倒だ」
少女は考えるようにうつむき、それから顔を上げた。
「ぼくは両親からリンクスと呼ばれていた。呼ぶならそう呼んでくれていい」
「な、なあ」
おずおずと夏樹が手を挙げる。リンクスと名乗った少女は、夏樹に視線を向けた。
「質問なら受け付ける」
「その〈旋風に生きる者〉とか死にゆく虚構とか、話が見えないんだが」
「これから説明する。大空を統べる者も聞いておいてくれ」
「灰谷琴音だ」
ぶっきらぼうに灰谷が訂正を入れる。
「ぼくは〈旋風に生きる者〉。鮮血に生きる者――死にゆく虚構を見定めに来た。本来このような義務は無いが、気まぐれのようなもの」
灰谷の訂正を無視する形でリンクスは語りだした。
「見定める上で、死にゆく虚構を判断する上で、まず虚構を殺す者に接触した。今度はその次に近しい者たちの番だ。リゼという名のあの存在は、どういった存在だった?」
どんな存在だったか。
彼女と出会って、まだ一ヶ月前後。
そんな人間関係の核心に迫るような質問に、果たしてぼくたちは十全な答えを出すことができるだろうか。
「リゼちゃんはね……」
小さな、消え入りそうな声。
「リゼちゃんは、わたしたちの友達」
リンクスは続けろ、と言わんばかりに視線を細江さんに投げかける。
「リゼちゃんが吸血鬼だってこともわたしたちは知ってるけど、それでも友達って胸張って言えるよ」
「オレもそうだな。リンクスちゃん、そもそもオレたちはリゼちゃんを助けられるなら『見定める』なんてことをしない。リゼちゃんだけじゃない。仲間を助けるためならこの身すら投げ出そう」
リンクスは表情を変えずに座っていた。けれど、まぶたを閉じ、何かを考えるかのように、何も言わなかった。
「旅人っていうくらいだからいろんな場所行ってきたんだろ? 仲間見捨てるような奴なんて、今までいた?」
リンクスは小さく息をつき、すぅ、と立ち上がった。
「よくわかった。虚構を殺す者。お前がアパートに戻った時、ぼくが出した答えがわかるだろう」
「…………」
リンクスはぼくたちに背を向けて歩き出した。
「ぼくは〈旋風に生きる者〉。旅人は常に関係に飢えている」
少しだけ振り返り、寂しげな微笑を見せた。
そんな気がした。
ぼくたちは学校が終わった直後、飛び出すように教室を出た。相変わらずというか、やっぱりというか、灰谷だけは落ち着いたものだったが。
今回、たとえリンクスがリゼをどういう言う方法かはわからないけれど、とある方法で救わなかったところで、リゼがそのまま死んでしまうということではないのはわかる。リンクスもそういう風なことを言っていた。
しかし、それでも期待はしてしまう。
帰ればリゼに何らかの変化が起きていることを。
リンクスが何らかの働きかけをしていることを。
アパートが見えてきた。今までこんなに早くここまで来たことはなかった。それ夏樹と細江さんの息の切れ方が物語っていたがし灰谷は当たり前のように、息を切らしていない。体力は人間のそれとは比較にならないということか。
リンクスはいなかった。
てっきり部屋のドアの前で待っているものだと思っていたが、見回してみてもそれらしき人影は見えない。
「リゼちゃんは……」
ドアの前に立ち、ぼくたちは怖気づいていた。
開けたとき、何の変化も無かったのならリンクスは何もせずに帰ってしまったということだろう。
「帰ったときには、つまりもう、結果は出てるんだよな」
「ああ」
「平野くん」
「わかってる。みんなはここで待ってて」
ドアを開ける。
「ぼくだ」
数歩歩くと、奥から人影が飛び出してきた。
「!」
人影はぼくに飛びついてきて、ぼくの体を抱いたまま嗚咽を漏らした。
「リ、リゼ」
「ご、ごめ、んな……さい」
「な、何を謝ってるんだよ? 君がぼくに謝ることなんて何もないぞ?」
謝らなければならないのは、むしろぼくのほうだ。
リゼをあんな状態にしたのは――――ほかでもなくぼくなのだから。
リゼは感情に任せてぼくを抱きしめてくる。
ぼくはそんなリゼにどんな対応をしたらいいのかがわからない。
「だって……だって、わたし、タクを殺そうと……」
「あれは自我が無かったんだろ? 吸血鬼の血が暴走しただけじゃないか。リゼが責任を感じることじゃないよ」
自然とリゼの頭をなでていた。
こんなことで落ち着くとは思わないけれど、思えなかったけれど、リゼの感情の高ぶりを少しでも抑えたかった。
みっともなく泣きじゃくるリゼ。
吸血鬼の王族。
そんな風には見えなかった。
ただ一人の女の子。
そんな風に見えた。
「泣かないでくれよ。泣かないで」
「う、うぐ……」
言葉すら。
嗚咽の中に消える。
ドアのほうに視線を向ける。
さっきまで、少なくともぼくがリゼに飛びつかれるまではいたはずの三人は、いつの間にかいなくなっていた。
気を利かせてくれたのだろう。
心配で来てくれたのに。
「リゼ、大丈夫か? どこか痛いところとか、変なところないか?」
リゼは泣きながらぶんぶんと首を振って、顔をぼくの胸にうずめた。
やがて、もしかしたら一時間ぐらいこうしていたかもしれないと思うほどには時間が経った頃、リゼがぼくから一歩離れた。
「ごめん」
「落ち着いた?」
こくん、と気まずそうにうなずいて、上目遣いでぼくをみつめる。
「とりあえず、入って?」
「ああ」
リゼの部屋には不必要だからか机や机に類するものは存在しない。適当な場所に座って向き合う。
「さっき……〈旋風に生きる者〉っていう子が部屋に来たんだ」
来てくれたんだ。
「その子はわたしの後ろに立って、何かをしたと思うんだけど、そしたら『ぼくは〈旋風に生きる者〉。この町にしばらく滞在するから、見かけたらよろしく』なんて言って、部屋から出ていっちゃった」リゼは不思議そうに首を傾げた。「不思議なのは、あの子が部屋から出ていって少ししたら、いきなり力が湧いてきたんだよね」
「そいつはリゼを助けに来てくれたんだよ」
「え?」
簡単にリゼに説明をする。
話し終えると、リゼは何度もうなずき、何か言いたげな顔でぼくを見た。
「どうかした?」
言いにくそうに、なぜか赤面しながら、リゼは上目遣いにぼくを見た。
「ねえ」
「うん?」
「もう一回、抱きしめて」
リゼの顔は真っ赤になったけれど、それはぼくも同じだった。胸の鼓動だって、さっきまでとは打って変わってフル稼働状態になっている。
「あ、ああ」
そう言うのが精一杯だった。
真っ赤なリゼを抱き寄せる。
今までそんなことはなかったけれど。
なかったと言い切れるのだろうけれど。
この時。
ぼくはリゼを好きになった。
第一話『風の旅人』
これにて終了です。
次回、閑話『リーゼ・ブリュスタンの休日』
お楽しみに。