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放課後、リゼの部屋の前。
ぼくと灰谷はともかく、細江さんと夏樹が怖気づいていた。昼休みに詳しいことを説明すると、本当に会ってもいいものなのかどうか、どう接したらいいのかわからないといった感じで、落ち着きがなかった。
と、二階から吉岡さんが降りてきた。
「あ、たっくん。おかえり。お友達?」
「はい、リゼのお見舞いにって」
そう言うと、吉岡さんはとたんに、うれしそうな表情になった。
「そうなんだ。声かけには反応あるからさ、ちょっと適当に話してあげてよ。退屈してるよ、きっと」
回復、してるんだ。
「わかりました、そうします。吉岡さんはこれからどこへ?」
「うん? リゼちゃんで遊ぼうと思ったんだけど、みんな来たからもう大丈夫みたいだし。帰る」
今、『リゼちゃんで』って言いましたか!
そんなぼくのツッコミに何の反応も見せず、吉岡さんはやめておけばいいのに、その場で跳躍し、二階通路の手すりに手をかけて乗り越えた。
「はああ!」
「えええ!」
灰谷はすでに気づいていたのか、表情を変えなかったけれど、細江さんと夏樹の驚き方は凄かった。自分が見たものが信じられないのか、開いた口は塞がらず、目は大きく見開かれている。リゼの時はそんなに驚かなかったのに。
……あんまり自分の正体を隠す気ないのかな? リゼも結構オープンだし。
「ひ、ひひらひひら、平野くん! あれ、どういうことなの!」
「ひ、人ってあんなに跳べるのかよ!」
ふたりがぼくの肩をつかんで、激しく揺さぶる。
「ふ、ふたりとも落ち着け……。せ、説明するから」
とりあえず揺さぶるのを止める。
ふたりの呼吸が落ち着くのを待って、それから話し始めた。
「リゼが吸血鬼なのと同じように、あの人はカマイタチなんだよ」
「あ?」
「え?」
あー、と納得したようにうなずいた。
どうしようもなく、単純なやつらだった。
というか、この程度で納得するなら、はじめから動揺しないでほしい。
「大体、どうしてそんなに驚くんだ。オレやリゼの時は、そんなに驚かなかっただろうが」
「あ、やー、突然のことで」
「突然具合は同じくらいじゃないか?」
誰ともなくため息を突く。転入生が吸血鬼なのと、どれくらいの差があるのだろう。
それからドアに目が行き、ぼくたちがここに集まった理由を思い出す。
「ちょっと先に入って、様子見てくる」
「あ、ああ」
中に入る。リゼは部屋の端に座っていた。物音でぼくに気づいたのか、こちらを一瞥し、また虚空を見た。
「リゼ、みんなが来てくれたぞ」
リゼはこちらを見て、それから視線を虚空に戻した。吉岡さんの言うとおり、呼びかけには反応するようだ。完全に閉ざしていた昨日より、まだマシになっているらしい。
「……回復が思ったより早くて、安心したよ」
部屋を出て、みんなにそのことを伝える。緊張も少しだけ緩み、ぼくらは部屋に入った。
「よっす、リゼちゃん」
夏樹が軽快に声をかけた。やっぱり一瞥しただけで、視線は別のところに向けられた。夏樹は少しだけ戸惑ったようだけど、すぐにいつもの調子に戻った。
「今日の拓は大変だったんだぜ? かなり自虐的で……いてぇ!」
余計なことを言う夏樹を小突き、灰谷と細江さんを部屋の中心へと促した。細江さんは、とても悲しそうな表情を一瞬見せた。それは気のせいかと思うほど、短い時間だった。
「〈虚構殺し〉ってのは、ここまでの威力だったんだな。容態の話、大げさなことかと思ってた」
夏樹が柄にもなく、しんみりと言う。
「わざわざそんなこと言わないよ」
「平野、お前のほうは大丈夫なのか?」
「え?」
灰谷は呆れたように嘆息した。
「魔銃の弾丸は、使用者の魔力やら霊力やら、そういう力を消費するからな。結構消費してるんじゃないか、と思ったんだが」
「そうなのか? 拓」
「無理して学校来なくても」
心配そうに、ふたりが聞いてくる。
「いや、確かに撃った時に、何かが流れてく感覚もあったけど、別に平気だぞ? そりゃ昨日は少し疲れたけど」
本当にそれ以上の感覚ではない。
「そうか。ならいい。さて……リゼ、お前も大変だな」
ぼくに興味がなくなったのか、今度はリゼに話しかける。細江さんも、灰谷の後ろからリゼを覗き込んだ。リゼは灰谷の呼びかけに、少しだけ視線を向けただけで、他には何の反応もなかった。
「一応聞えてる。それに、ちゃんと覚えてる」
ぼくの時もそうだった。あの時は返事ができるくらいの消耗だったけれど、ぼくが話していた内容は、ちゃんと覚えていた。
「本当か? ならちょっとここで話してくか」
夏樹が提案し、誰も反対しなかった。
それからしばらく話し続け、結局、夕食も四人で食べることになった。リゼはゆっくりとしたペースで、それでも自分で食べていた。
「そういえば、リゼがぼくに言った言葉は『おいしい』だったんだ」
あの時は卵丼を出したのだったか。我ながら、メニューなんてよく覚えていたものだ。
「はは、食いしん坊キャラが定着しそうだな」
夏樹が笑う。
「食べて力を戻すのか、リゼは」
「そうみたいだ」
「吸血鬼でも食べて体力つけるんだね、なんか意外かも」
「ぼくもそう思ったんだけど、まあ同じ生き物だし」
「それもそうか」
「と言っても、健康な状態なら、何も食べる必要はないけどな」
灰谷が付け足した。
やっぱり吸血鬼が何かを食べることは、緊急時の応急処置もしくは、暇つぶしくらいの意味なのだろう。
「なあ、平野」
「うん?」
「リゼに血を吸わせたら、回復は格段に早くなるぞ? どうしてそれをしない」
吸血鬼は血を吸う種族。それは当然として、吸血鬼の力の源という意味だ。それを摂取すれば、力の回復が早まるのは当然のことだ。ぼくだって、そんなことはわかってる。
「リゼは今まで、ほとんど人の血を吸ったことがなかったんだ。昨日まで」
だからアイーナの血を吸ったことで、暴走してしまった。吸血鬼としては、あり得ない理由で。
「ニ千年ちかくも生きててさ、昨日が一番たくさん吸ったんだろうさ。きっと、今また血を吸わせたら、昨日の二の舞だ」
そうなったら、ぼくはまた、リゼを撃たなければならなくなる。
「そうだったな」
「どうしてリゼは、人の血を今まで吸わなかったんだろうな」
「聞いたことなかったの?」
「ああ。というかな、途中から忘れてたんだよ。違うな、認めてなかったのかもしれない。リゼが吸血鬼だなんて」
理由を聞いておけば、何か変わったのだろうか。そんなわけがない。無駄な、無意味な考えだ。
自然と視線がリゼに向く。
「今だから言えるんだけど、昨日リゼ――君がアイーナの血を吸った時、ぼくは無意識に魔銃を構えかけてたんだ」
リゼが血を吸ったことが許せなかったのか。
吸血鬼であったことを忘れていたのか。
ただ、その存在に恐怖したのか。
ぼくにはわからないし、その全部なのかもしれなかった。とにかくぼくは、魔銃を構えてリゼを殺そうとしたのだった。まだ暴走する前のリゼを。
ぼくに視線を向け、リゼはまた虚空に視線を戻す。
「わかってても滅入るよな。こういうのも、聞えてるんだろうけど」
「そうでもないさ。ぼくは好きで、こいつと関わってるんだから」
くく、と灰谷が笑う。
「なんだよ」
「虚構と好きでつるむ、か。面白いなやっぱり」
「虚構って言っても、灰谷さんもリゼさんもちゃんといるよ?」
「オレたちみたいな連中の総称だよ、細江。本来、ここには存在しえないものだからな」
自嘲気味に笑う。
「授業で習ってる通りさ。オレにもその構造はよくわからんがな」
虚構が世界に顕現する仕組み。ぼくはそれを、すでに知っている。事件の後、夕食を食べながら、黒木さんから教わった。
「並行世界」
はあ? と一同がぼくのほうに向く。
「世界は一つじゃなくて、いくつもある。起源を同じとし、けれど違った進化、時系列をたどってきた別世界らしい」
「一般的な解釈とは違うんだね」
「ああ。同じ存在がある、ってワケじゃないらしい。似たような存在はいるらしいけど。で、その世界は全くの別物なんだけど、何らかの原因で交わってしまう」
続けろ、と灰谷が促す。
「交わった世界は存在が交じり合い、お互いの世界にその後遺症を残す。副産物って言い換えてもいいらしいんだけど、それが虚構」
そうして生まれたもの。
「そうして生まれた存在といっても、元の世界にもいた存在が流れ込んでくることもある。その存在をAとして、AがBのいる世界に流れたとき、AはAが元いた世界から存在がなくなってしまう」
「まあ、そうなるわな」
「そうなったらAの世界の歯車が歪になるから、Bの世界から代替となる存在が流れ込む。なあ灰谷……お前、前の世界で人化なんてできたか?」
ぼくの予想が正しければ。
ぼくの予想が正しければ、灰谷は前の世界では、人化はできなかったはずだ。
「できなかった。こっちの世界に来てからだ」
案の定、灰谷は首を横に振った。
「今の灰谷の体はきっと、灰谷がこの世界に来たときに、入れ替わった人の体だと思う」
そう考えるのが自然だ。
もちろん、これだって確実に正しいと言えるわけではない。あくまでも推測の域はでない。
「じゃあ、オレはもしかしたら、この体だった奴の知り合いに会うかもしれないな」
「そうだな。でも、実際に会ったときの齟齬は大きなものになるから、結局、世界そのものが調整してる可能性もあるって話だけど」
「平野くんって、その話は誰から聞いたの?」
「このアパートに住んでる魔法使いさん」
またみんなの顔が強張る。さすがの灰谷でも驚いたらしい。
「って、灰谷は魔法使いがこのアパートにいるの知ってるだろ」
「いや、そんなことまで知ってることに驚いた」
「何者だよ、その魔法使いさん」
「物知りなお姉さん?」
ぼくにだってよくわからない。黒木さんだけでなくて、このアパートに住んでる人たちは、とにかくよくわからない。
京香ちゃんくらいだよな、そんな感情を覚えないの。
「はあ……俺たちが今まで勉強してきたのって、一体なんだったんだ? 魔法使いさんの話とは全く違うじゃん」
意味が分からないなりにがんばってたのに、と夏樹がため息をついた。
「一つの思想くらいに思っておけ」
「でもさっきの話を聞いたら、世界学って結構穴が大きいよね」
「というか、根本的に違うだろ。世界学のほうは人間の意識がどうのこうの言ってたけど、その魔法使いさんの話だったらパラレルワールドなんだから」
「だな。世界学で言ってることが、実際におきそうな気がしないでもないけど」
人の意識にそれくらいの力があっても、ぼくは不思議とは思わない。むしろ、あって当然だと思う。
「じゃ、オレたちはそろそろ帰るか?」
みんなが食べ終えたのを見計らい、灰谷がそう切り出した。
「あ? ああ、そうだな。なんか晩飯も食っちまったし」
「ごちそうさま、平野くん。あ、片付けしないと」
「いいよ、ぼくがするから」
「あ、ありがと」
「どうってことないよ」
みんなを部屋の外まで送り出し、ぼくは食器の後片付けに取り掛かった。後ろには食べてもあまり回復しなかったリゼが、ぼくのほうに向いていた。それがたまたまなのかどうか、ぼくにはわからなかったけれど、少しだけうれしくなった。