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本編の一発目です。
長めです。(当社比)
あれだけの戦闘があったというのに、校舎は奇跡的に無事だった。ただし、校庭は大きなクレーターのようなものができていたり、土が盛られて山みたいになっていたりと、変わり果てた姿になっているが。それにしても、昨日の今日で授業再開する学校側は、なかなか肝の据わった組織だ。
公立学校だろ? 一応。もうちょっと慎重になってもいいんじゃないのか?
教室に入るなり、リゼのファンらしきクラスメイトたちが、ぼくに声をかけてくる。正確にはリゼになのだけど、今日に限っては間違いなく、ぼくに声をかけてきたのだった。
いつもよりもかなり早く来たので、教室には誰もいないと思っていたのだけれど、それは甘い考えのようだった。
「リゼちゃんは?」
「体調不良で寝てる」
まさか本当のことなんて、話せるはずがない。話しても理解できないだろう。
「そっか。大丈夫なの?」
心配そうにたずねてくる。
「うーん、明日や明後日ってわけにはいかないかも」
「え? 酷いの?」
「風邪だと思うけど」
「そっか。お大事にって」
「おう」
そいつとは別れて教室に入る。机に鞄をかけると、細江さんがやってきた。
「おはよ」
「ああ、おはよう」
「昨日、何が起きたの?」
「ああ……」
細江さんには、隠さずに話すことにした。
リゼのこと。
吸血鬼を殺す機関のこと。
魔銃のこと。
アイーナのこと。
暴走したリゼのこと。
ぼくとリゼに関わることを全て話し、細江さんにはそれを他のクラスメイトには黙っていてもらうように頼んだ。
巻き込まないようにと思っていたのに。
こうも簡単に巻き込んでしまう。
「わかってるよ」
真剣な顔でうなずく。
「うん、まあ、お疲れ様」
「ぼくは何もしてないよ。結局傷つけただけだった」
つい口を突いて出てしまう。京香ちゃんにも何度となく違うと、言ってはいけないと、そう言われていたのに。
細江さんは何も言わずに、ただぼくを見ていた。どういう風に接したらいいのかが、わからないといった様子だった。
「そういえばさ――」
だからぼくは、話題を変えることにした。この話題にある限り、どうしても駄目な方に考えがいってしまう。
「――細江さんっていつも朝に声かけてくれるけど、女子のグループのほうはいいの?」
聞くと、細江さんは苦笑した。
「グループっていっても、そんなにべったりしたものじゃないよ」
一瞬、細江さんの視線が動いた。視線の先を追ってみると、いつも一緒で、別行動をとっているのを見るほうが珍しいような連中がいた。
「四六時中一緒にいるものいいけど、疲れるでしょ?」
「まあ、そうかもな」
少なくとも、ぼくにはできないだろう。
「そういうことだから、心配しなくてもいいよ」
そう言って笑い、細江さんはふと、ぼくから視線を外した。
「おー、足立くんおはよー」
「おっす」
夏樹がこちらに歩いてくる。
「いやいや、昨日寝坊してたからよ、休みでよかったぜ。あれ? そういえばリゼちゃんは?」
「……昼に説明するけど、まあ体調不良と思っておいて」
さすがに時間も時間で、教室内にはクラスメイトの顔が多くあった。ここで本当のことを話せば、きっとほかにも漏れてしまうだろう。
「なんだ。吸血鬼も体調崩すんだな」
ここからは少しはなれたところから、そんな声がした。誰の声かなんて、考えなくても分かる。
「石動」
リゼが転校してきたあの日以来、石動はクラスから浮いていた。世界学を信じない人は大勢いて、それはそれで世間的に認知されている。けれど、クラスメイトに対してあんなことを言ってしまえば、それは浮いてしまっても仕方の無いことだろう。
世界学を信じていないにも関わらず、それが事実であるようなことを突きつけられてしまっている。自分に対する苛立ちもあるだろう。最近の石動は、とにかく不機嫌だ。
「お前な、世界学を信じろとか、リゼちゃんが吸血鬼だってことを信じろとか言わないけど、そういう口の聞き方はどうかと思うぜ?」
夏樹が不機嫌そうに言う。クラスメイトたちの視線が、自然と集まってしまう。ぼくはとっさに視線をめぐらせたけれど、灰谷はまだ教室には来ていないようだった。
「は。言いたくもなる」
「どういうことだよ?」
何か言いたくなるようなことでもしただろうか。ぼくたちは今まで、ふつうに生活をしてきたように思うのだけれど。
「昨日の事件、お前らが関わってたんだろ? 正確には、平野と吸血鬼とドラゴンだ」
石動はリゼと灰谷を名前では呼ばない。人間ではないから、だそうだ。
クラスメイトたちがざわめき始める。「どういうことだ?」「本当なのか?」などと、疑問の声が上がっている。
「なんだ、誰も見てないのかよ。昨日化け物が町にいたとき、平野たちは外にいたんだぜ? どうしてわざわざ外に出るんだよ。なあ?」
馬鹿にしたような口調。けれど、ぼくはそれを真実で、言い訳する事無く一蹴することができる。信じるかどうかはわからないけれど。
「ぼくたちは、あの化け物たちの親玉を追い払いに行ってた。それだけだ」
それはクラスメイトたちを驚愕させるには十分だったが、石動はあまり驚きはしなかった。
「ああ。知ってるぜ」
その言葉に、ぼくのほうが驚愕した。
「学校でドンパチやったんだよな。なんかよく見えなかったけどよ。けど、その親玉にだって、目的はあったんだろ? この町を襲うような目的があったんだろうがよ」
見えなかったのは、きっと結界のせいだ。それに関しては、助かったとしか言い様がない。石動の家がどこかは知らないが、この学校の付近なのだろう。さすがに外に出てまで、ぼくたちの後をついてきたとは思えない。それについてきたとしたら、ぼく以外の誰かが気づいたはずだ。♯にいたっては戦闘のプロなのだから。
「……」
「親玉の目的、聞いたぜ? 協会とかいう怪しげな人たちに」
話してくれたのは正直驚いたけどな、と石動は笑う。ぼくだってびっくりだ。そういうのは、一般人に伏せておくのが、セオリーじゃないのか。
「この町そのものだったんだってな? 吸血鬼とドラゴンが現われて、この土地がいい具合にイカレたってことだろ?」
さすがにそんな言い方はしなかったのだろうけれど、おおむね正解だった。
「つまりだ、そいつらが来なかったら、昨日みたいなことは起きなかった」
「石動、お前……」
その先を言うことは。
それだけは許せない。
「はあ? お前らがこういう事態を招いたんだろうが! そもそも平野! お前がヴァンパイアハンターを倒さなけりゃ、吸血鬼を助けなかったら、こんなことにはならなかったんだ!」
「てめぇ!」
それは。その言い方は、あの時リゼを殺しておけばよかったと、そう言っているのと同じだ。
先月、同じようなことを言われたのを思い出す。
走り出そうとしたぼくを、細江さんと夏樹が抑えた。ふたりに拘束され、さすがに動きが取れない。というよりも、下手に動いて、ふたりに何かあったら元も子もない。
「離してくれ」
「ごめん。無理だよ」
細江さんが怒りに満ちた声で、ささやいた。細江さんの、こんな声を聞いたのは初めてだった。
「石動ぃ!」
「なんだ? 平野。痛いところでも突かれたか?」
心底馬鹿にしたように笑う。
「石動、お前言いすぎだろ。さっきの話じゃ、親玉とっちめたのも平野たちだろ? いわば町を救ってるんじゃないか」
クラスの男子が声を上げる。そうだそうだ、と他の連中も声を上げた。
「原因を作ったものこいつらだ。当然だろ」
冷徹な目。さげすんだ目をぼくに向ける。
「すまない、石動。そこをどいてくれ。通れない」
教室がしん、と静まり返る。
石動の後ろから、暢気にあくびをしながら灰谷が現われた。
「は、灰谷」
「ん? どうして平野が、ふたりに羽交い絞めにされている?」
ようやく気づいたのか、灰谷はゆっくりと教室の状況を確認した。それからぼくたちと石動を交互に見、納得したようにうなずいた。同時に目がすぅと細くなる。
冷徹な目。
その点において灰谷は、石動を圧倒的に凌駕していた。
「さっきなにやら田口が大声で叫んでいたから、何事かと思ったらこういうことか」
冷めた目が石動を睨みつける。
「なんだ? 俺は今回、真実だけを言ったつもりだぜ?」
「真実だと! ふざけるな!」
石動が言っていることは、ただの言いがかりだ。大方のことが合っているのはたしかにそうだが、けれど、それはみんなが存在することすら、否定されなければならないことなのか。
「平野がそこまで怒るとはな。よほどのことを言ったらしい」
「当たり前のことを当然のように、端的に言っただけだ」
「ふぅん? 言ってみるといい。どうせ、昨日のことも関与してるんだろ?」
挑発的な目で石動を見据える。
「昨日のこと、お前とあの転校生が、この町にいることが原因なんだろ? そういう話だ」
灰谷は呆れたように、大きなため息をついた。まるでそんなことを言われるのが、心外だとういうふうに。
いつの間にか、ぼくを引き止める腕が離れていた。細江さんも夏樹も、灰谷の登場に安心しているらしい。それか、話がややこしくなりそうで不安なのか。
「つまり出て行け、そう言いたいのか?」
「物分りいいじゃんか。どうせ人間でもないんだからよ、学校に通う必要なんてないだろ」
「そうか……」
灰谷がうつむく。それは、酷く悲しそうな雰囲気をまとっていた。けれど、すぐにバッと顔を上げる。さっきまでの悲しそうな雰囲気は、どこにもなかった。
「……なら、お前がこの教室から出て行くといい。そのほうが、クラスの雰囲気も軽く明るいものになる」
どこからか「そうだよな」という声が聞えた。石動の表情が引きつり、初めてクラスメイトの顔を見た。
迷惑そうな顔。
苛立ちの顔。
ケンカを恐れる顔。
無視している者。
「なんだよ。俺が間違ってるってか?」
「間違ってるぜ?」
誰かが言う。クラスメイトたちの中から出てきたのは、田口だった。
「言いたいことはわかる。でもな、人間的に間違ってるよ。単純なことじゃないか。俺たちさ、それはお前も、灰谷さんもリゼさんも、みんな含めて俺たちは仲間じゃん?」
苦虫を噛み潰したような表情で石動が田口を睨む。
「良いこと聞いた。ほれ、お前ら座りな。ほらほら、HRだ」
いつの間にか、山岸が来ていた。ぼくたちを支配している、気まずい雰囲気をものともせず、むしろそれを楽しんでいるかのようだ。
「どうした? 座らないのか? 遅刻にしちゃうぜ? おいおい遅刻は止めてくれよ。だったら座れ」
クラスメイトたちは、そろそろと自分の席に座っていく。ぼくたちも自分の席に座った。
石動だけが、その場で立ったままだった。
「どうした、石動。座っちまえよ。今ならまだ、元に戻れるぜ?」
「勝手にしろよ」
苛立ちを隠しもせずに吐き捨て、石動は、これからHRなのにも関わらず、教室を出て行ってしまった。
「行っちまったよ。若さだねぇ、どうも。まあ、いいや。ふんふん」
山岸が教室全体を見回し、欠席者の記録をしていく。書き終えたらしく、顔を上げた山岸には、リゼは風邪だと嘘をついた。
簡単な注意事項だけを連絡し、山岸はHRを終了させた。
「ケンカするなら静かにしろよ。職員室までダダ漏れだったんだから」
去り際、山岸はそれだけを、教室にいた面々に告げた。
山岸が教室から出て行った後、ぼくたちは誰からということもなく集まった。
「聞こえてたんだな」
「まあ、そんな気もしてたけどな、ぼくは。灰谷にも聞えてただろ」
「石動くん、どこ行ったのかな?」
「知るかよ」
夏樹は本当にどうでもよさそうに即答した。名前が話題に出るだけでも嫌だ、といった感じだ。
「お調子者ってイメージだったんだけどな、最初は」
「ここ以外だったらそんな感じらしいよ? 聞いた話だと」
どっちが本当の石動かなんて、ぼくは考える気にもならないけれど。
「そんなことより、リゼは大丈夫なのか?」
いつもどおり、灰谷はいつの間にか、ぼくたちの輪の中に入っていた。どうも灰谷には、気配を消してしまう癖があるらしい。どこまで意識的なのかは、わからないけれど。
「詳しいことは昼休みに」
「? ああ。確かにここじゃあ人が多いな」
「あんまりクラスの連中、巻き込みたくないし」
「わかってる」
「ねえ、学校終わったらさ、リゼさんの部屋行こうよ」
「あー、いいかもな」
「平野。大丈夫なのか?」
「あ、ああ。大丈夫だと思うけど、反応してくれるかな?」
朝飯も食べさせてくれているだろうし、昼食もそうだろうから、少しは体力も戻るとは思うけど。それでも、あまり期待はできない。
「あん? だからそんなに酷いのか?」
「だから昼休みにって」
「そうだったな」
ははは、と夏樹は笑った。
どうにも、ほんと。
いい仲間ができたらしい。