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リゼが力を取り戻し、学校に復帰してから数日が経った。石動は相変わらずで、もう学校を辞めるんじゃないかと噂されている。
ともあれ、学校に復帰したリゼは当初、みんなからの質問攻めを受けた。「大丈夫なの?」「もう平気?」という同じ質問に何度も何度も答えたのだった。
そのリゼは今、授業中でもないのにぼくの隣に座っている。ぼくは昨日やり忘れていた宿題をしているのだが、リゼはそれを見ているらしかった。何が面白いのかはわからなかったけれど、ぼくとしても悪い気はしない。
「タク、そこ間違ってるよ」
楽しげにリゼが言う。
「え? ああ、本当だ」
指摘された箇所を直し、次の問題に取りかかる。リゼは成績優秀で、宿題なんて問題を見た瞬間に解いてしまっている。問題を解く形式ではない宿題はできないのか、というとそんなわけもなく、あっという間に終了させてしまう。とにかく優秀だった。だから、リゼが休んでいる間に出されていた課題などはもう全てが終わっている状態だ。
問題が一通り終わって、ぼくは両手を挙げてのびをした。
「ん?」
たまたま視線の先にあった教室の出入り口、そこに細江さんが立っていて、ぼくと目が合ったかと思うとどこかに歩いていってしまった。そういえば最近、朝に細江さんと話すことないな。それに休み時間に話すことも少なくなってきている。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない」
多分気のせいだろう。別に毎日話さなければいけないってこともないのだ。ぼくにはぼくの、細江さんには細江さんの生活がある。
さあ、今日も退屈な学校生活を送るとしよう。
廊下を歩いていると少し前を細江さんが歩いているのを見つけた。特に用事もないのだけど、どこか疲れているように見えたので小走りで近づく。
「細江さん、どうかした?」
突然声をかけられ驚いたのか、細江さんはビクリと肩を震わせた。
「ひ、平野くん、どうしたの? 急に」
「いや、細江さんがちょっと体調が悪そうだったから」
顔色は悪くないのだけど、どこか表情が暗い。いつもの快活さが感じられないのだ。
「そう? そんなことないと思うよ?」
それでも細江さんはそう言って笑った。
「本当に?」
「うん。大丈夫。それよりリゼさんと一緒じゃないんだね」
自分の体調より、ぼくがリゼと一緒にいないことのほうが重要なのだろうか。
「まあ、いつもいつもべったりってわけじゃないからね」
「そうだよね」
細江さんはどこか気まずそうにうなずく。
「ぼく何か悪いこと言った?」
「え? そんなことないよ。ちょっと気になっただけだから」
なんで、とはさすがに聞かなかった。あまり触れられたくない、というような空気を細江さんは出していたし、ぼくもあまり聞きたいとは思わない。
「じゃ、じゃあわたし、行かなくちゃいけないところあるから」
「あ、ああ。じゃ、また後で」
「うん」
まるでぼくから逃げているかのように、細江さんは走っていった。
昼食も、当たり前と言えば当たり前なのだが、細江さんの姿はなかった。今日はリゼと夏樹とぼくの三人。
そろそろ梅雨が来て、ここでの昼食もできなくなるだろう。別の場所、考えておかないと。
「なあ、夏樹」
「あん?」
「最近細江さんの様子が変なんだけど、何か知らないか?」
見たところ、細江さんは灰谷や夏樹、クラスメイトたちとはいつもどおり話しているようだった。どうやらぼくに対して気まずさを感じているらしい。
原因はさっぱりわからない。
「どう変なんだよ」
夏樹は理解できないとばかりに食パンをかじる。ちなみにジャムやマーガリン、バターなんてものは使用しない。そのままだ。
「なんかぼくと話すときに様子が変なんだよ。特に何があったってわけでもないのに、気まずく思ってるっていうか……」
「わたしに対してもそうかも。ヤエ、最近ちょっと変だよね」
と、リゼもうなずいた。
「ふうん? まあ、それは俺から言うことじゃないな。そういうことは俺に聞くより、細江本人に聞いたほうがいいぜ?」
「それだけど、聞いてみたけどなんとも言ってくれないんだよ。なんでもないって言ってさ」
「チッ、細江のやつ……」
「? ナツキ何か言った?」
「いや? こっちの話。俺が言えるのは、これは細江の問題ってことだけだぜ? その内、どんな形かは知らんけど、細江本人から聞かされると思うぞ」
そうなのだろうか。なんだか、夏樹の言うとおりのような気もするし、このまま放置することでもっと悪化するような気もする。
結局、それすらも細江さんの問題なのだろう。
ぼくの問題、なのだろうか。
「お前にきっかけがわからないんなら、そりゃあ細江の問題だろ。細江が解決すべきモンだ」
「ナツキは相談に乗ってあげないの?」
「あいつが俺に相談を持ちかけてきたら、そりゃあ相談には乗るぜ? ただ、俺は自分の目的以上のことをしない主義だからな。自分からは動かない。今、俺には細江を助けるという目的なんてないよ」
リゼには夏樹の言葉が意外だったのか、少し不満そうな顔になった。
「友達でしょ?」
夏樹は力強くうなずいた。
「ああ、もちろん友達だぜ? 細江もリゼちゃんも拓も灰谷も」
「でも、助けてあげないの?」
「ああ」
「どうして?」
「助け合うならいいんだ。相談にのってやるのもいい。のってもらうってのも大いにありだ」
夏樹はずい、と身を乗り出した。
手にした食パンが、夏樹の放つ迫力を軽減させているのが惜しい。
「だけど、甘えるのはいけない。少しならいいぜ? 誰だって甘えたいことくらいあるさ。でも、自分でしか解決できないことを、他人任せにするのは駄目だ。今の細江はそういう立場なのさ」
乗り出した身を元に戻し、パックのコーヒーを飲む。
「わかってくれた?」
しぶしぶといった風に、リゼはうなずいた。
「そりゃよかった」
細江さんの問題、とそう断定するならば。
ぼくにも誰にも、どうにもできない。
リゼが♯を退けたことも。
灰谷が竜殺しと休戦したことも。
どれも彼女たちにしか解決できなかったし、事実、彼女たちは自分の力で解決した。その両方にぼくは立ち会ったけれど、ぼくがしたことなんてそれこそ、事態の観測くらいだ。少し前に会ったリンクスでさえ、リゼを助けたのは最終的に自分の意思だった。
誰も人の所為にはしていない。
リゼを魔銃で打ち抜いたぼくでさえ、それは同じだ。ぼくは決して、そもそもの事件の原因であるアイーナに責任があるとは思っていない。
でもやっぱり、明日もう一度聞いてみよう。それでも何も話してくれないのなら、それはやっぱり彼女が解決しなければならない問題なのだから。
「ねえ、ホントに付き合ってないの?」
昇降口から出ようとしていたところに、クラスの女子が聞いてきた。ぼくとリゼは顔を見合わせ、首を振った。
「そっかぁ。なんだか意外だなぁ」
誰だっけ、この子。同じクラスっていうのは覚えてるのだけど。
「どうしてそう思うの? カナ」
そうだ、伊藤佳奈さんだ。さすがリゼだ。クラスメイトの名前もちゃんと覚えている。
「うん? だって最近とっても仲いいし、はた目から見たらもしかしたらそうなのかなぁって」
伊藤さんは興味津々といった風にぼくに顔を寄せてきたけれど、飽きたのかぼくから顔を離した。
「もし付き合い始めたら教えてねぇ」
伊藤さんは楽しげに手を振りながら走っていった。よくわからない人だ。
「帰ろうか」
「そだね」
さっきまでのことは無かったことにした。
歩きなれた道。いつも一緒に帰るリゼ。それはどうしようもなく日常的なことで、それはリゼが力を取り戻した日から変わっていない。ぼくは変化を求めていないし、きっとリゼだって変化は望んでいないだろう。
結局、ぼくは何の覚悟も無いのだ。
リゼは不老不死で、ぼくは脆弱な人間。同じときを過ごせるのは、数十年という短い時間で、リゼはぼくが老いていく過程を若い姿で見る。今のぼくにはそれが耐えられないし、できることなら、今すぐにだってこの現実から逃げ出したいくらいだ。今はまだいいけれど、もうすぐ、あと数年もすればその問題は顕著になってくるだろう。
リゼだけじゃない。ぼくはあのアパートのみんなとは、同じように年を取れない。いや、黒木さんとは同じか。人影兄妹はどうだろう。『鏡の向こう側』を具現化した概念個体。黒木さんは限りなく人間だと言っていたけれど、どの程度まで人間なのかはわからない。
千堂さんなんて言うに及ばず、カマイタチという吉岡さんの寿命はよくわからない。
ぼくはきっと、あのアパートでは二番目に早く死ぬ。だからどうとかいうわけじゃないけれど、なんだか寂しい話だ。
「ねえ、タク。最近よく聞かれてるあの『付き合ってる』ってなに?」
「今日の献立は?」と聞くように自然体で、本当にその言葉の意味がわかっていないらしい。ぼくはというと、まさかリゼからそんな質問がくるなんて思ってもいないわけで、ぼくは驚いて言葉を失った。
「いや……え、リゼ、本当にわからない?」
「うん」
うなずく。知っていて知らない素振りをしているような雰囲気は感じられなかった。
自然とため息が出る。これから説明しなければならないことは、どうも説明することに抵抗がある。決して悪いことでもないし、説明することによって何かしらの影響があるわけでもないのだけど、気が進まない。
いくら気が進まなくても、興味津々な顔でぼくを見つめるリゼを誤魔化すよりはマシだろうと、ぼくは説明を始めた。
年齢はどうあれ、外見は同年代の女の子にどうしてこんなことを説明しなければいけないのか、ぼくにはどうしても不思議だったけれど。