不気味な腕と不思議な来訪者
本作品は、きっと厨二くさいです。
そういう設定や表現が苦手な方は、我慢してお読みください。
逆に、そういったものが好物だという方は、ある程度期待してお読みください。
夏休みに入って間もないある日。向井悠也は、ここ数日で悩みを抱えていた。
恋愛沙汰や将来の不安といった、歳相応のものではない。
「はあ……」
無意識のうちに溜め息を吐き、ちら、と自分の右手を覗くように見た。
「……うわ」
なるべく気にしないように、と思っていたが、やはり目が行ってしまう。このインパクトにはなかなか慣れることができなかった。
悠也の右手は、およそ健康的な高校男児には決して似合わないものになっていた。
異常なのだ。色が。
彼のシャツの袖の先だけを見た人は、ナメック星人、なんて感想を抱くかも知れない。
それほど、悠也の右手は鮮やかな緑色をしていた。
「気味悪いよな……はあ」
再び溜め息が出て、一昨日のことを思い出す。
右手の異変に気付いてすぐ、悠也は病院へ足を運んでいた。
変色の原因にこそ心当たりはなかったが、それが異常であることくらいは理解できる。
なにかの病気だろうか?と思い医者に診てもらい、そしてその答えは悠也の予想を大きく裏切った。
「病気や怪我には見えないねえ。少なくとも、ウチでどうにかできるものじゃないなあ」
少々間延びした医師の言葉を要約すると、つまりはそういうことだった。
すぐには治せないにしても、せめて原因がわかればいくらか気も楽になったのに――もちろん解決できるに越したことはないのだが――医者にもわからないという事実が、さらに不安が上乗せされる結果となった。
今のところ、右手以外に何か症状が出たということはない。右手にしても、色が変わったこと以外はなんら問題はないようだった。
だが、それも今だけのことなのかもしれない。やがて全身緑色に染まって、見事なナメック星人に……馬鹿馬鹿しい想像をして、つい吹き出した。
すぐ我に返り、下らない妄想を振り払うように頭をぶんぶんと左右に振る。そんな笑い事ではないかもしれないのだ。
両手で頬を叩き、勢いよく立ち上が――
「あたっ」
――ろうとして、後頭部を思い切り打ちつけた。
驚いて振り向いたら、そこにいたのは見慣れた女。
「んなっ……修!いきなり現れんな!そして人の頭を殴るな!」
修、と呼ばれた女は、さも心外だと肩を竦める。
「いきなりではないぞ、ちゃんとおばさまに通してもらったからな。それに殴ってもない。お前の頭上に肘を突き出していたら勝手にぶつかってきただけだ」
お前な……と呻くが、こいつにどんな文句を言っても面倒くさくなるだけなので、悠也は口をつぐんだ。
修と書いて、読み方は「しゅう」だ。
上は黒いスウェット、下はジーンズというシンプルな格好はいつもどおり。
背丈はやや小柄、だが整った顔立ちや適度に成長したボディラインから、幼くは見えない。
黒く透き通ったポニーテールは腰まで伸ばし、気の強そうな瞳をまっすぐ悠也に向けて、一言。
「そうだ、言うのを忘れていた。お邪魔します」
神崎修と向井悠也の関係は、簡単に言えばクラスメートだ。
具体的に言うとなると、悠也自身もうまく説明できない。
男女の関係を持っていはいないとだけは言い切れるのだが。
悠也はさりげなく右手を隠しつつも内心びくびく、見られちゃいないかと思いつつも問いかける。
「それで、一体何の用だ?連絡もなしに来るなんて珍しいじゃないか」
修はふむ、と間を置き、用件を語りだした。
「実は頼みごとがあってな。急ぎではないのだが」
だからそれは置いておいて、と言外に、修はペットボトルのお茶(悠也の)を一口含む。
「ふう、一口いただくぞ」
「言うのがおせえよ……」
悠也は呆れ、しかしいつものことなのでそれ以上掘り返しはしない。
間接的に口をつけたことにも、もう慣れてしまったので特に気にしない。
「これは失敬」
悪びれる様子もなく、鼻で笑い飛ばす修。これにも慣れた。悠也の表情は至って平常。
「で、だ。一体どうしたんだ、その手は」
平常のまま固まった。
しまった。
「あー、えー」
「なんだ、要領を得ないな」
手のことは家族以外には話してないし、見せてもなかった。
友達に見られたら気味悪がられたり、避けられたりするんじゃないか。
説明しようにも、自分でもなんなのかわからないから余計変な目で見られるかも。
それが怖くて、ここ数日学校では手袋をつけていた。
なのに、見られてしまった。
それも、密かに恋心を抱いていた修に。
そう、実は悠也は修を好いていた。
家に上がり込む仲にもなったし、そろそろ次の関係に進展できるかな、なんて思っていた。
でも、これでもう終わりだ。嫌われて、避けられて、通報されて、解剖されて、どこかの研究所で中身を全部引っ繰り返されて……
「……なんて思ってるのではなかろうな?」
「どこまでぶっ飛んだ思考回路してるんだよ……」
以上、修の勝手な思考代弁であった。
「まあ、後半の捏造と与太話はどうでもいいとして、確かに他人には見られたくないとは思ってたな」
悠也は少しばつが悪そうにそっぽを向く。
そんな悠也を見て、修はぽつりと呟く。
「私への恋心も与太話扱いなのか……」
「それは捏造のほうな。あと意味なく目を潤ませるな」
ノリの悪い奴だ、と媚びモードは一瞬で終了。これにも慣れた。
「話を戻すが、その手は一体どうしたというのだ」
修にも隠してこそいたが、本気で見られたら嫌われると思っていたわけではない。
ただ普通じゃないことが恥ずかしくて目立たせたくなかっただけだったので、悠也はいまさら隠しだてるようなことはしなかった。
「詳しいことは俺にもわからないんだ。一昨日起きた時にはこんなことになってた」
修はふむ、と顎に手を当てて、
「近くで見せてもらってもいいか?」
「ああ」
悠也が差し出した右手を取って、修の端正な顔が近付けられる。
その様子はまるで、お伽噺に出てくる姫の手の甲にキスをする騎士のようで……それだとポジションが逆か?
どっちにしろ自分はそんな柄じゃない、と首を振ったところで、右手が解放された。
「何かわかったのか?」
「だいたいわかった」
マジかよ……と悠也は唸る。
確かに、いつも何を聞いても見せても修はあっさり答えてしまうが、今回のは医者にも解決不能なのにわかるというのか。
「悠、お前は誰かから恨みを買っているのか。それも殺意を抱くほどの」
「……は?」
と、急に修が変なことを言い出した。
「これな、呪いだよ。呪い」
「……はぁ?」
「症状だけでは具体的に何か、までは判別できないがな。ある程度は予想できる。『対象を腐らせ、死に至らす』という類……ナメクジかなにかから連想しているのか?大方、西洋の黒魔術あたりだろうな」
修は饒舌だ。
「……」
対称的に悠也は唖然、そして呆然。口はみっともなく開いたままだった。
「ん、どうした?」
「お前……悪いもんでも食ったのか?」
「む、どういう意味だ。私を変人扱いしようというのか」
とたんに修の声は険を孕み、むっつり顔で不機嫌モード。
「えっと……まあ、うん」
「なんて奴だ、失礼な!私は好意で教えてやってるというのに」
意外にも猛反発してくる修に驚きつつも、悠也にとって修の話は眉唾ものなのだ。幽霊魔法ポルターガイストもろもろを一切否定する一般的な正論で対抗してやる。
「だってよ、そんな急に呪いだの魔法だの言われても信じられねえよ」
「魔法ではない、黒魔術だ。信じられないというのなら、ひとつ試してやろう」
はあ、と小さくため息を吐いて、修が席を立つ。
「おい、どこ行くんだよ?」
悠也の問い掛けに、修は悪戯っぽく口の端を曲げて、一言。
「外だ。悠もついてこい」
修の進む先へついていくと、たどり着いたのは人気のない公園。
「何をするんだ?」
「ちょっとな。すぐ済む」
悠也の質問にも修は笑ってはぐらかすだけ、そしてベンチに腰掛けた。
続いて悠也も座ろうとしたところで修が制する。
「なんだよ、俺は座っちゃだめなのか?」
「そうだ。悠はそこに立ってなさい」
悠也のぼやきも耳を傾けず、んふふー、とちょっと下品に笑いながら修はポケットからペンを取り出した。
「って……おい、何やってんだよ!?」
何を始めるかと思ったら、おもむろにそれでベンチになにやら書き始めたのだ。当然悠也は止めにかかるが、
「いいからちょっと待ってなさい。それに、これは水性だからすぐに消せる」
と突っぱねる修。仕方なく見守っていると、修の書いていた、いや描いていたものが形になってくる。
「これは……魔方陣、ってやつか?」
「そうだ。簡易なものだがな」
ベンチに描かれた模様は、よく漫画などで出てくる紋章のような形状だった。
「初歩的な黒魔術を使うんだ。これを見れば悠も信じる気になるだろうから」
「えー……」
いつの間にか本格的に魔法を始めようとしている修を見て、悠也はちょっと複雑な気持ちになった。
「ここに手を置いて。水性だからあんまり擦ると消えちゃうからな、気を付けて」
修に促されるまま準備を進める悠也。先ほど修が描いた魔方陣に左手を乗せていて、その上に修の右手が添えられている。
「これで終わりなのか?」
ポーズの関係上、至近距離で悠也と見つめ合う修はいや、と首を振り、
「まだ最後にひとつだけやることが残ってる」
「なんだよ」
「悠、私にキスをしろ」
「はぁ!?」
とんでもないことを言い出した。
「キ、キスって、お前それでいいのか!?」
突然の急展開に大いにテンパる悠也。見くびってもらっちゃあ困る、これでもそういった経験は皆無だ。
「私は構わん。悠は大丈夫か?」
「だ、大丈夫って……」
一旦思考停止。状況を把握し直す。
今まで修をそういう目で見たことはなかったが、正直、修は端目から見てもかなりの美少女の部類に入る。
きっかけこそわけのわからん魔法がどうたらだが、これは実際、かなり棚ぼたな展開なのでは……?
そう思うと、目の前の少女に見つめられているのが無性に恥ずかしくなってきた。
「……まあ、俺も嫌ってわけではないぞ」
照れ隠しにそっぽを向いて答える悠也。
一方、修は恥ずかしげもなく笑顔で言うのだ。
「ならよかった。それじゃ悠、頼む」
男・向井悠也、人生の山場にぶち当たった、かもしれない。
「それじゃ……行くぞ」
と言いながらも、心中では「どうしよう俺息臭かったりしないかな?」とか「目を瞑るのがマナーなんだっけか」とかパニック状態。心の準備なんてまるでできていなかった。
ゆっくり深呼吸を一度、二度。……よし。
と悠也が顔を上げたところで、修が言う。
「ちょっと待て悠。まさか私の口にキスをしようとしてるんじゃなかろうな」
「……え?」
いや、だってキスってあのキスだろ?鱚じゃなくて……とか変な思考を無理やり止めて、
「いや……違うのか?」
「当たり前だ、そんなわけがないだろう」
「……」
即答で否定。
今の「そんなわけないだろう」で悠也が受けた心のダメージは、何気なくけっこう大きかった。
崩れそうなハートを必死に保ちながら悠也は顔を上げて聞く。
「……それじゃ、一体どこにすればいいんだ?」
「決まってるだろう?靴だよ」
「なっ……」
「さあ、這いつくばって私の靴を舐めろ。それで魔術は発動するから。ほら」
軽く悦に入った表情で靴を突き出してくるのがどこか艶っぽい。
悠也は一瞬呑まれそうになったが、すぐに我を取り戻す。
「どこからどう見ても服従の誓いじゃねえか!何が悲しくてお前に従わなきゃいけねえんだよ!!」
ハートの崩壊を通り越した一斉蜂起を前に、修は信じられないといった顔で悠也を見返す。
「えっ……」
「えっ」
「私の物になるのがそんなに嫌だったなんて……」
「むしろ、それがいいって前提で話を進めてたのが信じられねえよ……」
結局キスの話はうやむやになり(というかさせた)、二人は一旦悠也の部屋へ戻ることにした。
「そもそも、今のを外でやる必要はあったのか?靴にキスするとこなんざ、誰かに見られる可能性のある外でなんてやりたくねえよ」
家の中でも嫌だけどな、と付け足す悠也に修が答える。
「誰かに見られたほうが興奮するじゃないか」
「お前、実はけっこう変態だろ?」
下らないことを言っているうちに部屋に到着。悠也は座布団、修はベッドに腰掛け、それぞれの定位置につく。
これで状況は振り出しに戻った。アホなことをするばかりで、本来の問題は一切解決に向けて進展していない。
「このままじゃ埒があかないから、この際魔法だのも信じることにしとく。だから話を進めてくれ」
「……少し言い方に引っ掛かるが、まあいいとしよう。それでは本題に入るが――」
その時。
「……ぁぁぁぁあああっっ!!」
ガシャーン!!と、マンガみたいな音で窓が大破し、そこから何かがすさまじいスピードで飛び出してきた。
「うわっ!?」
「っ!」
突っ込んできた何かは、轟音とともに部屋の奥に衝突した。
幸い、その進行方向には誰もおらず、二人は身を竦めるだけで無事だった。
むしろ、一番の被害者は――
「お、俺のパソコンがぁぁああ!?」
――悠也の机の上で煙を上げる、無惨な姿をした箱型機械のようだった。