【2】
ここまでの工程・情報をメモしている間に、瑞月さんは紅茶缶を二つ用意していた。二種類の缶にはそれぞれ《ミックス》《哀情》というラベルシールが貼ってある。
《ミックス》は茶葉を混ぜ合わせたものだろうか。
《哀情》というのは何だろう。想像もつかない。
「それ、どちらも茶葉ですか?」
「うん。あのお客様にはこの二種類を混ぜた茶葉で淹れるよ」
「そういえばこのお店ってメニュー表がないですよね。お客様はどうやって細かなオーダーを?」
「お話を伺った上で、それぞれに合う味を僕たちが選び提供する――それがうちの基本方針なんだ」
レストランで言う〝シェフのお任せ〟〝シェフの気まぐれ○○〟といったものに近い感覚か。責任重大だ。しかし「自分の選んだメニューでお客様が喜んでくれた」と実感を得ることができれば、やりがいに繋がりそうな仕事でもある。
瑞月さんは七年も幽霊カフェを切り盛りしているマスター。毎回うっとりするほど美味しい紅茶が出来上がるのだろう――なんて考えていたのだが。
「あの……瑞月さん」
「どうかした?」
「えっと……なんかその……ものすごく失礼な言い方かもしれませんけど、風変りな香りの紅茶ですね」
――そう。
彼の淹れたストレートティーは何とも形容しがたい不思議な香り……いや、はっきり言って臭い。僅かに紅茶の気配も感じられるが、「摂取してはいけない」と本能が警告する異臭。私がお客さんだったら確実に異物混入だとクレームを叩きつける。
「璃乃さん、カップをじーっと見つめてるけど……もしかしてこの紅茶を飲みたいの? 鼻、正常に機能してる?」
「間違いなく正常に異臭を検知してますよ。これ、何ていう紅茶なんですか?」
「ストレートティーだよ。あのお客様にとっては美味しい……ね?」
意味深な発言だった。
やはりただの紅茶ではないのか。
「キミにはあとで人間用の美味しい紅茶を淹れてあげるから。良い子で待っていてね」
瑞月さんは紅茶とキャラメルマフィンを乗せたトレイを持ち、フロアへと繰り出していった。
昨日も〝人間用の食事〟と言っていたが、どうやら幽霊と人間では好む味が違うらしい。一体どんな味がするのか……実際に飲むのは遠慮したいが、少しだけ興味はある。
フロアとキッチンを隔てるドアの前で瑞月さんの接客を観察した。聞こえてくる話は「喜んでいただけて何よりです」「マフィンは自信作ですから」など、幽霊が素敵なティータイムを過ごしていると思しきもの。
しかしカップやマフィンが動くことはない。幽霊の手や口元だけが、まるでジェスチャーゲームのように動いている。そのジェスチャーのおかげで、幽霊が紅茶を飲んでいると理解することができた。
注意深く二人の様子を見守ったが、何の変化もなく数分が過ぎ――やがて異変に気付いた。半透明だった幽霊の色素がどんどん薄くなっていく。少しでも目をそらしたら見失ってしまいそうだ。
一体何が起きているのか。
不思議に思っている間にも幽霊の姿は蜃気楼のように霞み、完全に見失ってしまった。
瑞月さんがこちらへ戻ってくる。
彼は紅茶を提供するときに使ったトレイを差し出してきた。
「はい、次はキミのお仕事」
「すみません。急に幽――お客様の姿が見えなくなってしまって。おまじないの効果が切れてしまったんでしょうか」
「大丈夫、それが正常だよ。食器を下げてきてくれるかな」
訳が分からないままトレイを受け取り、幽霊が座っていた場所へ。紅茶もマフィンも手付かずの状態で残されている。最初に提供された水も減っておらず、筒状に丸められたおしぼりにも使用の形跡がない。やはり幽霊が飲食することはできないようだ。
ただ、あの独特の異臭は完全に消えている。紅茶が冷めたからだろうか。
食器をトレイに乗せ、ダスターでテーブルを拭いてからキッチンへ戻る。瑞月さんは「ありがとう」と微笑んでトレイを受け取った。水と紅茶をシンクに流している。トレイにぽつんと残されたキャラメルマフィンが切ない。
「そのマフィンも捨てちゃうんですか?」
「お客様に提供したあとのお菓子やケーキは肥料として再利用してるよ。物によるけど」
「なんだかもったいないですね。食品ロスも問題になってるのに」
「食べてもいいよ? そのマフィンは人間用でもあるし、触れた人間は僕だけ――冷蔵庫から出してお皿に乗せて、テーブルに運んだだけだから。お客様が直接手で触ったり口に入れたりしたわけじゃない」
瑞月さんはマフィンの乗った小皿を渡してくれた。紅茶と違いマフィンから異臭がすることはなかったため、遠慮なくいただいてしまおう。包み紙を剥がし、一口サイズにちぎったものを口に運ぶ。
「――んっ!?」
一瞬、喉に詰まらせかけた。
全く味がしない。
しかも水分が飛んでいてパサパサ。
幽霊に提供する前は間違いなく甘い香りがしたのに。
食べかけのマフィンをお皿に戻したところで、瑞月さんがグラスの水を渡してくれた。無言で受け取り、無味無臭の塊を水で流し込む。
「どうなってるんですか、このマフィン」
「ふふっ、美味しかった?」
「これが幽霊にとって美味しいお菓子なんですか? いや、全く何の味もしませんでしたけど」
「言っておくけど、僕のお菓子作りの腕が壊滅的というわけじゃないよ? お客様が食べたことで味が失われたんだ。璃乃さんが口に入れたのは〝マフィンの抜け殻〟かな」
「私に『食べろ』と言ったのは意地悪だったんですね」
「え、意地悪? 僕はマフィンを勧めただけで命令なんかしてないけど?」
……確かに。
謝ろうと思ったが時既に遅し。
瑞月さんは私の頬に右手を添えた。
取って付けたような白々しい笑顔が怖い。
「僕はイジワルな男だから、このままキスしちゃうかもね?」
「す、すみません……」
「分かればよろしい。そろそろうちのメニューについて種明かしをしようか。一旦お店を閉めるよ」
お店の外に《close》の札を出し、再度キッチンへ。
瑞月さんは新たにティーポットとカップを用意し、お湯を沸かし始めた。
「まずはドリンクについて。うちで扱っているのは紅茶だけなんだ」
「幽霊の味覚に関係が?」
「そうじゃないよ。璃乃さん、自分で紅茶を淹れたことはある?」
「ティーバッグを使ってなら」
「それじゃあ紅茶の基礎も交えつつ話そうか。さっきのお客様に淹れたものを使って解説するね」
瑞月さんが手にしたのは《ミックス》というラベルシールの付いた缶。その名のとおり、市販の茶葉を混ぜ合わせたものらしい。
「この《ミックス》の八割~九割はダージリン。透明度が高くストレートティーに向いている。残りはウバ、ジャワ。気分によって変えたりもするけど」
「複数の茶葉をブレンドしてるんですね」
「〝ブレンド〟じゃなくて〝ミックス〟だよ」
「えっと……違うんですか?」
「茶葉は気候によって味わいが変化するから、常に同じ味を出すためには細かな調整が必要――この工程をブレンドと言う。ミックスは単純に、いろんな種類の茶葉を混ぜ合わせることを言うんだ」




