【4】
「……すみません。私、全然お役に立てなくて……」
「そんなことない。こんな負のスパイラルに陥っている話、いくらカウンセラーの先生と言っても、自分の教え子である瑞月くんには絶対できないから。悩みを吐き出す機会をもらえるだけですごくありがたい」
「私は大して夢中になれることもなく、ただ何となく毎日を過ごしている身で……。そんな私から見たら『長年想い続けている夢があるなんて素敵だな、格好いいな』って思います。だから親の反対を理由に諦めるのはもったいないとしか……すみません」
「そんなに謝らないで? 『夢があって素敵』なんて初めて言われたから嬉しい」
「本当に素敵ですよ。私は小説家になりたいと思っていた時期があるんですけど。やっと一作書き上げて自信満々でコンテストに出したら一次選考で落ちて、才能ないと分かって即やめましたから」
「たった一作で『才能がない』と決めつけちゃうのはどうかな」
「今思えば本当にそのとおりですよね。でも私には、それ以上の努力ができなかった……ひとつのことを継続するって、ものすごく気力と体力がいるんだなと痛感しました。だからこそ、二十年もめげずに努力し続けられる涼子先生はとても格好いいです」
「……ありがとう。今は自分の気持ちが整理できないけど、少なくとも描きかけの絵が完成するまではこれまでどおり続ける。アドバイスをくれた中村さんとの約束ね」
涼子先生は隣に置いていたハンドバッグから財布を取り出した。紅茶代とカウンセリング料を訊ねられたが、お金をいただくことなどできるはずがない。それでも押し切ろうとする涼子先生に「瑞月さんに怒られちゃいますから」と告げた。
「でも、瑞月くんがカウンセラーになっているなんて意外だったな。雰囲気も昔と変わったみたい」
「そうなんですか?」
「ずいぶんと柔らかくなった感じがする。彼が高三のとき『家の都合で進学はしない』と聞いたけど、その後どうする予定なのかは知らなくて。当時の美術部で一番熱心だったのは瑞月くんだから、その道に進みたいのかなと思ってた」
「高校を卒業してからずっと連絡を取っていたわけじゃないんですか?」
「うん。一昨日ばったり再会して、お話するのも会うのも七年ぶりくらいかな。今回は中村さんたちにも迷惑をかける形になってごめんなさいね」
「何の話ですか?」
「一週間、こちらの倉庫をお借りすることになったんだけど……聞いてない?」
「倉庫って収納用に借りているアパートですよね。何か運び込むんですか?」
「画材道具を一式」
カロン、とベルが音を立てた。
瑞月さんと朔也がお店に入ってくる。瑞月さんは私がテーブルに着いていたことに疑問を抱いたのだろう、「二人で何を話してたの?」と訊ねてきた。
「ちょっとした自己紹介です。先生が美術部の顧問だってこととか、ラファエロの絵が好きだってこととか」
「そうなんだ。僕が美術部だったことも?」
「はい。部活熱心だったって」
瑞月さんは「才能はないけどね」と苦笑し、涼子先生に顔を向けた。
「今日は倉庫まで案内して、そのあと駅まで送ります。朔也、璃乃さんへの説明よろしく」
私にお礼を述べた涼子先生と瑞月さんがお店を出ていく。
涼子先生が去り際に見せた、ヒマワリのような明るい笑顔――自分の身にも覚えがあった。賢吾に捨てられた直後の私だ。彼のことを頭から追い出すため、「カラ元気でも何でもいい、仕事に生きる女になってやる!」と自分を奮い立たせたあのとき。
おそらく涼子先生も似た状態だ。
教え子の前で鬱屈した自分を見せまいと無理をしている。なんだか痛々しい。
気分を切り替えるべく、隣に立つ朔也を見上げた。
「瑞月さんとどこに行ってたの?」
「アパートだよ。あの先生が使えるようにスペースを空けてきた」
「画材道具を運び込むって聞いたけど」
「あの先生、コンクールに出す絵を描いてる途中らしくてさ。自分の家だとうるさくて集中できないから、一人で静かに作業できる場所を探してたんだって。で、蒼唯さんが部屋を貸すって提案したんだよ」
瑞月さんたちが再会したとき、涼子先生はマンスリーマンションを探していたという。学校が夏休みのうちに勤務時間を調整し、創作を進めておきたいそうだ。
事情を知った瑞月さんは、倉庫として使っているアパートを無償で貸すと提案した。一日一回郵便物を確認しに行くだけで、ほとんど使っていない部屋だから――と。
「俺たちにとっては倉庫でも、他人から見ればアパートの一室だろ? 先生も最初は断ったらしい。けどまぁ、あの蒼唯さんだから。いつもの調子で巧いこと丸め込んだのか何なのか知らないけど、一週間貸すことになったわけ」
「一週間、アパートで暮らしてもらうってこと?」
「さすがに『合鍵を渡すから自由に出入りどうぞ』とはならないだろ。そもそもあの部屋はエアコン以外の家具家電もなくて、寝泊まりできる状態じゃない」
涼子先生は現在、名古屋市内に住んでいる。明後日から一週間、瑞月さんが倉庫用アパートの最寄駅まで彼女を送迎するそうだ。午後二時~七時まで涼子先生に部屋を貸し、創作を進めてもらう。
誰にも邪魔されず、一人で黙々と絵を描くのに最適な条件は揃っているが。
何となく引っ掛かりを覚えた。
七年ぶりに再会した相手に、様々な私物を置いている部屋を貸すこと――信頼していなければできないはずだ。特別な想いを抱く絵画が一致していたことも含め、二人の関係が生徒と教師以上のものに見えてしまう。勘繰りすぎだろうか。
「あんた、何考えてるの?」
「え?」
「暗い顔して俯いて。蒼唯さんと先生の関係が気になるとか?」
「……朔也、何か知ってるの?」
「いや、先生が帰ったら蒼唯さんに訊こうと思ってた。霊力を持たない人間をここに踏み込ませるなんて前代未聞だから、ただの教師ってわけじゃなさそう」
どうやら朔也も気になっているらしい。
私は掃除に取りかかり、朔也は余り物のケーキで間食タイム。瑞月さんが一人で戻ってきたのは、それから三十分ほど経った頃だった。このときを待っていたとばかりに、朔也が「質問いいですか?」と投げかける。
「蒼唯さん、あの先生のことをかなり信頼してますよね。あの人と付き合ってたとか?」
単刀直入。
瑞月さんは「そうくるだろうと思った」と肩を竦めた。
「誤魔化しても無駄だろうから正直に白状するよ。実は――涼子先生は、僕がずっと片想いしていた相手」
瑞月さんの言葉が、心にずしんとのしかかった。
でも納得。
あんなに綺麗な先生と部活をともにしていたら惹かれてしまうのも分かる。




