【4】
詳しい説明を求めようとしたところで、瑞月さんがカフェスペースの奥へ顔を傾けた。「あちらがお客様ですよ」と紹介される。私も恐る恐る目線を移動させた。
「嘘……」
無意識のうちにこぼれていた呟き。
先ほどまで誰もいなかったテーブル席に、五十代くらいの男性がぽつんと座っていた。
と言っても、明らかに人間ではない。
透き通った身体――3D映像のようだ。
瑞月さんは「常連さんなんです」と説明してくれたが、声が出なかった。
代わりに冷や汗が噴き出すのを感じる。
自分の目に映るものを受け入れるのが恐ろしい。
「璃乃さん? 大丈夫ですか?」
「わ、私にも、オバケが見えるなんて――」
ふっと冷たい風が肌を刺した。
エアコンの風とは明らかに違う、背筋が凍るほどの冷気。
瑞月さんが呆れたように笑み、私の肩に手を乗せた。
「突然のことで恐怖心があるのは分かりますが、彼はお客様ですよ? オバケなんて言ったら失礼です」
「すみません、でも私――」
半透明の男性が音もなく立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。ぐらぐらと揺らめいている――彼の足元がおぼつかないのではなく、彼の姿そのものが、ロードに失敗した動画のように安定しない。それが不気味さに拍車をかけている。
男性は水色のパジャマを着ており、何故か裸足。痩せ細った身体は蒼白で、表情は〝無〟といった様子。唇がもごもごと動いているが、何を喋っているのか分からない。声も聞こえない。
初めて対峙する幽霊から目をそらすこともできず固まっていると、隣から「すみません」と瑞月さんの声がした。
「璃乃さんは霊力が弱いので渡辺さんの声は届かないんです。でもいずれ、意思疎通できるようになるといいですね」
幽霊の口角がふっと上がる。
目に生気は感じられないが、微笑んでいるように見えた。
瑞月さんが「またのお越しを」と告げる。
幽霊は私たちの横を通り過ぎ、カフェの入口へと移動した。
その姿がドアの手前でぷつっと消える。
「今のは一体……」
「渡辺さん。五年前に病気で亡くなられたそうで、当店の数少ない常連さんです。ほぼ毎日いらっしゃるんですよ」
「そういうことではなく。瑞月さん、あの幽霊と会話できるんですか?」
「もちろん。僕はあなたと違って、彼らの声が鮮明に聞こえています」
「そう、なんですか」
「驚いているみたいですね。今はそれで構いませんよ。徐々に慣れるでしょうから」
「瑞月さん……一体何者なんですか?」
真面目に訊ねたのだが、彼は「あははっ」と少年のような笑い声を上げた。優雅で妖艶なオーラを纏う人だと感じていたが、無邪気な一面もあるようだ。
「璃乃さんは僕のこと、何者だと思います?」
「実は瑞月さんも幽霊、なんてオチじゃないですよね?」
「そうですねぇ……。ただのカフェ経営者ではないかもしれませんね」
「教えてくれないんですか?」
「今はまだ」
瑞月さんはレジカウンターへと歩み寄った。カウンターの裏側から《close》という札を取り出し、カフェの入口へ向かっていく。
彼が札の入れ替えを行っている間、腕時計で時間を確認した。午後三時を回ったところだ。
「いつもこの時間にお店を閉めるんですか?」
「今日はあなたがいらっしゃいますので」
もしかして、先ほどの幽霊――渡辺さんという方を追い出す形になってしまっただろうか。不安になり訊ねると「大丈夫です」と返ってきた。瑞月さんいわく、渡辺さん自ら「帰るよ」と発言したそうだ。
「ところで璃乃さん、今日の夕食のご予定は?」
「特に決まってませんけど……」
「では当店で食べていきませんか? もう一人の従業員もそのうち戻るので、双方の紹介も兼ねて」
「……分かりました。そうさせていただきます」
「食事は僕が作ります。準備ができたらお知らせしますね。おやすみなさい」
……おやすみなさい?
寝ろと言うこと?
考えがそこに至った途端、激しい眠気が襲ってきた。
寝不足でもないのに何故――。
「今は身体を休めておいてください」
瑞月さんにエスコートされ、ソファへと腰掛ける。
強烈な眠気に抗うことができず、テーブルに突っ伏した。
+ + +
――奇妙なほどリアルな夢だった。
私に霊感があるとか。
幽霊が見えるとか。
怪しさたっぷりのイケメン店主とか。
あんなものは全て夢。
そう、間違いなく絶対に百パーセント確実に夢……だと思いたかった。
周囲に広がる、アンティークな雰囲気のカフェスペース。目の前に立つ、爽やか美麗スマイルの瑞月さん。
「おはようございます、璃乃さん。ちょうど起こそうと思ったところでした」
「やっぱり現実だったんですね……」
「まだ夢気分ですか? 目覚めのキスをして差し上げますよ」
瑞月さんの顔が近付くと同時に、ぼんやりとしていた頭が冴え渡った。
咄嗟に彼の身体を押し戻す。
「何するんですかっ!」
「まだ何もしていませんが」
「そ、それはそうですけど!」
「ふふっ、お元気そうに目覚めて何よりです。僕のかけたおまじないが身体に馴染んだのでしょう」
「……おまじないって、幽霊が見えるようになったときの」
「えぇ。一度眠りに落ちたことで身体の違和感は消えたのではありませんか?」
そういえば……瑞月さんにおまじないをかけられたときに襲ってきた重圧感は消えている。それは幽霊がこのお店を去ったからでなく、私の身体がおまじないに適応したためらしい。
「璃乃さんがお休みの間に、もう一人の従業員に連絡を取っておきました。そろそろ帰ってくるはずです」
現在の時刻は午後五時過ぎ。
店内にはガーリックとオリーブオイルの良い香りが漂っている。瑞月さんの用意してくれた夕食だろう。
「お食事代、先に払っておきます。おいくらですか?」
「結構ですよ。今夜は璃乃さんが《ハピネス》を訪れた歓迎会ですから」
「……ハピネス?」
「当店の愛称です。《川のほとり -一杯の紅茶に幸せを添えて-》は長すぎると、もう一人の従業員に文句を言われたので。〝幸せ〟の部分を取ってハピネス。これなら呼びやすいでしょう?」
それならいっそ、正式な店名も《ハピネス》にすればいいのに――と思ったが、瑞月さんは《川のほとり~》を気に入っているのだろう。食事代に関してはご厚意に甘えさせていただくことにした。
そこでふと、バイクらしきエンジン音が聞こえてきた。瑞月さんが「噂をすれば」と微笑む。もう一人の従業員さんが到着したらしい。このカフェで働いているということは、瑞月さんと同じく幽霊が見える・会話できるのだろうか。
お店に入ってきたのは私より年下に見える男性。ツーブロックに整えられた黒髪と、お洒落な黒縁メガネが印象的だ。瑞月さんと同じく端正な顔立ちをしているが、眼差しは鋭い。とっつきにくそうな雰囲気満載だ。
「お帰り、朔也」
朔也と呼ばれた彼は「お疲れ様です」と言いながらこちらに歩み寄ってきた。瑞月さんは「友人と二人で経営している」と説明してくれたが、挨拶が敬語であったことを踏まえると、あくまで〝雇い主と従業員〟という関係かもしれない。




