【7】
「ごめん、怒らせちゃったかな?」
「怒ってるわけじゃないです。またからかわれてるな、と思っただけで」
「そっか。キミは冗談に心を痛めてしまうタイプじゃないと思ってたから、朔也に接するときと同じように振舞ってるけど。嫌なら遠慮なく言ってね?」
「……朔也と同じ、ですか」
「やっぱり嫌?」
「いえ。親しみを持ってくれているんだなって思っただけです」
「もちろんだよ。さっき不満そうな顔をさせちゃったお詫びとして、ここからは真剣モードで答えてあげる。僕の結婚について知りたいなら何でも訊いて?」
「……それじゃあ単刀直入に訊いちゃいますね。婚約者の方とは両想いなんですか?」
「違うよ」
「そうなんですか?」
「うん。だからデートを重ねて、彼女と距離を縮めようとしてるんだ」
「……」
「相手を愛しく思えば自然と『結婚したい』って気持ちになるのかなって」
「……」
「実はミラステのライブに行った日も彼女と会ってたんだ」
……どうしよう。
自分から質問を振っておきながら返事ができない。瑞月さんの言葉が黒いペンキとなり、心を乱雑に塗りたくられた気分。それは「これ以上聞きたくない」という拒絶のようでもあった。
「キミに伝えなきゃと思ってたんだけど、明日も彼女と会うことになってしまったんだよね。お客様のために注文した絵本は全部ポスト投函されるから、朔也に取りに行くよう頼んである」
「……デートするんですね」
「ごめんね、お客様が来ると分かってる日なのに。婚約者がこのあたりの子だったら融通も利いたんだけど」
相手は京都の女性らしい。一ヶ月前から家の都合で名古屋に滞在中だが、来週には帰ってしまう。会う時間を確保するのが大変になるため、できる限り予定を詰めているそうだ。
「と言ってもスケジュール管理は父がしていて、僕や相手の子に決定権はないんだ。だから明日も……ね」
「瑞月家を継ぐつもりはないのに、婚約者の方を好きになって結婚しようと思ったのはどうしてですか?」
これ以上聞きたくない、余計な情報は要らないと思っていたのに。
口が勝手に質問していた。
私は――瑞月さんが婚約者と相思相愛になることを恐れている。
彼に惹かれていることに、こんな会話の中で気付いてしまった。
それが淡い憧れなのか、確かな恋心なのか、今はまだ分からないが――。
「僕はそもそも結婚願望がないんだよね。仮に結婚するとしても、自分が婿養子になれる相手が理想的だな」
「結婚願望がないのは何故ですか?」
「うーん……。それ、正直に言わなきゃダメ?」
「すみません。踏み込んでほしくないことだったらいいんです」
「いや、女性に下世話な話をしたくなかっただけだよ」
「下世話?」
「瑞月家に嫁いだら必ず世継ぎを求められる。自分の妻になる人に変なプレッシャーをかけたくないんだ。第一〝世継ぎのため〟なんて理由で生まれる子が可哀想なんだよ。子は生まれる家を選べないから……ね?」
本人の気持ちだけでなく、朔也の苦悩も汲んでいるように聞こえた。
瑞月さんは時々意地悪で、妖艶な笑みを形作って冗談を言って、何を考えているか分からなくて不思議で。それでも――いつも他者の心情を慮っているのは伝わる。相手が幽霊でも、人間でも。
そんな彼と一緒に過ごせる婚約者の女性がうらやましい。
きゅっと胸が痛んだ。
「まぁでも『断固結婚しない』と決めているわけでもないから。いい機会をもらったと思って、結婚について真剣に考えてみようかなと。相手の女性に悪い印象もなかったから、デートを重ねることに合意したんだ」
「それで……スムーズに進みそうなんですか?」
「残念ながら、あまり上手くいってないんだ」
相手の女性は瑞月さんに無関心らしい。ミラステのライブがあった日「あなたに恋愛感情を持つことはないと思う」と言われたそうだ。それでも婚約関係は続ける――彼女には家のために割り切る覚悟がある。私にはとても考えられない、どこか遠い世界の話に聞こえた。
「瑞月さんは辛くないんですか? 恋愛感情を持つことはないなんて言われて」
「そうだねぇ……。ある意味では、ちょっと凹んだかも」
「どういうことですか?」
「ちょっとしたトラウマみたいなもの、かな」
申し訳ない気持ちになり謝ったが、瑞月さんは「大丈夫」と優しく微笑んでくれた。
「もし婚約者の女性と惹かれ合っていたら、いろんな状況が今と違っていただろうね。璃乃さんと二人で食事するのも止められていたかも」
「……ミラステライブの日のこと、婚約者さんに相談した上で?」
「そりゃあ、お互い好意がない状態とはいえ婚約者だからね。彼女の許可なく他の女性を食事に誘うなんて失礼なことはできないよ」
「……そうですよね」
「彼女はいかにも霊滅師らしい方で、粛々と除霊に取り組んでいるんだ。霊滅師として正しいのは彼女の方だから、僕みたいなタイプに興味を持てないのは当然のことかもしれない」
自由な人生を求めること、幽霊の悩みに寄り添うこと――どちらも霊滅師としては間違った行為なのかもしれない。それでも、誰かの力になることを〝間違い〟と断じてしまうのは悲しい。ただこれは、私が霊滅師家系の人間でないから言えることだろう。朔也のお父さんにぶつけられた〝部外者〟という単語が、今になって心に突き刺さった。
「もし瑞月さんが婚約者の方と結婚したら《ハピネス》は……?」
「もちろん続けるよ。《ハピネス》のことは彼女にも伝えてある。まぁ彼女も『何故そんな無駄なことを?』と不思議そうだったけどね」
「……そうですか」
「彼女や他の霊滅師の言いたいことはよく分かるよ。霊を認識できる人間はごく僅か――大多数の人々にとっては空気同然だから」
「でも……認識できる側から言えば、そんな簡単に割り切れないです。婚約者さんに《ハピネス》の営業を止められなくて良かったですね」
「心配しなくても、キミを突然クビにしたりしないよ。僕は優良経営者だから」
「そういうことじゃなくて。瑞月さんには自分の好きなことを続けてほしいなと思って」
「……ありがとう。璃乃さんは――――何度も――るね」
瑞月さんの声が小さかったこと、琥太郎くんと梓ちゃんの騒ぎ声が重なったことで、発言のほとんどを聞き取ることができなかった。もう一度聞かせてほしいとお願いする。




