【5】
彼女の抱えている未練は〝お兄ちゃんに読んでもらうことのできなかった絵本〟だろう。そんな推測を投げかけると、瑞月さんは小さく頷いた。
「お弁当の件と同じく、本物のお兄さんに頼むことはできない。当時読もうとしていた絵本を入手し、僕がおまじないをかけ、読み聞かせをしてあげるのがベストだね」
「その絵本のタイトルは分かったんですか?」
「彼女は覚えていなかった。ヒントはいくつか得られたから、それをもとに絞り込もうと思う」
美雪ちゃんに来店をお願いしたのは三日後。瑞月さんはそれまでに、正解の絵本候補を選定するつもりだろう。私も協力すべく、絵本のヒントを聞かせてもらった。
表紙には一匹のネコのイラスト。
絵本の形状は横長。
お兄ちゃんが高校の図書室で借りてきたもの。
美雪ちゃんの死亡時期が約二年前だったことから、絵本の発売日はそれ以前。
あくまで私の通っていた高校の基準になるが、図書室に最新の絵本が導入されるイメージはない。昔の絵本までしっかり調べた方が良さそうだ。
今日中に候補を絞ってネット注文すれば明後日までに届く――と瑞月さんは言ったが、結界に囲まれた《ハピネス》に郵便物など届くのだろうか。ここに郵便屋さんが来るのを見たこともない。
「郵便物は僕の家に届くよ」
「ご実家のことですか?」
「違うよ。郵便受け用にアパートを一室借りてるんだ。《ハピネス》は収納スペースがほとんどないから倉庫代わりにも使ってる。ここから車で五分くらいのところ」
「郵便と収納のためだけにアパートですか。お金かかりますね」
「家賃は安いし、光熱費も微々たるものだから平気だよ」
郵便にまつわる疑問が解決したところで絵本捜しスタート。スマホで調べるうちに、自分が子供の頃に読んだ懐かしい絵本も出てきた。それらの内容を思い返しつつ、ヒントに合致する絵本をピックアップ。瑞月さんが調べたものと照らし合わせ、六冊が候補に挙がった。候補の中に正解がありますようにと祈りながら、瑞月さんがネット注文する様子を見守る。
「あとは届くのを待つだけだね。彼女の言う〝神様〟に認めてもらえるといいけど」
「神様って本当にいるんですか?」
「それは分からないな。僕、死んだことないから」
それもそうか。
瑞月さんは幽霊と交流しているだけで、死後の世界を知っているわけではない。
+ + +
《ネット通販会社から絵本の発送連絡があった》――瑞月さんからそんなメッセージが送られてきたのは翌朝。
今日は休日。家事と食材の買い出しを行い、あとはスマホを見ながらゴロゴロ……なんて考えていると着信音が鳴り響いた。ディスプレイに《瑞月さん》と表示されている。また絵本に関することだろうか。
『何度もごめんね。璃乃さん、夕方から時間ある?』
「特に予定はないですけど」
『そっか。どうしても暇で仕方なくて途方に暮れそうっていうくらい暇だったら、僕たちと一緒に出掛けないかな?』
「……何ですか、その表現」
電話の向こうで『ウゼェ言い方すんなよ』と聞こえる。琥太郎くんだ。
そういえば今日は、琥太郎くんが実家に帰る日。私は昨日もいつもどおりお店を出てしまい、きちんとお別れの挨拶をしていなかった。
『実は今日、琥太郎くんを岡崎まで送り届けるんだ。そこでバーベキューをしようっていう流れになって――あ、もちろん彼の思いつきのワガママ。毎度振り回されて大変だよ』
痛っ、という瑞月さんの悲鳴。
何事かと耳を澄ませた。
『璃乃の前でネコ被ってんじゃねーよ! さっさと本性出しやがれ、腹黒女ったらし性悪陰険ナルシスト!』
『見事なまでに低俗な悪口だね。僕は性格が悪いんじゃなくて、人を叩くようなお子様に厳しいだけなんだけど』
『すぐオレのことをワガママ呼ばわりするお前が悪い! また言ったらちみくってやるかんな!』
『何それ。暴力的なことなら勘弁してほしいな』
『ちみくるってのはこういうことだよ!』
『痛っ! ……あぁそう、キミは本気で怒られたいんだね?』
『ケンカなら負けねーぞ? ガキの頃に朔兄が教えてくれたからな!』
一体どんなことが繰り広げられているのか。ただ、〝ちみくる〟という謎の行為で瑞月さんが危機に晒されているのは間違いない――いや、本当に危険なのは琥太郎くんの方?
スマホに向かって『バーベキュー行きますから!』と声を張り上げた。その声が二人にも届いたのだろう、騒ぎがおさまる。
『休日まで璃乃さんに会えるなんて幸せだな』
「相変わらず楽しいジョークですね。琥太郎くんに呆れられますよ?」
『いいのいいの、呆れさせておけば』
「じゃあそれでいいです」
瑞月さんたちが《ハピネス》を出るのは午後三時。そこから私の家まで迎えに来てくれるとのこと。食材の手配などは全て琥太郎くんのお世話役・西原さんがしてくれるそうだ。バーベキュー施設に行くわけではなく、琥太郎くんの家の庭で行うらしい。
「ご家族の皆さんに会うことになりますよね。何か手土産を……」
『今日は琥太郎くんと梓ちゃんしかいないんだって。気を遣わなくていいよ』
後ろから『お前が言うなっ』と聞こえ、思わず笑ってしまった。梓ちゃんにはライブの日お世話になったから、このあたりでしか買うことのできないお菓子でも用意しよう。
インターフォンが鳴ったのは午後四時。玄関の前に立っていたのは琥太郎くん。彼に連れられ、見慣れた黒い車の後部座席に乗り込んだ。運転は朔也、助手席に瑞月さん。これから小牧インターへ向かい、高速道路で岡崎を目指すことになる。
道中は琥太郎くんを中心に談笑し、約一時間で目的地近辺までやってきた。
琥太郎くんの家は執事さんがいるほどのお金持ち。漫画に出てくるような超豪邸だったりして――と想像を膨らませていたら、実際にそのとおりで目が点になった。宮殿のように豪勢な装飾の施された二階建て。広大な庭には花壇が列を作っている。バーベキューより貴婦人のティータイムの方が似合いそうだ。
「す、すごい豪邸だね……」
琥太郎くんは「だらぁ」と笑った。
三河弁で「そうでしょう?」という意味とのこと。




