【3】
婚約者のこと……思い切って訊いてみようか。しかし《ハピネス》に展示されている絵画のように、あまり触れてほしくないことかもしれない。
心の中で自問自答しているうちに、瑞月さんに「考え事でもしてるの?」と先を越されてしまった。何か言わなければ――。
「琥太郎くん、帰りはどうするんですか? 交通機関を使って《ハピネス》に戻ることはできませんよね」
……全然違うことを訊いてしまった。
瑞月さんいわく、琥太郎くんは車で《ハピネス》まで送ってもらうらしい。琥太郎くんのお世話役・西原さんが対応するとのことだ。
「琥太郎くんのお兄さんたちはどんな方なんですか?」
「蓮太郎くんは二十三歳、凛太郎くんは二十歳だよ。梓ちゃんを見て『兄弟全員あんな感じなのかな?』と思ったかもしれないけど、お兄ちゃんたちは全然違います」
「そうなんですか。勝手に似てるのかなと思ってました」
「不思議だよね。四人同じ家庭で育っても、性格は見事に二分されてるんだから」
蓮太郎くんと凛太郎くんは、どちらかといえば大人しいタイプなのだとか。二人とも秀才で真面目。ヤンチャな弟・妹と反りが合わないかと思いきや、双方とても可愛がっているらしい。
「瑞月さんは? お兄さんが二人いるって聞きましたけど、一緒に遊びに出掛けたりするんですか?」
「そういう感じじゃないなぁ。不仲ではないんだけど」
「お二人とも瑞月さんと似てるんですか?」
「それは顔? 性格?」
「……どちらも?」
「顔は似てると言われるけど、性格や趣向はまるで違うね。兄たちはとにかくお酒が好きで、いつも信じられないくらいの量を飲んでる」
瑞月さんと似たビジュアルで、ガバガバとお酒をあおる……全くイメージが湧かない。瑞月さん自身はアルコールを一切嗜まないとのことだ。朔也も同じらしい。
「朔也には妹さんが二人いるんですよね。会ったことあります?」
「うん、二人ともすごく綺麗な子だよ。愛嬌があって快活で」
「……妹さんたちは大丈夫なんですか? お父さんとの関係」
「あの人、娘にはものすごーく甘いからね。妹さんたちは朔也と違って器用なタイプだから、そのあたりも上手く働いて良好な関係を築くことができてるのかな」
父親からの扱いが異なると、兄妹関係が殺伐としたものになりそう……と思ったが、実情は違うらしい。実家に寄りつかない朔也も、妹さんたちとは時々外で会っているそうだ。
私は一人っ子で、小さい頃は兄弟がほしいと思うこともあった。今ではそんな気持ちもすっかり薄れたが、仲の良い兄弟の話を聞くと少しだけ羨ましい。
+ + +
一夜明けてもライブの余韻に浸っている様子の琥太郎くんと違い、私と瑞月さんは通常業務に戻る。朔也は丸一日バイクショップでアルバイトとのことで、私の出勤と入れ替わるように出て行った。
午前中は常連の中年男性――スーツにロングコートがトレードマークの並木さんに紅茶を淹れ、一旦お店を閉めて昼食。その後再び来客を待ち、午後二時過ぎ。瑞月さんの合図でお客様を出迎えた。
ふわりと入口に現れたのは小さな女の子。七、八歳といったところだろうか。透きとおるような白い肌、淡いピンク色に染まった頬、くりんとした丸い目。服装はピンク色のパジャマ、ベージュのダッフルコート。こんなに小さなお客様を見るのは初めてだ。
瑞月さんがお客様をテーブルへご案内。
しばし会話したあとキッチンへ――私も彼に付いていった。
「私は初めて見る子ですけど、瑞月さんは?」
「僕も初めてだよ。『ケーキと炭酸のジュースが欲しい』って」
「炭酸のジュースなんて冷蔵庫には――あ、琥太郎くんが飲んでたコーラ?」
「うちはカフェだよ? 直接口を付けたわけじゃないとはいえ、身内の飲みかけを出すことはしない。紅茶でアレンジレシピの出番だね」
瑞月さんが冷蔵庫から取り出したのは、午前中に作り置きしたアイスティーのボトルとリンゴ一個。続いて業務用冷蔵庫の隣――一般家庭用冷蔵庫の中段が開けられた。中にはペットボトルの炭酸水、エナジードリンク類がぎっしり並んでいる。
「すごい量の炭酸水ですね」
「朔也が飲むんだ。僕も時々ティースカッシュを作るよ」
「ティースカッシュ?」
「アイスティーの炭酸割りと考えてもらえば。特に夏場はさっぱりして美味しいんだ。今回は小さなお客様のためのものだから、リンゴとガムシロップで甘く仕上げるね」
瑞月さんは右手に包丁、左手にリンゴを構えた。包丁でくるくると器用に皮を剥いていく。四つ切りにしたリンゴはおろし器ですり下ろされた。
続いて円筒型のグラスを用意。すり下ろしたリンゴ、氷、たっぷりのガムシロップ、アイスティーの順で投入。グラスの半分近くまでアイスティーが入ったら、炭酸水を上まで注ぎ入れる。これでアップルティースカッシュの完成。
トレイにグラスとコースター、ストロー、チーズケーキを乗せる。瑞月さんは「一緒にお客様の話を聞こう」と誘ってくれた。小さな女の子は一体どんな悩みを抱えているのだろう。
瑞月さんがケーキとドリンクを提供すると、少女はストローに手を伸ばした。いつものようにジェスチャーゲームのような動きで、ストローをグラスに差したのだと分かる。
アップルティースカッシュを味わったであろう女の子は、無表情で瑞月さんを見上げ、何かを伝え始めた。瑞月さんが「お口に合って良かったです」と応えたため、おそらく「美味しい」という感想をいただいたのだと思う。
「――璃乃さん。こちらのお客様は〝美雪さん〟とおっしゃるそうです。歳は七つ」
美雪と呼ばれた少女は右手を振ってくれた。会釈を返す。
ここからは瑞月さんの通訳――美雪ちゃんは「天国に行くはずだった」と切り出したそうだ。しかし神様から「お前は〝忘れ物〟をしている。天国に行けないよ」と言われてしまった。
神様と会話したことがあるの?
そもそも神様って実在するの?
……という疑問はさておき。
要するに、その〝忘れ物〟が未練にあたるはず。
しかし美雪ちゃんには心当たりがないそうだ。
燻っている感情が不明である以上、どんな紅茶を提供すればいいのか見当もつかない。




