【5】
初めて自分で出勤した今日。
勝手口から店内へ入り挨拶したものの、しんと静まり返っていた。キッチンを通過してフロアに出てみるも人の気配はない。
駐車場に車がなかったため、朔也が出掛けているのかと思ったが。瑞月さんも一緒に外出してしまったのか――いや、それなら勝手口を施錠するはずだ。
不思議に思いながらも腰エプロンを付けようとしたところで、トートバッグの中から着信音が聞こえてきた。スマホに表示されていた名は瑞月さん。すぐに通話ボタンをフリックした。
『ごめんね。今買い物に来ていて、《ハピネス》に戻るのは一時間後くらいになりそう。それまで朔也と一緒にお菓子でも食べていて』
「朔也、お店にいませんよ?」
『まだ寝てるのかな。階段を上がってすぐの部屋だから、叩き起こしてくれて構わないよ』
「プライベートな生活空間ですよね? 入っちゃっていいんですか?」
『遠慮しなくていいよ。あぁでも、二人きりでイチャイチャするのは禁止』
「そんなこと――」
急いでいたのかわざとなのか、電話が切れてしまった。瑞月さんは叩き起こしていいと言ったが、そんなことをしたら朔也はものすごく怒りそうだ。間を取ってLINEにしておこう。
フロアへ出てソファに腰掛け、朔也宛てに《起きてる?》と送信。ネットニュースを見ながら返信を待っていると着信音が鳴り響いた。朔也から電話だ。
『何だよ、いきなり』
「ごめん。今フロアにいるんだけど瑞月さんが出掛けてて。朔也と一緒に待ってるよう言われたから」
『ふーん……。じゃあ俺の部屋に来れば?』
「寝起きなんだよね? 大丈夫?」
『何? 襲われそうで怖いの?』
「変な冗談言うのはやめてよ。瑞月さんじゃあるまいし」
『うわ、失礼な発言。あとで蒼唯さんに告げ口しとこ』
「待って、そういうつもりじゃ――」
通話が切れる。
このまま無視するわけにもいかない。
グラスに水を注ぎ、トレイに乗せて階段を上がった。手前の部屋、ドアの前にスニーカーが揃えられている。中は居住スペース――土足厳禁なのだろう。
ドアをノックすると、「入っていいぜ」と返事があった。水をこぼさぬようそっと靴を脱ぎ、ドアを押し開ける。
黒やグレーで統一された室内。ベッドとチェスト、本棚、テレビ、ノートパソコンの設置された机――殺風景ですっきりと片付いている。朔也はパソコンデスクに向かっていた。
「失礼します。喉が渇いてるかなと思って水を持ってきたよ」
「サンキュ。ここに置いてくれ」
ノートパソコンから少し離れたところにグラスを置く。朔也が見ているパソコンのディスプレイには廃墟探索ブログが写っていた。荒れ果てた廃病院の写真が並んでいる。床にはカルテらしき用紙や試薬ビンが散らばっていた。こんな場所、たとえ昼間であろうと足を踏み入れたくない。
「どうしてこんなブログを見てるの?」
「ネタ捜しみたいなもん」
「もしかして、この廃病院に死魂が?」
「現地まで行かないと気配を感じ取ることはできないけどな。今日行くのはここじゃなくて、山沿いにある廃民宿」
朔也は新たなブラウザを立ち上げ、廃民宿の写真を見せてくれた。鬱蒼と茂る木々に囲まれた木造二階建て建築。写真を拡大しなくても分かるほど劣化が目立つ。長年放置されているのだろう。
「で? あんたはどうするの?」
「仕入れに同行するか、って意味?」
「そ。あんたが行きたいなら連れて行ってやるよ。こっから車で一時間くらい。店は蒼唯さんに任せておけばいい」
「……分かった。一緒に行く」
「じゃ、そういうことで。蒼唯さんが戻るまで仮眠でも取っておけば?」
「別に眠くないから大丈夫だよ。フロアの掃除をしてくる」
朔也の部屋を出て一階へ。床掃除を終わらせた頃、勝手口から瑞月さんが入ってきた。これまでウェイター姿しか見たことがなかったが、今朝は黒いTシャツにジャージというラフな格好だ。両手にレジ袋を携えている。
「待たせちゃってごめんね。新装開店の広告を見て、これから植える野菜の苗を買ってきたんだ」
「たくさん買われたんですね」
「うん。朝イチでお店に入ったから好きなものを悠々選べたよ。お昼までに庭仕事を終えたいところだね」
「すみません。実はさっき朔也と話して――」
「仕入れに同行するんでしょ? 朔也からLINEをもらってるよ」
瑞月さんはビニール袋を床に下ろし、「ちょっとついてきて」と歩き出した。彼が向かったのは二階の私室。広さは朔也の部屋と同じくらいだろうが、本棚が三つもあるせいで狭く感じられる。
瑞月さんはシンプルな木製チェストの引き出しを開けた。そこから取り出したものを私の手のひらへ――五センチくらいの小さな巾着袋。中にはビー玉のような石が入っていた。星ひとつない夜空のように真っ黒で、ずっしりと重厚感がある。
「それはオニキスというパワーストーンだよ。強い力で邪気を撥ね退けてくれる。キミにあげるね」
「いいんですか?」
「うん。僕とお揃い」
瑞月さんは自分の左耳を指さした。小さな黒いピアスが光っている。彼が毎日このピアスをしていることは気付いていた。ただのお洒落でなく厄除け効果があったらしい。
「それと、昨日のお客様の件で早速情報が入ったよ。彼女、自宅で首を吊っていたんだ」
「えっ――」
お姉さんが亡くなったのは、妹さんの死から約一ヶ月後。遺書の類いは残されていなかったが、妹さんと同じく事件性はなかったのだとか。
「昨日『記憶の一部が欠落している浮遊霊もいる』と話したよね。お姉さんには自死を選んだ記憶がない――つまり彼女の話には〝自殺に至るまでの経緯が含まれていない〟ということ。本人も自覚していない何かが必ずある」
「妹さんの死からお姉さんの死まで約一ヶ月……。後追い自殺でしょうか」
「一旦原点に帰って、警察の捜査結果は事実と仮定して考えてみようか。妹が死を選ぶほどの苦悩を抱えていることに、お姉さんは気付いていたと思う?」
別々の場所に住んでいたとはいえ連絡を取り合う仲だったら、妹さんの異変に全く気付かないことはないのでは――と考えかけたが、おそらく違う。妹の異変や苦悩に少しでも心当たりがあれば、捜査結果を真っ向から否定すると思えないからだ。
「キミの言うとおり、お姉さんには何の心当たりもなかったんじゃないかな。だから妹さんの自殺を否定し、事件性を疑った――というストーリーを僕たちが勝手に作ってしまっているだけで、どこかに誤りがあるんだろうね」
「……誤り?」
「探偵の話を持ちかけたときにお姉さんが見せた動揺――本当は彼女も、捜査結果は正しいと分かっているのかもしれない。その上で、事件性を指摘せざるを得ない事情があるのかな」
「警察に断固として異議を唱えるなんて、生半可な気持ちじゃできませんよね? そこまでしなきゃいけない事情って一体……」
「昨日の様子だと、単刀直入に訊ねたところで隠そうとするだろうなぁ。上手く話を引き出すことができればいいけど」
「私にできることは何もないですか?」
瑞月さんは神妙な面持ちで黙り込んだ。新人が出しゃばるべきでなかったと後悔したが、口にしてしまったものは戻らない。視線を横に流して考え込む瑞月さんの答えをじっと待つ。
「……ごめんね。今は何とも言えない」
「そう、ですよね。余計なことを言ってすみません」
「余計なことなんてとんでもない。お姉さんの力になりたいと思ってくれたんでしょ?」
「はい。瑞月さんの口からですが、私も悩みを聞かせてもらった立場なので」
「お客様に寄り添おうとするその気持ちが何より嬉しいよ。今は目の前に迫っていること――死魂の仕入れを頑張ってね。辛くなったらちゃんと朔也に言うんだよ?」
「分かりました」と答え廊下に出る。朔也の部屋をノックしたものの返事はなく、一階へ下りた。キッチン内でショートケーキを立ち食いする朔也を発見――朝食中とのこと。私も甘いものは好きだが、朝から生クリームたっぷりのショートケーキは胸焼けがしそうだ。




