はじめてのおつかい
見覚えのない姿に育った。
何となく前世の姿になるような気がしていたが、両親の顔も違えば両家に連なる遺伝子も違う。
もはや前世の亘辺 庸輔などという人物はこの世に存在していない。理解していたつもりの転生が、すとんと胸に落ちた瞬間だった。
「これが…アタイ?」
頬に片手を当て、窓ガラスに映る自分を見つめるうみんちゅ。
『何だ、アタイって?』
即座に弟から、心底の疑問の声。容赦ないそれを浴びせられ、うみんちゅは目を背けた。
野暮な説明はとても出来そうにない。
深い追及を受ける前に誤魔化すことにする。
「何でもないっす。お約束をこなしただけっす。それにしても、コレ案外若くない?」
大人になれると思っていたのに、容姿からはイマイチ少年感が抜けていなかった。
その点を術者に確認してみたところ、恐らくは互いの思う成人年齢の食い違いから、間を取ったものになっているとの申告。
やまんちゅ的な成人年齢は十五、うみんちゅ的な成人年齢はお酒の飲める二十歳…つまりは擦り合わせて十七、八程度の姿となったようだ。
元々まだ未完成の魔法だとは言っていたのだし、働くこと自体は出来そうなので、問題はない。遠慮なく成人十八として名乗ることにした。
きょろりと辺りを見回すが、自分の名字は相変わらずわからなかった。アパートには表札がない。
督促状や請求書には宛名が書いてあっただろうに、ライフライン喪失の危機に怯えていたせいで全く記憶にない。
もしも運悪く職質にあったら、前世の名を名乗ろう。彼はそう考えた。
名字も思い出せないうみんちゅ君ですと名乗ったらば、ポリスメンはこれを不審者と見なすであろう。下手をすると連れている弟との関係も怪しまれ、赤子誘拐の疑いを掛けられる可能性だってある。
当たり前、普通、目立つことのないもの。
そういう何かをかき集めて身の回りを固めるのだ。嘘を吐くことにも心理的抵抗はない。
破綻さえしなければ、それは誰にも嘘だと認識されないのだから。
「…行こうか、やまんちゅ」
『うむ』
彼がその背に負ったリュックからは、バァーン!と赤子が半身飛び出している。
疲れたら中に座るという約束はしているものの、ファスナーを微妙に閉め、持ち手を握り締めることで立ち姿も安定しているようだ。犬や猫をバッグ型キャリーに詰める世の中、たまには弟がリュックにインされることもあろう。決して虐待ではない。
父親のお古のシャツとダメージジーンズを着こなし、かかとの踏み潰された靴を履く。今となっては、父親が水虫でないことを切に祈る、それしかできない。
合鍵の所在を知らないので玄関の鍵すら掛けることはできないが、盗まれて困るような物もないだろう。弟を入れたリュックの中、資金は財布代わりのポリ袋に入れて口を縛り、哺乳瓶と粉ミルクに、タオルと替えのおむつも持った。
大事なものは、他に思い付きそうにない。
不慣れな抱っこで赤子の重みを抱え続けて、半日歩き回る自信はない。取り落としたら大惨事だ。立つも座るも、本人の自主性に任せておいたほうが却って安全である。
キリッとした赤子の乗り物となっている彼の姿を、すれ違う人々が時折笑う。
平日昼間の住宅地、思ったよりも人通りは多かった。家を出て数分で、目立たないなんて分不相応な目標は諦めた。
「やまタン、やけに静かじゃん。緊張してるのか?」
生まれて初めての外出だ。
魂が異世界産のやまんちゅにとって、見たことのないようなものばかりであることは想像に難くない。
かつて好奇心全開でせがんだ元王子様の国の話は、自慢か誇張に聞こえる部分を取り除けば、よくある中世ヨーロッパ的ファンタジーな世界観に思えたものだ。
移動は馬かそれに類するものが牽く馬車がメインだし、戦闘は剣や弓や魔法だ。魔物がいて、冒険者がいて、魔王と勇者のおとぎ話がある。魔道具作成技術がありながら、現代では再現できない高度なアーティファクトも遺跡から発掘されるという。
特権階級の王侯貴族と、奴隷という非人道が共存している。
大抵のものは職人が手作りしていて、完璧な規格統一の大量生産品なんてものは流通しない。
世は違えども、既に通った歴史がある故に「あちらは産業革命以前なのかな」と端的な感想を抱くに留まったうみんちゅ。
対照的に、遙か未来の文明と思しきものを見せつけられているのが、やまんちゅだ。
アスファルトで均された道路に、似たような形の乗用車の群れが走る。
信号がそれらと通行人の進退を事務的に操り、張り巡らされた電線が空を裂いて、階層高い建物が立ち並ぶ。
車も人も建物もそれぞれに、数種のパターン化された姿を纏い、いっそ個など失われてさえ見えるというのに。
規則正しく見えるそれらの中で、ともすれば己だけが異物として際立たされていく。
そういう世界だ。
『魔素も少なければ、随分と無機質な…。母親があのようにもなるわけだな…。思えば少し、哀れな女であった。冥福くらいは祈ってやるか』
「失踪はしたけど、死んだとは限らないからな?」
何を感じ取ったものか、やまんちゅによる現代日本の感想はそのようなものだった。案外、驚愕などは見えない。
鉄の馬だ、この世界スゲェーなどという反応を期待していたわけではなかった。
だが外の世界を認識することで、あれほど嫌っていた(ように思われた)母親へ理解の色を見せたことを、うみんちゅは少し意外に思った。
「まずはミルクを買い足すか。今は離乳食は…とりあえず後回しにしよう。俺にもよくわからない」
『うむ。極論、腹が膨れればそれで良いな』
固形物も少しずつ食べてもいいのだろうなとは何となく理解したが、何をどのくらいという知識がない。
赤子の身体は存外脆いものだ。無知なまま挑んで腹を壊すハメになどなっても困る。体力の低下は大きな問題だし、オムツの替えは有限だ。如何に熟練のクリーン師が居ても、摩擦などによる物自体の劣化は防げない。
『無理に離乳食を取り入れずとも、少なくとも今まで通りにミルクを飲んでいれば死ぬことはないだろう』
(あぁ。赤子がすくすく育つくらいだ、栄養は豊富なはず)
間違いないな、と肩越しに目を合わせて頷く兄弟。共通した彼らの思いはやけに強い。
もはやこれは粉ミルクへの信仰と言い換えても良かった。白い粉を崇める宗教だ。彼らは粉ミルクを万能薬かってくらいに信頼していた。
なぜならこの双子にとっては、親よりも育成実績があるのが、乳児用ミルク様なのだ。記憶にはないものの、母乳は恐らく最初期早々に与えられなくなったということだろう。
意識高い系な双子にとっては、むしろ哺乳瓶の方が都合が良かったので完全にスルー案件だったが、改めて考えると母親の疲労やストレスが要因で出が悪かった可能性は高い。
帰り道を見失わないよう、弟と脳内マッピングのすり合わせは怠らない。途中、うみんちゅは全国チェーンのドラッグストアを見つけて入った。
…違和感。
なぜだか向けられた店員の目が、必要以上に和んで…いや、これは…無言ながらも己の背後で動きがある…。
振り向いて見なくても、ゴソゴソと重心が移動するので背負い手にも振動は伝わる。
開いていく自動ドアに勢いよく顔を向けて手を伸ばす赤子の姿を、女性店員が微笑んで見ていた。
「やま、勝手に商品に触るなよ。売り物だからな。兄ちゃんを盗っ人にするんじゃないぞ」
「もぼー…」
『機会は惜しいが、仕方あるまい。己の興味を満たすのは余裕のある時にするさ』
「一言に万感の思いを込めるんじゃねぇ」
万が一にもリュックに会計前の品物を持ち込まれてはたまらないと、左右に並ぶ陳列棚からはなるべく距離を取って歩く。幸いにも、弁えた弟が商品に手を伸ばすことはなかった。
ベビー用品の区画でミルクを探す。
『ふむ…見慣れた缶はないようだな』
(ああ。なんでだろ? 普段は業スーとかなのかな)
『ぎょ?』
(業務用スーパー。たくさん入ってお買い得な商品が、メインで置いてあるお店だよ)
オリジナルブランドではないようだが、並んだミルクは月齢によって二種に分かれているだけで、メーカーとしては一種類だけだ。家で見慣れた缶より少し小さく、内容量も少なく見える。
しかし見慣れたミルクを求めて彷徨い続けるのも時間と体力の無駄だ。簡易ベビーカーである自分の体力が尽きれば二人共帰れなくなるのだからと不安を押し殺し、うみんちゅは一般的な商品と思われるそれを買い物かごへ入れた。
これで当面の食事は確保した。最悪のタイミングで魔力が切れたうえに水道が止まったとしても、粉を舐めてしばらくは生き延びられるだろう。
ホッと息をついたうみんちゅは、聞き分けの良い弟に目を向ける。
そういえば、第三王子なんて親の愛を一身に受けて育つというには位置が微妙かもしれないな、と弟の前世を思ううみんちゅ。
聞いていた異世界の文化的な位置をこちらの歴史に当て嵌めれば…妾腹問題がない場合には、跡継ぎとスペアとして長男次男はまだチヤホヤされる立ち位置だろう。しかしこれが三番目ともなれば、扱いは劣るのではないか。
もしも今生の両親へ庶民的な愛を期待していたとしたら、残念な環境であったと言わざるを得ない。前半はまだしも後半はネグレクトなうえ、なんせ言葉が通じていない。
そもそも親を見下し気味の態度を取る暴君やまんちゅだ。
彼にとって、今生の母とは「思い出したように、時折飼っている珍獣を構う迷惑な子供」のような位置付けなのだと思われた。
始めの頃の母親は家事の合間にそれなりに育児をしていたはずだが、暴君様はそんな母の努力をちゃんと理解してくれていただろうか…。
少なくとも、前世のうみんちゅには生活環境は守ってくれる祖父母がいた。
祖母はある意味女性的で…押し付けられた孫相手に表立って冷たくはしなかったが、周囲には表情の薄い不気味なお荷物であることは隠さなかった。広めることで同情を手に入れることのほうに力を注いでいた気もする。
祖父は目に見えて可愛がってくれるようなことはなかったが…とはいえ冷めた子供にとっては溺愛を示されてもやりにくいだけ。程良い距離を保ちつつも、何かを教える際には普段より言葉を多めにしてくれていた…そしてそれは後に役に立ったように思う。
子供の頃は意識したこともなかったが、今にして思えばあれが祖父の情の示し方だったのだろう。生きにくい子供が、少しは世の中に溶け込めるように、と。
無駄はなく、押し付けがましくもない教育。特に後者は難しいものだ。
手間のかかる弟を手に入れた今は、特にそう思う。
…弟にもう少し優しくしてあげようかな。そんな風に、うみんちゅは結論付けた。
もしも前世が幸せな王家一族だったとしても、別にそれはそれで良いことなのだし。
オムツは値段のチェックだけに留めて、彼らはドラッグストアを後にすることにした。
しかし、ちょうどレジを通過するときになって、こちら向きの精算画面に異変が映る。
真顔の赤子が、スッとリュック内へと引っ込んだのだ。二度見と堪え笑いを店員に強いてしまったことだけが、うみんちゅ初買い物での小さな心残りであった。
疲れたら、座る。やまんちゅはきちんと約束を守った。ましてや初めての異世界おんもなのだ。
浮かれて無理するよりずっと良く、己の体力残量の見極めを褒めるべきですらある。だが…タイミングがあまりにもあんまりすぎた。
後日、改めてドラッグストアへ通うようになったうみんちゅは、案の定店員に「ロボの人」とか「等身大ガン○ム」等と噂されているのを耳にすることとなる。
操縦はされていないが、乗り込まれてはいたな…映り込みを思い返し、自分でも納得してしまった。
ましてや直接言われたわけでもないのに弁解するのもおかしな話。
時間と共に風化より定着していくことが明白ではあるが、仕方がない。仕方がなかった。




